ひとりご飯の「ちょうどいい」店とは?
本題の前に、桜林さんは最近ひとりで昼ご飯を食べるときにいつも通っている、しんぱち食堂の話をします。魚とご飯と味噌汁の定食が中心の店で、桜林さんいわく「格安でもめちゃくちゃ美味しいわけでもないけれど、ちょうどいい」店です。
普通に美味しい。別に格安でもないし、めちゃくちゃ美味しいとかでもないんだけど、ちょうどいい。
桜林さんは、この店がスカイラークに買収されたというニュースを見て「やっぱりね」と思ったそうです。中里さんもそのニュースは見ていて、それだけ人気がある店なのだろうと受け止めています。
桜林さんが考える「ちょうどいい」理由は、ひとりで黙々と食べてさっと出るのが暗黙の了解になっている点です。大戸屋のようにゆっくり話したりお酒を飲んだりする客はいない一方で、ラーメン屋や牛丼屋ほど入りづらくもなく、急いで食べる必要もないといいます。
ひとりご飯の最適解ってこうなかなか無いんだよね。男の人だとラーメンとか牛丼とかあるけど、ちょうどいいのがあんまないんだけど、あれはめっちゃちょうどいい。
納豆好きの中里さんは、松屋か吉野家で魚と納豆がセットになった定食ばかり食べているそうです。桜林さんが、しんぱち食堂では納豆や卵、きんぴらごぼうなどの小鉢を60円や80円で足せると伝えると、中里さんは「一番好きな状態な気がする」と言って、今度行ってみることにしました。
授業参観で一人になる息子と、母親自身の記憶
今回のお便りは、ラジオネームあんころもちさんから届いたものです。番組では「自分の過去の経験や恐怖心を、息子の状況に重ねてしまっている」という呪いとして紹介され、桜林さんが読み上げました。
先日、小学5年生の息子の授業参観がありました。算数の授業で、学年全体を理解度別に3コースに分けた少人数制のクラスでした。その授業の中で、好きな人とグループを作って問題を考え、シェアするという時間が2回ほどありました。息子はもともと積極的にグループを作るタイプではなく、すでに出来上がっている輪に入るのも得意ではありません。その日も結果的に一人で取り組む姿が多く、先生からの特別なフォローはありませんでした。
その様子を見て、親として強い不安を感じました。というのも、息子は1学期にクラスの中でからかいを受けた経験があり、学校に相談した結果、学校側がいじめと認定し、関わっていた生徒全員に指導と本人への謝罪がありました。幸いにも、その時に息子を支えてくれた友達が数人いて、本人もとても救われていました。今回の算数のクラスには、その仲のいい友達がいないため、孤立してしまうのも仕方がない状況だったと思います。
一方で、私自身も小学5年生の頃に孤立した経験があり、それが今も強い記憶として残っています。当時、担任の先生からは一人の時間を楽しむタイプと親には伝えられていたようですが、実際の私はとても苦しく、グループを作る授業が嫌で、仮病を使って保健室に行ったこともありました。そんな経験があるため、息子が一人でいる場面を見ると、胸が締め付けられるような苦しさを感じてしまいます。
帰宅後、息子にそれとなく算数のグループについて聞いてみたところ、「大体一人。あの時間はストレス。出来上がっている輪に入れないし、仲良くない人と組むのもしんどいから一人の方が楽」と言っていました。息子なりに今の算数の授業では一人でいる方が自分は楽だと判断しているのだと思います。そして、孤立に強い恐怖を感じているのは、実は子供ではなく私自身なのかもしれないとも感じています。自分の過去の経験や恐怖心を息子の状況に重ねてしまっているのではないか、その不安とどう向き合えば良いのか悩んでいます。
あんころもちさんの相談で大事なのは、息子さん本人が「一人の方が楽」と言っているのに、母親の側に強い不安が残っている点です。その不安の出どころは、母親自身の小学5年生の頃の記憶にあると、あんころもちさん自身が気づき始めています。
「好きな人とグループを作って」は誰でも嫌なもの?
