バスケ部を辞めて原宿に向かった高校時代
片石さんは神奈川の金沢八景で育ちました。父親が医療・介護系の施設を経営する起業家で、母親が経理を担う家庭だったため、人の箱の中に入るイメージは全くなかったと振り返ります。
海が近い環境で育ち、逗子の駅にかかる南国風のBGMや潮の匂いが、自身の原体験になっていると話します。
中学ではバスケ部で毎朝6時に起きて朝練に通う運動部の少年でした。ただ地区予選2回戦負けのベンチで、下の代のほうが県ベスト8まで行くほど強く、不遇の時代だったと語ります。
転機は高校1年で初めて原宿の美容院に行ったことでした。当時はストリートスナップが流行し、雑誌に載ることがステータスだった時代です。
原宿では一人の人間としてちゃんと扱われるのに、部活に戻るとゴミのように扱われる。そのギャップに片石さんは強い違和感を持ちます。
部活の顧問と生徒による一方的な搾取関係みたいな。その、マジでやばいのよ。普通に社会問題だよこれ。
運動部でよくある「帰れ」「出てけ」というやり取りの意味のなさを、片石さんは繰り返し批判します。将来につながるファッションに時間を使えないことへの不満もありました。
本当に(顧問に)「帰れ」って3回言われたから、俺も中二病だからボールバーンって叩きつけて、「代わります」みたいな。
その日、片石さんは体操服のまま、バスで15分ほどの距離にある山の上の学校から1時間歩いて帰ったといいます。
いったんは戻るよう促されたものの、キャプテンでエースだった友人の海人さんが「片石が辞めるなら辞める」と言い出し、2人で離脱しました。海人さんは大学でまたバスケ部に入ったため、片石さんは「ちょっと損してる」と笑います。
原宿ヒエラルキーと、15年越しに回収される縁
バスケ部を辞めた片石さんは、海人さんたちと月に1〜2回、原宿の古着屋に通うようになります。店員と仲良くなり、音楽や洋服などのカルチャーを教わりました。
当時の原宿には序列がありました。ストリートスナップから美容室のヘアモデル、雑誌の専属モデル、そして俳優へと続く道です。地方の高校生にとっては、スナップに載るだけでも大きなステータスでした。
この時期に知り合った人が、いまの仕事につながっています。カメラマンの木村カズヘイさんのアシスタントをしていた人物が、現在yutoriのブランド「PAMU」のディレクターを務めているといいます。
片石さんが挙げるのが、原宿にあったセレクトショップ「見切り発信」です。震災前後、15年ほど前に、まだ誰も知らない時期のチームラボを内装に使うなど、最先端の店だったといいます。
いや、俺がもしこの立場だったらPARCOでPYARCOって店は作んねえなみたいな。そういうなんかエッジの効いた感じに、俺みたいなそういうのに憧れてる人がこう集まって。
その店が扱っていたブランドと協業して生まれたのがPAMUだと片石さんは説明します。青春時代の文脈を仕事として回収できることに、熱いものを感じると語ります。
明治大学へ、そしてアカペラで一世を風靡した学生時代
高校では原宿に通う一方、部活を辞めてからは受験勉強に切り替えます。中高一貫の進学校でしたが、下から10位ほどの成績が続いていたといいます。
どのみち起業するつもりだったため、名刺代わりになればよいと考え、私立文系に絞りました。学校の先生に勉強のやり方を全て聞き、ひたすら実行したそうです。
明治大学には特別給費奨学生として入学しました。センター試験は96%ほどで、明治のセンター利用で受けた人の中で最高だったといいます。ただ調子に乗って早慶に挑戦したところ、そちらは落ちたと明かします。
大学ではアカペラサークルに入り、ビートボックスにも取り組みました。当時のハモネプのリバイバルや、HIKAKINさん、DAichiさんが活動していた初期のヒューマンビートボックス文化に影響を受けたといいます。
この頃、片石さんはすでにスタートアップコミュニティの空気を懐かしんでいます。2015年から2019年ごろの雰囲気が特に好きだったと語ります。
