大学時代のサイドプロジェクトはどう始まったのか
宮武さんがMadhappyのオフィスを訪れるのは2回目です。最初の訪問は5年ほど前で、当時のオフィスは今よりずっと小さかったといいます。
Peymanさんによると、最初のオフィスは仲間の古いアパートの一室でした。その後、数ブロック先の2000平方フィートほどの場所へ移り、現在はさらに広いスペースに構えています。
(Madhappyを始めたとき)大学生だったんですよね。何がきっかけで始まったんですか?
Peymanさんたちは2000年代前半のLAで育ち、ナイキやアップルのような企業が巨大化していく様子や、ストリートウェアブランドの盛り上がりを間近で見てきました。発売日やドロップに並ぶようなコミュニティにも加わっていたそうです。
ただ、Peymanさん自身は、もともとファッションに強い関心があったわけではありません。4人の共同創業者のうち、MasonさんとNoahさんは高校時代から一緒にブランドを立ち上げており、新しいことを始めようとしていました。
Madhappyという名前を思いついたのはMasonさんです。Peymanさんは、名前そのものがブランドを表しているのは珍しく、自分たちが追いかけたい「楽観主義」を包み込んでいたと振り返ります。
当時は多くのブランドがさまざまなことをしていましたが、楽観主義という方向に進んだブランドはいなかった、というのが創業メンバーの見立てでした。とはいえ最初から綿密に計画したわけではなく、学びながら育てていくサイドプロジェクトとして始まったと話しています。
資金調達をせずに始めた理由と、勢いを感じた瞬間
Madhappyが本業になったきっかけについて、Peymanさんは初期にポップアップを数多く開いていたことを挙げます。さらに、ローンチにあたって資金を調達しないと決めていました。
(資金調達をしないのは)かなり珍しいですよね、特に当時は。
当時はDTC ── Direct to Consumerの略。卸や小売店を通さず、自社サイトなどで消費者に直接販売するビジネスモデルで、2010年代に多くのブランドが登場しましたブームの真っ只中で、多額の資金を集めて様子を見るやり方が一般的でした。Peymanさんたちは、その流れとは違う考え方を取りました。
多額の資金を調達して、どうなるか様子を見る
資金を調達せず、サイドプロジェクトとして小さな規模で失敗しながら時間をかけて育てる
Peymanさんは、本物のプロダクトを持つブランドは、良い商品とブランドにたどり着くまで時間がかかり、毎年同じように急成長するとも限らないと考えていました。テック系スタートアップとは事情が違うかもしれない、とも付け加えています。
1年ほど続けたところで、手応えと勢いが出てきたといいます。続けてみようと考えるうちに、ほとんど偶然のようにフルタイムで取り組む形になっていたそうです。
勢いを感じた具体的な場面として、Peymanさんが挙げたのはLAやニューヨークで開いた初期のポップアップです。商品数は多くなくすぐに売り切れましたが、店をオープンするローンチパーティーには人が押し寄せ、ブランドを体験していきました。
人を集める方法は、LAで育った友人や、学校などを通じたニューヨークの友人を招くことから始まり、そこから口コミで広がっていったといいます。SNSで共有されることで、パーティーの様子は数千、数十万人に届き、ローカルなイベントにとどまりませんでした。
当時は実店舗に否定的な空気が強かったものの、Peymanさんたちはアパレルには物理的な拠点があることが理にかなうと考えていました。今では誰もが店舗を持つようになった、とPeymanさんは振り返ります。
TikTokで急成長するブランドにプレッシャーは感じるか
ストリートウェアや似た分野のブランドの中には、TikTokなどのおかげで本当に急成長しているところもあります。プレッシャーは感じますか?
