春に「着る服がない」のはなぜ?
本題の前に、桜林さんが持ち出したのは、春になると毎年やってくる「着る服がない問題」です。冬服では暑く、Tシャツにはまだ早い時期に、ちょうどいい服が見つからないまま、5月の暑さを迎えてしまうといいます。
桜林さんは服が買えない理由を、服選びが気分に大きく左右されるからだと考えています。黒い服が多い桜林さんは、ふと黒の気分ではなくなっても、また黒を着たい時期が戻ってくるため、財布のように思い切って取り替えることができないそうです。
ずっと黒い服着てても、気分で、ちょっと今黒じゃないなみたいな時が来たからといって黒い服を全部捨てては、また黒が戻ってくる。
中里さんは、春らしい色といえば白やピンク、ベージュなので、黒好きにとっては春がより難しいのではないかと応じます。桜林さんは中学・高校が私服だった頃から、雑誌や店が春らしい色を売り込んでくることに反発していたと振り返ります。
好きなものを着たい。春っぽいものよりも好きなものを着たいみたいなのが強いから、そこは天邪鬼。
黒い服と応援消費、服との付き合い方の違い
中里さんも黒い服が多いものの、理由は桜林さんとは違います。外に出ることが多く、食べ物のシミや土の汚れ、雨が目立ちにくいからという、シンプルに実用的な理由です。
さっきミートソースのパスタとか食べてたんですけど、ドキドキするじゃないですか。
さらに中里さんは、最近は新しい服をほとんど買っていないといいます。買うとしても、友人の店や友人のクラウドファンディングなど、応援消費に限られるそうです。桜林さんは「買う理由がある方がいいね」と肯定します。
一方で桜林さんは、女性の服は選択肢が多く、流行りやインスタで購買を煽られやすいと指摘します。服を選ぶこと自体に疲れてしまい、お金もかかるという悩みに、二人は「みんなどうしてるんだろう」と首をかしげます。
「4月は行くと言ったのに」タッチさんのお便り
今回の「のろい」は、「GW明けの学校行きたくない、学校行くのは当たり前」です。桜林さんが、ラジオネーム・タッチさんからのお便りを読み上げました。
新学期前、息子(小5)が4月からはちゃんと学校行くと自分から言ってくれて、私もその言葉を信じていました。実際、4月は無理しながらも毎日登校できていて、このまま行けるかもしれないと少し安心していました。でも、ゴールデンウィーク明けから急に行きたくないと言うようになり、今はほとんど行けていません。
頭では4月に頑張りすぎて疲れたのかもしれないと分かっているつもりなのに、心のどこかで頑張るって言ったよねと思ってしまいます。多分私は一度やると言ったことは最後までやりなさいとか、学校は行くのが当たり前という、自分が育ってきた中で当たり前だった価値観にまだ強く縛られているんだと思います。
4月に頑張っていた姿を見ていただけに、期待してしまっていた分、今の状況にがっかりしている自分もいます。でも同時に、この子なりに精一杯やった結果なのかもしれないとも思っていて、気持ちがぐちゃぐちゃです。ゴールデンウィーク明けのこの時期、こういう変化はよくあることなのでしょうか。そして頑張るって言ったのにと思ってしまうこの感覚もやっぱり呪いなんでしょうか。
タッチさんの問いは2つです。GW明けの変化はよくあることなのか、そして「頑張るって言ったのに」と思う感覚も呪いなのか、という点です。
なぜGW明けに学校へ行けなくなるのか?
中里さんは、GW明けの不登校は「あるある」だと答えます。一般に長期休暇明けは不登校になりやすく、最も多いのは夏休み明けの9月ですが、最近の中里さんの体感では、春休み明けよりもGW明けのほうが多いといいます。
4月頑張ってゴールデンウィーク休んで。で、(前回話した)運動会があの直後にあったりするのがもう嫌すぎてみたいな。
4月に頑張り、GWで休み、その直後に運動会が控えているという「ダブルパンチ」で、5月に行かなくなる子が多いと中里さんは見ています。ただし統計を取ったわけではなく、あくまで肌感覚だと断っています。
4月
新学期に無理をしてでも頑張って登校する
GW
10日ほどの長い休みに入る
GW直後
休み明けに再び立ち上げる負担に、運動会などが重なる
5月
疲れが出て、学校へ行けなくなる
桜林さんは、休み明けにもう一度気持ちを立ち上げ直さなければならないことのしんどさを指摘し、中里さんもそれに同意しています。
4月の登校は「過剰適応」だった?