(当時のスタートアップは)ちゃんと未来と気概を見据えてる人しかそのコミュニティの中にいなかったじゃん。いい意味で排他的だったっていうか。
その純度が失われた原因として、片石さんは起業の民主化、カンファレンスの商業化、Web3との接続を挙げます。
ミクチャで一世を風靡したアイドルグループ「SNATCH」
大学2年の冬、片石さんはアカペラの枠を超えてアイドルグループ「SNATCH」を組みます。合唱部出身者が多く地味になりがちなアカペラサークルの中で、あぶれていたイケメンたちを集めた「大逆襲」だったと語ります。
当時流行していたミクチャを徹底的に活用しました。高校生が中心の動画が多い中、大学生の一発撮りとハモりが顔立ちの良さと相性よく、圧倒的にバズったといいます。
ミクチャで数万いいねを集め、Twitterの転載メディアに5000円ほどでリツイートを依頼して拡散。最終的には600人規模のワンマンで卒業したといいます。人気はスカイピースの初期とも並ぶほどでした。
これだけ人気がありながら、YouTuberになる道は選びませんでした。理由を片石さんはこう語ります。
いや、価値をわかんなかった、自分たちで。要はノリでやってさ、めっちゃバズってさ、しっかりそのライブにも動員されてたから。
俯瞰した視点がないまま独立的な活動をするのはリスキーだと考えたといいます。当時はまだYouTuberが職業として一般化される前でした。
話はニコニコ動画やMADにも及びます。遊戯王などアニメ作品のMADのオープニングに影響を受けたと語り、いまのアニメ×ファッションの文脈につながる感覚だったと振り返ります。
さらに片石さんは、いまのメディアシーンについての構想も語ります。
リハックでもピボットでもアベプラでもない、もうちょっとその同世代間があって、かつ領域横断的なそういう言論空間が、それこそ5時間生配信してずっと喋るとか、そういうのがあったら流行るんじゃないかなと思う。
アカツキ入社と「感情報酬型の社会」
大学卒業後、片石さんはアカツキに入社します。グループ「SNATCH」の活動を優先したかったため就活を早く終わらせたく、トランプゲームで一次選考を突破したり、グループディスカッションで書記役に立候補して議論を誘導する「書記ハック」を使ったといいます。
最終的にアカツキを選んだのは、代表が語る世界観が自分の解釈に近かったからでした。
金銭は限られてるものだから、感情は無限じゃん。嬉しいとかさ、楽しいとか、それをそういうなんか、こう湧き上がる何かをもっとそのベースに社会が駆動していくと良くなるよねみたいな。
当時のアカツキは「ドラゴンボール ドッカンバトル」が大ヒットしていたタイミングでした。価値観の近い社長が大きな資金で何を作るのかを見たかったといいます。
配属されたのは新規事業部でした。片石さんはスマホゲームをやったことがなく、担当したのはレジャー予約サイトの立ち上げでした。事業部は1年で数人から100人規模に拡大したといいます。
最初の仕事は、紙媒体出身のライターが書いた記事のレビューでした。知識のない状態で新規事業に関わることの難しさに、片石さんはうつ病手前まで追い込まれたと明かします。
だってさ、会社行ってさ、これをやってください、これをやったら成果が上がるよっていうのはないんだよ。
毎週実家に帰り、母親に慰めてもらって英気を養う日々でした。やがて「成果物を納品する」というコツをつかみ、ポータブルスキルが身についたと語ります。
インスタグラマー集めから、古着女子の発見へ
サイトのプロモーションのため、片石さんはインスタグラマー(当時「アソモ=遊ぶモデル」と呼んだ)を集める仕事を担当します。バイトのスタッフを雇って業務を仕組み化し、自身はひたすらインスタを見ていたといいます。
そこで気づいたのが、古着のコミュニティが盛り上がっているという事実でした。当時のインスタグラマーが「港区女子」的なキラキラした文脈だったのに対し、ファッションはもっと包括的なものだと考えたのです。
