地域のための広報を語る番組、はじめます
番組冒頭、二人がこの番組を始めた経緯と、どんな空気で届けたいかを語ります。
『ひろがるローカル〜地域のための広報実践録〜』。この番組では、地方に移住やUターンをして広報の仕事に取り組む二人が、日々の実践からの気づきを語りながら、地域ならではの難しさや面白さ、そしてこれから広報に取り組むためのヒントをお届けしていきます。どうもこんにちは、さとととし広報の川島飛鳥と
合同会社企画百貨、代表の小林祐太です。よろしくお願いします。
さあ、新番組が始まりましたが、この番組は小林さんの一声で始まることになったという感じなんですが、改めて小林さんよりこの番組が始まった経緯とか教えていただきたいと思うんですけど、お願いできますでしょうか。
二人とも地域でコミュニケーションに関わる仕事をしている中で、東京とかと違う難しさ、面白さっていろいろあるなと気づき始めたので、そういったことを届けていける場があったらいいなというのと、地域なのでみんな転々としていて、一箇所に集まることもそうそうなかったりするので、この番組をきっかけに仲間づくりであったりとか、次につながる何かが見つかったらいいなということで、お話ししていけたらなと思っています。
ほんとそうですよね。私が茨城で、小林さんが愛媛にいて、実はいつもオンラインでつなぎながら定期的に近況報告とかをしているので、そこにもっと仲間だったり、一緒にこうやって頑張っていこうみたいな人が現れると嬉しいですよね。皆さんも私たちがいつも1on1している様子を盗み聞きしてるような感覚で聞いていただけたら嬉しいなって思います。
二人の自己紹介と、真逆のキャリアの入り口
続いて、お二人が簡単に自己紹介をします。PRから地域に入った小林さんと、地域からPRに出会った川島さん。似ているようで入り口が真逆でした。
改めまして、小林祐太と申します。今は愛媛県の今治市に住んでまして、合同会社企画百貨という会社を経営してます。出身は岡山県の倉敷市で、大学は島根に4年間いて、卒業したタイミングで都内のPR会社で働き始めたというところで、PRの領域に関わり始めました。
その後、2018年ぐらいに転職をして、ITスタートアップ、そこもPR系のスタートアップだったんですけど、転職した時に川島さんと少しだけ一緒に働いていたというのが出会いになります。2020年、コロナの後のタイミングで愛媛県今治市に移住したんですけど、妻が今治の出身で、僕からすると地元のUターンにくっついて拠点を移した感じです。地元の印刷会社で数年働いた後に、2023年に独立して今の会社を立ち上げました。
改めまして、茨城県のひたちなか市出身で、今も在住の川島飛鳥と申します。あすかちゃんと呼んでくれたらテンションが上がります。大学進学を機に都内に出て、自由が丘という街にある大学だったんですけど、街と大学と企業の方とコミュニケーションを取りながら、地元のお祭りの企画運営をしたりしていました。
そこから新卒で、先ほど小林さんと一緒だった都内のスタートアップに入社しまして、そこでPR、パブリックリレーションズのあらゆるステークホルダーとの関係構築の技術や考え方に出会いました。インサイドセールスから営業、カスタマーサクセス、広報を軸に約8年間経験して、先日5月に退職をいたしました。
ローカルとの関わりでいうと、2020年に会社がフルリモートになったタイミングで、茨城で空き家を改修してゲストハウスを立ち上げるお姉様に出会って、立ち上げ期から関わるようになり、2022年に茨城にUターンして今に至ります。今は自治体さんと景観まちづくりのプロジェクトの企画や推進などをしていて、退職もしたので、今後ローカルかけるキャリアをどうしていこうかなと考えながらやっているところです。
僕はきっかけとしてはPRとかの仕事の方が先に来て、いろんな経緯の中で地域に移住した形ですけど、川島さんは逆に、まちづくりとかそっちの方からいろいろやっていく中でPRに出会ったみたいな。真逆だなというのは聞きながら思いました。
