なぜちいかわは舐められるのか
世間がちいかわ一色になり、映画も100億円ペースで推移するなか、米村さんは自分が5年前からその可能性を見抜いていたと振り返ります。
一回うちのメディアの開運の企画で、僕が2021年にちいかわマジでやばい作品だと思って、もう結構その頃、インターネット上の雰囲気では結構有名だなと思ったんですよ。
2021年当時、渋谷の女子高生に街頭インタビューをしたところ、ちいかわの認知率は4割程度だったといいます。そこから数年でここまで広がりました。
ただ米村さんの周囲では、映画が100億円に届くと信じる人はほぼいなかったといいます。そこで浮かぶのが「なぜちいかわは舐められるのか」という問いです。
米村さんは、その理由が作者ナガノさんの出自にあると見ています。多くの人はX発だと思っていますが、実際はLINEスタンプ文化が土台だという指摘です。
ちいかわのキャラクターデザインがまさになんですけど、本当に2010年ぐらいのLINEスタンプの定型、白くて丸いキャラが。
つまりちいかわは、斬新なデザインではなく、使い古されてきたLINEスタンプ的デザインの最終形態だと米村さんは言います。だからこそ大量生産感がつきまとい、舐められやすいのだと分析します。
一方で、その定型的なキャラに物語とキャラクター性を吹き込んだことが、ちいかわを別物にした転換点でもあります。
BUMP OF CHICKENという奇跡と「勢」の話
話題は「キャッチーすぎて舐められる」構造から音楽へ移ります。赤川さんは25年ぶりにBUMP OF CHICKENのライブを見た体験を語ります。
数万人見てるのに、もう佇まいとやってることが高校の教室なんですよ。文化祭ライブなんすよ。
赤川さんは、演奏は決して上手くないが「味」があり、すべてが藤原基央の歌のために最適化されていると評します。多くのバンドが真似ても、誰一人BUMPになれなかったと感じたそうです。
赤川さんは、AIでコピーが容易になった時代だからこそ、上手さよりも「味」の方が大事だと話します。初期衝動をパッケージしたものにしかない魅力があるという見方です。
一方、米村さんの世代ではBUMPを見下すこと自体がむしろ「わかっていない」とされていたといいます。見下されがちなものが、実は評価されるという逆転が起きていました。
MCバトルの「音源勢」という倒錯
「見下される/見下す」というテーマは、ヒップホップの世界にもあると米村さんが例を挙げます。賞金5000万円のMCバトル大会「バトルサミット」の話です。
この大会には、普段バトルに出ず音楽活動を主軸にするラッパーが多く出演しました。裏では、バトルを主戦場とするラッパーはあえて呼ばないようにしていたといいます。
背景には、近年のMCバトルにお笑い芸人やアイドルなど非ラッパーの出場が当たり前になり、本来のヒップホップから離れていったという状況があります。
そのなかで、バトルシーンの人々が今回参加したラッパーたちを「音源勢」と呼んだことに、米村さんは文化的な倒錯を感じたといいます。
ラッパーって、そりゃ曲を歌う人じゃないですか。曲作って歌う人なんですけど、もうそうじゃなくなってる。MCバトルのシーンを中心に置いてる人たちからはもう主従が逆転してるというか。
曲を出してヒットを持つラッパーはバトルに出ないとも米村さんは言います。バトル文化が肥大化しすぎて、出ること自体が商品価値を下げると見られるようになったからです。
赤川さんは、こうした排他性を「オーセンティシティを守り続けると頑迷になる」人類あるあると整理します。一方で、その閉塞から次の新星が生まれるとも話します。
ドパガキと転調、そしてドーパミン
J-POPの話題では、ヒゲダン以降に広がったとされる「転調の嵐」と、それを揶揄する「ドパガキ」という言葉が話されます。
米村さんは、ナツメンや高円寺百景に比べればJ-POPの転調はさほど激しくないと感じ、「ドパガキ」という言葉にもピンと来ないと話します。
さらに米村さんは、そもそもドーパミンに飢えているのは大人の方ではないかと切り返します。子どもは世界を見ているだけで楽しいが、大人は自分で刺激を作らないとやっていけないという見立てです。
おじさんなんてもうどうにかして自分でドーパミン出さないとやっていけないですからね。
そこから話は「ディグる」感覚へ広がります。掘れば掘るほど未知のものに出会えるという期待が、二人にとってのドーパミン源だといいます。
掘ったらもっといいのがあるかもしれないっていう感情でやってるかもしれないですね。掘ったらなんかやべえものがまだまだ出てくるんじゃないかっていうので。
赤川さんはレコード店で誰も知らない盤を適正価格で見つける瞬間を「セルフガチャ」と表現します。世界にまだ知らないものがあると信じ続ける感覚です。
刺激の強さと「二作目」の難しさ
刺激の話は作品論へ移ります。米村さんは映画「ラブ上等」の1と2をめぐる炎上を、刺激の強さの問題として振り返ります。
1のときはヤンキーらしさが薄いと批判した米村さんですが、2で本当に不良性のある人物が出てきた結果、かえってハレーションが起きたといいます。