サチモス以降、古着を着るアーティストが増えていました。スキニーが流行した反動として、90年代のオールドなジャージやリーバイスのデニムといったオーセンティックな古着が若者の間で広がっていました。
要は今でこそ古着って民主化したけど、当時はニッチなカルチャーだから。ニッチなカルチャーってさ、やっぱコミュニティを求めるわけよ。
片石さんはアカツキに在籍しながら副業として、古着のコーデを載せる人に転載許可を取り、リポストして解説するアカウントを運営します。最初は自分が女性の体でサイズ感を解説していたといいます。
結果は劇的でした。1日で500人、5ヶ月で10万人のフォロワーが増えたと語ります。VCのサムライインキュベートにいた大学時代の親友と、この「古着女子」のアカウントだけがある状態で起業に向かいました。
yutori創業と、最初の資金調達
2018年4月4日、片石さんは合同会社ゆとりを設立します。翌月に資金調達し、6月に株式会社化しました。共同創業は片石さん、VC出身の親友、そして親友が連れてきた現副社長の3人でした。
資本政策については、株のことはよくわからないながらも「渡したらやばそう」という解像度で臨んだといいます。結果的に大きなミスはなかったそうです。
最初のエンジェル投資は3人から1000万円でした。人脈がなかった片石さんは、いわゆる有名な投資家にDMを送って会ってもらったといいます。
(投資家のことは)知識もなくて、かっけーなこの人みたいな。かっけー人にただ送った。
会社のホームページの冒頭には、ビジョンではなく歌詞のような内省的な詩を掲げました。「心が死ぬ前に好きの産声を上げよう」「臆病な秀才の最初のきっかけを作る」というものです。
これは戦略でもありました。当時の王道起業家像へのカウンターだったと片石さんは語ります。
時価総額いくらとか、そこに共感できる若者なんて誰もいないと。それは2000年から来てる超インターネット至上主義的な思想で。
プレスリリースの写真も、正面ではなく4人が背中を見せて歩き、真ん中に「ゆとり」と書かれた「超カウンター」なものでした。起業時にはFacebookで100人以上の名前を挙げた長文の感謝メッセージを投稿し、拡散を狙ったといいます。
これらの仕掛けにより、yutoriはシード段階でスタートアップコミュニティの中で一気に有名になります。同時期のnagoの若月さんがテクノロジー側の新世代なら、片石さんはリアルでアナログな表現の新世代という位置づけでした。
古着の限界と、オリジナルブランドへの転換
当時はD2Cが乱立していた「大D2C大戦争」の時代でした。中国のタオバオから仕入れてタグを付け替える手法が横行する中、yutoriはひたすら古着を売っていました。
古着はEC事業として極めて効率が悪いものです。1着しかないため、どれだけ需要があっても1着しか売れません。フォロワーは多かったものの、1期目の売上は1000万円にとどまりました。
(フォロワーは)めちゃくちゃいたけど、古着を売ってたから、もうその、生まれ態様を完全に間違えてるみたいな感じだったね。
転機は2年目の夏、オリジナルの制作を始めたことでした。最初の作品「タピオカティー」は、タピオカを飲む女の子と「量産型になりたくない」を着た子を組み合わせたポップなグラフィックTシャツでした。
200着が2〜3分で即完するなど、作れば売れる状態でした。売上は1000万、1億、5億と伸び、3期目でZOZOTOWNのハーフジョインが決まり、アパレル出身者が入って地盤が整いました。
ここから、片石さんが一番成功していると評価するブランド「9090」が名乗りを上げます。台湾に3店舗を持つなど海外にも展開しているといいます。
コムドット、木村ハルマ、そしてスタートアップ黄金期への郷愁
yutoriは、有名になる前のクリエイターやタレントをキャスティングする手法でも知られました。片石さんはこれを「革命」だと表現します。
