バンドマンから起業家になるまで
中嶋さんは1992年生まれ、東京・三鷹出身。青山学院大学在学中の2013年に起業し、現在はROXXの代表を務めています。
主力サービスは「Zキャリア」です。年収200〜300万円ほどで、これから正社員になろうとしている人や、正社員でも手取りが10万円台という人が主に利用しています。
紹介先は建設、物流、販売、接客といったブルーカラーやサービス業です。人手が足りない企業とのマッチングが、直近3〜4年で最も伸びていると中嶋さんは話します。
ただ、ここに至るまでにサービスは4〜5回変わり、社名も2回変わっています。ROXXの前は「スカウター」、さらにその前は「レノ」という社名でした。
起業のきっかけは大学の講義でした。入りたかったゼミの応募を忘れて金曜2限が空き、埋めるために取ったのがベンチャー起業論だったと中嶋さんは振り返ります。
講義はeアクセスの創業者・仙元さんが担当し、毎週起業家がゲストに来ました。1回目のゲストがリブセンスの村上さんで、当時すでに上場していたことが中嶋さんに強い印象を残します。
それまでずっとバンドやってて、これ売れねえわって分かってたから。
中嶋さんにとって、事業で大きく成功する起業家の姿は、憧れのバンドマンを見る感覚と近いものでした。
まだある種なんかバンドマン見て、うわぁかっこいい、俺こうなりたいっていうのと割と感覚が一緒。
資金400万円が虚無に消えた最初の失敗
最初に考えた事業は、就活に熱心でない友達と、有名ではないが良い会社をマッチングするという人材紹介でした。ごくありふれた発想だったと中嶋さん自身が言います。
当初はプロダクトでマッチングしようと考え、資本金400万円をかき集めます。バンドの機材を売り、創業メンバーの貯金100万円を出してもらい、親からも学費分を借りました。
エンジニアがいなかったため、受託会社にほぼ全額を払ってサービスを作ってもらおうとします。しかし、当時の技術で400万円ではマッチングサービスは作れませんでした。
何も出来上がらなくて、動くものが。
納品されたのは、実質1万円程度の代物だったといいます。集めた400万円のうち300万円ほどを、動かないプロダクトに使ってしまいました。
大学3年の終わり、道玄坂のガストで途方に暮れた中嶋さんは、共同創業者の山田さんと方針を転換します。ウェブでのマッチングを諦め、アナログで自分たちがマッチングするという決断でした。
もう一旦プロダクト捨てて、超アナログに、ノーテクになったのよ。
四季報へのテレアポで戦う「ノーテク」時代
営業経験はありませんでしたが、四季報を買って電話番号に片っ端からかけ、「青学生取らないですか」と話を聞いてもらうところから企業を1社ずつ開拓していきました。
友達で就職が決まっていない人を紹介するアナログな運用を、中嶋さんは2年半ほど続けます。証明写真を無料で撮るチラシを自作して学内で配り、来た学生に会社を提案するなど、資金のなさをアイデアで補いました。
売上は少なく、2年目でも月10万円に届かないほどでした。実家暮らしで最低限の生活を保ちながら、必死に続けていたと中嶋さんは話します。
創業メンバーは同級生や幼馴染が中心でした。留年していたり、納得のいかない内定しか持っていなかったりと、絶望の淵に近い仲間に声をかけて集めたといいます。
まあだから結構なんかバンド始めるのノリとほぼ一緒。俺からすると。
大きなバンドを作るためにパートごとにメンバーを集める感覚と、起業の仲間集めは同じだったと中嶋さんは振り返ります。
スーツで乗り込んだ渋谷、初めての出資
スタートアップらしくなるきっかけは、講義を担当していた仙元さんに虎ノ門のオフィスへ呼ばれたことでした。中嶋さんは髪を切り、スーツを買い、ビジネスモードに切り替えます。
事前にビジネスアイデアをまとめるよう言われ、スライドを50〜60枚作り込んで持参しました。この場で紹介されたeアクセスの元CFO・田中さんらから、数百万円ずつの出資を受けます。
この出資は、人材紹介の免許取得に必要なオフィスを借りるための資金でした。中嶋さんは、出会った人がその業界の一流で、言うことを聞けば大筋を間違えない環境に恵まれたと語ります。
