若者が減り、値段が上がったフジロック
番組冒頭、赤川さんはフジロックから帰ってきたばかりだと話します。米村さんが「お疲れ様でした」と返すと、赤川さんは「過酷ですからね」と応じます。
赤川さんは高校3年で初めて行って以来のヘビーユーザーです。今年は雨が午前中に降っても午後は降らず、比較的快適だったと振り返ります。
ただ、その「これで余裕なの?」という感覚こそが、初めて行く人を遠ざける壁になっていると指摘します。
年々やっぱり若者が減っていくわけですよ。
チケットは3日券で昔は3万5000円ほどでしたが、今は5万6000〜7000円ほどです。会場のビールも500円から800円になり、マーラータンは1600円だったと話します。
さすがにマーラータン1600円ですって言われた時は、ちょっとここはLAか何かかなみたいな。
赤川さんは、フジロックでしか会わない友達が数十年いるものの、年々少しずつ「脱落者」が出ていくと言います。お金がある人以外が来づらくなり、コミュニティが固まっていく感覚があるようです。
“人間ができていないと行けない”フェスへ
米村さんは、Xで流れてきた投稿を紹介します。フジロックに行ける人は、お金も休みも一緒に行く友達も宿を取る能力もある、というものです。
もう人間ができてないとフジロック行けないって。
赤川さんは、これはアメリカで起きたことと似ていると考えます。ウッドストックやグラストンベリーの流れをくむヒッピー的なカルチャーが、いつしか成功者の象徴へと変わっていく構造です。
赤川さんは、シリコンバレーの象徴だったスティーブ・ジョブズもボブ・ディランに傾倒したヒッピーだったと指摘します。かつてかっこよかったものが、成功の象徴を経てカウンターされて戻ってくる。同じことが日本のフジロックでも起きているのではないかと話します。
米村さんは、若者を呼ぶラインナップにはあまりなっていないとも感じています。ただ今年の来場者は13万3500人ほどで、回復傾向にあると2人は確認します。
苗場というユートピアの出自
赤川さんは、フジロックを「日本でスティーブ・ジョブズ的なストーリーを持つベンチャー」だと表現します。運営会社スマッシュの成り立ちを、資本主義と左翼性の葛藤として捉え直します。
あのやっぱフジロックってスティーブジョブズ的なストーリーを日本で持ってるベンチャーですよ。
赤川さんによれば、苗場は西武グループが開発したリゾートです。パルコを作ったインテリ左翼的な堤清二さんと、土地拡大を進めた堤義明さんという2つの流れの中で巨大化したといいます。
フジロックは初回を富士山麓で開催して大雨に見舞われ、2回目は東京で開いたものの手応えがなかったと話します。森でやりたいと探していたところ、権力側である西武グループから「苗場はどうか」と逆オファーが来たといいます。
当時ゴルフ場だった今のグリーンステージは、スマッシュ側が「木を全部切っていいか」と言い、実際に切られたそうです。理想を追う側が大企業や資本を動かしてユートピアを作った、という物語です。
だからそのスタートアップベンチャー側が、なんだ、理想的なものを追い求めて、大企業とか資本を動かしてユートピアを作るっていうストーリー自体が、フジロックの由来には存在していて。
赤川さんは、ゴミ拾いや助け合いが当たり前という「3日間だけ存在するユートピア」に、18歳のときに強く食らったと振り返ります。それが今は「インテリの遊び場」と見られてしまうことに、葛藤があると話します。
音楽に何を見出すか、というずれ
赤川さんは、今回Xで政治的な発言が炎上したことに触れます。ロックを社会運動や宗教運動のように捉える層と、ただの音楽と捉える層の「分かり合えなさ」がにじみ出ていたと感じています。
米村さんは、そのずれについて考えていることがあると言います。フジロックはどこまでも欧米的だが、J-POPはただただエンターテインメントであり、政治的な色を考えずに楽しめるものだ、と整理します。
さらに米村さんは、ボーカロイド以降の音楽は世界より個人の切実さや辛さを歌うことが多いと指摘します。切羽詰まった人間は自分のことしか考えられなくなる、という見方です。