音楽で言ったらメジャーしかやってない中、インディーズがかっこいいストリートのルックを撮るっていうのがめちゃめちゃ熱いなって思ってましたね。
コロナ禍では、まだ6〜7万人だった頃のコムドットのゆうたさんをモデルに起用しました。現在は百数十万人の規模になっても、いまだにフォローしてくれていることに片石さんは好感を持っています。
撮影を担当していたのが木村ハルマさんです。ルームツアーのTikTokアカウントを作り、カメラマンとしても活躍していますが、16〜17歳の頃にyutoriのオフィスに突然「無給でもいいので働かせてください」と訪ねてきたといいます。
すごいよ。マジ不審者。ただの。高校生でユトリ知ってさ、凸ってさ、常人じゃないじゃん。
この流れの中で、片石さんは2015年から2019年のスタートアップシーンへの郷愁を繰り返し語ります。
あの時のスタートアップが好きですね。牧歌的だったし。なんか変な人が少なかったっていうかな。いい変さっていうか。
片石さんは、この10数年のスタートアップの正体を独自に分析します。大人がPCからスマホへの移行に遅れた分を、若者がかすめ取ったのがその本質だという見立てです。
2010年前半はアプリのインフラを作った人が勝ち、後半はSNSやスマホを通じてものをスケールさせる人が勝ったと片石さんは整理します。yutoriも洋服をSNSでスケールさせる後者だったといいます。
いまのスタートアップに感じる「モメンタム」の不在
話題は現在のスタートアップシーンへの違和感に移ります。片石さんも伝説さんも、かつての起業家が持っていたロックスターのようなかっこよさが薄れていると感じています。
その人にしか見えてない時代のビューがあって、そこに先進的にこう駆け込んでくみたいな。それをその人にしかない感性で作り上げていくみたいな感じのかっこよさがあって。
一方で、いまの若者に残された領域は難易度が高すぎるとも指摘します。宇宙分野などは特殊な才能がなければ「ダルすぎる」と語ります。
伝説さんが手がけるゲームは、なお一発逆転の余地があると片石さんは認めます。話題は「Palworld」が10億ほどの開発費で600億円規模の売上を上げた例にも及びました。
新しく起業するなら何をするか。3人はAI、政治、神社のお守りの転売など、さまざまなアイデアを冗談交じりに出し合います。ただAIについては共通の懸念がありました。
なんかさ、わかるってなったらダサいじゃん。今AIでこうして、あ、そうだよね、みたいな。それってなんかさ、モメンタム生まないっていうかさ。
片石さんは、いまの若い起業家に「インスタント知性」を感じると語ります。それっぽい正解に行きすぎて、エッジが効いていないという指摘です。
うわ、この子この年でこういうことやるんだみたいなのがない。
「イグジット」のような言葉を誰もが知り、経済合理で自分の物語を語ることへの違和感も語られます。手段だったスタートアップというフォーマット自体が主語になってしまっている、という危機感です。
eスポーツというブルーオーシャンと、韓国の熱狂
伝説さんが手がけるeスポーツの話題になります。チームのマネタイズはスポンサー、アパレルのユニフォーム、採用媒体としての活用など多岐にわたると説明します。
新しいスターが継続的に生まれるかどうかは、ゲームタイトルの寿命に左右されるといいます。「League of Legends」のように15年続くタイトルでは、選手の入れ替わりの中で毎回スターが出てきます。
だってメッシ(のように唯一無二の存在が)一生(1人だけということは)いないじゃないですか。
韓国ではeスポーツが文化として根付いています。TWICEやBLACKPINKもプレイし、選手のヒエラルキーが高いといいます。特に「T1」のFakerは、サッカーのソン・フンミンに並ぶ存在だと伝説さんは語ります。
一方の上地さんは、マリオカートのノーアイテムショートカット集をTikTokで見続けているといい、実行しない批評家になっていると笑います。
努力する起業家より、政治家になったほうがいい?