人にはずっと恵まれてるから、その悪い人にどうにかっていうのはなくて。
当時、中嶋さんは同世代の起業家に接点がなく、XやTwitterで情報を追っていました。学生起業家がVC調達をする様子を見て、自分は入れないコミュニティだと感じていたといいます。
転機は、スカイランドの木下さんからのDMでした。学生起業家が集まる朝の勉強会に、中嶋さんはスーツで参加します。当時は毎日スーツで仕事をしていたためでした。
木下さんこんにちはって言ったら、おはようございますって言ったら、向こう誰だか分かってないわけよ。
その場ではハナフサさんら同世代がプロダクトをピッチしており、中嶋さんは自分がドブ板営業しかできていない現実を突きつけられます。
わーやっぱこうやったらもうプロダクト作って人前に喋るような形になってるわけよ。
免許なしでも紹介できる「スカウター」誕生
紹介業は免許取得にコストがかかると痛感していた中嶋さんは、免許がなくても紹介業ができるモデルを考えます。それが2016年に出した「スカウター」でした。
スカウターの構想でVCを回り、最初に出資のオファーをくれたのが木下さんでした。当時のスカイランドには岡山さんや、ザ・シードの廣澤さんもいたといいます。
イーストベンチャーズの毛利さんにも岡山さんの紹介で会いましたが、熱心にプレゼンしてもクールな反応だったと中嶋さんは笑います。
最初のVCラウンドはスカイランドから1500万円、バリュエーションは1.5億円でした。2年弱で数百万円の売上を作っていたことと、仙元さんや田中さんがいたことで、少し上のスタートになったといいます。
ローンチ直後の大炎上と厚労省の来社
スカウターは、本来許認可事業である紹介業を、免許がなくても副業でやれるというモデルでした。その内容を中嶋さん自身が書いたプレスリリースで発表します。
発表直後、人材業界のFacebookグループなどで「違法ではないか」と話題になり、大炎上しました。厚労省には事前に相談していましたが、明確な回答は得られていませんでした。
無免許の。二人とも若いと。でも極論そういうことで。
概要リリースを出したのは2月29日、正式ローンチ予定は3月31日でした。3月1日に炎上し、その翌日には厚労省の担当者がオフィスに来社したといいます。
次の日、厚労省の方がオフィス来た。
結論として、スカウターは違法ではありませんでした。指摘の中には正しいものもあり、ローンチまでの1カ月で問題点を潰し込んでいきます。
鍵となったのが雇用モデルへの転換でした。免許を持つ会社の社員がやる分には問題ないため、紹介したいユーザー全員と雇用契約を結ぶ方針に振り切ったのです。
知らない相手と雇用契約を結ぶため、ネット上の情報を目視で審査し、当時電子サインがなかったためメールでアルバイト契約を交わしました。1面談あたり1000円を報酬として払う仕組みです。
一ユーザー獲得千円だから、まあネットの世界じゃみんな一面談数万円払う世界に対して、これは逆に行けんじゃねえかって思って。
雇用契約4000人、不正との戦い
ローンチ直後から登録が数百人規模で集まり、応募は1万人、最大で4000人と雇用契約を結んだといいます。副業解禁の文脈も追い風になりました。
しかし、素性のわからない人が誰かと面談したと報告すれば1000円が発生する仕組みは、不正の温床にもなりました。1日に10人と面談したと報告するスカウターも現れます。
一日十人と面談してるスカウターとか出てくるんだよ。絶対会ってないじゃんみたいな。
紹介が決まればレベニューシェアで本人・紹介者・ROXXの三者に分配される設計でした。しかし、ターゲットを絞らなかったため、思ったほどマッチングできなかったといいます。
マッチングビジネスを広くやろうとしたが故に、全然そのターゲット絞れない。
働いたことのない人から年収数千万のエグゼクティブまで、あらゆる層が集まりました。紹介先はROXXが確保しないと成立せず、求人開拓にも追われることになります。
上地さんが「プロダクトを作る意味があったのか」と問うと、中嶋さんは、プロダクトで大きくマッチングするという先入観に強く引っ張られていたと認めます。
