ドーパミン至上主義への違和感から始まる番組
番組冒頭、ホストは作り込みをせず、1人のゲストと4本撮るという独特なスタイルを説明します。今の時代に逆行しているのか合っているのかわからない、と話します。
その流れで岡山さんが投げかけたのが、「ドーパミンが出る感じではない」という言葉でした。
あの、ドーパミンが出る感じではないってことですよね。
ホストはこの言葉から、最近聞いたポッドキャストの話を思い出します。起業家の日建介さんが始めた、ポッドキャストを文字起こし・要約するサービス「PODI」についてです。
その日さんが番組で語っていたのは、恋愛系や喧嘩系、討論系といったコンテンツが増えているという指摘でした。ホストはこれらを「ドーパミン系コンテンツ」と呼びます。
考えなくても興奮できる、いわば脳がハックされるようなコンテンツが増えている。サービスのUIやUXも、脳死でつい使ってしまうように設計されている、とホストは整理します。
日さんはこうした状況に危機感を持ち、ドーパミン系に対して「いいコンテンツ」の割合が少なすぎるのではないかと話していたそうです。ホストはこの番組をそこに位置づけたいと語ります。
人を育てる葛藤と「相性」の話
1本目のテーマは「動機の源泉と葛藤」。ホストは岡山さんに、忘れられない葛藤を3つほど挙げてほしいと尋ねます。岡山さんの会社は、この5月から10年目に入ったところでした。
岡山さんがまず挙げたのは、人を採用し育てることの葛藤でした。会社という箱を持つ立場では重要だと思う一方、今はとにかく身軽になりたいという思いから、人とは少し距離を置いていると話します。
ホストが「育てるなんておこがましいのでは」という経営者の嘆きに触れると、岡山さんは別の見方を示します。
おこがましいとかなんとか言う前に、育つ人は育つし、育たない人は育たない。それは本人の資質の問題もあるけど、相性みたいなのがすごくでかいなと思ってて。
自分の会社ではうまくいかなかった人が他社で育つこともあれば、その逆もある。どこ行ってもうまくやれる人、うまくいかない人もいる。岡山さんはそう相性の大きさを語ります。
ホストはここで、8年ほど前に岡山さんと交わした「顔って大事ですよね」という話を思い出します。男女に関係なく、好きな顔かどうかが大事だという話でした。
顔つきでその人のスタンスとか物事との向き合い方が、意外と無意識に伝わってくる。この人見てるとムカついてくる顔してんなとか、逆に心地いい顔してるなとか、やっぱありますもんね。
独立してほしいという願いと、その源にある経験
岡山さんは、一緒に働く人には基本的に独立していってほしいと考えていると話します。長く一緒にいて馴れ合いになるのを避けたい、という思いがあるからです。
力をつけてほしいなとか一緒に頑張っていってほしいなって思うけど、あんまり長く一緒にいたくないんですよ。
ホストが「切磋琢磨できる相手でも卒業してほしいのか」と問うと、岡山さんは2つの視点を挙げます。1つは本人のためになる進路かどうか。自分1人で立って望む生き方ができるのが一番幸せだ、という考えです。
会社のためという意識が強くなりすぎると、その人の可能性を狭めたり奪ったりする。だからそれは楽しくない、と岡山さんは語ります。
この感覚の源には、今の会社の前に3年ほど続けた会社での経験がありました。共同経営者と方向性が分かれ、会社を分けることになった時期です。
会社の方向性に振り回されて、本当はやりたいことは合ってるのに力が発揮できない人が生まれてしまったこともあった。だから振り回されずに自分の行きたい道を行けるように、と思うんです。
学びは一方通行か、覚悟の問題か
ホストは会社を私立学校にたとえ、どんな人に入学してほしく、どう育ってほしいかを尋ねます。岡山さんが挙げたのは、一方的に教える関係ではなく、お互いに学べるというリスペクト関係の大切さでした。
僕から学ぶという話もありつつ、僕も学ばしてほしい。お互い学べるところがあるよねっていうリスペクト関係はすごい大事だと思ってて。
