初対面の2人が向き合う出張スタジオ
この回はゲスト回で、MCの宇尾野彰大さんが、デザインイノベーションファームTakram ── デザインとエンジニアリングを横断するデザインイノベーションファーム。ブランディングからプロダクト開発まで幅広く手がける。のコンテクストデザイナー渡邉康太郎さんを迎えて進められます。
収録は渡邉さんが所属するタクラムのオフィスで、いつもの打ち合わせ室にマイクスタンドを立てて行われました。渡邉さんは、普段は環境を気にしてこの部屋で収録はあまりしないと話します。
この部屋は結構広めだから、環境を気にして普段だと収録はあんまりしないんですけど。でもこういうちゃんとしたマイクがあればいけそうですね。
宇尾野さんと渡邉さんは、この日が初対面でした。宇尾野さんによれば、急なオファーを受けてもらった形だといいます。
渡邉さんはまず自己紹介として、タクラムでの仕事を説明します。タクラムは約70人の規模で、東京が最も大きく、上海、ニューヨーク、ロンドンにもオフィスがあると話します。
人工衛星から和菓子までとか言って、作るものの対象は幅広く。
渡邉さんは、その中でも特にブランドの「らしさ」の言語化や、それをロゴなどビジュアルに落とし込む仕事を、大企業から一人だけの会社まで幅広く手がけていると語ります。
デザイン以外でも、渡邉さんはポッドキャストやラジオ番組を続けてきました。FM局J-WAVEで6年半自分の番組を持ち、現在は荒木さん、コテンの深井龍之介さんと3人で「超相対性理論」というポッドキャストを続けていると話します。
なぜ渡邉康太郎さんに声をかけたのか
宇尾野さんは、渡邉さんに声をかけた背景を説明します。この番組は経営者だけでなく人事の担当者も聴いているため、コンテクストやナラティブが組織づくりにとって重要なテーマになると考えたといいます。
宇尾野さんは、そうしたテーマを扱えるゲストを探す中で、調べものをしていると渡邉さんの記事や発信にたどり着くことが多かったと振り返ります。それを一種のご縁と受け止め、無邪気に声をかけたと話します。
この回は3回に分けて配信される予定で、最初のテーマとして「組織に所属するとは何か」を整理してから、その先の話へ進む構成になっています。
宇尾野さんは、渡邉さん自身がタクラムに所属しつつ、他の場所にも所属しているだろうと見立てた上で、所属をするという感覚や意味はどこから立ち上がるのかという問いから対話を始めます。
所属ではなく「タグ付け」に近い感覚
渡邉さんは、自分がどこに所属しているかと問われれば、もちろんタクラムの会社のメンバーだと答えます。ただ、その感覚は「所属」というより「タグ付け」に近いといいます。
あるグループに所属してるから他のグループのメンバーでない、っていうよりもっていう感じで。
渡邉さんは、複数のタグが自分についていることを、いくつもの活動を例に説明します。ポッドキャスト「超相対性理論」の人として認識されることもあれば、旧池尻中学校を活用した施設ものづくり学校 / IID ── 旧池尻中学校の校舎を活用した世田谷区の複合施設。ここではクリエイティブ拠点として言及されている。の入り口にある本屋「とつとつと」の図書委員でもあると話します。
さらに渡邉さんは、銀座の鈴木ビルにある一冊だけの本を売る「森岡書店」を創業以来10数年手伝っていることや、20年ほど続けている茶道で自分の流派に属していることを挙げます。
よくよく考えたらみんなあるんだと思うんですよね。その月に一回集まる高校の会があるんだったら、何かの所属意識かもしれないしとか。
宇尾野さんは、その所属感がコミュニティのようなものかと確認しつつ、渡邉さんにとっての「タグ」や「肩書き」の意味を尋ねます。
肩書きは「世を忍ぶ仮の姿」──議論の足場を作る役割
渡邉さんは、肩書きにはある程度のわかりやすさが大事だと考えています。相手に「こういう人なのかもしれない」と想像してもらい、一度認識を落ち着かせてもらう必要があるといいます。
渡邉さんは、コンテクストデザイナーという自分の肩書きはとてもわかりづらく、その点で自己矛盾していると認めます。それでも、タクラムで仕事をしている、大学で教えている、といった説明で一度相手に頷いてもらうことに意味があると話します。
