夏のペースダウンでも騒がしかった7月
アメリカでは子どもたちの夏休みが6月ごろから始まり、スタートアップ業界では7〜8月に取引のペースが落ちるとよく言われるそうです。家族旅行などで動きが鈍くなる時期です。
(夏は)大体7月、8月頃が、取引がちょっとペースダウンするっていうのはよく言われたりはするので。
それでも7月のテック業界はニュースが絶えず、宮武さんは「いろんな意味で騒がした」月だったと振り返ります。最初の話題は、テックとは少し離れたコンサートの一場面でした。
Coldplayのキスカムに映ったCEO、なぜここまでバズった?
話題のきっかけは、Coldplayのコンサート中に流れたキスカム ── スポーツの試合やコンサートで、観客席のカップルを大型スクリーンに次々と映す演出。アメリカでは定番の余興として知られていますの映像です。スタートアップ「アストロノマー」のCEOだったアンディ・バイロンさんが、人事部トップのチーフピープルオフィサー、クリスティン・カボットさんとハグしている姿が映し出されました。
宮武さんによると、問題を大きくしたのは2人のリアクションでした。明らかに「隠れていた」ような反応をしたことで、注目が一気に集まったといいます。
逆にその平然としてたら、多分そのまま次のカップルに行って、で、もう誰もわからずインターネットミーム化されなかったっていう可能性高いですもんね。
映像が出ると、ネット上ではすぐに人物が特定され、草野さんは「怖い世の中」と反応します。そこから、抱き合う理由や行動そのものが次々とミームになっていきました。
草野さんは、浮気中に映されたときの対処法の動画や、スポーツ会場のキスカムで同じことをやる「コールドプレイカメラ」のようなパロディが流行ったことを挙げています。宮武さんが個人的に驚いたのは、CEOの子どもを名乗るフェイクのTikTokerが大量に出てきたことでした。
でも久しぶりに1、2週間ぐらい持ったミームが出ましたよね。
クリス・マーティンさんがステージから「浮気してるか、相当恥ずかしいかだね」といった趣旨の言葉を口にしたことも、拡散を後押ししたと二人は見ています。宮武さんは、狙った言葉ではなく、観客みんなが思っていたことをそのまま代弁したからこそミーム化しやすかったと分析します。
騒動を広告に変えたアストロノマーのPR判断
騒動のその後としてアストロノマーが出したのが、女優のグウィネス・パルトローさんを起用した動画でした。グウィネス・パルトローさんはColdplayのクリス・マーティンさんの元妻で、宮武さんはこの動画を「半分広告」と表現します。
草野さんは「クリス・マーティンにまでそんな巻き込まれる」と驚きつつ、会社の宣伝にもなるタイミングの良さを評価しました。宮武さんは、この対応をPRとして高く評価しています。
一番最初に彼らがレスポンスする、その動画なり、そのメッセージなりは必ずニュースに取り上げられるじゃないですか。
なのでそれを、より面白おかしく、で、プラス広告にするっていうのは、多分すごい正しい判断だったなっていうふうに思いましたね。
草野さんは、社名だけでは何の会社かわからず、公式サイトを見ても難しかったアストロノマーについて、動画の中でQ&A形式で説明してもらえる点がわかりやすいと話しました。宮武さんは、騒動についても動画内でしっかり触れていると補足しています。
キスカムに映る
CEOと人事トップのハグがスクリーンに表示される
リアクションで注目
隠れるような反応が逆に目立つ
特定とミーム化
人物が特定され、パロディやフェイクTikTokerが続出
PR動画で応答
グウィネス・パルトローさん起用の半分広告の動画を公開
宮武さんは、最近のミームは48時間もてばいいほうで、1日で終わるパターンが多いと話します。1、2週間続いたミームは、それだけで異例だったといえそうです。
スポーツのトレード化するAI人材の争奪戦
2つ目の話題は、ここ1ヶ月を通してのトレンドだったというAI人材戦争です。宮武さんは、AI人材の移動をスポーツの移籍のようにトラッキングしているサイトを紹介しました。
このサイトでは企業ごとに、たとえばMetaに入ってきた人と出て行った人がリストアップされています。宮武さんは、トレードで誰が来て誰が出たかをまとめるスポーツ業界のやり方とそっくりだと指摘します。
最近よくメディアでも聞きますけど、そのスポーツチーム化している現象になってるなっていう話ですよね。
草野さんが、業界の人には誰がどこへ移ったかが見てわかるのかと尋ねると、宮武さんは、AI人材、特にトップ層は限られているので業界内ではわかるらしいと答えます。
流れの起点として宮武さんが挙げたのは、MetaによるScale AIの事実上の買収です。Metaはその後、元GitHub CEOのナット・フリードマンさんとダニエル・グロスさんのファンドをバイアウトし、直近では元OpenAIでChatGPTを作った一人をチーフサイエンティストとして採用しました。
宮武さんによると、マーク・ザッカーバーグさんは非常にアグレッシブに動いていて、人によっては数百億円、最大で1ビリオン(約1500億円)の契約オファーが出ているという話もあるそうです。
AI人材の報酬は本当に「年数百億円」なのか?
