日本で働いてから海外へ。冷静なスタート地点
後編は、新卒で入社した株式会社いい生活を経て、初めての海外キャリアであるセブ島でのインターンに至るまでの経緯から始まります。
浅沼さんは大学卒業後すぐに海外へ行く選択肢も検討していました。ですが、日本で一度も働いたことがなく、英語もそこまで得意でない状態で行っても何ができるのか、と考えたといいます。
まずは日本で働こうっていうので、いい生活に入社してるんですよね。
めちゃくちゃ冷静な意思決定で素晴らしいと思います。そりゃそうだよなと思って。
新卒で入った会社で数年待って赴任のチャンスを狙うのは自分には難しいと考え、現地採用で自ら海外に出る道を選びます。ただ英語を仕事で使った経験がまだなかったため、不安を和らげる意味も兼ねて、まずセブ島のインターンから始めました。
セブ島のインターンで英語を「思い出す」
セブ島でのインターン先は、社会人向けに本気で英語を学ぶ環境を提供する語学学校でした。当時、フィリピン留学はアメリカ留学よりコスパがよいと言われ始めていた時期だったといいます。
浅沼さんが担当したのは、経理や事務まわりの仕事でした。日本人受講者のビザ申請や生活サポート、フィリピン人講師の時間割の作成などです。
仕事で英語を最も使ったのはフィリピン人講師とのコミュニケーションでした。ただ、英語力の基礎はあくまで大学時代に身につけたもので、ここではブランクを「思い出す」段階だったと振り返ります。
基礎自体は大学生時代に勉強した英語力を、新卒入社で2〜3年ぐらい空いちゃってるので、ここで3ヶ月ほどいて思い出して、その後インドネシアで仕事で使う体験を身につけたっていう感じですかね。
インドネシアへ。エリアと専門性の二軸で選ぶ
次の舞台はインドネシア・ジャカルタのデジタル広告代理店PT Creative Visions Indonesiaでした。フィリピンからインドネシアへという動きの背景には、明確な軸があったといいます。
1つはエリアの選択です。中長期でいろんな国の人と働くために、自分が最も接点のなかったムスリム圏を知りたいと考えました。中東は女性単独では動きづらいと考え、東南アジアのインドネシアかマレーシアに絞ったといいます。
一番わからない宗教観のところで、どういうことを考えてる人たちがいるのかっていうのを知ってみたいなっていうので、このインドネシアかマレーシアには絞ってた。
もう1つは職業の選択です。前職のいい生活でGoogleアナリティクスなどに触れていた経験からアナリティクスが好きになり、まだ新しかったデジタルマーケティングを技術として身につけようと考えました。
応募はLinkedInではなく、当時の求人サイト経由でした。未経験可の募集にたまたま合致し、現地採用で運よく採用されたといいます。
森下さんは、この「知りたい」という欲求の強さに関心を寄せます。学びたい欲求だけなら海外で気ままに過ごす道もあるなかで、現地で一線級の仕事に就くことと掛け合わせている点をタフだと評しました。
いろんな人の話を聞きたいし、知りたいが強かったと思います。聞きたい、知りたい、いろんな景色を見てみたいが、ずっと続いてるような気がします。
代理店で得た手動運用の経験と「ムスリムも変わらない」実感
代理店では、約2年にわたりデジタル広告やソーシャルの運用に携わりました。当時は2014年頃で、Google広告もAIによる自動化前の手動調整が中心だった時代です。
浅沼さんは提案書やレポートの作成に加え、実際の広告運用も担当しました。表に立つ営業は現地メンバーの方が強く、そうした役割分担のなかで働いたといいます。
この時期の学びとして印象的だったのは、意外にもスキルより実感の部分でした。
ムスリムの人も変わんないなっていうところですかね。すごい穏やかで、非常に日本人と感覚的には似ている方々が多くて、すごく仕事しやすいなって思った。
日本へ一度戻る。スキルを優先した選択
その後、浅沼さんは日本の調査会社マクロミルへ転職します。海外から日本へ戻る判断の背景には、身につけたいスキルの問題がありました。
