遺伝と環境は分けて考える
質問をくれたのは、配信アプリからのポポポネーム・カンシンさん。標高の高いスイスや寒い地域、高温多湿な地域で活躍するホルスタインは、遺伝子的に環境適応した違いのある牛になっているのか、という問いです。
世界各地にホルスタインは乳牛として活躍していると思いますが、標高の高いスイス、寒い地域、高温多湿な地域で活躍する牛は、遺伝子的にその環境に適応した違いのある牛になっているのでしょうか?
遺伝改良や品種改良が好きだという川上さん、かなり踏み込んだ質問にテンションが上がったと話します。
結論から言うと、牛には確かに遺伝的な環境適応があります。ただ「暑い地域にいるホルスタインだから暑さに強い遺伝子を持っている」と単純には言えない、というのがポイントです。
ここには、品種として長い時間をかけて起きた適応、同じ品種の中で人間が進める遺伝改良、そして飼養管理という3つがあり、これを分けて考える必要があります。
そもそも牛の能力は「遺伝的な能力+環境」で表れます。餌、気温、牛舎、疾病管理などの環境も、大きく関わってくるんですね。
だから同じような遺伝能力を持つ牛でも、蒸し暑い川上牧場と涼しい地域とで、乳量や繁殖成績が同じになるとは限りません。逆に、同じ牛舎で同じ餌でも、暑さに強い牛と弱い牛がいます。
その個体差の一部には遺伝が関係しています。日本の乳用牛の遺伝評価でも、いまは乳量や乳脂肪だけでなく、繁殖性や疾病抵抗性、さらには暑熱耐性まで評価対象になっています。
つまり、環境への強さもある程度は遺伝的に選べるところまで、乳牛改良は進んできているんです。
世界のホルスタインは別々の牛じゃない
ここで大事なのが、世界中のホルスタインが別々の牛になっているわけではない、ということ。
ホルスタインという同じ品種が、アメリカにも日本にもヨーロッパにもいます。そして現代の酪農では、精液や受精卵といった遺伝資源が国境を越えて使われています。
だから「スイスのホルスタインは高地専用の遺伝子」「日本のは高温多湿専用」というほど、地域ごとにきれいに分離しているわけではないんですね。
そこで出てくるのが「総合指数」という考え方です。同じ品種を使いながら、国ごとに「いい牛」の設計図が違ってくる、というのがこの回の面白いところです。
日本のNTP、アメリカのTPI、北欧のNTM
まず日本の乳牛改良には「NTP」という総合指数があります。単純な乳量ランキングではなく、産乳成分、耐久性成分、疾病繁殖成分の3つから構成されています。
産乳成分は乳質量や乳タンパク質量、耐久性は足の強さや乳房などの機能的体型や在群能力、疾病繁殖成分は繁殖成績や疾病抵抗性などが考慮されています。
日本が目指しているのは、とにかく乳量が多い牛ではなく、健康で長く働けて、繁殖して管理しやすく、生涯を通じて生産性の高い牛という方向です。
しかもNTPは固定ではなく、2024年に変更され、2026年2月にも変更されています。「理想の牛は永久に同じではない」というのが大事なところです。
一方、アメリカのホルスタインには「TPI(トータルパフォーマンスインデックス)」という代表的な総合指数があります。
2026年4月版では、生産性が46パーセント、健康繁殖性が29パーセント、体型が25パーセントという構成。さらに2026年には乳タンパクの重みを19から24へ増やし、乳脂肪を19から14へ下げました。
これは、アメリカの乳価の形成でタンパクの経済的重要性が高まっていることなどを反映したためです。世界的にタンパク不足で、牛からのタンパクを増やそうという指針を指数に入れた、というわけですね。
さらに分かりやすいのが北欧です。デンマークやスウェーデン、フィンランドなどで使われる「NTM(ノルディックトータルメリット)」では、90以上の形質を15の主要形質にまとめています。