草野さんが、どのポジションのAI人材が一番高給なのかを尋ねます。宮武さんの答えは、ビジネス開発系ではなく研究者、それもフロンティアモデル ── その時点で最先端の性能を持つ大規模AIモデルのこと。開発には膨大な計算資源と高度な研究者が必要とされますに貢献できる人でした。
基本的にまずその研究者っていうところですよね。
GPT-4を作れるような人材は数百億円レベルの報酬を得ていて、人材が少なすぎるため、大学を卒業したばかりの若手でも数億円のパッケージを受け取る例があるといいます。
ただし宮武さんは、300ミリオンや500ミリオンといった数字は1年で全額もらえるわけではないと注意を促します。4年で300ミリオンのように複数年契約で、それでも年間70ミリオン前後になる計算です。
4年で300ミリオンみたいな数字って、よく、スポーツ業界でもよく聞くような数字なんですけど。
お金だけじゃない、計算資源という引き抜きの武器
報酬ばかりが話題になる一方で、各社は「それだけではない」と説明しているそうです。OpenAIはミッションへの共感を、マーク・ザッカーバーグさんはMetaの強みとしてコンピューティングリソースを挙げています。
宮武さんによると、AI研究にはGPUチップなどの計算資源へのアクセスが不可欠ですが、それが本当に足りていない状況です。データセンターを立ち上げる資金力のない大学がAI研究で苦しんでいるのも、そのためだと説明します。
GPUや計算資源を持ち、研究者を引きつけられる
GPUチップやデータセンターを用意する資金力がなく、AI研究で苦しんでいる
実際の引き抜きとして、Financial TimesではMicrosoftがGoogle DeepMindから20人ほどを引き抜いたと報じられたそうです。Metaは50人規模のスーパーインテリジェンスチームを作る計画で、宮武さんが最後に見たときは44人ほどが集まっていました。
そのメンバーを分析した人がTwitterに投稿した内容として、宮武さんは次の数字を紹介しています。
| 項目 | 割合 |
|---|---|
| 中国系 | 約半分 |
| PhD保有 | 75% |
| 研究者 | 70% |
| 元OpenAI | 40% |
| 元DeepMind | 20% |
| 元Scale AI | 15% |
| 移民 | 75% |
宮武さんが特に面白いと感じたのは、75%が移民だという点でした。草野さんの「もっと加速すると思いますか?」という問いに、宮武さんは少なくとも次の数ヶ月は加速すると答えます。
このMetaがこれだけお金を出しているのを見て、他社が、なんかそれを許すわけないので、自分たちもっていうふうにはなると思いますね。
テック業界にはユニフォームがない?移籍が見えにくい理由
草野さんは、レイオフのボードはこれまでもあったものの、「AIタレントウォーズ」という括り方が面白いと話します。テック系番組のTBPNでも、誰がどこへ移籍したかを示すグラフィックを作っているといいます。
宮武さんは、そうした発信こそスポーツっぽいと同意しつつ、テック業界ならではのやりにくさを指摘しました。
移籍した時とかトレードされた時に、メディア側が勝手にユニフォームを変えるんですよ、その人の。
(テック業界には)別にユニフォームがあるわけじゃないので。
見た目で移籍先がわかりにくいことが、AI人材の移籍がミーム化されにくいポイントだと宮武さんは見ています。
Figmaが上場申請、Adobe買収案より低い評価額をどう見る?