2016〜17年頃はアドテックの最盛期で、DMPを使ったデータ活用の話が業界で盛り上がっていました。ですが、インドネシアの当時の環境では、そうした幅広いデータを扱う経験が積みにくいと感じたといいます。
データ分析未経験からのピボットになるため、海外での転職は厳しいと判断しました。そこでスキルと経験を優先し、日本に戻る道を選びます。
もっと幅広いデータを扱えるようにならなければ、その時に。データ分析未経験の中でピボットみたいな形になるので、そうなると海外だと結構厳しいんじゃないかと。
転職は人材紹介エージェンシー経由でした。ちょうどマクロミルがデータ活用を支援する部署を立ち上げるタイミングと合い、新規事業に近い文脈で参画したといいます。
ネスレ・ネスプレッソで得た事業会社と英語の自信
マクロミルで約2年働いた後、浅沼さんは事業会社側へ移ります。ネスレのネスプレッソで、日本市場のデジタルマーケティングを担当しました。
仕事はリサーチではなくパフォーマンスマーケティングに戻りました。D2Cのウェブサイトや、楽天・Amazonなどのeコマースへの集客とコミュニケーションが中心です。
ネスプレッソはネスレの子会社で、ヘッドクォーターはスイスにありました。上司はアメリカ人で、日常的に英語でコミュニケーションを取る環境でした。
浅沼さんは、この上司とのやり取りが最も自信をつけた経験だったと語ります。それまでのキャリアでネイティブと話す機会はなく、初めてネイティブ話者と意思疎通できるという確信を得たといいます。
ネイティブレベルにはなれないんですけれども、コミュニケーションが取れるという自信をつけていただいたのはここでの経験ですね。
事業会社では、代理店とは情報量が大きく違ったと振り返ります。とくに自社サイトのD2Cは解像度が高く、代理店や調査会社が入り込みにくいeコマース領域だからこそ面白かったといいます。
リサーチ会社も結局Eコマースってデータが全部取れちゃうんで、あんまりリサーチ会社も入る余地がないといいますか。だったので、ここはすごく面白かったですね。
Uni-Charm Singaporeへ。リージョンの役割を求めて
ネスプレッソでのキャリアの後半、浅沼さんは再び海外で、今度はリージョン全体を見る役割に就きたいという思いが強くなりました。日本市場の担当としてリージョンとやり取りするなかで、自分ならもっとうまくできるのでは、と感じたといいます。
社内の海外異動制度も並行して探しましたが、条件が合わないものもありました。行けそうなポジションは1年限定で、当時新婚だったため家族帯同ができる形を優先したかったといいます。
森下さんも、大企業に多い短期赴任について疑問を投げかけます。
1年間でやっと身についてきた時に帰るってなんだ?コスパ悪くね?って僕は思っちゃうんですけど。
住んだことある人とない人の差を感じるところがあって、投資し続けてるんでしょうね、おそらく。
最終的に、たまたまご縁のあったUni-Charm Singaporeの現地採用に決まりました。シンガポールを選んだというより、リージョンの仕事を求めた結果、そこに機会があったという流れです。
東南アジアのライブコマース最前線に立つ
Uni-Charmで浅沼さんが扱うのは、紙おむつ(マミーポコ、ムーニーなど)、大人用紙おむつのライフリー、フェミニンケアのソフィ、ペットケア商品など、幅広い日用品です。
ネスプレッソ時代はD2Cが強かった一方、現職ではeコマースのプラットフォームに軸足が移りました。とくにこの地域ではラザダショップやTikTokショップが強いといいます。
浅沼さんが入社したのは2024年9月。日本でも「来る」と言われ続けてきたライブコマースが、この地域では現実の主戦場になっていることに驚いたといいます。
キャッチアップの方法は2つでした。プラットフォームのリージョン担当から情報を得ることと、自分自身でTikTokショップやライブコマースを使って買ってみることです。
自分の必要な生活用品を一旦ライブコマースから買ってみるかとか、全部自分でやってみてっていうところが最初のキャッチアップ方法ですね。