桜林さんはまず、「好きな人とグループを作ってください」という場面が苦手なのはよくある話で、ほとんどの人が嫌がるものだと話します。あんころもちさんの息子さんの状況そのものは、何も珍しいことではないという見方です。
この好きな人とグループ作ってくださいっていうの苦手っていう話はめちゃくちゃあるあるだよね。嫌だよね、ほとんどの人はね。
中里さんは息子さんの言葉を読み返し、言葉どおりなら「一人の方が楽なんだね」で終わる話なのに、それでもモヤモヤが残ると整理します。桜林さんはそのモヤモヤを、あんころもちさんが自分のことを思い出して辛さを重ねている状態だと言い表しました。
さらに中里さんは、この相談には2つの話が含まれていると指摘します。1つは、息子さんの言葉の裏に「グループ分けのない授業がいい」「仲のいい友達がいる状況で受けたい」といった気持ちがあるかもしれないという子ども側の話です。もう1つは、その言葉を聞いて苦しくなっている、あんころもちさん自身の話です。
「一人の方が楽」という言葉の裏に、グループ分けのない授業や仲のいい友達がいる環境を望む気持ちがあるかもしれない
息子さんの言葉を聞いて、自分の過去の孤立体験を思い出し、苦しくなっている
学校に伝えられる「事務的にできること」
息子さんの側について、桜林さんは事務的にできることとして、学校に「好きな人と組む」形式をやめてもらうよう伝える方法を挙げます。先生が「ここで3人」と組んでしまう、前から順番に何人ずつにするなど、選ぶ場面をなくすやり方です。
選ぶのがない、もう決めちゃうみたいな方が、仲良くない人とやるの嫌かもしれないけど、それはみんな一緒だから。
中里さんもそれは十分にできそうだと賛成し、授業参観でそうした形式をとり、一人になっている子を親に見せている状況自体が「なかなか」だと感想を述べます。普段から同じような授業なのかという話にもなりますが、桜林さんは、今回は理解度別の算数だけのクラスで普段のクラスとは違う点もあると補っています。
親の辛さと子どもの辛さをどう切り分けるか
桜林さんは、相談の核心は事務的な対応ではなく「辛さを重ねてしまう」部分にあると話します。息子さんの辛さを、かつての自分の辛さと同じだと決めてしまうのはよくないと、あんころもちさん自身もわかっているはずで、問題はどう切り分けるかだといいます。
中里さんは、言葉が正しいかはわからないとしたうえで、トラウマに近い話だと受け止めます。桜林さんは、クラスで数日でも孤立したり仲間外れにされたりする経験は、特に女性なら8割方がしていると考えています。
(孤立の経験は)八割方経験してる。けど、めっちゃ嫌だったよねで済んでる人と、こうやってなんかそうそう、ずっとつらいままの人がいるから。
桜林さんの見方では、孤立の経験そのものはよくあるものの、それが「嫌だった思い出」で済むか、ずっと辛いまま残るかは人によって違います。あんころもちさんは後者で、だからこそ息子さんの姿に強く反応してしまうと考えられます。
「あれめっちゃ嫌だよね」と息子に話してみる
桜林さんは、自分ならどうするかを考えて、授業参観で見ていたことを素直に息子さんに話すと答えます。グループ分けの時間は嫌だよね、自分も5年生の頃にああいうことがあった、と自分の記憶も含めて話してしまうだろうといいます。
あのさ、グループ分けの時間めっちゃ嫌じゃない?みたいなこととかが私も嫌だった、ああいうのみたいなのが言えるし、その自分のことを思い出しちゃったってことも言っちゃうと思う。
中里さんは、この話し方は息子さんにとっても良いことだろうと受け止めます。息子さんには、お母さんが自分の気持ちを代弁してくれた、共感してくれる存在だと伝わる可能性があるからです。
桜林さんは、よくある辛さなのだと息子さんが知れることも良い点として挙げます。そのうえで、息子さんが「僕は一人の方が楽」と言うなら「じゃあ別にいいんじゃん」と返せるとも話しています。
解決とかじゃなく、なんか知ってるっていう感じで言ってしまう気がする。
中里さんは、あんころもちさんがこの気持ちを口に出せれば、本人も楽になる気がすると話します。お便りを書くうちに出てきた感情かもしれない強いストレスは、外に吐き出していく過程で回復に向かっていくのではないか、という考えです。
一方で桜林さんは、話すと本当に苦しくなるほどの辛さなら、相手は息子さんではなくカウンセリングのほうがいいかもしれないと補足します。そのうえで、「その気持ち知ってるよ、私も同じことあったよ」とライトに伝えるのは構わないだろうと話しています。
