「らしさ」を言葉にすると、本質は失われるのか
後編のテーマは、組織の「らしさ」をどう形づくるかです。宇尾野さんはまず、渡邉さんの中で「らしさ」という言葉がどんな意味を持つのかを尋ねます。
(組織の)らしさっていう言葉、本当何回も前回出てたなと思うんですけど、渡辺さんの中でこのらしさっていうものがどういう意味を持つか。
渡邉さんは、組織を作ることは「らしさが保たれる、少しずつ変わる、それを一人一人が自覚する」ことにつながるかもしれないと応じます。そのうえで、「らしさ」を言語化・ビジュアル化する仕事は多い一方で、それをやらない方がいいという人にも多く出会ってきたと話します。
言語化をためらう人の懸念は、強い言葉にした瞬間にスローガン化して中身が抜けたり、言葉で表せない部分が取りこぼされて本質が失われるのではないか、というものです。渡邉さんはこの懸念を「半分わかる」と言います。
パーパスみたいなものを、すごい強い言葉で言うことによって、受け手が受動的になっちゃうとか、指示みたいに聞こえちゃうと共鳴できないとかっていうことに陥るんだったら、その懸念は正しい部分あるかも。
言語化から逃げないことが議論を前に進める
懸念を認めつつも、渡邉さんの結論は明確です。根本的には言葉やビジュアルにした方がいい、というものでした。
渡邉さんは、映画や食事のあとに「ゆっくり言語化したいから待って」と言う友人を例に挙げます。尊重したい気持ちはあるものの、次に会ってもまだ言葉にならないなら、それは言語化しているのではなく、言語化から逃げているだけではないか、と問いかけます。
大事なのは、最初から正しく言い当てることではないと渡邉さんは言います。少しでも言語化を試みることで、何が違うのかという議論が捗り、解像度の高い議論に進めるからです。
最初から合ってることはない。(言語化することで)何が違うのかっていうのの議論が捗る。
最後まで本質にたどり着かなくても、9割や9割5分正しいところまで肉薄することは可能で、残りはアクションで示したり話し合い続けたりする方が建設的だ、というのが渡邉さんの考えです。何も言語化しないのは「ボスの怠慢」だとも述べます。
ボスの心読める人いないんで、そしたらみんなが本当にバラバラなまま終わっちゃって、(大事な)意思決定のところで、結局石材になる判断基準がないまま終わっちゃう。
掛け声だけでは動かない。「らしさ」を制度で後押しする
宇尾野さんは、リーダーが語る「らしさ」と現場で実際に起きている「らしさ」がずれるケースに話を向けます。特に急成長時や代替わりの局面で、リーダーの「こうあってほしい」という思いが強く、実態が伴わない状態が起こりうる、と指摘します。
渡邉さんは、これはよくあるパターンだと応じます。「もっと勉強してほしい」と言っても忙しくて時間がない、「仕事の外で得たものを生かしてほしい」と言う一方で「仕事で得た内容は守秘だから外に出すな」と言えば、社員は搾取されているように感じかねません。
掛け声と実際が伴うか、その掛け声がフェアか、実現可能かという複数の問題があると渡邉さんは整理します。そのうえで解決策の一つとして挙げたのが、号令だけでなく制度で後押しするという考え方です。
号令だけかけても始まらない。(Takramでは)人生をかけて学び続けようっていうバリューがある中の一個が学び続けるってやつなんですよ。
Takramには3つほどのバリューがあり、その一つが「学び続ける」です。「学び」は誰でも口にしますが、Takramではそれを支える制度を数多く作っている点が特徴だと渡邉さんは話します。
書籍については、業務に直接関係するビジネス書に限らず、論語や小説、漫画も対象です。本人が業務に役立つとロジックとして説明できればウェルカムだといいます。約70人の組織のため自社研修を多く作る体制はなく、社外の制度を活用してもらう方針だと補足されました。
選ばれる制度にする鍵は「周りの面白い仕事ぶり」