Peymanさんによると、Madhappyは2019年に最初の資金調達を行い、良いパートナーを迎えました。一歩ずつ進むなかで自分たちとブランドへの信頼と野心は大きくなり、コロナ禍に大きく成長した後は、常設店舗も伸ばしていきたいと考えるようになったといいます。
そのうえでPeymanさんは、プレッシャーはむしろ内側から来るものだと語ります。TikTok Shopで1年のうちにゼロから1億ドル規模になるブランドがあってもいいけれど、自分たちはブランドづくりには長い時間がかかると考えている、という立場です。
ただし、毎年越えたい成長のハードルがないわけではありません。Peymanさんは、毎年少しずつ良い自分たちになりたいとし、正しいことをしていれば成長は後からついてくると話しています。
ヘリテージは老舗だけの特権なのか
宮武さんはOff Topicで何度も扱ってきた「ヘリテージ」という概念を持ち出します。長い歴史を持つブランドは、それだけで優位に立てるのか、という問いです。
Peymanさんは、ブランドの初期はアイコニックなアイテムづくりや他ブランドとの協業など、初めてのことの連続だと説明します。長く続けば、初期にやっていたことを参照できるブランドになっていく、という見方です。
一方でPeymanさんは、歴史のあるブランドでもうまくいっていないところはあると指摘します。結局はアーカイブの量ではなく、今の時代に自分たちを作り直し続けることが大事で、創業7〜8年のMadhappyも次の10年、20年に向けてその方法を探り続けているといいます。
宮武さんはさらに、ブランドがニッチからメインストリームへ広がると、初期のファンから反発が出たり、昔のデザインを求められたりする問題を挙げます。例として出たのが、初期のColetteコレットとのコラボです。
Peymanさんは、Madhappyというブランドだけでなく、顧客の好み全体を理解しようと努めていると答えます。そのうえで、グラフィック表現、コラボ、出店する店舗について「今の自分たちの視点は何か」を定め、それぞれが噛み合うようにしているそうです。
若い頃は店舗もなく、どれだけの商品が必要かという考えもなかった、とPeymanさんは振り返ります。Coletteとのコラボは初期にブランドを押し上げた素晴らしい出来事でしたが、それが今の自分たちにとって何にあたるのかを考えるのが大切で、物事は進化していくと話しています。
チャリティにしないメンタルヘルスとの向き合い方
宮武さんは、Madhappyのパーカーを15〜20着ほど持っているといいます。レイカーズやピクサーなど、強いIP ── Intellectual Propertyの略。キャラクターや作品、スポーツチームなど、知的財産として権利が守られているコンテンツのことですとの協業が実現した理由の一つは、ブランドの背後にある意味、特にメンタルヘルスへの姿勢だったのではないかと宮武さんは見ています。
(メンタルヘルスの分野で)ブログやホットライン、ポッドキャスト、今は雑誌と、いろいろやってきましたよね。ホットラインは一番好きなものの一つでした。
Peymanさんは、Madhappyは名前に大きな意味がある状態で生まれたブランドだと語ります。人生について率直に話すブランドがなかったこと、そして「メンタルヘルスは結局、人生そのもの」という考えが出発点にありました。
メンタルヘルスは身体の健康とは別物で、片方は話せてももう片方は話しにくい、という空気がありました。Peymanさんは、話題にする人が増え始め、SNSも伸びていた2017〜2018年は、Madhappyのようなブランドが始まるのにほぼ完璧なタイミングだったと振り返ります。
ただしMadhappyは、チャリティ型のブランドを目指したことは一度もありません。文化的にどう存在感を示すかに注力するほうが、チャリティの方向に進むよりも大きなインパクトを生めると考えているそうです。
ブロックパーティーのような初期のイベントから、デジタルの取り組み、そして雑誌まで、Peymanさんはどれも「ずっと続けなければならない」と思わずに試してきた創作的な探求だといいます。メンタルヘルスの語り方は1つではなく、人が触れるメディアも1つではないから、という考えです。
イベントの規模も少しずつ変わってきました。Peymanさんによると、初期のローンチパーティーは今の店舗イベントや大型フェスにつながっています。