上地さんは、政治ブームについての持論を展開します。総理大臣が誰になるか分からないという先の見えなさが熱狂を生むが、高市さんの長期政権化で1周終わったのではないかという見立てです。
そのうえで上地さんは、起業家と政治家の能力の関係について、切り抜かれて批判されたという自身の考えを語ります。
起業家の中の限定的な能力を強めたのが政治家だと思ってるのね。約束をして約束を守るっていうことが政治家は大事なわけじゃん。それってさ、起業家が結構さ、標準搭載してる能力だと思うのね。
上地さんによれば、お金を稼ぐには資本主義という波を見極める必要があります。努力しすぎると視点が近視眼的になり、波を捉えられなくなるといいます。
そこで上地さんは、やりきる力は強いが上場の100億の壁を越えられない起業家について、思い切った提案をします。
そういう努力はめっちゃできる、やりきる力めっちゃ強い起業家みたいなのはもうさっさと辞めて、地方議員とかになって、政治の方に入った方が社会全体の資源効率としていいんじゃないかなってすげえ思う。
片石さんは、議員は税金や政策という原資がある状態から施策を始められる点が、キャッシュフローを自分で考える起業家との大きな違いだと補足します。
一方で上地さんは、うまくいっている起業家には共通点があるとも語ります。
うまくいってる起業家はなんか遊び方がうまいっていうか、力の抜き方がみんなうまい。
Solafuneの事業と、起業の8割は運という実感
聞き手の上地さんが手がける宇宙事業について、片石さんが説明を求めます。上地さんは地球観測衛星のデータを解析し、防衛省や内閣官房などの政府機関向けにインサイトを提供する事業だと語ります。
事業の起点は、解析アルゴリズムを競わせるコンペティションサイトでした。優れたアルゴリズムに賞金を出す代わりに著作権を買い取り、自社IP化して政府向けに提供する仕組みです。
なぜこの事業を始めたのか。上地さんの答えはシンプルでした。「衛星とか面白そうじゃないですか」という興味と、アルゴリズムのコンペにはお金がかからなかったという理由です。
話題はyutoriの成功要因に及びます。片石さんは、起業の多くを占めるのは実力ではなく運とタイミングだと率直に語ります。
D2Cを一番ファッションに理解と愛がある自分が始められたタイミングと、敵の愛力が低かった。知識の。ハックで入ってきた人が多かった。真心で入ったの俺しかいなかったから。
片石さんは、自分の能力は「ものを作る能力」ではなく、人の才能を見て引き出す編集者的なものだと分析します。ただし社外の有名人ではなく、社内でスターを育成する点が編集者と違うといいます。
さらに片石さんは、最初から30ブランドを束ねる構想があったと明かします。1ブランド経営は需要より供給が上回った瞬間に必ずダサくなるため、多ブランドで需要に合わせて調整する戦略でした。
7年で撤退という「掟」が、起業家のリビングデッドを救う
片石さんは、yutoriには「1年で月次売上700万円に届かなければ自動で撤退する」というルールがあると語ります。撤退の意思決定は経営陣に嫌われるため、あらかじめ掟として決めておくのだといいます。
その視点が違うことによって争いが起きるのって一番不毛っていうか。(だから)今の若い子は、Z世代の子は、影響力がなくて、自分だけがいいって思うことをずっとやり続けるって思考はない。
片石さんは、玄猿旅団(ハンター×ハンター)の「蜘蛛の存続という掟が団長より上にある」という関係になぞらえて、経営者よりも上に掟や理想を置く考え方を説明します。
この話から、伝説さんが「起業家のリビングデッド問題」を提起します。当たらない事業を続けてしまうクリエイター気質の起業家が、今後5年ほどで社会問題になるという見立てです。
昔と違うのはやっぱ100億だよね。上場の。これがやっぱもうその死確定みたいな。
上地さんは、リビングデッド状態の起業家の累計調達額はせいぜい1〜2億円ほどで、しかも金が余っている時代だからこそもったいないと指摘します。20代から30代半ばはtoCエンタメを作るゴールデンエイジだからです。
