自分らしさとは何か。外から見たらしさと自己認識のらしさ
第3回のテーマは「自分らしい経営とは何か」です。宇尾野さんは、どんな組織を作りたいかを考えるとき、自分らしさや自分が関わっている意味を考えてほしいと切り出します。
そもそも「らしさ」とは何か。この大きな問いに対して、為末さんはまず2つに分けて整理します。
2つありますよね。自己認識におけるらしさですよね。これは人間だけが持ち合わせてるんじゃないかと私は思うんですけど、自分らしさってこれだなという自己認識ですね。
他方で外から見た時に「何々らしいね」というふうに言うことがあって、それは他の生物も思うんだろうと思うんですね。
為末さんによれば、外から見たらしさは分かりやすいといいます。ある程度共通したパターンや特徴を見分けて、それが共通しているものを「らしい」と整理しているからです。
一方で、難しいのは自己認識するらしさのほうだと為末さんは指摘します。自分で自由に設定できるがゆえに、扱いが厄介だからです。
外とあまりにもずれてるとちょっとそれに耐えられなくなるし、一方で完全に決めきっちゃうと、人間って環境とともに変化すると思うんで、組織もですね。
ある時に決めたらしさに固執すると、環境が変わっているのに自己認識がずれてしまう。外とのずれと、決めきることのどちらにも危うさがあるというのが為末さんの見立てです。
リスクを取るか取らないか。まずは大まかなタイプ分けから
変化の時代に、自分や組織のらしさをどう解き直すか。モヤモヤした状態からの一歩目について、為末さんは意外にも「人の間にそれほど大きな違いはない」という前提から話します。
バクっと人間百タイプぐらい、もっと少ないかもな、二十タイプぐらいのうちのどのタイプかなぐらいでまずはいいような気がするんですけど。
ただし、同じタイプでも人それぞれ環境が違います。その中でAかBかの判断を人生で繰り返していくうちに、出だしは20個ほどでも、結果として最後には唯一無二になっていくのが人間だと為末さんは言います。
経験を経てユニークになった自分を、いきなり高い解像度で見るのは大変です。だからこそ、まずはざっくりとした分類から始めるのが現実的だと為末さんは話します。
まずはでもまあざっくりと、自分はリスク取りたいタイプかな、取りたくないタイプかなとか、そういうふうにまずは分類をしていって。
為末さん自身は従順で、しかも扱いにくい
では為末さん自身は、組織の中でどんなタイプなのでしょうか。宇尾野さんの問いに、為末さんは「まあまあ従順なタイプ」だと答えます。
そんなに組織の大きな流れに逆らうことは(しない)。
ところが、逆から見ると扱いにくいだろうとも為末さんは付け加えます。心の底からは染まりきらない感覚があるからです。
その心の底からは染まんなそうだな、こいつみたいな感じが。まあが故にどこでもうまくやっていけるじゃないですか。
染まりきってしまうと別の組織では難しくなる。逆に芯まで変わりきらないからこそ、どこに行っても大体うまくやっていけるというのが為末さんの自己認識です。
組織のらしさを、どこまでグリップするか
そんな為末さんが組織を作るとき、どうあってほしいと考えるのか。宇尾野さんの問いに対し、為末さんは自分の基準ではあえて強めにらしさを打ち出す必要があると答えます。
かなり自分の基準ではかなり強めにらしさを打ち出さないといけない。そしてみんなにそれを共有するっていうんですかね。俺たちはこれでいこうみたいな。
自由にどうぞという感じが強すぎると、メンバーは「自分たちは何なのか」「どこに向かうのか」がふわっとしてしまう。ここで為末さんは、これを「グリップの加減のチューニング」と表現します。
何に対して誰をどこまでグリップするかっていう加減のチューニングな気がするんですね。
ビジョンやミッションを明確にしてギュッとグリップすれば、個人が自由に変わる余地は小さくなります。逆に緩めると、ビジョンへのコミットメントも緩くなる。どのパラメーターをどのくらいチューニングするかが肝だと為末さんは話します。
為末さん自身は、いろいろなものを緩くチューニングしてしまうため、組織では緩めになってしまったと振り返り、それを弱点だったと語ります。
ラグビーか、アメフトか。スポーツが作るリーダー像
為末さんと宇尾野さんは、互いに組織の在り方を緩めにするタイプだという話で意気投合します。そのルーツとして、収録現場では元々やっていたスポーツの影響が話題に上りました。
為末さんは、監督やリーダーが持つ意思決定の権限の広さが、イギリス発祥かアメリカ発祥かで大きく違うと解説します。
イギリス発祥の一番元にはラグビーで、その次ぐらいがサッカーですね。アメリカ側に来るとベースボールとアメリカンフットボールってのがあって。