世を忍ぶ仮の姿としての肩書きが先行して、一回そこで議論の足場を作ってから、そこからはみ出るものが伝わってくるっていう順番でいいんじゃないかなと。
宇尾野さんも、自分をどこかに一度落ち着かせる感覚には共感します。いろんな顔を全部見せると相手が混乱するため、自分の場合は「事業人の代表であり人事の領域のプロ」という枠に一度収まっていると話します。
一方で宇尾野さんは、その枠は自分を狭めるものでもあるかもしれないと感じ、多岐にわたる自分をどうコントロールしているのかを渡邉さんに問い返します。
偶然に導かれる働き方と「文人感」
渡邉さんは、自分を狭めているものは「ない」と答えます。戦略的な生き方ができない人間で、偶然に導かれているような感覚があるといいます。
渡邉さんはタクラムの取締役でもありますが、それを実感する瞬間はとても少なく、たまにハンコを押すくらいだと語ります。決裁のようなものはなく、ボトムアップの要素が強い自治的な組織になっているといいます。
渡邉さんは「超相対性理論」も、深井龍之介さんから「一緒にやろうよ」と誘われて始まり、続いてきたものだと振り返ります。言い出しっぺの深井さんが「ちょっと休むわ」と姿を消すこともあると笑いながら話します。
何かコントロールしてるかっていうと、全然コントロールしてないですね。結果的にこういうバランスになって、一見わかりづらいということになるのかもしれない。
渡邉さんは、実はあらゆる人がわかりづらいはずだと指摘します。いろんな趣味や働き方のバリエーションを、多くの人はあえて説明していないだけだと話します。
渡邉さんの場合は、ポッドキャストという人に聞かれるものを続けているため、デザインの仕事をしながら人文っぽいことを喋る「文人感」が知られているにすぎず、それもたまたまだと語ります。
すべての活動をつなぐ「デザイナー」という根っこ
宇尾野さんは、渡邉さんが何かを狙って所属を選んでいるのか、選ぶもの・選ばないものの基準があるのかを尋ねます。
渡邉さんは、共通しているのはやはり「デザイナー」であることだと答えます。デザイナーというと絵やロゴを作るイメージがあり、実際そうした仕事もするが、それだけでは自分の中でフルに楽しみきれないといいます。
いろんな面白いものを組み合わせたいっていう根源的な欲求があるんですね。
渡邉さんは、その組み合わせる対象が文学や思想であることもあれば、異国の文化の知見であることもあると語ります。そうした掛け合わせがあって初めて、デザイナーとしてのやりがいや知的刺激のある仕事のプロセスが作れるといいます。
だからこそ、ポッドキャストも茶道も本屋も、デザインの幅を広げるための自然な営みなのだと渡邉さんは話します。一見突飛に見えても、根っこは同じだという考え方です。
所属がもたらすもの──大文字の伝統と小文字の伝統
宇尾野さんは、一つの会社で仕事の大半を過ごす人にとって「所属する」感覚がもたらす意味を、組織支援の現場から見えるものとして渡邉さんに尋ねます。
渡邉さんはまず、所属の表面的な要素を挙げます。名刺がもらえる、座席が決まっている、自己紹介で名乗れる、Slackのワークスペースに入れる、給与バンドに乗っている、といったものです。それぞれ大事だが、もっと別のところがありそうだといいます。
渡邉さんは、日本経済新聞社やJ-WAVE、北里大学北里病院などのブランディングで、ミッション・ビジョン・バリューやパーパス ── 組織が何のために存在するのかという存在意義。ミッション・ビジョン・バリューと並んで企業のブランディングで言語化される。を言語化してきました。その経験から、一番面白いのは素敵な言葉を編み上げた瞬間よりも、その後だと語ります。
渡邉さんは、実話としてあるコンサルティングファームの事例を挙げます。約3000人規模で成長しており、組織を束ねる言葉を設定するために、ヒアリングやワークショップを重ねて言葉を決めたといいます。
渡邉さんが印象的だったのは、策定プロセスに関わっていなかった人たちが決起会に集まり、「一緒に仲間となってこの言葉や考え方を広めていきたい」と語り直しはじめたことでした。会ったことのない人たちだといいます。
渡邉さんは、会社の代表が言葉を語り直すのは仕事だからだと指摘します。一方で責任を負っていない人たちが、居場所への愛着から貢献したいという気持ちで仲間になってくることを、とても大事だと捉えます。