さらに上地さんは、VCと起業家の力関係についての違和感も語ります。買い戻しやVCの圧力を理由にする声への疑問です。
もの作ってる、矢面に立ってる人が一番尊いですね。お前がお前の物語を始めたいのに、なんで私の脇役のスタンスなの?やろうよっていう、頑張ろうよっていう。
世の中を高度に裏切りたいという承認欲求
上地さんは、もう一度20代前半で起業するなら、逆に大きく資金調達すると語ります。その根底にあるのが「世の中に対してかましたい」という強い欲求です。
個人活動に移るのではないかという浅い批判に対し、上地さんは自身の承認欲求の性質を説明します。
俺の承認欲求はその次元じゃないの。誰も思いつかなかった打ち点を打って、社会の認識をぶち変えたいみたいな。
上地さんは、遊びだと言われていたyutoriが2年半でZOZOにハーフイグジットし、認識が裏返る瞬間が一番好きだといいます。上場後にプチプラコスメを出したときの反響もその一つでした。
ただし規模が大きくなるほど、認識を裏切る打ち手のハードルも上がります。10億の会社なら10億規模のこと、100億の会社なら50億〜100億規模のことをぶちかます必要があるためです。
楽天のモバイル参入を例に、片石さんは自分の培ったものを全てベットする戦い方への憧れを語ります。作っている人こそがかっこいい、という前提が共有されました。
ヤンキーとオタクをつなぐ会社が最強という仮説
片石さんは、toCプロダクトで最も当たるのは「ヤンキーとオタクをつなぐ社長の会社」だという仮説を語ります。作り手はオタクレベルなのに、使い手は地元の友達や母親という構造です。
これはもうPayPayとかも一緒だと思ってて。作ってる人オタクで、でも使ってるのがなんか地元の友達とかお母さんみたいな。このアルファが一番でかいのが一丁行くサービス。
yutoriもまさにこの構造だと片石さんは言いますが、上地さんは「距離が近いからまだ100億くらい」だと補足します。もう少しヤンキー寄りに振れれば規模が変わるという分析です。
自尊心について問われた片石さんは、Solafuneの事業を「国家を作る上で必要なものをソフトウェアで揃えている」と語ります。人を守る仕事にはプライスレスな側面があり、時価総額に縛られすぎないといいます。
話題は、レスバをしない自分たちのスタンスにも及びます。片石さんは、レスバをしたことが人生で一度もないと語っていました。
「与党っぽさ」という脆弱さと、起業家像のバランス崩壊
上地さんは、いまのスタートアップ界隈が「発信しなさすぎる」ことの危うさを語ります。そして「与党っぽい人は危ない」という独自の政治的比喩を持ち出します。
なんか世の中から与党って捉えられることってめちゃめちゃ脆弱で、どういう時に与党として捉えられるかっていうと、実績かけるその人がどういう人かを理解してない時。
上地さんによれば、知られていない度合いと実績の大きさが反比例的に大きくなると、攻撃対象になりやすいといいます。だからこそ継続的に発信し、自分の人となりをアーカイブしておくべきだという主張です。
片石さんは、自身のSolafuneの事業に絡めて「認知戦」という概念を紹介します。フェイクニュースやねじ曲げられたストーリーで実態と大衆の認知がずれる局面を、元に戻すのがカウンターインテリジェンスだと説明します。
この文脈で上地さんは、王道の起業家が発信しないことで、世の中が見る起業家像が「Xで喧嘩してインプレッションを稼ぐおじさん」に偏っていることへの危機感を語ります。
さらに、換金性の低いことを間接的に売る「スクール」ビジネスへの疑問も語られます。直接換金できることをやったほうがいいのに、という指摘です。この回そのものが、王道の起業家を引っ張り出す意義を持つと2人は確認し合います。
ZOZOへのハーフイグジットと、最初に誰と出会うか