岡山さんが運営する学童でも「対話を通じて磨き合う」を保育理念にしていると話します。コミュニケーションは、大人と子どもがお互いに磨かれる場だという考えです。
ホストも、こちらが「教えてやっている」という構造になるとうまくいかないと同意します。フェアではないと感じたり、教えてもらうスタンスで来られると教えたくなくなったりする、と語ります。
ここでホストは、2つの異なる大切さを提示します。1つは、相手から本当に学びがあると体の奥底から感じられること。もう1つは、友人から問われたという「教育者としての覚悟」でした。
あなたは教育者としての覚悟はありますか。自分も相手から学びがあるかどうかは知らんと。お前がその人に教育をすると決めたなら、やりきらなきゃダメだよね、という覚悟はあるか、と。
この問いに、ホストは「なかった」と感じたと振り返ります。フェアじゃないと言っている時点で覚悟がないのでは、という別の視点です。
教育と企業は本当に両立するのか
岡山さんは、そもそも教育と企業という形態はあまり合っていないのではないかと指摘します。企業は利益を追求するため、できる人がいた方が回りやすいからです。
本質的に教育って、見返りを求めない行為だと思ってるんですよね。教育コストとか投資というけど、それは会社側の話であって、育てる人がそこに見返りを求めるかというと、求めないのが本来的な姿だと思ってる。
ある程度の規模の会社なら、教育担当者・会社の論理・経営者の思いが役割分担できる。しかし一人親方のような経営者だと、弟子のような存在でないとうまく回りにくい、と岡山さんは話します。
本質的に見返りを求めない行為。教えること自体が目的になる
利益を追求する。育成は最終的に会社の利益につながるから行われる
ホストは、学校も先生個人は見返りを求めていなくても、学校としては進学という見返りを求めているのではないかと問います。入学者や受験者を増やすための論理が働くからです。
さらに、昔の丁稚奉公のように一緒に飯を食い、生活まで共にする関係には教育感があったと振り返り、この時代に教育者は存在しうるのかと問いかけます。
岡山さんは、現場の先生やスタッフレベルでは教育者であり続けているだろうと答えつつ、少子化や私立高校の無償化によって競争原理の影響を受けやすくなっていると指摘します。
平和という軸と、教育・経済・戦争のつながり
ホストが、岡山さんにとって教育は重要なキーワードなのかと尋ねると、岡山さんは父親が学校の先生で、大学も元は教育大だったと明かします。教育は身近な存在でした。
ただ、学校の先生になっても世の中を変えることはできないという思いもあった。そのうえで、自身のライフテーマである「平和」を考えると、教育に戻ってくると語ります。
次の世代にどういう価値観をインストールしていくか、どういう考え方、気持ちの表し方、人とのコミュニケーションの取り方を届けていくか。すごい大事だよねということは常に考えてますね。
ホストが「岡山さんにとっての平和とは」と問うと、岡山さんは「理不尽がないこと」だと答えます。理不尽に苦しむことがない状態です。
岡山さんは、収録の数日前に長崎の原爆の日で長崎にいた経験を語ります。第一目標が曇っていたために第二目標の長崎に移り、天気の関係で本来の造船所ではなくカトリックの町に落とされた、という流れです。
岡山さんは、原爆を「理不尽の極み」であり、自分の力ではどうしようもないものだと語ります。ホストはここで、自分の中の関心とつながったと反応します。
AIが早める理不尽と、経済と教育の矛盾
ホストは、AIの話が出るたびに気になるのは戦争だと話します。最新技術は戦争から生まれると言われ、AIも生産性という文脈だけでなく、戦争で使われる技術戦の文脈がある、と指摘します。
結局は倫理の話になる、とホストは言います。AIが技術的にすごくても、それを使って何人が死ぬかを判断するのは人だ、という点です。