国ごとに激変する消費者インサイト
ASEAN全域をシンガポールから見る立場になり、現地の子会社担当とのコミュニケーションが重要になりました。社内は日本語中心ですが、各国のEC担当は現地の人であるため、意識的にやり取りを増やしているといいます。
売り方は国ごとに大きく変わります。訴求軸や好まれる色が違うだけでなく、そもそものポジショニングも国によって異なるためです。
たとえばタイやベトナムではユニチャームがシェアトップの一方、まだエマージング市場もあり、戦略が変わってきます。消費者もインドネシア・マレーシアはムスリム圏、シンガポールは中華圏が多いなど、背景が国ごとに違います。
訴求軸とか色とかは非常に違いますし、消費者もそれこそムスリム圏、中華圏、みたいな感じで、やっぱり各国違うなっていうところはありますね。
消費者インサイトを掴む一番の手段はローカルメンバーと話すことだといいます。ルーティンとしては、政治関連やECプラットフォームのニュースを週次でブリーフし、日々ニュースサイトを見ることを習慣にしています。
先人への感謝と、これからの展望
キャリアのゴールや働くモチベーションについて問われると、浅沼さんはまだ定まっていないと正直に答えます。海外に出てきてはみたものの、今後どうしたいかは考え中だといいます。
森下さんは、海外で働きたい聴取者にとって浅沼さんのキャリアは参考になると語りつつ、ゴールが定まっていないという答えにも人間味を感じたと受け止めました。
複数の国をまたいで働くうえでの難しさを問われると、浅沼さんはアジアの働きやすさを挙げます。ここには先人への感謝があるといいます。
アジアは非常に日本人は働きやすい環境だと思います。先人のおかげだと。先人ありがとうございますって毎日思ってます。
たとえばシンガポールでは、賃貸を借りる際に「日本人に貸したい」と言われることがあります。きれいに使ってくれるという良いイメージが、生きやすさにつながっているといいます。この感覚はインドネシアやフィリピンでも共通していたそうです。
一方で、インドやアフリカのような新しい市場では、日本人のイメージが薄く苦戦する可能性もあると話します。これらの地域は、今の会社として興味のあるマーケットでもあります。
ビザと向き合いながら、知りたい欲求で進む
海外キャリアで避けて通れないのがビザの問題です。浅沼さんは、海外に残る選択をするときは必ずビザを取れるかどうかを前提に考えると語ります。
海外に残ろうかっていう選択肢をする時は、必ずビザを取れるかどうかを考えた上で、その選択肢が行けるのかどうかを意識しますね。
ビザが取れなければ滞在すらできないという現実がその判断の背後にあります。そうしたリスクを取ってでも海外で働く原動力は、知的好奇心が満たされる心地よさにあると2人は語り合います。
森下さんは、浅沼さんが決してピカピカのキャリアではないからこそ、努力を続ければ道が開けるという明るい希望になると締めくくりました。海外との接点が遅くても、目の前にきた機会に手を挙げ、試行回数を増やしていくことが、こうしたキャリアにつながるという受け止めです。
海外の切符が目の前にこぼれてきそうになったら、ちゃんと手挙げて行くみたいなことを試行回数を増やしていけば、こういったキャリアにつながっていく。
まとめ
浅沼道代さんの後編は、日本・フィリピン・インドネシア・シンガポールを行き来しながら、エリアと専門性の二軸で意思決定を重ねてきたキャリアの軌跡でした。知りたいという欲求を原動力に、機会に手を挙げ続けてきた歩みが語られています。
- 海外に出る前にまず日本で働き、役立つ力を持って現地採用で飛び込む冷静な選択からキャリアが始まった
- エリア選び(ムスリム圏を知りたい)と専門性(デジタルマーケティング)の二軸で転職先を選んできた
- スキルを優先して一度日本に戻るなど、目的に応じて柔軟に拠点を動かしている
- 現職では東南アジアのライブコマース最前線で、国ごとに激変する消費者インサイトと向き合っている
- 海外で働く判断は常にビザを前提に置きつつ、知的好奇心を原動力に試行回数を重ねてきた