話題はyutoriのZOZOへのハーフイグジットの裏話に移ります。きっかけは、ファッション業界のフィクサー的存在である武藤さんとの縁でした。片石さんは会社を作って最初の会食が武藤さんだったといいます。
コロナ禍で資金調達をしていた際、武藤さんがZOZOの新経営陣にパスをつないでくれました。当初はZOZOが100%取り込む話でしたが、それではやる気がなくなるため、51%で上場を目指す形に落ち着いたといいます。
この経験から、片石さんは起業や資金調達において最初に誰と出会うかの重要性を語ります。
マジでかっけえやつと会った方がいい。この人得があるなとかじゃなくて、かっけーみたいな。かっけー先輩と仲良くなったら一番レバレッジが効くっていうか。
伝説さんは、自身が最もかっこいいと思う起業家として家入さんを挙げます。高校生のときに家入さんが「人生のライバルは法然」「私、外人になりたい」と語ったのを聞いて影響を受けたといいます。
上地さんも家入さんから思想面で一番影響を受けたと語ります。インターネットが大好きという文化的なルーツが、2人に共有されていました。
「会長になる」という違和感と、ロン毛という覚悟
片石さんは、いまイケてると思うブランドを問われますが「会ったら買収している」と答えます。レディースの「恋せよ」を可愛い層に人気のブランドとして挙げつつ、自社より大きい同系統の会社には嫉妬しないといいます。
その理由を片石さんは、離れすぎている存在には投影できないためだと説明します。BEAMSやユニクロ、島村などに対して感情がないからこそ、感情的でない意思決定ができるという分析です。
yutoriが買収したいブランドの条件について、片石さんは「拙いが熱狂している」ことだと語ります。経営として未成熟でも伸びているのは本物であり、伸びしろがあるということだからです。
大きいアパレルに入った時にマジで服とか知らないおじさんとか出てくるから。なんでこんな気持ち悪いやつにうち俺のなんかブランドの可愛さを説明しなきゃいけねえんだとか萎えるじゃん。
話題は経営者の引き際に及びます。片石さんは、上場後すぐに会長になる起業家への違和感を語ります。
そして片石さんは、自分がロン毛を短髪に変えたときが「引退の兆し」だと語ります。ロン毛でいるうちは真正面から経営に取り組んでいる意思表明だといいます。会長は白髭を蓄えたじじいがなるものだ、というやり取りで盛り上がりました。
アクティブすぎて空洞になる。経営者の疲弊と静かな時間
片石さんは、休日に音楽制作をしていること、優秀なクリエイターと出会うためにアーティスト活動をしていることを語ります。yutoriのビジネスモデルはクリエイターと何かを作ることなので、洋服以外の切り口でも得しかないという考えです。
片石さんは、Spotifyの最高再生数が2万5000ほどだといいつつ、100万再生のヒット曲を出したいと語ります。資本的に成功してから音楽をやる経験は稀有で、自分にしか作れない部分があるといいます。
一方で片石さんは、活動を広げすぎたことによる疲弊を打ち明けます。共感能力が高く、相手がどういう人かを汲み取る力が上場の要因になったと自己分析しつつ、その代償も語ります。
自分の感情がもうわかんないみたいな感覚がめっちゃあって。これはやっぱなんかその広げすぎたなみたいな。もっと絞って、なんか静かな時間を作らないと。
朝晩の1日2回湯船に入り、朝はホームサウナで2セットこなすなど、準備に長い時間をかけるライフスタイルも語られました。片石さんは自身を「もう姫だよ」と表現します。
起きてからずっと喋り、ミーティングをこなし、夜も会食で喋り続ける日々。人を通じてレバレッジを効かせるのが経営だからこそ、静かな時間や読書の必要性を痛感していると語ります。
芸人とアーティストの違いに見る、笑いと音楽の構造
片石さんは、芸人とアーティストの違いについての持論を展開します。芸人は素人臭さを揶揄するのに対し、アーティストは素人を否定しないという感覚です。
その理由を片石さんは、笑いと音楽の「脅かされやすさ」の違いから説明します。