中里さんは、タッチさんの息子のケースを典型例と見ています。「4月からはちゃんと行く」と言った以上、3月までは学校に行っていなかったと読み取れるからです。
4月はいわゆるその[[過剰適応]]というか、かなり頑張っていっている状況なんだと思うんですね。だからすごく疲れちゃったんでしょうね。
桜林さんは、無理をしてでも行けていた姿を見れば、親が「いけるじゃん」と思ってしまう気持ちもわかると寄り添います。一度できてしまうと「この間できたじゃん」と、同じことを繰り返せばいいように見えてしまうからです。
それでも中里さんは、息子にとって4月の学校はかなりつらかったはずだと話します。断言はしないとしつつも、この反応はよくあるパターンだといいます。
1つ目の問い「GW明けの変化はよくあることか」への中里さんの答えは、「かなりよくあること」です。
さらに中里さんは、不登校の根本的な原因を解決しないまま無理に行かせても、また休んでしまうと指摘します。むしろ無理をさせると、復帰までに時間がかかる場合のほうが多いといいます。
「頑張る」は無理をすることなのか?
ここで桜林さんは、「頑張る」という言葉そのものに目を向けます。かつての桜林さんにとって、頑張るとは多少無理をすることや困難を乗り越えることでしたが、本来はそうではないと考えるようになったそうです。
頑張るって無理することとかじゃなくて、自分の力をより使えるようにするとか。
桜林さんによれば、頑張るとは力を最大化することと捉えるほうが健全です。無理することを頑張るって言っちゃうと、もっと無理をしろと言っていることになってしまいます。
困難を乗り越えるために、自分の限界を超えて踏ん張ること。言われる側には「もっと無理しろ」と響く
自分の力をより使えるようにすること。桜林さんが本来の意味として健全だと考える捉え方
中里さんはさらに踏み込み、周りから言われる「頑張ってね」は、今の自分を否定するメッセージになりうると話します。
周りから頑張ってねって言われることって、今の自分は否定されてるんですよね。
頑張ってないからもっと頑張れって言うんで、今のあなたじゃないあなたになってねって言ってるじゃないですか。
中里さんは、メンタルがつらくなっている人に対しては、「頑張って」は言ってはいけない言葉だと考えています。
「頑張ってね」にキレた桜林さんの経験
桜林さんは、大人の間でも同じすれ違いが起こると話します。昔、すでにやれることをやり切って限界寸前のときに「頑張ってね」と言われ、怒ってしまったことがあるそうです。
(その時は)殺す気かっていうか。もうそれ十分頑張ってるんだけどってなって、怒ったことがあって。
もちろん、言った人に「もっと無理しろ」という意図はありませんでした。応援している、良くなってほしいという意味だったと理解したうえで、桜林さんは自分の反応を「当たり屋的」だったと振り返り、それほど「頑張る」は難しい言葉だと語ります。
中里さんは、「頑張れ」よりも「頑張ってるね」のほうがまだいいと提案します。今の時点のその人をすごいと認める言葉だからです。
頑張る目標を親子で共有できているか?
桜林さんは、何がどうなればOKなのかという目標を親子で共有できているなら、それに向けた「頑張れ」はかまわないと考えます。ただ、タッチさん親子の場合はそこがずれているのではないかと指摘します。
無理してでも行けた方がいいから、そこ頑張れ、学校に行くことを頑張りなさいって言ってるんだとしたら、子供はそれは頑張りたくないかもしれない。
一方で、子ども自身が困っていて何かを良くしたいと思っているなら、そちらは頑張ったほうがいいと桜林さんは言います。たとえば「学校は行きたくないけど勉強はしたい」「もう少し人と関わりたい」といった目標です。
「学校に行くこと」を頑張らせる。親の望みであり、子どもには「もっと頑張れないの?」がきつく響く
子ども自身が良くしたいこと(勉強や人との関わりなど)を一緒に決め、そちらを頑張る
もっと頑張れないの?とか頑張るって言ったじゃんとかは結構きついなと思って。それってお母さんの望みじゃんみたいな。
桜林さんは、そう言われ続けると子どもは頑張ること自体が嫌になってしまうと懸念します。本当は、頑張るはそんなに嫌なことではないはずだからです。
そのうえで二人は、頑張って疲れたなら「よく頑張ったね」と褒め、無理なら無理で今の息子を認めることを勧めます。桜林さんは、「頑張ったけど無理だったね。じゃあ他のこと頑張ろうか」のほうがいいと話します。
母親の「黒い感情」の正体は?
