ヘルスケア起業と、自分でやると決めた理由
後編はまず、萬野さんがワンオブゼムを退社し、ヘルスケアスタートアップを共同創業した話から始まります。
きっかけは部活の先輩からの誘いでした。予防医学者として知られる石川善さんの会社の子会社で、ToC向けのヘルスケアサービスを作ろうとしたといいます。
ハーバードのMBA出身者などが集まる会社で、萬野さんはエンジニアとして1年ほど働きました。ただ、ここでもワンオブゼムのときと同じく、会社の方針とのずれが生まれます。
結局やっぱりワンオブゼムのときもそうでしたけど、会社の方針とずれてくることがあって、僕はこうした方がいいっていうのに、彼らは違うってなって。
最終的にそれが我慢できるかできないかみたいな話になって、どっちも我慢できなくなって辞めることにして。
この経験から、萬野さんは思い通りにやるには自分でやるしかないと考え、自ら会社を立ち上げます。
意見が食い違う「傾向」はどこにあったのか
森下さんは、意見が食い違うときの傾向について尋ねます。何を我慢できなかったのかに、萬野さんの価値観が表れていると考えたからです。
萬野さんが挙げたのは、いつ成果が出るかわからないものへの時間とコストの使いすぎでした。コントロールできる範囲でやるべきことがあるのに、成果の見えないパートナーシップに頼る姿勢に違和感があったといいます。
たとえば有名な人と組んだほうがいいという判断です。萬野さんは、それを全否定はしないものの、バランスの問題だと話します。
この感覚を、森下さんはソーシャルゲームの例に重ねます。萬野さんも、超有名IPを引っ張ってきても、面倒なレビューが増えてゲームが売れないことはよくあると応じました。
力のある人と一緒にやると、責任の所在がわからなくなるんですよね。向こうの方が上な感じが出てくるし。
でもプロダクトを作ってるのはこっちだし、うまくいかなかったときに損害を被るのもこっちじゃないですか。だからその状況って良くないと思うんですよ。
Odenの挫折と、経営者に向いていないという発見
自分でやると決めて創業したのがOdenでした。当初はエンジニア向けの採用プラットフォームを作りたかったものの、マーケット的に厳しいと判断します。
その後は匿名SNSやエンジニア向けのツールを作りますが、うまくいきませんでした。子どもが生まれるタイミングで会社を閉じることにし、そこで出資者であるVCと揉めることになります。
揉めた内容は、会社を閉じると言ったことで株を買い取るか買い取らないかという、よくある形でした。相手からは訴えるという話も出たといいます。
友達に弁護士がいたんで大丈夫だよとは言われたものの、やっぱり力もお金もある人に訴えると言われるのは、それだけでストレスだと思うんで。
この経験から学んだことは多いと萬野さんは振り返ります。いいプロダクトを作れば売れると思っていたが、実際にはマーケットが大事で、プロダクト・マーケット・セールスがすべて噛み合わないと売れるものにならないと気づいたといいます。
そして最大の発見は、自分が経営者に向いていないという自覚でした。萬野さんは、成功する経営者には2つのタイプがあると考えています。
強烈な原体験を持ち、あるミッションに対してすべてを懸けられる人
起業を金を稼ぐプロセスと捉え、儲かるところを見つけて完璧にエグゼキューションする人
萬野さんは、自分はどちらもできないと感じました。一方で、そうしたものを持つ人の下でエグゼキューションするのは好きで得意だと気づき、適材適所があると納得します。
AppLovinとの出会いと、英語がわからないままの面接
会社を閉じた萬野さんは就職活動を始めます。AppLovinとの出会いは、国立のデニーズでの何気ない待ち合わせでした。
当時AppLovin日本の一人目だったタツオさんに「何してるの」と聞かれ、職を探していると答えると「AppLovinいいよ」と誘われます。仕事内容がアドテクだと聞いても、当時はよくわからなかったといいます。
管理画面を見せてもらって面白そうだと感じ、選考を受けることにします。ただ、初めての外資で、面接は朝5時のSkype、映像なし、英語でした。
何言ってるかわからんですね。
何言ってるかわからないだろうなというのは想定してたんで、言いたいことだけは用意してた。質問することとか。
それに対しての相手の返答で、わーっと言われたことはわからんけど。
わかってる風をして聞く。
日本のカントリーマネージャーが自ら会社をやっていた経験を評価し、後押ししてくれたことで採用に至ります。ポジションはアカウントマネージャー、実質はセールスでした。
AppLovin日本での3年半と、カオスな社風
AppLovin本社への転籍まで、萬野さんは日本で3年半ほど働きました。日本と韓国のビジネスチームを見ながら、媒体も広告主も含めたセールス全般を担当します。
当時のAppLovinは社員80人ほどで、今の約2000人とはまるで規模が違いました。萬野さんは、頭のおかしいやつが多く、とにかく楽しかったと振り返ります。
すごい頭いいし、すごいロジカルだけど、飲むとアホみたいなやつとかいて。とにかく楽しかったですね。