そう歌ってるんだったら、なんかちゃんとそうしてほしいなみたいに思ったし。しかも当時1を見たヤンキーじゃない人が、これがヤンキーのリアルだって持ち上げてたのもマジで気に食わなくて。
赤川さんは、これをカルピスの希釈にたとえます。原液のまま配ると受け止めきれず、薄めるからこそ美味しく届くという整理です。
希釈化するからカルピスはうまいんですよ。原液で飲めるやつは猛者だけ。
二人は、これがコミュニティ運営にも通じる話だと捉えます。刺激をただ強くし続ける運営ではうまくいかないという反省です。
赤川さんは、コミュニティで最も楽しいのは自分が制作サイドに回ることだと話します。意見が取り入れられ、権威と結びつかず、声が届く感覚を持てる設計が重要だと語ります。
そして「二作目の難しさ」というテーマにつながります。ファンがいることと、ファンダムができること、コミュニティが作品を支えることは段階が違うという指摘です。
ちいかわ強さランキングと連載の行方
話題は再びちいかわへ戻ります。米村さんが原作の章立てを整理し、映画が第2章の途中を描いていると解説します。
赤川さんは前回持ち越した「強さランキング」の答え合わせをします。しまじろうは最強クラス、ラッコはちいかわ族の中で最強という整理です。
米村さんはウサギを高く評価します。ウサギは映画で本来の武器を使っておらず、本気を出していないという見立てです。
ウサギの武器って爆発するんですよ。棒になってるんですけど、両端から爆発して敵を倒すんですけど、強すぎて、その武器が。永野さんもあまりウサギがそれを使ってる場面を使わないんですよね。
一方で米村さんは、人気が出すぎたことで連載が終われなくなるのではと心配します。キャラクターコンテンツとしての側面が強まると、物語が進まなくなる懸念です。
ハンターハンターの最終回見れないまま死ぬのかって絶対なるって。ちいかわも僕の中ではそのラインに入ってる作品なんで、最終回見れないまま死ぬのやだなっていうのは思いますね。
ウェブトゥーンの失速とコンテンツの時代
最後の話題は、縦読み漫画サービス「コミコ」が終了するというニュースです。ウェブトゥーンを日本に広めた存在の一つだったと二人は振り返ります。
赤川さんは、新時代のフォーマットが旧世代を駆逐するという見立てが十数年前に語られたと説明します。しかし日本では横読み漫画が勝ち続けたのが実情です。
赤川さんは、ウェブトゥーンは最適化が早すぎたのではないかと見ています。分業制でリッチな演出を追い、1話あたりの制作コストがどんどん上がっていったという指摘です。
リッチなものに最適化された結果、開発費というか制作費みたいな、すごいかかる構造になっちゃったと思うんですよね。それが結果首を絞めていった。
米村さんは、より本質的な問題はソフト、つまり作品を見ていなかった点にあると考えます。ハードの構造ばかりに注目し、作家性が見えにくい形式が日本の漫画文化と合わなかったという見方です。
フォーマットで読んでないんだって思いましたね、漫画を。そもそも。縦読み漫画だから面白くなることってあんのかなっていう純粋な疑問がありましたね。
対照的に、日本ではジャンププラスが転換点になったと二人は語ります。スマホで読むことを前提にしながら、ソーシング力とチャレンジの場を両立させた点が大きかったといいます。
フォーマットに最適化して制作費が高騰し、作家性が見えにくく、日本ではマスに定着しきれなかった
スマホ前提でチャレンジの場を開放し、集英社のソーシング力を発揮して傑作を輩出した
さらに縦か横かという議論は、ゲームやSNSでも起きたと赤川さんは振り返ります。TikTokは縦スワイプとショート動画の組み合わせが発明だった一方、結局はコンテンツの力が重要になっていったと整理します。
米村さんは、長くプラットフォーム優勢の時代だと思っていたが、近年はコンテンツ側も戦えると感じ始めたと話します。
終盤では、AIによって文字に触れる機会がむしろ増えたという実感も語られます。出力されたものを読む力が問われる時代になったという指摘です。
結局出力したものを読む力みたいなのがね、なんか求められちゃう時代だから。
二人は、フォーマットは変わり続けても、最後に残るのは中身であるという地点に着地します。
まとめ
ちいかわが舐められる理由をLINEスタンプ出自から読み解いた雑談は、BUMPやMCバトル、ウェブトゥーンを横断し、フォーマットとコンテンツの主従という一つのテーマに収束していきます。刺激の強さやディグる快楽を語りつつ、最後は「中身をいかに頑張るか」に行き着く回です。
- ちいかわはLINEスタンプ的デザインの最終形態であり、その出自ゆえに舐められやすいと米村さんは分析する
- BUMP OF CHICKENは上手さより「味」で唯一無二になり、誰も真似できなかったと赤川さんは評価する
- MCバトルの「音源勢」という呼称に、オーセンティシティを守るがゆえの頑迷さと文化の倒錯が表れている
- ラブ上等の炎上は刺激の強さの問題であり、コミュニティ運営でも刺激をただ強め続ける運営はうまくいかない
- ウェブトゥーンは最適化が早く制作費が高騰した一方、日本では作品とコンテンツの力が勝ち続けた