中里さんは、タッチさんの言う黒い感情は、相反する2つの気持ちの渦だと読み解きます。理性ではそのままの子を認めたいとわかっているのに、「頑張るって言ってたのに」と思ってしまうという葛藤です。
桜林さんは、期待していた分のがっかりこそが黒い感情だと整理します。そして、タッチさん自身がそれを自分の期待だったと書いている以上、すでに気づけていると受け止めます。
自分がそうしてほしいからって期待しちゃったなっていうだけだと思うんだけどね。
中里さんは、学校に通う子のママ友と話していると「学校は行くのが当たり前」という価値観に触れ続けることになると指摘します。そうではない価値観の人と一緒にいられるようになれば、価値観が少しずつ変わり、黒い感情もほどけていくのではないかと話します。
桜林さんも、番組に届くお便りを読んでいると、むしろ「みんな行ってないんじゃないか」と思うほどだと応じます。何を見るかで自分の当たり前は変わるので、見る先を意識して変えてみるのもいいかもしれない、という提案です。
自分の子の学校の中では不登校の子は数人なので「うちだけ特別」と思いがちですが、行っていない子の話をたくさん聞けば、その感覚は薄まるかもしれないと桜林さんは話します。
なぜ高校で不登校が減るのか?
中里さんは少し踏み込んだ話として、小中学校の不登校が増え続けている現状に触れます。毎年発表される問題行動調査 ── 文部科学省が毎年行う「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」の通称。不登校やいじめなどの件数が集計・公表されますでは、ここ5、6年ほど毎年のように過去最高を更新しているといいます。
ところが、高校になると不登校はガクッと減ります。理由ははっきり発表されていないとしつつも、中里さんは高校以降は選択肢が広がるからだろうと推測しています。
選択肢がほぼなく、合わない環境にいるしかない。過剰適応しながら状況が悪化しやすい
[[通信制]]や通学回数を選べる学校など、選択肢が幅広い。不登校が大きく減る
小中ってその選択肢が要はなくて、その子にとって合わない状況しか選び取れない。
中里さんは、選択肢さえあれば、タッチさんの息子もいずれ何かしらの合う手段で学校に行くようになるだろうと話します。統計的に見ても、高校以降は通う子が多いからです。
行かない間に何を頑張るか
桜林さんは、学校に行っていない間の学習手段や時間の使い方を考えてみてもいいかもしれないと提案します。もっとも、何をするかは子どもによって違うとも添えています。
中里さんも、学校は苦手でも勉強は続けたいという子は少なくないと話します。子どもとコミュニケーションをとり、勉強を頑張りたいと言うならそこをフォローし、選択肢を増やしてあげればいいという考えです。
最後に中里さんは、GW明けの変化は本当によくあることで、同じ状況のリスナーもいるはずだとしたうえで、「追い詰めないであげてくださいね」と締めくくりました。
まとめ
GW明けに再び学校へ行けなくなるのはよくあることで、4月の登校は無理を重ねた過剰適応だった可能性があります。「頑張るって言ったのに」という気持ちは親の期待から生まれるものであり、頑張る向け先を子どもと共有し直すことや、自分の当たり前を形づくる環境を見直すことが、呪いをほどく手がかりになりそうです。
- GW明けの不登校は「あるある」で、4月の頑張りの疲れと休み明けの立ち上げ直しが重なりやすい
- 無理に行かせると、復帰までに時間がかかる場合のほうが多いと中里さんは話す
- 「頑張れ」は今の自分を否定する言葉にもなりうるため、「頑張ってるね」と今を認める言葉が勧められている
- 学校に行くことではなく、子ども自身が良くしたいことを一緒に決めて、そちらを頑張る
- 高校以降に不登校が減るのは選択肢が広がるからだという見立てがあり、小中で行けないのは合う選択肢がないだけかもしれない