自然発生する現場の声を、経営者は拾えるか
渡邉さんは、明文化されたミッションやビジョンを「大文字の伝統」、現場から湧き上がってくるまだ明文化されていない組織らしさを「小文字の伝統」と呼びます。
明文化され、上位に立つミッションやビジョン。経営者が繰り返し伝えるのが得意な領域
現場から自然発生的に生まれる、まだ明文化されていない組織らしさ。拾うのが難しい領域
渡邉さんは、両方の相互作用がどれだけ積もるかが組織にとって大事だと話します。経営者は大文字側が得意で、ミッションやパーパスを繰り返し伝えるのは多くの人が頑張っている領域だといいます。
一方で渡邉さんは、自然発生的に生まれる現場の声を拾うのが上手な経営者はそう多くないと指摘します。日々いろんな人と触れ合っていないと気づけず、内輪ノリに近いカルチャーは社長の前では見せてもらえないかもしれないからです。
上からだけだとかなり硬直的になる可能性があるから、下からの盛り上がってくるものとか、ミッションの語り直し、こういうアプローチがあるんだっていうのに聞き耳を立て続ける。
渡邉さんは、誰かが始めた小さな習慣のような、ランダムな動きをコントロールしてなくしてしまうのが得意な人も多いと言います。そうではなく、みんなが自然発生的にいいと思っているものに「面白い」と乗れるかが大事だと話します。
宇尾野さんも、儀式やイベント、小さな新しい所作が生まれた時に、リーダーが制御したくなると、せっかく立ち上がりそうなものが抑制され「やらない方がいい」という学習が走ってしまうことは、実際にたくさんあると応じます。
渡邉さんは、自分の名乗るコンテクストデザインの「コンテクスト」の語源が、ラテン語で「共に編む」を意味することに触れます。大文字と小文字の伝統を編み合わせることに、真の組織の未来が宿ると考えていると語ります。
茶の湯の「一座建立」と、複数の声が響く組織
宇尾野さんは、自分自身が複数の組織を渡り歩いてきた経験を振り返ります。弱いつながりや、文脈をある程度再解釈できる場にいることが多く、軸はありつつも解釈は個人に委ねられる自己規律の強い組織で、居やすさを感じていたと話します。
宇尾野さんは、複数の場所に所属したり、副業やフリーランスといった働き方が広がる中で、所属している感覚や、愛着を持つプロセスをどう作るかが大事な過程だと感じていると語ります。その上で、渡邉さんが組織に愛着や強い所属感を覚えるのはどんな場面かを尋ねます。
渡邉さんは、茶事を例に説明します。亭主が客を招き、日時もテーマも掛け軸も道具も菓子も食事もすべて用意する。その意図は会記 ── 茶事の道具立てや趣向などの内容を記録したもの。ここでは亭主側の意図が残る記録として言及されている。という記録に残るといいます。
渡邉さんは、茶の湯で一番大事とよく言われる言葉として「一座建立 ── 茶の湯の理念を表す言葉。亭主と客が同じ座に集い、心を通わせることで一つの場が立ち上がることを指す。」を挙げます。亭主だけでなく客がいて、客と一緒になるからこそ場が立ち上がるという考えです。
会記ってのは多分半分しか記録できてなくて、亭主側の声じゃないですか。でもお客さんがそれをどう読み解いて、どんな感想を抱いたのか、そっちの方も合わせて一座建立になってるはず。
渡邉さんは、組織も同じだといいます。ルール上のボスはいても、誰が亭主で誰が客かに関係なく、一人ひとりの声が聞こえ、互いに影響を及ぼし合っているかが一番大事だと話します。
渡邉さんは、複数の声が響き合う状態をポリフォニー ── 複数の独立した声部が同時に響き合う音楽の様式。ここでは、多様な声が対等に響く組織の状態の比喩として使われている。という言葉で表現します。役割が固定化せず、いろんな声が聞こえている状態のほうが健全だといいます。
「積極的な誤読」が組織への愛着を生む
宇尾野さんは、初めて聞いた「一座建立」という言葉が、いろんな人の声を届ける仕組みであり、安心感と「ここなら何かできそう」という力を生み出す場のように感じたと話します。その上で、この場からどんなものが生まれるのかを尋ねます。
渡邉さんは、亭主がどれだけしつらえても、受け手によって初めて場が決まると答えます。ちゃんと受け取ってもらえるか、理解できるかもあれば、受け手によってより面白くなることもあるといいます。