憧れというか形にすごく引っ張られてた。
むしろ経験者に絞って密度の高い100人に毎月動いてもらう方が、コスパは良かったと中嶋さんは振り返ります。
三択のピボットと、活路になったデータベース
資金を使い切りながらも健全に伸びず、中嶋さんは小さなピボットを検討します。看護師特化、集客特化、そして求人データベースの人材会社向け提供という3つの案がありました。
上地さんが「最後の案が筋が良さそう」と言うと、中嶋さんはそれが最初にマネタイズでき、Zキャリアプラットフォームの原型になったと明かします。
看護師特化
単価が高く、看護師の周りに看護師がいる構造を狙う案
集客特化
スカウターに集客だけしてもらい、マッチングは自社で行う案
求人データベース
集めた求人を人材会社に課金してもらう案。最初に収益化に成功
この時点でキャッシュはあとわずかで、少ない人数を3案に分けて検証しました。データベース案は初月に月20万円が5カ月分積み上がる形で売れ始めます。
もう瀕死の状態。もうちょっとでキャッシュなくなる。
1〜2社の見込みだけを頼りに追加調達に回った中嶋さんは、ダウンラウンドだけは避けたいという思いから、バリュエーションを守ろうとしました。
高いバリュエーションを付けた苦しさは、この時に学んだと中嶋さんは言います。上地さんにも「そんなに上げればいいものではない」と伝えているそうです。
高くなければもうちょっとその進め方あったかもしれない。結果自分の首をその時は絞めたから。
赤坂さんの一言と、スカウターを捨てた瞬間
最後の追加調達では、クルーズが9000万円、ペアーズを運営するエウレカの赤坂さんが1000万円を出しました。中嶋さんは謝罪しに行くような形で出資を仰いだといいます。
赤坂さんとの関係には、ラーメン屋の逸話がありました。券売機が現金しか使えず、赤坂さんが現金を持っていなかったときに、中嶋さんがラーメン1杯を奢ったのです。
で、その後会うたびにラーメン代返してくれって。
中嶋さんはまだスカウターを諦めきれず、新しい方向と両方を続けようとしていました。そこで赤坂さんが条件を出します。
じゃあその今うまくいってる方にフルベットするんだったら出してあげる。
この一言を受け、中嶋さんはその場でスカウターをやめると決めました。ファーストプロダクトを捨てる決断は、簡単ではなかったといいます。
その場で辞めますって言ったのスカウター。
店を出てすぐ共同創業者の山田さんに電話し、スカウターをやめると伝えました。返ってきたのは「わかった」の一言だったといいます。2017年末のことでした。
キノピの一言で見つけたブルーカラー領域
2017年末、中嶋さんはデータベース事業に一本化します。免許を取ったばかりの紹介会社に求人データベースを売る戦略で、免許取得の講習会場でビラ配りまでしました。
紹介免許の申請書類を作れるプロダクトや記事も用意し、紹介会社のリストに毎月DMを送り続けました。この事業は着実に積み上がり、売上は1億、3億へと伸びます。
やると決めたら徹底的にやる会社だから。
当時のSaaSブームと重なり、ARRという概念で語れる積み上がる売上に、中嶋さんは手応えを感じたといいます。
決定的だったのは、木下さん(キノピ)との会話でした。中嶋さんは有名企業に決まっていることを誇っていましたが、そうではないと指摘されます。
そしたらキノピにそういうことじゃねえって言われて。
データを見ると、毎月安定して決まっている会社がありました。学歴も職歴も問わず、単価は安いが経験不問で、年間数千人を採用する求人だったのです。
そこは実は学歴も職歴も問わない。単価は安いんだけど、経験不問な求人なんだよね。って言えばそこで見えた。
中嶋さんは自分の発想がネット系に染まりすぎ、「優秀な層」「潜在層」という言葉に囚われていたと気づきます。潜在層には潜在の理由があるという指摘が転機になりました。
潜在層が何百万人います。潜在には潜在の理由があんだよ。
ここから学歴・職歴を問わないブルーカラー領域にフォーカスします。他社では決まらなかった人でも成約でき、紹介会社に提供して収益化するモデルにたどり着きました。創業から6年が経っていました。