そして、人知を超える何かを人が手にした時に理不尽が起きがちだと整理します。刀、原爆、そしてAI。経済や市場原理が加速する方向と、岡山さんの語る教育は逆方向に思える、とホストは語ります。
岡山さんは、これは冒頭のドーパミンの話と同じ構造だと応じます。面白いことや便利なことがあれば人は試したくなり、その欲望に紐づいて金が稼がれていく。それは生きるために必要な行動でもあります。
だからこそ、破滅に向かわないよう人間側が制御できるかが問われる、と岡山さんは言います。基本はセロトニンで生きつつ、嗜む程度にドーパミンを、というスタンスです。
教育はすごく大事だし、そこを諦めちゃうと人間は終わるんだろうなぁ。でもまあそれもひっくるめて全部人間だよなみたいな。
ホストは、探究学習や新しい学校も「複雑化した社会で生き抜く」というお題の中で謳われている印象があると指摘します。どの論理の中で教育を謳うのかが大事だ、という問題意識です。
岡山さんは、教育で得られるものを知性と教養だと単純化すると、それを身につけた人は愚かな金の使い方をしなくなり、今の経済では停滞を招くと語ります。
判断力のない層を作っていかないと経済は回らないっていうのが今の実態だから、教育がまともだと日本の経済力が落ちちゃうよね、という状態になってるということだと思います。
ただし、その仕組みは人口減少によって限界を迎えている、と2人は確認します。頭を使わない層が増えた方が助かるという世界線は、人口が減る時点でもう成り立たなくなっている、という見立てです。
ホストは、AIがこうした流れを圧倒的に早めると話します。想定より早くディストピア的な世界が来ている感覚だと言います。
その例として挙げたのが、ある発言が切り抜きやAIによって増殖し、本来の文脈を離れて広がる現象です。岡山さんは、生成AIによる偽物のコンテンツが広まりすぎた結果、本物の発言がまともに見える逆転現象が起きていると応じます。
遠くまで来た旅の締めくくりと、次への問い
気づけば1時間が経ち、ホストは「思えば遠くまで来た」と振り返ります。育てることの葛藤から始まった話が、教育・平和・戦争・AIへとつながっていきました。
ホストは、岡山さんの人との関わり方における姿勢の源が、長崎の原爆や平和という文脈にあるのではないか、と少しずつつながってきたと語ります。
そして、残り3本で模索したいテーマとして「人の倫理観」を挙げます。どんな教育や経験を経れば、理不尽を無意識に起こす選択を取らずに済むのか、という問いです。
物を売ることに盲目になってたら絶対に出ない営業電話をするじゃないですか。種類が違うだけで、原爆を落とした状況と近い気がしてるんですよ。
岡山さんは、公開が9月になるであろうこの時期に触れ、アウシュビッツの収容所や、ナチスのユダヤ人虐殺に加担した人々がなぜそう動いてしまったのか、という話ともつながると応じます。
最後にホストは、ベーシックインカムや、子どもの有無による無意識の感覚の違いといったテーマにも触れます。お金がない時の方が尖っていたという自身の経験も挙げ、次回以降も迂回しながら対話を続けたいと締めくくりました。
まとめ
人を育てることの葛藤から始まった対話は、教育と経済の矛盾、平和、AIがもたらす未来へと大きく広がりました。1つの答えに着地するのではなく、問いを深めながら旅を続ける回となっています。
- 岡山さんは、育成の成否は本人の資質だけでなく「相性」が大きいと考え、一緒に働く人には独立していってほしいと願っている
- 本質的な教育は見返りを求めない行為であり、利益を追求する企業の論理とは根本的に噛み合いにくい
- 岡山さんのライフテーマは「理不尽がないこと」としての平和であり、長崎の原爆の経験がその根にある
- 人知を超える技術が理不尽を生みやすく、AIがその流れを加速させているという危機感が2人に共有された
- 次回以降は「人の倫理観」を軸に、理不尽を起こさない状態をどう作れるかを掘り下げていく