大きくは健康繁殖指数が45パーセント、生産効率が40パーセント、体型作業性が15パーセント。乳房の健康や蹄の健康、長命性、そして飼料効率に関係する形質まで入っています。
少ない餌でどれだけ乳量を出すか、という飼料効率まで指数に入っているんですね。北欧では健康記録を長期間・大規模に集めてきたことが、こうした改良を可能にしています。
| 国・地域 | 総合指数 | 主な内訳 |
|---|---|---|
| 日本 | NTP | 産乳・耐久性・疾病繁殖 |
| アメリカ | TPI | 生産性46%・健康繁殖29%・体型25% |
| 北欧 | NTM | 健康繁殖45%・生産効率40%・体型作業性15% |
同じホルスタインを改良していても、どんな牛を次世代に残したいかの設計図が国ごとに違う。ここが本当に面白いところです。
総合指数は「気候適応指数」ではない
では最初の質問に戻ります。寒いところ、高地、高温多湿なところでは、遺伝的に違う牛になっているのでしょうか。
自然選択による地域適応もあります。ただ現代の乳牛は、それに加えて人間がその地域で価値のある形質を選ぶことで、地域に適した牛を作っている、というのが答えです。
ここで注意したいのは、総合指数そのものは気候適応指数ではないということ。NTPが高い牛なら自動的に日本の高温多湿に最適、という意味ではないんです。
総合指数は、それぞれの育種目標にもとづいて複数の形質をまとめた「選抜のものさし」でしかありません。実際の交配では、自分の牧場で何がボトルネックなのかを見る必要があります。
たとえば島根の川上牧場は、夏は高温だけでなく湿度も高い。そうなると、世界ランキングで一番高い牛を作ることと、この牧場で一番長く健康に働ける牛を作ることは、必ずしも同じではありません。
暑熱が最大の問題なら暑さへの強さ、乳房炎が問題なら疾病抵抗性、繁殖が問題なら繁殖性、牛が大型化しすぎなら体格、というように、牧場ごとに重要な形質は変わってきます。
ゲノム検査で「環境に合う牛」を選ぶ時代へ
だからこれからは、一番数字の高い精液を使うのではなく、自分の環境に必要な遺伝子を選ぶ方向へ進んでいくのでは、と川上さんは話します。
この流れを加速させているのがゲノミック評価、いわゆるゲノム検査です。日本でもSNP検査というDNAの違いを使い、血統情報と組み合わせた評価が行われています。
昔は、その牛の娘が実際に乳を出してみないと遺伝能力が分かりにくい面が大きかったんです。いまは若い子牛の段階からDNA情報を使って、より高い精度で予測できるようになってきました。
そうすると将来的には、世界で一番優秀な牛を探すより、この牧場・この気候・この経営に合う牛を選ぶ方向が、もっと重要になってくるということですね。
スーパーで見る牛乳は、どれも同じように見えます。牛も外目には白黒で同じように見えます。でもその後ろには、乳量・健康・繁殖・飼料効率をどう評価するかという、国ごとの酪農の考え方まで組み込まれているんです。
川上さんは、未来の乳牛に1つだけ能力を追加できるとしたら何を選ぶか、とリスナーに問いかけます。暑さに強い牛か、病気になりにくい牛か、少ない餌でも牛乳を作れる牛か。ぜひコメントで、と締めくくりました。
まとめ
同じホルスタインでも、国によって「いい牛」の定義が違う。日本のNTP、アメリカのTPI、北欧のNTMという総合指数を通して、乳牛改良がその国の酪農の未来像を映していることが見えてくる回でした。
- 牛の能力は「遺伝+環境」で表れ、暑さへの強さも一部は遺伝的に選べる時代になっている
- ホルスタインは遺伝資源が国境を越えて使われ、地域ごとにきれいに分離しているわけではない
- NTP・TPI・NTMは重み付けが異なり、「何をいい牛とするか」が国ごとに違う
- 総合指数は気候適応指数ではなく、牧場ごとのボトルネックを見て牛を選ぶことが大切
- ゲノム検査の普及で、「世界最高の牛」より「その環境に合う牛」を選ぶ方向へ進んでいる