3つ目の話題は、7月に入ってすぐ上場申請書を公開したFigmaです。収録時点では今週中、遅くとも7月中に上場する予定とされていました。
宮武さんによると、Figmaは上場時に約1ビリオンを調達しようとしており、時価総額は16.4ビリオンほどです。これはかつてAdobeが出した20ビリオンの買収オファーを下回る数字です。
草野さんは、結局成立しなかったAdobeによる買収と比べてどちらが良かったのかを問いかけます。宮武さんは、Figmaのユーザーからすれば独立して上場したほうが嬉しいという感覚ではないかと答えました。
数字で見るFigma、非デザイナーが3分の2を占める理由
上場申請書に載ったFigmaの数字を、宮武さんは次々と紹介します。売上は今年の第1四半期で46%ほど増加し、去年の売上749ミリオンも48%成長でした。
Figmaの特徴は、MAUの3分の2がデザイナー以外の人だという点です。45万社が利用し、963社が100K以上を支払っているといいます。プロダクトは8つほどあり、76%の顧客が2つ以上のプロダクトを使っています。
草野さんは、新しいプロダクトが最近やっと日本でも使えるようになったというリリースに触れました。宮武さんは、今後のFigmaにとってバンドル戦略が非常に重要になると見ています。
巨人Adobeとの差と、プロダクトで育つFigmaの強み
規模で比べると、FigmaとAdobeにはまだ圧倒的な差があります。Adobeの売上は21.5ビリオンで、Figmaの売上はAdobeの3%ほどしかありません。一方で、成長率はFigmaのほうが4倍高いと宮武さんは説明します。
去年の売上749ミリオン、48%成長。成長率はAdobeの約4倍
売上21.5ビリオン。Figmaの約33倍の規模
草野さんは、Adobeはデザイン界のWordやExcelのように課金が前提になった存在で、その中でどう戦うかは難しいと話します。宮武さんは、FigmaはPLG ── Product-Led Growthの略。営業や広告ではなく、プロダクトそのものの使いやすさや口コミでユーザーを増やす成長戦略ですの鉄板中の鉄板だと答えます。
やっぱりもうプロダクトが一番のマーケティングであって、もうプロダクトから成長させるっていうところだと思うんですけど。
その表れとして、Figmaの研究開発費は営業・マーケティング費とほぼ同じだそうです。通常は営業・マーケティング費のほうが高いケースが多いため、プロダクトにすごい力を入れている会社だといえます。
財務面では、Figmaは約1.5ビリオンのキャッシュを持っています。そのうち1ビリオンは、買収が成立しなかったためにAdobeが支払ったものです。調達総額が400ミリオンほどであることを踏まえ、宮武さんは100ミリオン規模のフリーキャッシュフローを生んでいる点を評価しました。
宮武さんが上場申請書で最も気になったのは、リスク項目に「AIプロダクトの将来的な競争環境」が記載されていたことです。当然の記載ではあるものの、Figma自身が強く意識している分野なのだろうと受け止めています。
Lovableはなぜ8ヶ月でARR100ミリオンに届いた?