私も思ってました。小林さんのnoteを最近読んだんですけど、PR軸からまた地域へっていう流れだったので、お互い似てるようでちょっと違う点があって面白いのかなと思ったので、その辺も深掘りしていけたらなって思ってます。
組織崩壊の悔しさから出会ったパブリックリレーションズ
ここからは小林さんを深掘りする回。まず大学時代、PRとは真逆に見える「インターナルコミュニケーション」から、パブリックリレーションズという言葉に出会った経緯を語ります。
大学生時代にPR、パブリックリレーションズに出会ったみたいなのがあったと思うんですけど、どういうことを大学生時代にやってて、どういう流れでそのキーワードに出会ったのかっていうのを改めて聞いてみたいなと思いました。
PRとか広報に興味を持つ方って、広告とかそういうものに興味を持つ中で、実はPRっていうものがあるんだって知る人が一番多いんじゃないかなと思うんですけど、僕は全然違うルートというか。組織とかインターナルコミュニケーションから、パブリックリレーションズっていうものがあるんだって知ったんです。
もともと大学生の時に新入生サポートスタッフっていう活動があって。県外から初めて一人暮らしを始めるときって、不安感であったりコミュニティに馴染めるかとか、いろんなハードルがあると思うんですけど、そういうところを支援する活動なんです。僕自身も島根って当時全然行ったこともなかったので不安だったんですけど、そこで出会った先輩のアドバイザーがすごい楽しそうに語ってくれて、活動自体も楽しそうにやってるのを見た時に、自分もこうなりたいなって強く思って。
その活動、新入生が来る時には生活用品とか物件、共済とか食生活とか、あらゆる基礎知識を一人で話せるようになっていて、親御さんと新入生をちゃんと案内しきる力が求められるので、研修も毎週一日がかりであって。知識を入れた後にロールプレイを何時間かやって、合格して本番に向かうみたいな。スタッフの採用とかも自分たちでやってて、百人規模の学生がいてみたいな、結構ハードな活動で。
楽しいのはもちろんなんだけど、その意義を持ってないと途中で辞めますとか、スタッフ同士の意見の食い違いとか、リーダーになってからそういうのにすごい直面して。頑張って集めたけどフィットしなくて途中で離れていった人がいたり、一緒に頑張ろうって始めたのに空中分解していくとか。その時に、なぜこの活動をやるのか、自分たちが追求しないといけないことをどう認識統一していくか、活動としての文化みたいなものをどう作っていくのか、そういうことがすごい求められるなって思って。
そこがしっかり土台ができると、実際に新入生に関わった時にいい体験を提供できて、共感する仲間が入ってくるっていう、人を軸としたサイクルがあるなとモヤモヤ考えてる時に、たまたま大学の近くの本屋さんで、そういうことについて書いてる本を見つけて。読んだら、あの、そういうのをパブリックリレーションズと言いますと書いてあったので、こういう世界があるんだと思って。将来の仕事もそっちに進もうと思ったんです。ただ、就職の時に説明するのめちゃめちゃ難しくて。
情報発信とかそういうニュアンスは後々出てくるんですけど、一番は一緒に活動してる人たちの気持ちとか一体感、そのカルチャーみたいなものを、どう自然と広がっていくような仕掛けや仕組みを作れるか。それが自分の中での根幹としてはありました。
最初は先輩がかっこよく見えてってところだったと思うんですけど、いざ入って大変だった中でも、小林さんがブレなかった、もっと改善したいって思ってた、そこにあったものって、元々そういうタイプだったのか気になったんですけど、どうですか。
純粋に自分は楽しかったからっていうのと、人には恵まれてるなと思ってたので。一緒にリーダーとしてやってる同級生、先輩後輩、いいメンバーがたくさんいるなと。だからこそ、うまく噛み合わずに離れていったりとか、本当はこういうことができたらよかったのに諦めちゃったりとか、そういうのが結構悔しかったっていうのはあるのかなと思ってます。
いろいろ模索しながらやってて、これは就活でもビフォーアフター聞いちゃうんですけど、結果変わったりとか、良くなった傾向はあったんですか?