株主からの金言と、調達の心得
中嶋さんは株主から多くの助言を得たと語ります。アンリさんからは、良い報告をしようと強がる姿勢を戒められました。
アンリさんにいいと、そういうのはダメなことから言えと。
悪いことから目を向けないと改善できないというこの教えを、中嶋さんは今も新卒に伝えているといいます。
聞き手の伝説さんも、中嶋さんから受けた金言を語ります。90'sファンドから出資を受ける際、4000万円ではアプリを作れないから6000万円調達しないと出資しないと言われたのです。
四千万あったら僕アプリ作れてないんで、多分キャッシュアウト死んでたんですよ。
中嶋さんが伝えたのは、集められる時にお金を集めておけという考えでした。市況が変わるかもしれず、想定通りにいったことは一度もないからです。
冷静に思った通りいったことなんて一回もないわけ。
中嶋さんは、これらの失敗を最初の5年で全部やったと振り返ります。合計で30億円半ばを調達・出資で得て、売上は1億、3億、9億、12億と伸び、今期は50億円近くに達しています。
バンドの原点、10代のインターネットとmixi
話は中嶋さんの10代に戻ります。両親とも音楽好きで、幼い頃からロックを聴き、ライブに連れて行ってもらう環境で育ちました。運動は得意でなかったといいます。
高校で軽音楽部を期待していましたが、入った学校はエレキギター禁止のフォークソング部でした。受験実績重視の中堅私立で、当時は馴染めなかったと語ります。
だし、やりたかったバンドもできないし、なんかもうちょっと軽音とか学園祭みたいな、ああいうノリがあると思ってたから。
学校で趣味の合う友達がいなかった中嶋さんは、ガラケー時代の「前略プロフィール」で同世代のバンド仲間を探します。当時は個人情報に無頓着で、学校名や居住地も書かれていました。
好きなバンド名とか入れて、都内にいてバンドやってそうなやつを片っ端から毎日探しちゃうの。
好きなバンドがほぼ一致する相手にDMを送り、初めてのバンドを組みました。初対面の相手と渋谷のハチ公前で早朝に待ち合わせ、そのままスタジオに入ったといいます。
全く知らない人と。初めてのマッチアップ超怖かったもん。
iPhoneも3GSから使い、マイスペースでバンドのホームページを作って曲を上げていました。作る側というより、好きなことを突き詰めるために新しいものを使う側だったと中嶋さんは言います。
後にMy First Storyのteruさんと知り合ったのも、mixiのエフェクターのコミュニティでした。中嶋さんが作った機材ボードの写真がきっかけだったといいます。
でもテルキはあれだよ、MIXIで知り合ったんだよ。
友は武道館、自分はピッチイベント
ここで聞き手の伝説さんも、自身のバンド経験を語ります。80年代のLAメタルに憧れ、10代でメイクや衣装をアメリカのハードロック風に真似ていたといいます。
伝説さんは高校時代、幼馴染と二人でライブハウスを貸し切り、300〜400人規模のイベントを企画していました。ギターを突き詰めるより、バンドで売れることに惹かれていたと振り返ります。
俺ずっとバッキングギターなのよ。リードじゃないの。でもバンドのリーダーだし、コンセプトは決めるし、メンバーには一番うるさいし。
その姿勢は、後のスタートアップ経営に置き換わったと伝説さんは語ります。ただ、バンドは中途半端な努力だったという反省もあるといいます。
でもバンドは中途半端な努力だったって反省があるのよ。
象徴的だったのが、スカウター時代のピッチイベントです。TechCrunchのピッチファイナルに登壇したその日、同い年のMy First Storyが武道館をソールドアウトしていました。
こっちはさ、五分喋ってボロカスフィードバックもらって入賞できるかできないか。向こう武道館ソールドアウトしてんのよ。これは人生の差だなって思った。
終演後、伝説さんはタクシーで武道館へ駆けつけ、悔しさを味わったといいます。この体験が、憧れを比較に変える契機になっていきました。
なぜいつも革ジャンなのか
中嶋さんの革ジャンスタイルは10代から変わっていません。もともとライダースが好きで、好きなアーティストを真似ているだけだと語ります。