そのガザのこと考えてるのって、ある種すごい贅沢だなって思ってしまう。別にそれを批判してるわけではないんだけど、それはなんかユースカルチャーにはなりづらいよなって単純に思っちゃう。
一方で、会場で最もよく見たTシャツはフジロックに出ていないオアシスだったと赤川さんは話します。「UKかっこいい」「ロックかっこいい」という文脈自体が、今や分断を生む一極になっているのではないかと考えます。
ロックに音楽以上のものを見出し、現状を変えようとする層
政治的な色を考えず、ただ音楽として楽しむ層
ちいかわは、なぜ“ディグられない”のか
赤川さんがフジロックに行っている間、米村さんは映画『ちいかわ』を観ていたと話します。作品はミステリーやSF、グロやホラーの要素もあり、複雑な設定を持つ度量の深い作品だと説明します。
米村さんが驚いたのは、みんなが意外にちいかわを知らなかったことです。IPやキャラクターとしては知っていても、漫画やアニメを見ていない人が多いと感じたといいます。
最高なんですけど、結構驚いたんですよね。みんな意外にちいかわ知らねえなっていうことに。
赤川さんは、おばちゃんがローリング・ストーンズのTシャツを着ているのを見てほっこりするのと同じで、中身を知らなくても持っているのは許される、と受け止めます。いわゆるアイコン消費です。
米村さんは許されるとしつつも、自分が好きなものにもう少し興味を持ってもいいのではと話します。ちいかわの世界観設定は、ワンピースのルフィがゴム人間である、というくらい前提であるはずだと感じています。
映画は3日間で22億円という初動で、米村さんは以前から興行収入100億円を予言していたと話します。それでも「もっと流行っていると思った」という気持ちが残ります。
IPになるってなんかそういうことなんだと同時に思った。
SNSの分断と、みんなは本当に怒っているのか
話題はSNSへと移ります。赤川さんは言論空間の行方を尋ね、米村さんはインスタやTikTokのカルチャーが圧倒的で、言論は見られなくなっていくと予想します。
米村さんは、プラットフォームごとにカルチャーが全く違うと言います。YouTubeは意外と言語的でコメント欄が掲示板化しており、TikTokは瞬発的で文字数が少ない、という違いを挙げます。
米村さんは、SNSでみんなが怒っているようには感じないとも話します。本当に怒っていれば、もっと長文で粘着的に書くはずだと考えます。
そんな怒ってないんじゃないっていうのを思っちゃいますね。本当に怒ってたらもっと行動するよなって思います。
赤川さんは、ミラティブの運営から発見したこととして、距離の近さが怒りを抑えるという考えを示します。少人数コミュニティのチャットは、配信者にも周りにも見られているため荒れにくいといいます。
その裏づけとして赤川さんは、人類学の本『ヒューマンカインド』を挙げます。戦争において、前線からの距離と敵国へのヘイトが反比例するという研究です。
この距離を0に近づけると人は人を殴れなくなる論っていうのは、なんか僕は結構感じてるところはある。
表現の自由と、届きやすさのグラデーション
米村さんは、漫画『みいちゃんと山田さん』のアニメ化反対運動を取り上げます。夜の世界で働く、知的障害や発達障害を思わせる女性が主役の作品です。
米村さんは、その描き方がリアルな問題提起なのか、露悪的なインプレッション稼ぎなのか、自分でも判別がつかないと話します。世間では露悪的だと解釈されがちで、ネットミーム的に消費されている面もあるといいます。
赤川さんは、当事者に近い人が本当に反対しているのかがまず大事だとしつつ、空気で反対している人もいるように感じると述べます。そのうえで、知る機会が存在すること自体は否定すべきでないと考えます。
身近にいない人が想像するためには、やっぱり何かしらリアリティの高い情報が五感に入ってこないと、言論だけを聞いて印象で語ってしまうことになっちゃう。
米村さんは、アニメ化を止めるべきではなく、作品を見てから判断すべきだという立場です。ただしヘイトはよくないとも付け加えます。
アニメ化を反対するのはやめた方がいい。アニメ化して判断すればいい。