そこが多分やりきれなかった部分はすごくあるなと思って。四年間しか関われない中でできることって思ったほど多くはないんだなというか。そんなに単純に何かやったから変わることではない。本当に奔走し続けて、時間かけてやり続けていくものだなというのは感じながら卒業しました。もう10年以上前なので。
PRを学ぶなら東京しかない。就活と新人時代の足腰づくり
学生時代の気づきから、PRを学ぶために東京を目指した就活、そして新人時代に鍛えられた日々を振り返ります。
そこから小林さんは都内に出るっていう就活で選択をすると思うんですけど、その時の就活の進め方だったり、どういうふうにやってたのかも知りたいです。
PR会社っていうのがあるんだと大学3年生ぐらいの時に知ったんですけど、当時は事業会社の広報って、大きな会社のジョブローテーションの一環の一つですみたいな感じで、そこを目指して就職するものでもなかったんです。それでPR会社っていう専門で支援する会社があると知ったので、島根県にいながらPR会社だけを進もうとしている、ちょっと変わった就活生が誕生したっていう。
その時はもうPR会社が一番大きな軸だったんですか?地元に戻って就職とかはあんまり考えなかったんですか?
そうですね。パブリックリレーションズを学びたいっていう意思が一番強かったので。いわゆるメディアリレーションズ、メディアに露出していきながらメッセージを伝えていくみたいなことって、やっぱり東京の仕事だったので、もうそこに行くしかないでしょうという頭で就活してました。
元々入りがインターナルのところだったじゃないですか。でもメディアリレーションズとか他のコミュニケーション手段もあるって知った時に、そこは違うっていうより全部好きというか、興味を持った感じだったんですか?
そうですね。最初インターナル視点ではあったんですけど、第三者を巻き込むみたいなことも、視点としてなるほどなあって当時思った記憶があって。PRであれば何でも、とりあえず学べることを学んでいこうっていう感じでしたね。
そこからPR会社に無事就職したところで、都内ではどんな経験を積んできたのかも聞いてみたいんですけど。
就職してからは、商品広報というかマーケティングPRというか、日用品メーカーさんの商品だったり、多かったのは製薬会社さん、医療とかヘルスケア系のお仕事が結構多かったんですけど、対メディア、新聞社、テレビ局とか、オーソドックスにマスメディアにどう取り上げてもらうのかっていう仕事をやっていて。メディアの方々を呼んでの勉強会、セミナー、プレスリリースの配信、各記者にアプローチして掲載につなげていくみたいな、本当に足腰を鍛えるようなところを。
朝出社したらまず新聞を読んでみたいな、うっすら聞いた記憶があるんですけど。
だいたい五大紙、朝日、毎日、読売、日経、産経とか、業界紙とか専門紙の最新号が全部あるので、新卒の最初の頃は、朝出社したらその各新聞を読んで、今やってる仕事に関連しそうなトピックをピックアップしたり、自分の視点でこういう切り口、表現が面白いと思いましたみたいなものを部署の人にメールでレポートするみたいなのをひたすらやってた時期がありました。
最初は刺さってるか刺さってないかもわかんないぐらいから始まるんですけど、しばらくやってると、同じ部署のメンバーからメールで返信が返ってくるようになって。部会の中で、この間のメールのこれがみたいな話題に上がったりとか、そういう反応をもらえると、あ、ちょっとわかるようになってきたのかなって、自分の視点が磨かれていってる感覚を感じながらやってました。
実際入ってみても、シンプルに楽しかったですか?興味あった業界に入って。
今までいた自分の世界と全然違うところにいるなみたいな感覚はあったんですけど。裏方の仕事ではあるんで、自分がなんとなく見てたテレビとかメディアの裏側でこういうことやってる人がいるんだとか。アイスだったら本当にギリギリまで待って一番いい状態で撮ってもらうとか、ちょっとしたところにも気を揉みながらやってる人たちがいるんだなっていうのは、実際に現場を見るとすごい発見でした。自分はそういう仕事を選んでいるんだっていうのが、目の当たりにするとハッとするなというのを覚えてますね。
クローゼットでの会議から、愛媛への移住へ
新人時代を経て、コーポレートPRを求めて転職し、コロナ禍のなかで愛媛・今治への移住を決めるまでを語ります。