本当に俺ライダースがかっこいいと思ってるんで。この世で。
最初のBダッシュキャンプにはスーツで参加し、綾太郎さんから詐欺師だと思われたという逸話もあります。当時はバンドの色を一切出していませんでした。
今の革ジャンスタイルは、むしろ音楽の話につながり、取引が生まれることもあるといいます。特にガンズ・アンド・ローゼズのギタリスト、スラッシュへの憧れが原点です。
俺が一番好きなアーティストはインタビューでは全部赤マルだったんだよ。
伝説さんも、タバコの銘柄や指輪まで好きなアーティストに由来すると語ります。クロムハーツの指輪は、ガンズの再結成ライブを見にラスベガスへ行った際に買ったものでした。
中嶋さんは、革ジャンやスーツの使い分けについて、相手に合わせて事前に調べ、失礼のない範囲でどちらが前に進むかを選んでいると話します。見た目は破天荒でも、営業では周到に準備しているのです。
もちろん全部事前情報調べるの。この人は多分これはイケるイケないっていう、周りにちゃんと聞いて。
上場後のリアル「手放しには喜べない」
上場後の実感を問われた中嶋さんは、株価が上場からずっと苦戦していると率直に語ります。喜びよりも、より大きなプレッシャーを感じているといいます。
だからまあハッピーにはなってない。より大きなプレッシャーになったのは間違いないし。
それでも中嶋さんは、適切なストレスがあるべきだと考えています。上場によって逃げ場をなくすことが、真剣に向き合う原動力になっているのです。
株価は毎日見てしまうといいます。下がっていることへの罪悪感と申し訳なさを感じ、上場前より圧倒的に忙しい日々を送っていると話します。
下がってることに対する罪悪感と申し訳なさと至らなさをすげえ感じてる。
上場した方がいいかという問いには、経営レベルが明らかに上がると答えます。上場企業の中で自分たちの立ち位置を見ることで、これまで考えなかったことを考えるようになるといいます。
中嶋さんは、外部の株主が入って否定を重ねてきた過去と、今の状況を重ねます。シェアは下がったが仲間は増えたという捉え方をしているそうです。
シェアは下がったけど仲間は増えたと思ってるから。
ずっと思い通りにいかない人生をどう生きるか
上地さんに「どういう時が幸せか」と問われた中嶋さんは、明確な答えに悩みます。それでも、会社のために頑張ってくれる人がこれだけいることを挙げました。
俺一人が成功みたいなのはやだなと思って。
初期メンバーはよくわからない同級生の会社に来てくれた仲間でした。周りも不安だったはずのその選択を、10年かけて正解にしてくれていることに頭が上がらないといいます。
中嶋さんは、起業家にも「旬」があるのかと自問します。伝説さんは、人生を長いスパンで見れば、リソースが積み上がった終盤にこそ一番大きな花火を打てると答えます。
使えるお金も時間もリソースも、そこまでに積み上げたものも含めて一番でっかい花火打つのって終盤じゃん、人生の。
庵野監督や小島監督のように、下積みから数十年を経て今やりたいことをやっている作り手の例を挙げ、二人は長い目で捉える意義を語り合いました。
だから目の前シビアでもしょうがないって思えてる。
中嶋さんは、朝起きて今日も楽しいと思っているわけではないと明かします。それでも、何かを全力でやっている大人はかっこいいという価値観を共有していました。
鬱蒼とした感じの中で、なんか光を見つけてやっていくっていう、まあそういう人生なんだろうなって思ってる。
演じきることと、先輩に可愛がられる秘訣
中嶋さんは、後輩に的確なアドバイスをする印象を持たれていますが、それは自分が先輩からしてもらったことの伝言だと語ります。自分の失敗を隠すプライドもないといいます。
でも自分が失敗したってことも公にしてるし、そこをなんかよく見せようっていうプライドはないのよ。
先輩に可愛がられる層に入れた理由を、中嶋さんは、単純に自分より経験のある人の話を聞くのが好きだからだと説明します。アーティストの話を聞くのと同じ感覚だといいます。
さらに中嶋さんは、社長として振る舞う自分と、気を抜いたときのナイーブな自分は違うと明かします。ディズニーランドのミッキーの例えで、役に徹する必要性を語りました。