為末さんによれば、監督の立ち位置と権限は競技によって段階的に異なります。ラグビーはグラウンドにすら入れず、アメフトでは何をやるかまで統率できるといいます。
グリップの強いアメフトと、各々が自ずと動く自律分散型のラグビー。そこから出てくるリーダーのキャラクターも変わってくると為末さんは言います。
さらに、こうしたチームワークの世界とは別に、一人で自分を探求する陸上競技のような世界があります。為末さんは、そもそも組織にすらいないこの環境が、また違うキャラクターを生むと語ります。
集合とかって言いますもんね、やっぱね。ラグビー出身とか、よしみんな集まれみたいな感じ。絶対陸上ないじゃないですか。そういうシーンが。
名指導者はらしさ全開。小出義雄という例
自分らしさとパフォーマンスの結びつきについて、為末さんは多くの指導者を見てきた経験から語ります。指導者になるためのスキルセットはあるものの、最後に名指導者になった人はらしさが全開だといいます。
最後の名指導者になった人は、もうその人らしさが全開って感じがしますね。
その例として為末さんが挙げるのが、マラソン指導で有名だった小出義雄さんです。小出義雄 ── 高橋尚子選手らを育てた日本のマラソン指導者。選手をのびのびと走らせる指導スタイルで知られる。
我々の時代だと、マラソンで有名だった小出義雄さんとかはだいたい酔っ払ってましたからね。
当時の選手たちはかなりきっちりしていた中で、監督が酔っ払っているという空気は唯一そこだけだった、と為末さんは振り返ります。その空気が選手をのびのびさせたのかもしれないといいます。
一方で、きっちりやる監督もいます。ただ共通するのは、そのスタイルが元々の性格から出てきていることだと為末さんは指摘します。
会社に見ても会社の色がありますよね、らしさがね。口癖もみんな似てくるし、同じ会社にいると。
自分らしさと社会の要請の間で、なぜ揺らぐのか
リーダーがらしさをどこまで出していいのか。社会の「こうあらねば」との間で揺らぐ場面について、為末さんは2つの観点があると整理します。
1つ目は、社会からの要請です。「普通こうだから」という声や、学術的にうまくいく確率が高いとされるパターンとの間で、らしさが揺さぶられます。
自分らしさが実は失敗の原因なんじゃないかって。自分がらしさって思ってるものが。
うまくいっている時は無視できても、苦しくなると「自分のやり方が間違っているのでは」と揺らぐ。しかもこれが行き過ぎると、年齢とともに何を言っても変わらない頑固さになる負の側面もあると為末さんは述べます。
2つ目は、らしさと呼ぶものの中に「価値観の世界」と「スキルの世界」が混在しているという観点です。為末さんは、スキルの世界は案外普遍性を持っていいと考えています。
人間らしさを重視するんだ、うちの会社、だからAIは使わないっていうのは、なんかテクノロジーの世界までらしさをくっつけちゃって、無理やり止めちゃってる感じがするじゃないですか。
価値観をスキルやテクノロジーの領域にまでくっつけて縛ってしまうと、無理が生じる。そこはもう少し柔軟であるべきだというのが為末さんの考えです。
タコの心身問題と、らしさの幅
一貫した自分など、あまりないと考える為末さん。ただし、何かが一貫していないとらしさはなくなるとも言います。その手がかりとして持ち出すのが「タコの心身問題」です。
タコの心身問題っていうのがあるんですよ。これ何かっていうと、タコって自分の体に神経がいろいろ。
為末さんによれば、タコの足は3分の1しか脳に接続されておらず、残りの3分の2は自律的に動きます。指示していないのに勝手に動く体を、タコは何と理解しているのか。これがタコの心身問題です。タコの心身問題 ── タコの神経系の多くが脳から独立して働くことをめぐる、心と身体の関係の問い。ここでは「自己をどこまでと捉えるか」のたとえとして使われている。
環境によってちょっと弱気になる自分がいたり、この環境だと強気になったりっていって、どっちが本当の自分なんだろうってよく問いがちですけど。
為末さんは、人間のらしさもこのくらいの幅を持っていると考えます。だからこそ、「これは大事だ」というらしさはだいぶ小さめにしておくのがよいという結論に至ります。
その先は、成長や環境の変化に柔軟に変えていく。1日の中でも家にいる時と外にいる時で違うくらいの幅がある方が健康的だと為末さんは話します。
一方で、浅い方が自分らしさをボーンとインストールし、どこでもそれを出そうとする人がいると為末さんは感じています。それはある時に決めた自分に縛られている状態だといいます。
