好きなことから進路を選んだ元不登校の子は何が違った?
番組の冒頭で中里さんが紹介したのは、Branch ── 中里祐次さんが代表を務める、不登校や発達障害の子どもとその家庭を支える団体。子どもの居場所づくりなどを行っていますに中学1年生の頃から通っていた子の話です。その子はこの春に高校を卒業し、専門学校へ進学します。
Branchでは、その子に進路をどう決めたかを聞き、子どもや保護者にも聞いてもらうイベントを開きました。その模様は、Branchが別に配信しているポッドキャストで公開されているそうです。
中里さんによると、その子はずっとマインクラフト ── ブロックを組み合わせて建物や世界を自由に作れるゲーム。略して「マイクラ」と呼ばれ、創作や教育の場でも使われていますが好きで、ゲームの中で物作りをするクリエイティブな子でした。その流れで、3DやVFXを学べる専門学校を選んでいます。
学校選びでも、その子は自分の関心に合う学びができるかを調べ、親の協力を得ながらいくつか見学に行ったうえで決めたといいます。中里さんは、自分の高校・大学進学では興味や好きなことをまったく見ていなかったと振り返ります。
(進路選びで)俺全然考えれてなかったなと思って。
その子が自分の言葉で語っていたのが、「自分の取扱説明書は早く作っておいた方がいい」ということでした。中里さんは、その子が小中学生の頃に作ったものを母親経由で見せてもらったことがあり、自己認知がとても進んでいると感じたそうです。
何が得意で何が苦手とか、そういうこと。
そう、こういうところで怖くなっちゃうとか、こういう場所は苦手であるとかっていうのもありつつ、こういうものに夢中になれるとか、そういうのも書いてあるようなやつで。
その子は中学の2年ちょっとは不登校で、高校もオンライン中心の学校に通っていました。本格的に通学するのは、この4月からの専門学校が初めてです。
それでも、その子は勉強も好きなことも嫌いにならず、自分で選んだ学校で興味を失わずにきました。中里さんは、今はやる気に満ちあふれていると話し、選択肢が多い時代と、そう育てた両親の関わりの両方をよい面として挙げています。
「それやってどうすんの?」と言った大人は未来が見えていたのか
中里さんの話を受けて、桜林さんは自身の進路選びを振り返ります。桜林さんは数学が壊滅的にできず、相対的に国語が得意だったといいます。
ただ、桜林さんには早く自立したい気持ちが強く、すぐ仕事に就ける道を焦って探していました。国語が得意な人が行く文学部は、職業に直結していないように見えたそうです。
国語が得意でできる仕事って、高校生の知ってる中で言ってもさ、まあ作家とか新聞記者とかさ、もうそういう目立つようなものしか知らなくて。
桜林さんは、国語を勉強しても仕事にはならないと勝手に思い込んでいたと話します。好きなことを軸に進もうとした人も、当時は「それが好きなのはいいけど、それやってどうすんの?」と言われていたそうです。
二人は、親や先生自身がいろいろな職業を知らなかったため、職業につながらないものを不安に感じていたのではないかと話します。絵や音楽などの芸術系は特にそう言われがちでしたが、今はプロでなくても食べていける人が増え、その不安は薄まっているかもしれないと桜林さんは見ています。
でもあなたもここから先の未来、どんな職業が増えてったり減ってたりするかわかってます?みたいな。ちょっと思いませんか?