2018年に一度転職したんですけど、一番の理由は、マーケティングPRだけじゃなくてコーポレートPRっていう軸でもう少し自分なりに何かやってみたいということがあって。広報の仕事がすごく拡張しているような感覚を当時受けていたので、そこを広げていきたいなというので転職しました。
その後地方に移住するところは、一番はコロナの中で、ちょうど二人目の子供が生まれたタイミングと重なって、なかなか厳しいねというところがあって。頼るところもなかなかないし、家の中に閉じ込められ、一時期ほんとクローゼットの中でオンラインミーティング出るみたいな。
居場所が。いましたよね、結構追いやられて。玄関でオンラインミーティングしてる人とか。
今日クローゼットっすねみたいな。そういうのを経る中で、環境を変えたいねというところがありつつ、僕個人のキャリアで言うと、もともと地方に住んでいて、PRって東京の仕事なんだなと思いながら東京に行った身として、それを持って帰って地域のために何か展開できるんじゃないかなって感じていて。きっかけはプライベートから始まってるんですけど、自分の経験をどう地域のために生かしていくのかっていうのがやってみたいことだなと思ったので、そのタイミングで転職も合わせてしました。
これまでの経験を地方でも生かして何かできないかっていうのを考えるようになったのは、そのタイミングってことなんですか?ベースがなんかそういうことをうっすら思ってたのか、どうなのかな。
戻ることはあるかもねっていうのはあったんですけど、あまり現実的なものとしては考えてなくて。外部要因的なきっかけがすごい後押しになったなと思ってます。
そこから東京から今治市に移住されたと思うんですけど、どこに転職されたんですか?
本社は松山市にある百年弱ぐらいの歴史のある印刷会社さんなんですけど、印刷の需要が下がっていく中で、ブランディングとかウェブサイト制作、いろんな事務局事業、ふるさと納税やECサイト運営の支援とか、手広く広げていってる会社さんに、たまたま話を聞く中でフィットしたから採用いただいて。当時はお互い自分が何を提供できるかもわかってないし、向こうもこの人がどうフィットするか半分わかってなかったと思うんですけど、新しいことをやらないといけないよねっていう中で、いいマッチングがあったんだろうなと。そこで二年半ぐらい働いてました。
仕事としては、ウェブサイト制作のディレクションとか、ウェブ広告周りのこととか、制作寄りのことの幅を広げていって。今の仕事になってるようなウェブサイト周りのこと、分析解析系とか、そういうところを自分の中で身につけていった部分だなと思ってますね。
営業と制作の間にある「名もなき仕事」
印刷会社時代、小林さんは営業でも制作でもない、その間の役割を担っていました。ふわっとした相談ほど力を発揮できたと言います。
会社としては営業と制作、すごいわかりやすいじゃないですか。仕事を取ってくる人がいて、じゃあこれ作ってって言われて作る人がいて。僕はその間ぐらいに位置する、どっちでもない人みたいな感じで。こういうキャンペーンをやってウェブサイトも作るし広告配信もするし、コンテンツも作らないといけないですみたいな複合的な仕事の時に、全体のロードマップを引いたり、どういう順番で組み合わせると効果的なのかとか、包括的な提案とか、そういうところがフィットする部分でした。
要件定義ガチガチじゃない、ちょっとふわっとした相談なんだけどみたいなやつの方が、逆にじゃあこういうこと多分できると思うんで、ちょっと作りますねみたいな。
受け入れ態勢というか、カルチャー的にはふわっとしてるけど、小林さんが言ったことに対してはいいよみたいな、そういうカルチャーだったのも良かったのかなって、今聞いてて思ったんですけど。
多分扱いにくさはあったのかなと思うんですけど。でも僕も自分のやりたいことをやるだけっていうわけじゃなく、今求められてることで成果を上げていくみたいな積み重ねもしていきながら、じゃあちょっとこういうのやってみましょうかみたいな、プラスアルファ的なこともやったりとか、ステップを踏みながら。お互いの求めてるものと提供できるものをすり合わせていった感覚は感じてましたね。
一個一個成果を出していったから信頼もされて、受け入れてくれる感じになったってことですね。
