菊竹清訓のレクチャーで聞いた一言
話は17、8年前、マスコットさんが建築学生だった頃にさかのぼります。当時、建築家によるレクチャーがよく開かれており、その一つに菊竹清訓きくたけ・きよのり。日本を代表する建築家。自邸「スカイハウス」やメタボリズム運動で知られ、世界的にも高く評価された。さんが登壇していました。
そのレクチャーの質疑応答で、ある参加者が「これってこういうことなんですよね」と確認するような質問をしました。それに対する菊竹さんの答えが、忘れられない一言でした。
「分かった気にならないでください。僕だってまだ分かってないんですよ」──これを聞いた時にしびれたんですよね。
巨匠が「わからない」と言えることの凄み
マスコットさんが最初に感じたのは、かっこよさよりも驚きでした。すでに世界的な巨匠であり、高齢の建築家が、しかも自分に関する質問に対して「わからない」と答えたからです。「わからないことなんてないだろう」と勝手に思い込んでいたと振り返ります。
けれども時間が経つにつれ、その言葉の受け止め方は変わっていきました。あれほどの立場の人が「わからない」と言い切れることのかっこよさに気づいたのです。自分が同じ立場だったら、果たしてそう言えるだろうか──そんな問いも残ったといいます。
考察文化と「わかった気になりたい」安心感
ここで話は現代に戻ります。マスコットさんが最近ハマったという三宅香帆みやけ・かほ。文芸評論家・作家。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』などの著書で知られる。さんの『考察する若者たち三宅香帆による著作。作品を「考察」する現代の文化を取り上げ、「考察」と「批評」の違いなどを論じている。』を補助線に、いまの考察文化について語ります。
三宅さんは、作品の「考察」動画などが広がる背景に、作者が考えた答えのようなものを知ることで「わかった」という気になり、報酬を得る感覚があると指摘しています。マスコットさん自身も、そういう自分がいると認めます。
ではなぜ「わかった気になりたい」のか。マスコットさんは、そこに安心感があるからだと考えます。「わからない」という状態は不安であり、知らないと言えない恥ずかしさもある。だからこそ「わかった」ことにしたい。しかもSNSで他人と簡単に比較できる時代になり、自分だけがわかっていないことも見えやすくなった。そのぶん「わかっている」と思いたい気持ちは加速しているといいます。
作者が考えた「答えのようなもの」を導こうとする。当たっていれば安心感という報酬が得られる。
作者の答えとは関係なく、自分なりに「これってこういうことじゃないか」と推論していく。
マスコットさんは、三宅さんがYouTubeで語っていた話にも触れます。三宅さんは考察を批判しているわけではなく、批評する人ももっといていいと述べていたそうです。理由は、その方が多様性があるから。多様性はあった方がいい──マスコットさんもそこに深く共感します。
わかった瞬間に閉じてしまう扉
「わかった」と思うことには、もう一つ落とし穴があります。それは、その瞬間に考えるのをやめてしまうことです。マスコットさんは、これを「扉が閉じる」と表現します。
わかったって瞬間に閉じちゃうんですよね。そこで何かを得ようとすることをもうしなくなるから、その瞬間に成長が止まってしまう。
「わかった」と思う
安心感という報酬を得る
扉が閉じる
それ以上考えなくなる
成長が止まる
新しく得ようとしなくなる
いまは選択肢が多く、何が正解なのかわかりづらい時代でもあります。自己啓発本を見ても、一方で正解とされることが、真逆でも正解だと言う人がいる。だからこそ人は道標を欲しがり、「わかった」という感覚を求めてしまう。マスコットさんは、その気持ちに理解を示しつつも、本当はわかっていることなどほとんどない、と冷静に見つめます。
「わからない」と言える世の中へ
ここで大事なのは、「わからない」と言って終わりにしないことだとマスコットさんは強調します。わからないからこそ、本を読んだり動画を見たり、自分に合ったやり方で学んでいく。ただし、どれだけ勉強しても「わかった」とはならないかもしれない。それでもいいのだ、というのが彼のスタンスです。
もちろん、巨匠が「わからない」と言うのと、無名の自分が言うのとでは意味が違う、とマスコットさんは謙虚に前置きします。それでも、わかったつもりの人より、わからないと言える人の方がかっこいい。そういう思想がもっと世の中に広がってほしいと願います。
マスコットさん自身、いま続けている「探しに行く」活動も、その姿勢の一つだといいます。専門家であってもわからないことはある。だからこそ「わからない」と言えて、それが恥ずかしくない世の中になればいい──そう締めくくりました。
まとめ
世界的巨匠・菊竹清訓さんの「わかった気にならないでください。僕だってまだ分かってないんですから」という一言。それは、わかったふりをせず、探し続ける姿勢の象徴でした。SNS時代の私たちは、不安ゆえに「わかった気になりたい」気持ちを強めがちですが、わかった瞬間に成長は止まってしまいます。わからないと認めることは弱さではなく、次の一歩を踏み出すためのスタート地点なのかもしれません。
- 巨匠・菊竹清訓さんは質疑応答で「わかった気にならないでください。僕だってまだ分かってないんですから」と答えた
- あれほどの立場の人が「わからない」と言い切れることに、驚きとかっこよさがある
- 三宅香帆さんの『考察する若者たち』を補助線に、「わかった気になりたい」のは安心感を求めるからだと考察
- 「わかった」と思った瞬間に扉が閉じ、それ以上考えなくなって成長が止まる
- 大事なのは「わからない、だからわかろうとする」姿勢。わからないと言えて恥ずかしくない世の中へ