中里さんも、親の悩みや失敗談は、子どもにとって「ママもそんなことで悩むんだ」と受け取れる、意外と良い話になることがあると付け加えます。
「強い恐怖」は誰のものか
桜林さんは、あんころもちさんが書いた「孤立に強い恐怖を感じる」という言葉から、息子さんのことがとても心配になっているのだろうと読み取ります。その状態では、息子さんが「一人で平気」と言っても、強がりではないかと聞こえてしまうかもしれないといいます。
そうすると息子が一人で平気だよってもし言ってたとしても、ちょっと聞こえないのかもね。そんなの強がりで嘘だってなっちゃうかもしれないしね。
中里さんは、お便りの文章から読む限り、息子さん自身の恐怖はそこまで強くなさそうで、強い恐怖を抱いているのはあんころもちさんの方だろうと話します。桜林さんも、その結果として過剰に心配してしまうのだろうと同意しました。
同じ状況でも子供によってさ、それをどう捉えてるか、すごい辛いのか、ちょっと辛いのか、全く平気なのか、同じ状況でも全然違うじゃん。
同じ状況でも受け止め方は子どもによって違うため、確かめるには子どもと話すしかありません。ただ、そこに親の「絶対に辛いはず」という思い込みが入ると話しにくくなる、と桜林さんは指摘します。
中里さん自身も、塾の夏期講習で複数の塾が合同で集まり、知り合いがいない場で輪に入れなかった経験があるそうです。気まずさはあっても、短期間なので仲良くなるのも面倒で、一人の方が楽だったと振り返ります。
実際そのご子息が一人の方が楽って言ってる言葉も、なんかそれはそれで真実なんだと思いますね。
スパイごっこをしていた娘・あーちんの場合
桜林さんは、娘のあーちんさんの例を話します。あーちんさんは学校でしょっちゅう一人だったものの、本人は孤立しているとは一度も思っていなかったはずだといいます。
一人で何をしているのか聞くと、授業が終わって職員室に戻る先生のあとをつけて、一人でスパイごっこをしていたそうです。ある日、鏡越しに先生にばれて驚かれ、「何でもない」と答えてやめたというエピソードに、中里さんも「楽しんでるね」と笑います。
なんかそういうのを(あーちんが)孤立してて寂しいって私は多分ちょっとも思ってないわけ。
桜林さんは、一人でいても何も思っていない子もいれば、あんころもちさんが子どもだった頃のように深い傷になる子もいると話します。だからこそ、息子さんがどう感じているかは本人に聞くしかないという結論です。
一人で遊ぶのが好きで、スパイごっこを楽しみ、孤立しているとは思っていなかった
グループを作る授業がとても苦しく、仮病で保健室に行ったこともあった
「私は辛かったけど、あなたが平気ならいい」
中里さんは、息子さんがいろいろ話しつつも、仲のいい友達がいないときは一人の方が楽だという結論を出している点を確認します。桜林さんは、その答えを受けて切り分けができるといいと話します。
あんころもちさん自身の強い恐怖については、中里さんが、息子さんでも周りの人でも、誰かに「あのとき辛かったんだよね」と開示していくことで和らいでいくのではないかと提案します。桜林さんは、多くの女性が同じ経験をしているので、話せば「わかる」「私も」と返ってくるだろうと続けました。
中里さんは、周りから「私も」と言ってもらえることは回復に近づきそうだと受け止め、桜林さんのアドバイスに「確かに」となったと話して相談を締めくくりました。次回は「不登校でも運動会くらいは出るべき」という呪いを扱う予定です。
まとめ
今回の相談で二人が示したのは、息子さんの今の状況と、母親自身の過去の辛さを分けて見ることでした。子どもの気持ちは子どもに聞くことを前提に、親の辛さは親の辛さとして開示し、和らげていく道が語られています。
- 「好きな人とグループを作って」が苦手なのはよくあることで、学校に組み方の工夫を伝えることもできる
- 親が「絶対に辛いはず」と思い込むと、子どもの「平気」という言葉が聞こえにくくなる
- 「あれ嫌だよね、私もあった」とライトに話すことは、子どもへの共感にも親自身の回復にもつながりうる
- 同じ状況でも受け止め方は子どもによって違い、娘のあーちんさんのように一人を楽しむ子もいる
- 話すのが苦しいほどの辛さなら、相手は子どもではなくカウンセリングなども選択肢になる