まあこれ完全に僕視点なんで全然。
なぜ会社を立ち上げたのか。地域に受け皿をつくる
二年半の勤務を経て、小林さんは会社を設立します。その動機は「10年前の自分が選びたかった会社を、地域につくる」という思いでした。
そこからまさかの会社設立と。最初私も聞いてびっくりしたんですけれども、どういう気持ちの変化があってその選択に至ったのか、ちゃんと聞いたことがなかったので、聞いてみたいなと。
自分の中でもうちょっと自分なりに何か試してみてもいいのかなと考えるようになっていて。地域に移住するときは独立しようとか全然考えてなくて、いい仕事ができればいいなっていうところだったんですけど。PRとかコミュニケーションみたいな領域で仕事ができる人がもっと増えたらすごいいいことだなと思うようになって。
自分自身が大学生の時に、こういう仕事をするなら東京なんですね、わかりましたみたいな経験をしてるので、もしその頃に身近なところに、ここだったらこういう経験できる、すごいいいみたいなところがあったら、多分そこで働きたいって思っただろうなと。自分がせっかく地域に戻ってきて働く上では、自分と近しい興味とか関心を持ってる人たちにとっての新しい受け皿を作っていくこと、そこはすごい自分がやる意味があることだなと思ったので、それが会社にするモチベーション、動機になりました。
僕自身は別に会社員でもいいというか、より良い仕事ができることがすごくいいことだと思ってるので、わざわざ自分で会社作って大変な目に遭わなくても、いいお仕事が来る環境で自分のいいタイミングでバッターボックスに入って点数を取っていくみたいな方が、個人としては幸せなのかもと思いつつ。そういう新しい受け皿になっていくみたいなことは、自分がやる意義があることだなと感じたのが動機の部分ですね。
別に会社員でもいいっていうのがある中で、最後の一押しみたいになったことはあったんですか?
これが決め手っていうのはそんなにないんです。パキッと決めて始めましたというより、ふわっとまあ会社にしようかみたいなところもあったんで。後付けって言われたら後付けかもしれないんですけど、でも今はすごい自分の中でそういうモチベーションを持ってやってますって明確に言えるように、ほんと最近なりましたね。
会社員としてやっていく中で、もうちょっとできることあるかもみたいなのも出てきたと思うんですけど、働きながらどういうことでそう思ったのかも聞いてみたいと思ってました。
自分たちのところに相談が来た時点で、もっと前の段階から相談くれてもいいのにというか。ここまで進んでいったらもうこうするしかないですよねみたいなことがあったり、もっと上流の、より頼ってもらうポジションになっていけないかみたいなことは感じる瞬間はあったかもしれないですね。
もう商品これ発売するんですって言われたら、もうそれまでというか。これからこういう商品を開発していこうと思ってますみたいな段階からコミュニケーションの分野で入っていくと、できることってすごい増えていくんです。だけれど、もう発売するんで、あとリリースだけよろしくねだと、できることって本当に限られてる。そこがお仕事の流れというか、自分たちのアウトプットのクオリティを左右する要素になるんだなっていうのはすごく感じますね。
企画百貨がやっていること。地域から話題を作る
最後に、現在の会社「企画百貨」でどんな仕事をしているのか、そしてこれからの意気込みを聞きます。
企画百貨という会社を立ち上げられて、今どんなことを主に支援として提供しているのか、どういうお客さんとどういうことをやってるのか、聞いてる人も聞きたいのかなと思うので、教えてもらえたらなと。
会社としては広報系の伴走支援が一番多い領域で、メディアを誘致するオーソドックスなところはもちろん、とはいえネタが常々あるわけでもないので、コンテンツの制作、記事や動画を作ったりとか、制作の領域も幅広くやっていますね。何が強みですというより、それぞれのお客さんの課題に対して今やっていくべきことを整理するところから入るので、どのお客さんにもこれですというよりは、オーダーメイドでご提案させていただくのがベースになってます。