宇尾野さんは、制度や枠を用意しても本人が選ばないというシチュエーションも実態としてあり得ると指摘し、より滑らかに活用される組織をどう作るかを尋ねます。
渡邉さんの答えは、周りの面白い仕事ぶりがどれだけ見えるかでした。面白いチームが良いものを作っていれば、あんなふうになりたい、学びたいという気持ちが自然に生まれる、という考え方です。
周りの面白い仕事ぶりがどれだけ見えるかってことだと思ってて。かっこいいな、学びたいなってなると思うんですよ。
誰かが読んでいる本に興味を持って、同じ本が次々に購入されることもあるといいます。Takramでは購入した本を会社の資産として扱わず、賞与でお金を返して個人の所有物にするため、本を会社に置かなくてよい形にしていると説明されました。
Takramでは、プロジェクトディレクターが仕事を取ってきて社内の人を声掛けでリクルーティングします。面白い仕事をやれる人や相性のいい人はすぐに埋まるため、一人一人が学んで新しいものを身につけるモチベーションが高まる、という構造です。
渡邉さんは、生成AIの使いこなしを例に、「あの人はうまく使っている、学びたい」という感覚を前向きなピアプレッシャーとして捉えます。ノウハウを自分だけで囲えば成長も止まり、その人がいなくなったときに困るため、分け与えられるインセンティブが組織に組み込まれているかが大事だと述べます。
疑心暗鬼で自分でノウハウを囲うみたいになったら意味ないじゃないですか。(ノウハウを)分け与えられるようなルールそのもの、そういうインセンティブが組織の中に入ってるかってのが大事。
「らしさ」が強すぎると、多様性は失われないか
宇尾野さんは視点を変え、「らしさ」が強調され続けると居心地の悪さが生まれ、前回話題になった「誤読」もしづらくなるのではないか、と問いかけます。会社らしい人が表彰されるほど、そうなれない人が取り残されると感じてしまう懸念です。
(会社らしい人が表彰されると)その人みたいにちょっとすぐにはなれないとか、自分が取り残されたりとか、色の濃さにまだ適応できてない人たちの橋渡しみたいなところが弱くなるのかな。
渡邉さんは、組織によると前置きします。ひとつの色に濃くなっていきたい組織もあれば、十人十色の方がいいという組織もあり、生き物としての組織をどちらへ向けたいかの問題だ、というのです。
Takramは十人十色側だといいます。組織の枠にみんながはまってほしくなく、新しい人が入って組織全体の輪郭が拡張される方が新しいことができる、という価値観です。
新しい人が入ってきたら組織全体の輪郭が拡張されたっていう方が新しいことできるじゃんって。
最近の例として、映像やスチル写真の専門家に入ってもらったことが挙げられました。それまでなかった職種のため、働き方や必要な機材をゼロから考えることになります。同じ仕事を繰り返すより、人が増えることで新しいチャレンジが増える方がいい、という組織では十人十色が心地よい、と渡邉さんは話します。
そのうえで渡邉さんは、組織の中で濃くなる方向は一つでなくていいと言います。5分の1の人はこの方向で、残りは別の方向で濃くなれる、という複数ルートがあり得るという考え方です。
言葉は発話されるたびに「新しい水」を得る
渡邉さんは、多様性を保つもう一つの鍵として、言語化されたミッションが単なる号令のリピートにならないことを挙げます。一人一人がそこに命を吹き込めるかが問われる、というのです。
その説明で引かれたのが、現代音楽家・武満徹の言葉でした。
渡邉さんはこれを植物のメタファーとして捉えます。言葉は単体で存在するのではなく、誰かの口から発話され、その人の実体験や実感を孕むことで生き生きしていく、という見方です。
制度や言葉、「らしさ」があるとき、一人一人が自分の実感を込めて語り直すことでやっと意味が出てくる、と渡邉さんは言います。自分に合わないと感じれば組織が嫌な方向に濃くなっていると乖離するため、自分の解釈も一つのあり方だと受け止められる懐が組織にあるかが問われると述べます。
誤読はしていい。ただし事実誤認とは違う