鯖から魚へ。アイデンティティを語り直す力
テクノロジーが速く来る時代に「自分たちらしさはどこへ行ったのか」と誰もが考えがちです。宇尾野さんは、周りに合わせているのだと捉え直すと楽になるのではないかと提案します。
これに対し、為末さんは自分は語り直しがまあまあ得意だとした上で、抽象度を上げて捉え直す例として鯖と魚のたとえを持ち出します。
鯖だと思い続けている人は、鯖という前提が飲み込まれた時に苦しくなります。自分がそもそも何であったのかを思い直せる力が鍵だ、というのが為末さんの見立てです。
組織の場合は、それをみんなに語り直せる力になります。テクノロジーが組み込まれる時代に、自分たちがそもそも何から来たのかをもう一度語り直せると、らしさから離れない形でアイデンティティが作り直されると為末さんは言います。
そこの能力は見てると皆さん高いですね。やっぱね、変化に柔軟なリーダーの方って。
語り直しが上手い人は、抱えている矛盾の幅が大きい
語り直しが上手な人と、抵抗感がある人。過去の体験というインプットは変わらないのに、この差はどこから来るのか。宇尾野さんの問いに、為末さんは「抱えている矛盾の幅」という答えを示します。
緩めな言葉で言うと、自分の中に複数の人格があるっていうことなんですけど、強めで言うと抱えてる矛盾の幅が広い人が語り直しが強いんじゃないかって気がしますね。
「絶対に目標達成するんだ」という語りと、「もっと自分の個性を発揮してください」という語り。この両方を内包している人は、どちらの語りもできると為末さんは説明します。
ただし、幅が大きいと「あの人は本当に何者なんだろう」と見えにくくなる。その中で時々垣間見えるらしさがある、というのが為末さんの見立てです。
強い語り以外できなくなっちゃった人は、優しい語りとか寛容の語りがうまくできなくて、それが必要な時代にそこにフィットできない。
宇尾野さんは、幅の大きい人はある人にとってはサイコパスみがあると感じると応じます。為末さんも同意しつつ、それは矛盾の大きさゆえのつかみにくさだろうと述べます。
組織づくりは、人間理解を深める機会
3回にわたる対話の締めくくりとして、宇尾野さんは組織づくりに向き合うリスナーへのメッセージを求めます。為末さんはまず、苦手だった自分の会社のチームづくりに努力したことが良かったと振り返ります。
一番良かった点として為末さんが挙げるのは、人間への理解が進んだことです。
自分が言った一言でこういう受け止め方してちょっと元気なくなっちゃうんだとか、いろんなことを学ぶので。
人間を理解することは普遍的な強みになると為末さんは言います。今AIと向き合う中でも、その経験がすごく効いている感覚があるといいます。
「何々のような組織」。抽象度の高いアナロジーで捉える
もう一つ為末さんが挙げるのは、組織を抽象的に捉える能力です。組織のイメージを具体的に詰めてもよく分からないが、「何々のような組織」というアナロジーなら共有しやすいといいます。
まさにこの美味しいとかですね、こういうある抽象度の高いアナロジーで組織をイメージできた方がみんなが共有しやすいし、指針になりやすいんじゃないか。
為末さんは、これはリベラルアーツ的な力だと位置づけます。生き物の世界などをよく知り、それらを組み合わせる力だからです。リベラルアーツ ── 特定の実務スキルに限らない、幅広い教養や学問。ここでは異分野の知識を組み合わせて物事をたとえる力の源として語られている。
この回で為末さんが示した、鯖と魚、タコの心身問題といったたとえ自体が、まさに抽象度の高いアナロジーで組織や自己を語り直す実例になっています。
最後に宇尾野さんは、人間とは何かを探求する為末さんと組織を掛け合わせたことで、呼んで本当に良かったと収録を締めくくりました。
まとめ
この回は、自分らしい経営とは何かを、為末さんのスポーツ経験や生物のたとえを通して考える対話でした。らしさは決めきるより小さく持ち、環境に合わせて語り直せることが、変化の時代の強さになるという視点が示されました。
- らしさには「自己認識のらしさ」と「外から見たらしさ」があり、外とのずれや決めきりにはどちらも危うさがある
- 組織のらしさは「誰を何にどこまでグリップするか」のチューニングであり、ラグビーやアメフトなどスポーツ経験がリーダー像を形づくる
- 「これは大事」というらしさはできるだけ小さくし、環境や成長に応じて柔軟に変える幅を持つ方が健康的
- 鯖から魚へと抽象度を上げて自分やアイデンティティを語り直せる力が、テクノロジー加速の時代に効く
- 組織づくりは人間理解を深める機会であり、「何々のような組織」という抽象度の高いアナロジーが指針になる