笑いってコモディティっていうか、誰でもある種生産できるもので。音楽で人を感動させられた人ってマジでいないわけよ。
音楽は誰でも人を感動させられるわけではないため、アーティストは特権階級であり、素人にもウェルカムでいられるという分析です。一方で笑いは民主的で誰でもできるからこそ、修行というラインを引いて権威化する必要があるといいます。
さらに片石さんは、笑いが状況によって変わる不安定なものである点にも触れます。相手を幸せにするためのものなのに芸人が尖っている、その自己矛盾に構造的な愛おしさを感じると語りました。
音楽については、ビジネスでは繋がらない友達と遊びの延長で作れる点が魅力だと語ります。それが誰かに刺さるかもしれないという「地続き感」が音楽の面白さだといいます。
yutoriのカルチャーと、ダサくないことを考え続ける経営
片石さんはyutoriの意思決定について、独善的にはせず基本的に相談しながら進めると語ります。ただし尖った状態を保てるのは、良いものは誰から見ても良いと分かる前提のメンバーがいるからだといいます。
ゆとりらしい意思決定って何?っていうことをみんなで合議してるから。
yutoriを象徴する言葉は「若者帝国」です。ただし理念を綺麗に言語化しすぎると色気がなくなるため、解釈の余地を残していると片石さんは語ります。上地さんはこれを「社内の直感をどう作るか」と言い換え、それができる時点で良い会社だと評します。
いつか若者ではなくなることについて問われた片石さんは、キムタクがロン毛をやめて短髪になったことになぞらえて、ロン毛をやめるときが一つのトリガーだと語ります。
片石さんは、自分の感覚は「ダサくないこと」を考え続けることで保たれていると語ります。田畑さんとの対談で「服好きじゃないでしょ」と言われたエピソードにも触れ、知らない人に伝わるようリテラシーを合わせて話しただけだと説明しました。
ダサさ、シャバさがないように、ユトリもやりたいなって思ってるから。
最年少・最短上場という「伝説」の正体
番組の締めに向けて、伝説さんは片石さんの伝説を掘り下げます。片石さんはアパレル業界の最年少・最短上場になっているといいます。ZOZOの前澤さん、東京ベースの谷さんに続く記録です。
ただしその内実には、際どいタイミングの分岐がありました。当初は上場が2ヶ月遅れる予定でしたが、交渉の結果1週間遅れになり、片石さんは30歳と2日で上場することになったのです。
それによって30歳と2日になったの。だから20代上場は逃したわけ。
一方で、その1週間の遅れによって、片石さんはその年の最後の上場、いわゆるオーラスとなりました。20年連続ほど初値割れしていないご祝儀相場の大トリという文脈です。
片石さんは、この記録は今後100年ほど抜かれないだろうと語られます。デバイスや生活が根本から変われば別だが、その前に自分が買収するという展望も示しました。まだ見ぬ才能や、一緒に活動する相方との出会いを求めていると語り、番組は締めくくられます。
まとめ
神奈川の少年が原宿カルチャーとインターネットに出会い、SNSを武器に古着女子から最年少・最短上場までを駆け抜けた半生が語られた回でした。同時に、いまの起業家シーンに感じる「モメンタム」の不在や、経営者の疲弊と引き際についても率直に掘り下げられました。
- 片石さんは部活を辞めて原宿に通い、古着・音楽・ニコニコ動画といった若者発のカルチャーを吸収して育った
- yutoriは王道起業家へのカウンターとして、詩や背中の写真といった仕掛けでシード段階から一気に有名になった
- 古着ECの限界からオリジナルブランドへ転換し、30ブランドを束ねる多ブランド戦略で成長した
- 片石さんも上地さんも、いまのスタートアップシーンに「かっこよさ」や「モメンタム」の不在を感じ、王道の起業家が発信する意義を語った
- 片石さんは30歳と2日、その年の最後の上場という「伝説」を残しつつ、活動を広げすぎた疲弊と静かな時間の必要性も打ち明けた