年に1回ラスベガスに集まってパーティーをするなど、アメリカのスタートアップらしい何でもありの空気だったといいます。この時期に日本市場でのシェアも伸ばしていきました。
森下さん自身もかつて代理店側でAppLovinと関わっており、当時の営業のエピソードが語られます。同僚がアポのたびに歯磨き粉の「コルゲート」を客先へ持参していた話や、2014年当時、CPI最適化の先を提案しても広告主のリテラシーが追いつかず受注できなかった思い出などが交わされました。
人生の転機、アメリカ本社への転籍
3年やって飽きたという萬野さんは、次のステップを考えます。日本国内でやれることはないと感じ、アメリカかシンガポールを視野に入れました。
転職を考えてGoogleの日本のAdMob営業にも受かっていましたが、林さんに相談したところ「アメリカ行ったら」と言われます。ちょうどAppLovinが買収を終えた直後で、プロダクトの人材を探していました。
翌日からアメリカ出張だった林さんが社長のアダムに話を通してくれ、萬野さんは本社でアダムと会います。その場で前向きな返事をもらい、まずプロジェクトチームでプロダクトのメンバーと働き、3か月後に本決まりとなる流れになりました。
正式決定を前に不安だった萬野さんですが、思わぬ形で内定を知ることになります。
古い知り合いがパロアルトに住んでて、子どもがアダムと同じ幼稚園に行ってて。その人から「今日幼稚園でアダムと会ったら、YUKIが来るって言ってたよ」って。
「お前そこで言うんかい」みたいな。
英語については、日本にいる間に自費で40万ほど払い、ビジネスに特化した英語を1日2コマ入れて学んでいました。出向のトピックは限られているので何とかなったといいますが、萬野さんは「自分でお金を払わないと本気にならない」と話します。
テキサス移住とUSメガテックの厳しさ
転籍後はサンフランシスコのベイエリアに移りますが、到着はコロナ禍のど真ん中でした。2020年3月に家族と入国し、隔離した日に緊急事態宣言が出て、以降一度もオフィスに行っていないといいます。
アメリカに来て一番最初にやったのは、コストコに朝6時半から並んでトイレットペーパーとキッチンペーパーを買ってみたいな。ハードモードすぎるだろこれ。
9月に会社がリモートを認め、指定された都市へのリロケーションが可能になります。萬野さんは税金がなく教育レベルも高いテキサスを即決し、家族で引っ越しました。
子どもの教育は移住の大きな理由でした。萬野さんは自分が教育で日本を出なかったことを後悔しており、せめてアメリカで教育を受けさせたいと考えていたといいます。
AppLovin本社では約5年働き、日本より長くなりました。ロールはセールスからプロダクトに変わります。GoogleとのミーティングにGoogleが10人、萬野さん1人ということもザラで、大きなベンチャーと大企業の仕事を経験できたのは大きかったと語ります。
アメリカの会社ってこういう感じなんだなとか、ビッグテックの人ってこういう感じなんだなとか、そういうのが分かったのは結構大きかったですね。
英語以外では越えられない壁と、アジア人が置かれる環境
一方で萬野さんは、本当に上に行こうとすると自分の英語では無理だと悟ったといいます。仕事は問題なくできても、経営陣のレベルの会話には別のものが必要でした。
語学力って別に簡単につくと思うんですよ。仕事をできるレベルになることは難しくないと思ってて。でも、そのレベルの会話ではダメなんですよね。
鍵は文化的な理解です。萬野さんは、一番難しいのは雑談だと話します。この言い方は失礼にならないかといった感覚は、アメリカで育たないとわからないというのです。
ジムでずっと行ってると顔を知ってるやつが出てくるじゃないですか。こいつに「Hey man, what's up?」ってやっていいのかどうかみたいな。覚えてなかったらどうしよう。
さらに萬野さんは、米テック企業で上に行くには実力以外の要素も大きいと語ります。ダイバーシティの観点から人種構成が問われるなか、そもそも優秀とされるアジア人には逆の下駄を履かせないと構成が偏るため、逆の差別のような力が働くといいます。
同じアジア人の枠で競う相手は中国人やインド人であり、そのハングリーさは尋常ではないと萬野さんは話します。
彼らのハングリーさって尋常じゃないですよね。命かかってるから。国に戻っても国も貧しいし、死ぬ覚悟でアメリカに来てるから。日本人ってやっぱ基本的に満たされて育ってきてるんで。
森下さんは、日本に帰れば自分の力で戦えるという安心感がある一方、彼らは帰っても職がなく背水の陣だと指摘します。萬野さんも、子孫を裕福にするために来ており、家でも子どもと英語で話すほどだと応じました。
そうした環境で萬野さんはプロダクトの最上位、日本企業でいう本部長クラスまで到達しました。年収は日本の10倍から17倍ほどになるといいます。
Moloco、そして再び挑む「ひりつく勝負」
その後、萬野さんはMolocoへ転職します。理由は社内の権力争いに負けたことでした。AppLovinの成長を支えた機械学習エンジンを作った野心の強いエンジニアが実権を握り、プロダクトチーム自体がなくなったのです。