最後は、宮武さんが毎月ピックアップしている調達ニュースから、Lovableです。Lovableは自然言語で簡単にウェブアプリが作れるバイブコーディング ── 細かいコードを書く代わりに、AIに自然な言葉で作りたいものを伝えてソフトウェアを作る開発スタイルを指す言葉ですのスタートアップで、スウェーデンの会社だといいます。
Lovableは時価総額1.8ビリオンで200ミリオンを調達しました。メディアで大きく取り上げられたのは、ローンチから8ヶ月でARR100ミリオンを達成したという点です。現在は230万人のアクティブユーザーと、18万人の有料ユーザーがいるそうです。
宮武さんは、LovableがFigmaやCanvaと近い考え方を持っていると見ています。それは、コードを書ける人の市場そのものを広げることです。
でも逆に言うと4700万人しかいないので。
全世界のソフトウェア(は)その4700万人に頼らないといけない。
LovableのCEOによると、Canva登場前に500万人ほどだったデザイナーは、Canvaによって44倍の2.2億人に増えました。Lovableは同じことを開発者で起こそうとしています。
デザイナー500万人(Canva以前)/開発者4700万人
デザイナー2.2億人(Canva以後)/目標は10億人のBuilder
Lovableは作り手を開発者とは呼ばず、Builderと呼んでいます。誰でも何かを作れる世界を目指す考え方を、宮武さんは非常に面白いと評価しました。
製品の質とタイミング、スウェーデン発の成功
草野さんが、急成長は製品の良さに尽きるのかと尋ねると、宮武さんは簡単に作れる設計と高いクオリティに加え、バイブコーディングという言葉が出てきたタイミングで使えるサービスだったことを挙げました。
CEOが公開した数字で真偽はわからないと前置きしつつ、宮武さんは、今年6月にLovable上で作られたサイトが250万あり、インターネット全体の新しいサイトの10%にあたるという主張を紹介します。
それ本当であればほんとすごいですよね。
草野さんは、Lovableがスウェーデン生まれである点に注目します。宮武さんは、すべてがアメリカから来ていないのは良いことだとし、アメリカにはCursorのような会社もあると話しました。
LovableのCEOはもともと別のスタートアップのCTOで、ある週末に遊び半分で「GPTエンジニア」を作ったそうです。これがLovableの基盤になり、ローンチから数週間で数十万人のユーザーが集まりました。宮武さんは、ここでもタイミングの良さを指摘しています。
ほかの7月ニュースと、Outdoor Voices創業者の復帰
ほかにも7月には、PerplexityやOpenAIのAIウェブブラウザの動き、GoogleによるWindsurfをめぐる買収の話などがあったと宮武さんは触れます。それでも大きなニュースは今回の話題が中心だったといいます。
草野さんが気になったのは、D2Cの人気ブランドOutdoor Voicesの創業者タイ・ヘイニーさんが、売却後に戻ってきたというニュースです。
宮武さんによると、D2C業界内では以前から噂になっていました。Outdoor VoicesのInstagramアカウントがフォローを全部外し、唯一残ったのがタイ・ヘイニーさんだったため、復帰するのではと噂が広がり、結果その通りになったといいます。
最後に草野さんは、7月は体調を崩したものの8月は元気にやっていきたいと話し、FigmaのユウキさんらのインタビューシリーズもYouTubeとSpotifyで配信中だと紹介して締めくくりました。
まとめ
7月のテックニュースは、ネットミームと企業PR、AI人材の争奪戦、Figmaの上場申請、Lovableの大型調達と幅広い内容でした。共通して見えてくるのは、注目や人材、作り手の数がかつてない規模で動いているという流れです。
- アストロノマーはColdplayのキスカム騒動を、グウィネス・パルトローさん起用の半分広告の動画でPRに変えた
- AI人材の争奪戦は複数年・数百ミリオン規模の契約とトレードボードが登場し、スポーツの移籍のような様相になっている
- 大手が研究者を引きつける武器は報酬だけでなく、大学にはないGPUなどの計算資源でもある
- Figmaは売上がAdobeの約3%ながら成長率は約4倍で、PLGとプロダクトへの投資が強み
- Lovableはローンチ8ヶ月でARR100ミリオンを達成し、作り手を10億人に増やすことを目指している