宇尾野さんは、行動基準を示す「バリュー」が、時に広がりを抑制する機能にもなり得ると指摘します。一方でバリューを誤読して解釈を広げすぎると、バリュー自体が機能しなくなる可能性もあり、どこまで誤読していいのかは難しい、と問いを重ねます。
どこまでが誤読していいのかっていうことの、その枠組みの決め方とか、それを設計する人事とか経営者の皆さんがどういうふうに捉えるのか。
渡邉さんは、この問題には2つのレイヤーがあると答えます。1つ目は、誤読は事実誤認ではない、という点です。
書いてあることを自分なりに水を与え、こういう花の咲かせ方があると解釈するのが「誤読」であり、書いていないことをでっち上げるのとは真逆だと渡邉さんは説明します。
書いてある言葉を自分なりの意味合いで受け取り、実際に活かす。限られた言葉に水を与え、新しい花の咲かせ方を見つける解釈
書いてないことを勝手にでっち上げること。間違ったレッテルで解釈を変えてしまう、誤読とは真逆の行為
2つ目のレイヤーは、現場から新しいバリューが生まれうる、という点です。渡邉さんは、経営者が常に耳をそばだて、現場に質問していくことが大事だと言います。面白い制度は精度を増やし、使われていないものはやめていく引き算を繰り返す、という考え方です。
そうした新陳代謝があってよく、時代とともにバリューが変わっていくのは自然なことだ、と渡邉さんはまとめます。
制度をやめる勇気。引き算の難しさ
宇尾野さんは、新しいバリューをどう検知し続けるかに加え、引き算のあり方についても尋ねます。生まれた「らしさ」や制度のうち、どこを引いてどこを残すかの基準を問う質問です。
渡邉さんの答えはシンプルでした。使われていなければなくしていい、というものです。ただし、制度を整備する側の業務負担が増えると機能しなくなるため、バリューを体現できているか、直結するかを点検し続けることが大事だといいます。
制度を使う人・使わない人それぞれにヒアリングし、効果を検証する。渡邉さんはこれを割とシンプルな話だとしつつ、本当に難しいのは別のところにあると指摘します。
(大事なのは)制度をやめる勇気があるかっていうことの方が大事な気がします。引き算の方が難しい時がある。
宇尾野さんは、何かをやめることは個人の生活や価値観に強く紐付いており、引くことの難しさや恐怖が特に経営者にはあるだろう、と応じます。渡邉さんは、経営者にはそうした勘所が高い人が多く、新しいものに注目し古いものを切り捨てられる人が良い経営をするイメージがある、と述べました。
AI時代に残る仕事は、信頼と経験に支えられる
話題は、コンテクストデザイナーとしての仕事全体へ広がります。渡邉さんは、北里大学北里病院のような大企業から、社員が一人しかいない工場、一冊だけの本屋まで、規模を問わず「らしさ」の言語化を手がけていると話します。
宇尾野さんが、今の経済環境ならではの変化を尋ねると、渡邉さんは組織運営や企業ブランド全体の話に近づくとしつつ、生成AIの影響に触れます。AIがさまざまな作業を代替する中で、デザインの仕事をする自分たちは、経営者の話を聞けるパートナーになれるかが大事だと述べます。
実際に企業のアドバイザリーの仕事は多く、食事をしながら経営者の悩みを聞き、こういう方法もあるかもしれないと提案するブレスト・壁打ち役になるといいます。相手がAIを使いこなす前提でも、信頼できる人間の話し相手や実務経験のある人には価値がある、というのです。
簡単な仕事や中間層の仕事はAIに置き換わっていく一方、信頼関係と経験に支えられた仕事は残る、と渡邉さんは見ています。逆に、これから社会人になる人は経験を積む場数を踏みづらいことが大きなチャレンジになりうる、とも指摘しました。
さらに渡邉さんは、AIを使えば人と答えが同じになるため、企業として同じことをやっても価値が出せない、と付け加えます。AIで武装しているだけでは勝負にならない可能性がある、というのです。
なぜ「らしさ」は自分たちだけでは言語化できないのか