サンタモニカ・ピアのイベントでは、ゲーム、乗り物、フードなどを用意するといいます。楽しく、ブランドとコミュニティを育て、自分たちも続けたくなることを進化させ続けるのが目標だと、Peymanさんは話しています。
SNS時代に「アイコニック」はまだ生まれるのか
宮武さんは、今ゼロからMadhappyを立ち上げるとしたら同じやり方をするか、と尋ねます。Peymanさんの答えは「いいえ」でした。どんなアドバイスも文脈次第で、多くはタイミングだからだといいます。
Peymanさんは、Madhappyをもう一度最初から立ち上げるのはとても難しいだろうと語ります。いろいろなものがそれぞれの場所に揃っていたからこそ、偶然のようにうまくいった、という見方です。
続いて宮武さんは、ジョーダンブランドやエアフォース1のようなアイコニックな存在は、今の時代には生まれにくいのではないかと問いかけます。TikTokなどでハイプのサイクルが速くなり、関心が細分化したうえ、かつてはテレビが多くの人を1つのチャンネルに集めていたからです。
宮武さんが紹介したのは、30年にわたって米国人に好きなスポーツ選手を尋ねてきた調査です。マイケル・ジョーダンが長く首位でしたが、1位の選手に集まる票の割合は下がり続けているといいます。
Peymanさんは、かつて名声は突破口を開いた一部の人に集中していたが、今はLAにいながら世界中のセレブを指先1つでフォローできるようになり、根本的に変わったと認めます。それでも、アイコニックなブランドを作れなくなるとは考えていません。
Peymanさんが例に挙げたのはSKIMS ── キム・カーダシアンが共同創業した補正下着・アパレルブランド。2019年に始まり、短期間で大きく成長しましたです。ジョーダンでさえナイキという相棒が必要だったが、今なら本人が自力でできるかもしれない、と時代の違いを説明します。
Peymanさんは、マイケル・ジョーダンが1人だけ、という時代に戻ることはないと見ています。ただ、人はブランドや人に惹かれるもので、細分化はしても、ものを買える人の割合自体が大きく増えたので、パイ全体はずっと大きくなっていると話しています。
コラボ相手はどう選ぶ?食とPantryへの広がり
宮武さんは、ストリートウェアはスポーツ、ビジネス、社会などあらゆる文化を混ぜ合わせるものだとしたうえで、次に誰と組むべきかを決めるのは難しいのではないかと尋ねます。
Peymanさんの答えは、初日からある要素を軸に「Madhappyの世界」を築くことです。楽観主義とメンタルヘルスへのつながり、カリフォルニア・LAのブランドであることが中核で、世界中で行うすべてのことをそこに結びつけています。
パートナーシップを組むときも、自分たちならではの切り口は何かを考えるといいます。単発で楽しむ企画もあり、失敗することもあるけれど、すべてが何らかの形で世界観づくりにつながっていて、見極めは上手くなってきたとPeymanさんは話します。
今LAに来るたびに、いつもJohn and Vinny'sに行くんです。でもそれは全部Madhappyのおかげなんですよね。
Peymanさんは、食はアパレルと同じく体験的で感情的なものだと語ります。毎日何を着るかを選ぶのが自己表現であるように、毎日何を誰と食べるかを選ぶからです。食にまつわる感情はたいてい前向きで、Madhappyは食を中核の柱の1つと考えてきました。
食べられる場所はローカルでも、世界中で知られ愛されている名店がある、というのがPeymanさんの見方です。John and Vinny'sとの協業に加え、店舗内カフェのPantryを通じて食のパートナーシップを広げており、ピアのイベントではJohn and Vinny'sと10周年記念のパーカーも出す予定だといいます。
Pantryを単独のカフェやレストランとして出す可能性について、Peymanさんはまず常設店舗に飲食の要素を入れることが目標だったと説明します。買い物をしなくてもブランドを体験でき、人が何度も足を運ぶ理由になるからです。
そのうえでPeymanさんは、Madhappyのフル店舗では合わない場所でもPantryなら出せる可能性があり、今後数年でそうした出店もあるだろうと話しています。
宮武さんは、フロリダなどで高級マンションまで手がけるブランドがあることにも触れ、住空間までの拡張を想像するかと尋ねます。Peymanさんは、自分たちの得意分野はプロダクトと体験にあり、その範囲なら可能性はあるとしつつ、まずは店舗、Pantry、商品の改善にまだ長い道のりがあると答えました。