思うね。でもさ、絶対信じちゃうよね。高校生ぐらいで大人の言うことって。
中里さんは、桜林さんの文章力が今ではnote ── 文章や画像などを投稿・販売できる日本のプラットフォーム。個人が書いたものを直接読者に届けて収益化することもできますなどで仕事につながっていると指摘します。しかし、その未来は当時の桜林さん本人にも、周りの大人にも見えていなかったはずだと話しています。
高校生の桜林さんが知る仕事は作家や新聞記者くらいで、国語は仕事にならないと思い込んでいた
文章の力はnoteなどで自分で仕事にできるようになったが、その未来は当時の大人にも見えていなかった
「最後の運動会だから」と揺れる母親の相談
ここから本題のお便りです。今回取り上げる呪いは「不登校でも運動会くらいは出るべき」というもので、桜林さんがお便りを読み上げました。
小学6年生の息子がいて、今は不登校です。今月運動会があるのですが、先生から運動会だけでも来ませんか?と連絡をいただきました。本人に伝えると、ちょっとなら行けるかもと言ったり、やっぱり無理かもと言ったり、気持ちが揺れているようです。
私としては最後の運動会だし、少しでも参加できたらいいなと思う反面、無理して行かせるのもでもないよなとも思っていて、気持ちが定まりません。それ以上に自分の中にある運動会くらいは出るべき、みんなと同じように経験させてあげたいという考えがすごく強いことに気がつきました。きっとこれも呪いなんだと思います。
周りの親御さんたちが普通に見に行っているのを想像すると、うちだけ行かないのはかわいそうなんじゃないかとか、ちゃんと育てられていないと思われるんじゃないかとか、そんなことまで考えてしまいます。でも一方で、今の息子にとっては、運動会に行くこと自体がすごく大きな負担かもしれないとも思っていて。参加することなのか、安心していられることなのか、どちらを大事にすればいいのかわからなくなっています。
運動会のような学校行事ってどう捉えたらいいのでしょうか?そして、この行かせたいと思ってしまう気持ちは、やっぱり手放した方がいい呪いなのでしょうか。
中里さんはまず不登校支援の現場の話として、運動会の時期が秋から春へ移ってきていると説明します。統計を詳しく調べたわけではないとしつつ、今は春に開く学校のほうが多いらしく、同じ悩みを抱える家庭が多い時期かもしれないと話しています。
桜林さんは、春の運動会はクラス替えや入学の直後で練習期間が短く、大変だった記憶があると振り返ります。中里さんも、4・5月にぎゅっと詰め込まれるため、子どもも先生も大変だと応じています。
なぜ親は「運動会くらいは」と思ってしまうのか
桜林さんは、運動会や遠足は教室で授業を受けるのとは違うから来られるのではないか、と考える大人の気持ちもわかると話します。中里さんも、みんなと同じことをすれば息子も楽しいのではないか、という母親の思いに理解を示しています。
一方で桜林さんは、お便りには子ども本人の気持ちが書かれていない点に目を向けています。親としてはそう思ってしまう、という前提を確認したうえでの指摘です。
中里さんは、勉強や先生は嫌いでも運動が得意な子の場合、運動会なら活躍できるかもと期待する親は多いと話します。中里さん自身の子も、授業にはきちんと出ていないのにかけっこが一番速かったことがあったそうです。
これに対して桜林さんが挙げたのが、練習なしで本番に行く怖さです。運動会は入場の仕方や並び方まで練習させられるため、それを知らずに行くのは怖いかもしれないと話しています。
だってさ、並び方一つなんか全部練習させられるじゃん。
中里さんは、たまごさんの「手放した方がいい呪いか」という問いに、2つを分けて答えます。みんなと楽しんでほしいという気持ちは愛情なので芽生えてしまうものですが、「行事に出るべき」「行かせたい」という部分は、手放せるなら手放したほうがいいという考えです。
愛情から自然に芽生える気持ちで、手放す・手放さないの話ではない
手放せるなら、手放したほうがいいと中里さんは考えている
卒業式も運動会も「行く・行かない」だけではない
中里さんは、Branchで聞く不登校の子の行事参加の話として、運動会以上に卒業式の話題が多いと紹介します。6年生のたまごさんの家庭でも、最後の最後である卒業式はさらに迷うかもしれないと話しています。
中里さんが保護者から聞いた卒業式の参加の仕方は、本当にさまざまでした。一般的には出るか出ないかの二択に見えても、実際には学校側に細かく伝えて、いろいろな形をとっている家庭があるそうです。
- 校長室で卒業証書だけ受け取る
- みんながいる場には行くが、名前を呼ばれて返事をするのはやめてもらう
- 式が全部終わった後に体育館で証書をもらい、みんなと会わない
運動会でも、競技には出ずにその場に参加するだけの子や、保健室から参加した子がいたといいます。桜林さんは、自分の競技のときだけ行くのもありだと加えています。
中里さんは、行く行かないの間にバリエーションを作れると話します。そのうえで、保健室から見るだけならどうかなど、いくつかのパターンを本人に示して聞いてみるのも一つの方法だと提案しています。