あと、今治経済新聞というウェブのニュースメディアをやっていて、2024年3月からなので一年半ぐらい。地元のいろんなローカルの情報を発信していくメディアなんですけど、企画百貨という社名に込めた思いと通ずるところがあって。地域から話題を作っていきたいと思っていて、それが結果的に人を呼んだりいろんなポジティブな効果を生む。そこに一番必要なのは企画だと思っていて、ここだからあるものというか、地域独自の価値を磨き上げていく、ハッとする切り口で興味を持ってもらう、そういう企画をしっかり販売していく会社にしていきたいなと思ってます。
私もあんまり今治のことについて触れる機会が少なかったんですけど、バリ系のインスタグラムかなりファンで見させてもらってて。現場にある情報を知るってだけでもそうですし、見せ方を変えたり切り口を変えてより興味を持つっていうのを、離れた地域ですけど一ファンとして感じてるので、これからどういう企業さんや地域の方とコラボが生まれていくのか、個人的にもめちゃめちゃ楽しみだなって思ってます。
ちなみに今はどういう方々とお仕事をされていて、どういう相談が多いんですか。
今は東京の仕事と地域の仕事と半々ぐらいで運営していて、東京とのつながりを持ち続けた方が、地域の情報をより届けたり、いろんなナレッジを吸収しながら地域に還元していくバランスが取れるなと思っていて。意図してというより結果的にそうなってますっていうぐらいなんですけど。企業とか学校とか社会福祉法人さんとか、バリエーションは本当にいろいろで。東京にいた時は専門の部署みたいな感じでしたけど、こっちは幅広く雑多にやっていきながら、それぞれのやるべきことを見極めていくニュアンスが強い気がします。
会社設立してちょうど期が終わる頃って伺ったんですけれども、これからの意気込みだったり、こんな人とこんな仕事ができたらいいなとか、今時点での思いを最後聞いて終わりにできたらと思います。
会社員から自分で会社を立ち上げてやっていくようになって一番変わったのは、もう本当に自分の意思とか行動次第だなというところで。どんな人たちとも繋がろうと思えば繋がれるかもしれない中で、いろんなところとのつながりを作っていきたいなと。愛媛県今治市に拠点はあるものの、今治や愛媛の仕事だけしかしませんっていうわけでもなく、他の地域から学べることもたくさんあるし、逆に自分たちのエリアで起きていることを他の土地につないでいくこともできるのかなと思っているので。いろんなところとの接点が増えて、お互い学び合いながらそういう機会を作っていけたらいいなと思ってます。
改めて聞くと、大学時代から今に至るまで一貫性があったり、当時思ってたことを今実現してるなというところとか、繋がりがあってすごく面白かったですし、選択の仕方もすごく参考になる部分が個人的にあったので、ここからいろんなテーマでお話できたら嬉しいなって楽しみになりました。小林さんどうでしたか?
喋ってみると、確かにそういうこと思ってたなみたいなことが、自分自身の振り返りにもなったなというところと、こういう話をする中で気づきとか、次こんなことやってみようかもみたいなことが繋がるなと思ったので。地域で一人で頑張ってますみたいな気持ちもあって、そういう人たちとうまく交流していけたらいいなっていうのを改めて感じました。
いつかゲストとか来てもらえたら嬉しいですよね。皆さんいつもこんな感じでオンラインで繋いで、今日はすごい私が深掘ってしまいましたけど、ゆるく話しているので、こんな感じでこれから続けていければと思います。
まとめ
第1回は、パーソナリティの小林祐太さんのキャリアを深掘りしました。島根での学生活動で組織づくりの難しさに直面し、パブリックリレーションズという言葉に出会ったこと。学びのために東京へ出て足腰を鍛え、コロナ禍を機に愛媛・今治へ移住したこと。そして「10年前の自分が選びたかった会社を、地域につくる」という思いから独立に至ったことが語られました。地域から話題を作るという企画百貨の姿勢は、学生時代の原体験と一本の線でつながっています。
- 小林さんのPRの入り口は、広告ではなく組織のインターナルコミュニケーションだった
- 「PRを学ぶなら東京しかない」という当時の経験が、地域に受け皿を作る動機になっている
- 営業でも制作でもない「間の仕事」が、包括的な提案という強みにつながった
- 発売直前ではなく開発段階から関わることで、PRができることは大きく広がる
- 地域から話題を作る鍵は「ここだからあるもの」を磨く企画にある