なぜ最初の海外は英国ではなく日本だったのか
Madhappyは昨年初めて日本でポップアップを開き、その後も各地で何度か開催しています。宮武さんが日本を選んだ理由を尋ねると、PeymanさんはMadhappyはもともとアメリカだけのブランドではなく、普遍的なものだと感じてきたと答えます。
アジア、特に日本は自然な延長線上にあり、LAから比較的近いことも理由でした。憧れのブランドの多くが日本を最初の海外市場にしてきたことも挙げています。
決め手はパートナーで、日本で相性の良い相手に出会えたのは幸運だったとPeymanさんは語ります。今秋には日本で常設店舗を開く予定で、開店までには2年以上、3年近く取り組むことになるそうです。
ほとんどのブランドは英語圏だから英国から始めます。ここから日本に行くのは、かなり大きなジャンプに見えますね。
Peymanさんは英国も大好きだとし、問題はどの順番で進むかだと答えます。それぞれに長所と短所があるものの、すべての場所に出ていきたいと考えており、日本はその土台になるうえ、今がとても面白い時期だと話しています。
初めて日本を訪れたのは、今年の8月で3年前になるといいます。Noahさん、Haileyさんと一緒の訪問で、コロナ禍のため観光客が少なく静かだったそうで、今とはまったく違ったと振り返ります。
ヨーロッパには何度も行っていたPeymanさんにとって、日本は目を開かされる場所でした。忙しく混沌としているのに穏やかなこと、そして消費者層の幅広さと、多様なブランドへの関心の高さは予想外だったといいます。
日本に入ってきた優れた海外ブランドだけでなく、米国では見たことのない日本発のブランドを数多く知れたことも、Peymanさんにとって大きな収穫だったそうです。
夢のコラボと、眠れない夜はあるかという問い
最後の質問として、宮武さんは夢のコラボを尋ねます。Peymanさんは、夢のコラボの多くはすでに実現したとしつつ、誰もが賛同するものとしてIn-N-Outの名前を挙げました。In-N-Outはこれまでコラボらしいことをしておらず、同じ地域の出身で、信念も近いからだといいます。
(In-N-Outが)日本に1日限定で来ると、とんでもないことになります。5時間待ちの行列なんです。
宮武さんによると、日本でのIn-N-Outの1日限定出店では朝に整理券を取る必要があり、各地から飛行機で駆けつける人もいるそうです。In-N-Outとのコラボが実現すれば日本でもよく売れるだろう、と宮武さんは太鼓判を押しました。
続いて宮武さんは「夜も眠れないほど考えてしまうことは?」と尋ねます。Peymanさんは、毎日が違い、平日はストレスも疲れもあるとしつつ、たいていは仕事から離れてよく眠れていると答えました。
Peymanさんは、回復や運動、仕事から離れる時間を大切にしています。会社としても個人としても大きな野心はあるけれど、仕事も自分の人生の一部であり、「仕事がうまくいったか」だけでなく「自分はどう感じたか」で1日を測るようにしているそうです。休みが必要なら休み、充電して成長し続けたいと語っています。
最後に宮武さんは、Madhappyという名前の意味を尋ねます。Peymanさんによると、名前の意味は議論の余地があり、見る人それぞれの解釈でかまわないといいます。初めて見たときの直感的な受け止めがあることこそブランドの特別さで、だからこそ年齢や属性、国を超えて広がってきたと話しています。
まとめ
Madhappyは、資金調達をせずにサイドプロジェクトとして始まり、時間をかけて育てるという姿勢を保ちながら、楽観主義とメンタルヘルス、LAという軸を中心に世界観を広げてきました。ヘリテージに頼るのではなく今の時代に自分たちを作り直し続ける考え方は、日本出店や食の展開にも一貫しています。
- 資金調達をせず小さく始めたことで、失敗しながら時間をかけてブランドを育てられた
- ヘリテージは強みだが、今の時代に自分たちを作り直し続けることが欠かせないとPeymanさんは考えている
- メンタルヘルスにはチャリティではなく文化的な存在感で向き合い、ブログから雑誌まで形を変えて試してきた
- 関心が細分化しても、ものを買える人が増えた今はアイコニックなブランドを作る余地があると見ている
- 日本はパートナーとの出会いを軸に最初の海外市場となり、常設店舗の開店も予定されている