「ちょっとなら行けるかも」は本心なのか
桜林さんは、たまごさんの息子が「ちょっとなら行けるかも」「やっぱり無理かも」と揺れている点に注目します。周りの「行った方がいいんじゃない?」という期待が伝わり、それに応えようとしているのかもしれないという見方です。
そもそもさ、それ(期待)ベースじゃなくて、マジどっちでもいいとして、行きたい行きたくないっていうのを聞いてあげてほしいかもね。
先生が呼んでるからとかじゃなくて。
中里さんも、先生と母親から「最後だし運動会くらいは」という雰囲気が出ているなら、ゼロベースで本人にどうしたいか聞いてみるとよいかもしれないと応じています。
子どもに決断を委ねるのはきついことか
桜林さんは、自分の子どもにはずっと「あんたはどうしたいの?」と聞いてきたため、それが当たり前のやり取りになっていると話します。そのうえで、決断を委ねられること自体が子どもにはきつい場合もあるのでは、と中里さんに投げかけます。
中里さんは、聞く側との関係にもよるとしつつ、基本的には選択肢は子ども側に持ってもらったほうがいいと答えます。聞き方としては、オープンクエスチョン ── 「どうしたい?」のように答えの形を決めずに自由に答えてもらう質問。対して、選択肢から選んでもらう質問をクローズドクエスチョンと呼びますと、選択肢を用意する聞き方を使い分ける方法を挙げています。
「どうしたい?」と、ふわっと本人に委ねる
オープンな質問が苦手なら、いくつかの案を用意して「どれだったらどう?」と聞く
でもなんかやっぱ選び取るところは基本的にお子さん側でいいと思う。少なくとも小六だし。
「お母さんが決めて」と言われたら決めてもいいかもしれないが、そうなるケースはあまり聞かないと中里さんは話します。小学6年生なら自分の意思がかなりあり、嫌なら嫌と言ってくれるはずだという見方です。
桜林さんは、決断すると「行きたくないと言ったから母を悲しませた」「先生を裏切った」と、子どもが責任を感じてしまう面も指摘します。これに対して中里さんは、行っても行かなくても気にしないし責めない、と親が伝えることが大切だと話しています。
桜林さんは、自分が子どもに委ねられたのは、本当に「好きにしろ」と思っていたからだと振り返ります。少しでも期待や「行くべき」があれば、それも子どもに伝わってしまうのだろうと話しています。
なんかそこって難しいよね。本当にどうでもよくなることって難しいもん。
目先の行事より「長い目で見る」ことがなぜ大事か
桜林さんは、運動会に行くことが大きな負担かどうかは本人にしかわからないので、親が考えすぎても仕方がない面もあると話します。中里さんは、この先は中学の進路の話も出てくると続けます。
これ(運動会の件)全くお子さんの意思をもし仮に無視してこういうことを決めてくみたいなコミュニケーション取っちゃうと、進路決めマジで苦労すると思うんで。
中里さんは、普段から大人と同じようなコミュニケーションをしておけば、大事な決め事のときにも息子が少しずつ自分の意思を伝えてくれるだろうと話しています。
桜林さんはこれを受け、長い目で見ることの大切さを強調します。「ここで行かなければダメ」と短絡的に考えると決断はとても重くなりますが、冒頭の元不登校の子のように、中高に通えなくてもその先で頑張れることがあるという考えです。
これやんなくても死なないっしょみたいな。
中里さんは、行く・行かないの間の選択肢を作ることが、子どもの理解にもつながると話します。みんなと一緒にはいられても競技に出たくないなら運動への苦手意識が、誰もいない教室を選ぶなら運動会のざわざわが苦手なことが見えてくる、という例です。
選択肢を作る
保健室、空き教室、競技に出ずに座るなど、行く・行かないの間を用意する
本人が選ぶ
子どもが、自分にとって無理のない参加の仕方を選ぶ
傾向が見える
運動が苦手なのか、ざわざわした場が苦手なのかがわかってくる
認知が進む
子ども本人も、母親も、その子についての理解が深まる
中里さんは、Branchで長くメンターを務めた、中学時代まるごと不登校だった人へのインタビューも紹介します。その人は、悩んでいるだけに見える時期にも自分の認知や取扱説明書が進んでいたと語っていたそうです。
桜林さんはこれを「ただじゃ起きない」と表現し、二人は「長い目で見る」ことをこの回の結論として確認しています。
まとめ
不登校の子の運動会参加を「行く・行かない」の二択で考えると、親も子も苦しくなりがちです。中里さんと桜林さんは、参加の仕方に幅を持たせ、親の期待を脇に置いて本人の本心を聞き、目先の行事より長い目で子どもを見ることを勧めています。
- 「みんなと楽しんでほしい」は愛情として自然な気持ちだが、「行事に出るべき」は手放せるなら手放したほうがいい
- 保健室から見る、競技だけ出るなど、行く・行かないの間にさまざまな参加の仕方がある
- 親の期待を脇に置いてゼロベースで聞き、行っても行かなくても責めないと伝える
- 小学6年生なら選ぶのは基本的に本人。普段のやり取りが、この先の進路決めにもつながる
- 悩んでいるように見える時期にも、子どもの中では自己認知が進んでいる