宇尾野さんは、渡邉さんやTakramが「らしさ」の言語化で提供する価値がどこにあるのかを尋ねます。渡邉さんは、一般論としての言語化と、自分やTakramらしいアプローチの2段階に分けて答えます。
一般論として渡邉さんが挙げたのは、第三者がいないと「らしさ」は言語化できないという当たり前の事実です。自社でやろうとする人は多いものの、組織が大きくなり時間が経つほど、ほぼ不可能になっていくといいます。
自分たちがあるカルチャーに染まっているから、自分たちのことを客観的に言葉にできない。自分たちが常識だと思っていることが、外からは実は非常識であるってことの方が多い。
その例として、他社のブランディングを手がける数千人規模のコンサルティングファームでさえ、自社のミッションの言語化は第三者の視点がないとわからないとしてTakramに声を掛けてくる、というエピソードが語られました。
渡邉さんは、社内会議のファシリテーションに社外の人を呼ぶといいます。立場関係や過去のやりとりに引っ張られる会話を避けるためです。「これ俺たちにとって当たり前でしょ」という言語化の省略を絶対にせず、なぜなのかを言葉にしてもらう。省略される部分こそが一番大事だからだ、と説明されました。
言葉が出てくる「プロセスのデザイン」が価値になる
数十人から数百人規模のインタビューはどの会社もやる、と渡邉さんは言います。そこから先は具体的なプロセスの差や相性になるといいます。Takram内でもプロジェクトディレクターごとに得意分野が異なると説明されました。
渡邉さん自身は、変化を起こそうとしている只中にいる人、ロジックだけでなくクリエイティブの側面も面白がり、会話自体に価値を感じてもらえる人と相性がいいといいます。例えばコンサル系の組織で、ミッションを表す最も面白いメタファーにお互い気づいた瞬間に「これで行こう」と決まった経験を挙げました。
ビオトープで行こうとかなんか決まったんですけれども、ちょっと遠回りをしてでも、メタファーによっての方が自分たちがうまく言語化できるっていうのにたどり着ける。
宇尾野さんは、お互いの感性の響き合いがどれくらいできるかが大事で、見極めが難しいと応じます。渡邉さん自身は日本文化や茶道の引き出しがあるため、そうした系統の企業の人と関わることが多いといいます。
宇尾野さんは、「らしさ」の言語化にはパターン化された部分もあるが、最後は言葉がちゃんと出てくるかどうかのプロセスのデザインという、クリエイティビティの高い領域が大事だと感じたとまとめます。
その一例として、北里大学北里病院のスローガン言語化とロゴの作り替えでは、全プロセスを一般公開したと渡邉さんは紹介します。ブログを立ち上げ、キャンパス内のアンケート結果や、変化を望む人の割合、ロゴのボツ案までを外に出したといいます。
これコンペで数十社の中でたくらむ選んでもらった結果だったんですけど、コンペで争ってた人たちが結構見に来てましたね。
宇尾野さんは、「らしさ」を作りたいが方法に悩む人は多いとして、渡邉さんの感性に近い人はぜひ連絡してほしいと呼びかけ、続きは次回に、と締めくくりました。
まとめ
この回で渡邉さんが一貫して語ったのは、組織の「らしさ」は完璧に言い当てられなくても言語化を試み続けるべきで、それは第三者の視点と、誤読を許す懐によって耕されていく、ということでした。
- 「らしさ」は完璧に言い当てられなくても、言語化を試み続けることで議論が前に進む。何も言葉にしないのは「ボスの怠慢」
- 号令だけでは動かない。学びを制度で後押しし、周りの面白い仕事ぶりが見える環境が、選ばれる文化を作る
- 誤読は事実誤認とは違う。書いてある言葉に自分の実感で水を与える解釈は歓迎し、新しいバリューは引き算とセットで新陳代謝させる
- AI時代に残るのは、信頼関係と経験に支えられた仕事。答えが同じになるAI武装だけでは価値を出せない
- 「らしさ」は自分たちだけでは言語化できない。第三者の視点と、言葉が出てくるプロセスのデザインが価値になる