渡邉さんは、現代美術の始祖とも言われるマルセル・デュシャン ── 20世紀の美術家。既製品を作品として提示するなど、美術の概念を大きく問い直した人物。を引きます。デュシャンは、美術には作る側の極と鑑賞する側の極があり、この2つがバランスよく力を持って初めて作品として成立すると述べたといいます。
渡邉さんは、それ以前は作る側の意図をいかに正確に解釈するかに議論が偏っていたと指摘します。ものづくりをする人はクリエイターと呼ばれ、その頭文字を大文字にすると創造主を意味するように、常に神々しさとともに語られてきたと話します。
渡邉さんは、これを組織に当てはめると社長や責任者になると言います。意図はあるが、解釈するのは人間なので当然ばらける。そこには正解とは別の、面白い「積極的な誤読」があり得るといいます。
渡邉さんは、この「誤読」は事実の捏造やフェイクニュースではないと念を押します。同じ事実に基づいて、自分なりの体重を乗せた解釈があり得るという意味です。自分の人生に重ねて読み解く自分語りが始まったほうが、作品愛が深まるといいます。
渡邉さんは、体重を乗せた積極的な誤読が許容されている組織が一番強く、結果的な所属感につながると話します。宇尾野さんも「誤読から始まる組織への愛着」という新しい解釈が生まれたと応じます。
小さな声は、本当に聞ける準備ができているか
渡邉さんは、一度終わりそうになった話に、もう一つのテーマを差し込みます。「みんなの声を聞く」というと当たり前に聞こえるが、本当に聞けるのかという問題が次に出てくるといいます。
渡邉さんは、新しい声を聞き入れるカルチャーが普段からないと、いざ本当にいい声が上がってきても「どうせ黙殺される」となってしまうと指摘します。日々小さな声に耳を傾け、小さなアイデアを採用し続けることが根付いている必要があるといいます。
渡邉さんは、歴史的な例として19世紀ウィーンの産婦人科医ゼンメルワイス ── 19世紀の医師。手洗い(手指消毒)によって産褥熱による死亡率が下がることを統計で示したが、当時は受け入れられなかった。を挙げます。彼は、お産の直前に医師が塩素水で手を洗うと死亡率が18分の1ほどに下がるというデータを取ったといいます。
渡邉さんは、当時はまだ細菌が発見されておらず、エビデンスはあっても理由がわからなかったと説明します。医師たちはこの論文に大反対したといいます。
いやいや、俺たちが不潔だって言いたいのかみたいな。俺たちに手を洗えとか何様だと。
渡邉さんは、医者としての自意識がエビデンスを受け止めることを拒否したと語ります。ゼンメルワイスは職を追われ、若くして亡くなりますが、その後にパスツールらが現れ細菌が発見され、消毒法は常識となり教科書に載ったといいます。
渡邉さんは、ここから学べるのは、ゼンメルワイスは正しいことしか言っていなかったという点だと話します。問題は、聞く側に聞く準備ができているかだったといいます。
渡邉さんは、いくら正しくてもナラティブは受け手の準備が整っていないとうまくいかないと指摘します。エビデンスがあっても、物語の枠組みやカルチャーが準備されていなければならないのです。
宇尾野さんは、枠組みの外にある声ほど、そもそも入ってこなかったり体が拒絶する身体感覚があると応じます。誤読を入り口にしつつ、その出口までを意識した設計をあらかじめ作ることが大事だと整理し、この続きは次回、組織の変化について話すと締めくくります。
まとめ
この回では、組織に「所属する」感覚がどこから立ち上がるのかを、タグ付け、大文字と小文字の伝統、そして積極的な誤読という視点から掘り下げました。所属感は制度だけでなく、一人ひとりが自分の言葉で語り直せることから生まれると語られています。
- 渡邉さんにとって所属は排他的なものではなく、複数の顔を持つ「タグ付け」に近い感覚である
- 肩書きは相手の認識を一度落ち着かせ、議論の足場を作る「世を忍ぶ仮の姿」として機能する
- 組織には明文化された大文字の伝統と、現場から湧き上がる小文字の伝統があり、両方を編み合わせることが大事だとされる
- 茶の湯の「一座建立」のように、亭主と客、一人ひとりの声が響き合ってはじめて場が立ち上がる
- 事実に体重を乗せた「積極的な誤読」が許容される組織ほど所属感が強まり、その前提として小さな声を採用し続けるカルチャーが欠かせない