一方で2人は、本という媒体そのものがある種のレーティングであり、アニメは公共性が高く届きやすい、というグラデーションの違いも確認します。赤川さんは、火垂るの墓やタコピーを例に、驚かせたり揺さぶったりするのはエンターテインメントの機能そのものだと話します。
戦火の前夜のような、重い空気
赤川さんは、これらの話題をめぐる空気に「戦火の前夜感」があると言います。恐怖や怒りに気分のレベルが向きすぎているのではないかという感覚です。
その感覚の参照点として、赤川さんは『海戦日記』を挙げます。太平洋戦争開戦前後の庶民の日記を集めた本で、時代の空気が人を駆動していく様子が記録されているといいます。
赤川さんは、少なくとも5年前、10年前とは空気が違うと感じています。SNSのアルゴリズムが暴走しているだけかもしれないとしつつ、無自覚に楽天的でいられない空気を挙げます。
その辺含めて、戦火の前夜感がすごいあるんじゃないかなっていう雰囲気。
赤川さんは、フジロックのハイスタンダードのMCが炎上した件にも触れます。「右も左も関係ない」という発言が、直前の日本国旗掲揚などと重なり、無自覚に右翼的だと批判された流れです。
赤川さん自身もそのMCで少し萎えて会場を離れたと話しますが、事情を調べると、亡くなったドラマーへのレクイエムや各国国旗を掲げる文化が背景にあったといいます。外から見た印象と実際の文脈のずれが、分断を大きくしていると考えます。
変わり続けることと、反脆弱性
重い話が続いた一方で、赤川さんはBE:FIRSTの『Everyday』を「名曲の面構えをしている曲」だと絶賛します。雨の中で幸せな気分になった一瞬だったと振り返ります。
名曲の面構えをしてる曲聴く気持ちよさってあるんだなと思いました。
米村さんは、フジロックの理念を尊重しつつも、変わり続けることも大切だと話します。赤川さんも、変化はカウンターカルチャーの音楽に常にある要素だと応じます。
その考えを支える概念として、赤川さんは「反脆弱性」を紹介します。金融出身の哲学者タレブの本で、物事は衝撃に対して「硬い」「脆い」「反脆い」のいずれかだといいます。
歴史を紐解くと、衝撃をむしろ強みにしてるものが長く生き残っている。
赤川さんは、フジロックが議論を巻き起こしながら続いていること自体が、変わり続けている証だと考えます。客側が年を取り「硬く」なる人が出る一方で、イベントは変わろうとし続けているといいます。
言語化というリスク
話の終盤、米村さんは最近いい音楽として、映画で活躍する徳丸シューゴさんや、ヒップホップのサブジャンル「グロー」の第一人者ミカドさんを挙げます。赤川さんは、サブジャンルが生まれ続けることを探求心の表れだと受け止めます。
最後に赤川さんは、フジロックが本当に大好きで、18歳のときに人生を変えてもらった感覚があると打ち明けます。それでも今回は暗い話ばかりになってしまったと苦笑します。
赤川さんは、その理由を「言語化というリスク」だと表現します。自分の声を一番近くで聞いているのは自分であり、言葉にすることで三日間が激重なものに感じられてしまった、と話します。
自分の声を一番近くで聞いてるのは自分って表現があって。言ってることが自分を変えていくっていう部分って人間あるじゃないですか。
2人は、政治や音楽をめぐる言葉が選ばれていく感覚自体が人を縛っているのかもしれない、と語り合います。そして「楽しく話をしよう」という誓いとともに、この回を締めくくります。
まとめ
フジロックの若者離れとチケット高騰から始まった雑談は、苗場の出自、ちいかわのIP消費、SNSの分断、表現の自由へと広がり、最後は「戦火の前夜」のような重い空気と、変わり続けることの大切さに行き着きました。
- フジロックは価格上昇と高齢化が進み、気軽に行けるイベントではなくなりつつある
- 苗場開催は権力側からの逆オファーで生まれた「ユートピア」であり、資本主義との葛藤を出自から抱えている
- ちいかわの映画ヒットは、IPとして人気でも作品そのものは意外と「ディグられていない」という消費のあり方を映した
- 赤川さんは、距離を0に近づけると人は人を殴れなくなると考え、少人数コミュニティの荒れにくさを挙げた
- 衝撃を受けて強くなる「反脆弱性」の観点から、フジロックも表現も変わり続けることでサバイブすると2人は語った