スタッフの前だからといって、その役に徹しなきゃいけないよねと。誰もいないとこまできっと被ってるはずだと。
ロックスターも、ステージでは破天荒に見えて、実際は交渉ができ商売がわかっている。相手が信じ込むほど演じきることが一つの力だと、中嶋さんは捉えています。
最後は交渉ができて、商売ができて、ニーズをわかってるやつらなわけじゃん。それはやっぱり相手が信じ込むぐらい演じきるっていうのは、やっぱ一つあるなと。
助言は素直にやる、という人生のモットー
中嶋さんは、先輩への相談で得た助言は、納得していなくても全力でやると決めています。判断できないから相談しているのだから、相手の見立てに従う方が良いという考えです。
言われたことは素直にやるっていうのは割と人生のモットーにしてるかも。
助言を聞いてやらない人は失礼だと中嶋さんは言います。全力でやってダメだったところまで持っていくことが、信頼関係や師弟関係につながるのです。
一回目はしてくれるけど、二回目、三回目があるか。それはやっぱその違いだと思ってて。
川邊さんとの出会いは、各世代の起業家が集まる合宿でした。ガリガリの中嶋さんと大柄な大山さんが目立ち、面白がってもらえたのがきっかけだったといいます。
中嶋さんは、人として面白いことの価値を強調します。いろんな経験を面白トークに変え、業界を超えて人をつなぐ川邊さんのような大人に会えたのは幸運だったと語りました。
子育て、健康、そして起業家はローンを組め
中嶋さんには7歳と5歳の子どもがいます。仕事にフルベットできたのは奥さんの支えがあったからで、自分に発言権はないと語ります。土日は家族との時間に使うようになりました。
インターネットで何でも見られる時代に、親の趣味を子に伝える難しさも話題になりました。中嶋さん自身は親の趣味を全力で受け止めて育ったといいます。
健康面では、食が細く痩せすぎだと人間ドックで言われる一方、大きな不調はないといいます。仕事や事業には死ぬ気で頭を使うのに、自分のことになると後回しになると認めます。
会社の問題とか事業の問題には死ぬ気で頭使うけど、いざ自分のこととかになるともうなんかやっぱりできない。
最後に「伝説」を問われた中嶋さんは、会社を作った最初の半年、売上がないのに600万円のBMWをローンで買った話を明かします。
俺は絶対成功するからこんぐらい払えるんじゃと思って。調子に乗ってさ、問い合わせたんだよ。
月給が十数万円、車のローンが月8万円で、ガソリン代も払えず食事を抜くほどでした。それでも、終電の概念から解放され、毎日メンバーを車で送っていたといいます。
もうほんと身の丈に合ってないとはこのことだなと思って。恥ずかしかったもん、逆に。
この逸話から、収録は「起業家はローンを組め」というフレーズで締めくくられました。中嶋さんは、自分の人生を楽しくするために起業を選ぶという原点を大事にすべきだと語ります。
そもそも起業するなんて自分の人生楽しくするために選ぶことなわけじゃん。
まとめ
バンドマンを目指した10代のインターネット体験から、資金ショートや炎上を乗り越えての上場まで、中嶋汰朗さんは失敗と学び直しの12年を赤裸々に語りました。上場後もプレッシャーと向き合いながら進み続ける姿勢が印象的な回でした。
- ROXXは12年でサービスを4〜5回変え、免許なしの紹介モデル「スカウター」の炎上や度重なるピボットを経て、学歴・職歴を問わないブルーカラー領域にたどり着いた。
- 最初のプロダクトに400万円をほぼ失い、「形」への憧れに引っ張られた反省が、後にプロダクトを最小限に抑えるバックチェックの立ち上げ方につながっている。
- 赤坂さんの「うまくいってる方にフルベットするなら出す」という一言や、木下さんの指摘など、株主・先輩からの助言が事業の転換点になった。
- 集められる時に多めに調達する、悪いことから報告する、助言は納得できなくても全力でやる、という中嶋さんの実践的な学びが語られた。
- 革ジャンや売上ゼロでのBMWローンなど破天荒に見える一方、営業では相手を調べ、役に徹して演じきる周到さが本人の核にある。