彼にへりくだって従うかどうかという局面で、萬野さんはへりくだらず、最終的に会社を離れることになります。社長のアダムが直接来て、チャレンジングなことはここではできないだろうと卒業を勧めてくれたといいます。
負けたなと思うんで。自分にはもうそんなゲームプレイは無理だから。いきなり外部から来て、エンジニアで役員まで行って実権を取ってみたいな。素直に力不足だったなと思います。
Molocoは同業他社で就職がしやすく、アメリカ本体のプロダクトのポジションでした。ただ、GoogleのようなカルチャーでスピードもAppLovinと逆で、社内調整が多かったといいます。
萬野さんはアウトプットベースの評価でないと勝てないと考えており、社内政治で決まる環境では言語的・文化的な不利をはねのけられません。年収のためと割り切ろうとしたものの、1年4か月ほどで辞める決心をします。
なぜ年収にこだわりつつも、それを捨ててまで戦う道を選ぶのか。萬野さんは「もっとひりつく勝負がしたい」と語ります。
6月で40歳になる萬野さんは、この挑戦が年々難しくなることも自覚しています。50歳でできるとは思えないからこそ、今やりたいのだといいます。
アドテク自体が好きになれない理由も語られました。最近の広告の発展は、いかにアトリビューションを取るフォーマットを考えるかという競争であり、本質的な価値の追求ではないと感じているためです。
最終的にお金を稼ぐって、社会に対して価値を提供してるから稼げるんだと思うんですよ。
野球テック「Knowhere」でのグローバルビジネス
萬野さんは2026年5月からKnowhere, Inc.でGM, Global Businessとして働いています。プロダクトは野球のボールをトラッキングするアプリです。
ピッチャーが投げた球のスピード、回転、変化を、スマホで撮るだけで正確に解析できる技術だといいます。既存のプロ向けツールは専用デバイスに数百万から数千万かかりますが、これはスマホ1台で、精度もほぼ同等まで来ているといいます。
iPhone 17のようにスマホのカメラが優秀になったことに加え、独自の解析と機械学習を組み合わせているのが強みです。会社は6人ほどながら、すでにメジャーリーグの球団と契約しています。
プロダクトは優れているため、次の課題はどう売るかです。萬野さんはToB営業をメインで見ていきます。
ToBセールスってめちゃくちゃ難しいです、アメリカって。特に日本人がやるって、ほぼ不可能に近いレベルだと思ってて。でも、だからこそチャレンジングだし。
難しさの理由は言語と文化の壁です。ただ、話は聞いてくれる一方でクロージングが難しく、意思決定者に行かないと100パーセント決まらないといいます。
実際に萬野さんは2月、メジャーリーグのスプリングキャンプに合わせてフロリダで4日間に1500キロほど車を走らせ、3球団ほどを巡ってデモを行ったといいます。
目標は、少人数のまま10人ほどで1ビリオン以上の会社にすることです。期間は2〜3年を見込み、3年で結果が出なければちゃんと生きていく方に戻るつもりだと話します。
この挑戦にはもう一つの縁があります。Knowhereの社長は、萬野さんのDeNAの同期で、最初に会社を辞めて萬野さんをDM会社に誘った人物でした。
15年ぶりに騙されてみるのもいいかと思って。
米国で戦い続ける理由と、子どもに託したいこと
最後に森下さんは、リスクを取ってまでアメリカで働くモチベーションの源泉を尋ねます。
萬野さんは、アメリカの方がフェアな環境に出会えることが多いと答えます。英語が下手でもアメリカの大学を出ていなくても、仕事で結果を出せば評価してもらえるからです。
もちろんタフですけど、いつ首を切られるか本当にわからない。でも、それも含めてフェアだなと思えることが多いっていうところですかね。
アメリカ生活は7年ほどになり、子どもたちは文化的に完全にアメリカンになったといいます。萬野さんは、本人たちが楽しんでいればそれでいいと話しました。
将来については、AIに絶対に取られないリアル系の事業を個人として作りたいと語ります。一方で50歳で働く姿は想像がつかないとも話し、時間が経てば見えてくるのかもしれないと締めます。
子どもに託したいことは特にないという萬野さんですが、好きなことをやるには何らかの力が必要だという考えは持っています。
好きなことをやるためには何らかの力がいる。お金だったり実力だったり、絶対必要になってくる。それをつけさせてあげられることをやってくれれば、あとは好きなことをしたらいい。
家庭で唯一やりなさいと言っているのは公文だけです。萬野さんは、子どもの頃の勉強はほぼ意味がないが計算力は残ると考えており、アメリカで生きるうえで数学ができれば一つのアドバンテージになると話します。
勉強は嫌なものだと思ってるんで、それを早く終わらせるために、早く終わらせる方法を考えてほしい。残りの時間はゲームでもサッカーでも好きにしたらいい。
一方で、アメリカの大学進学はエッセイや面接があり、自分たちが受けてこなかった仕組みだけに親として与えられるものが少なく、ここから先が大変だとも話しました。
まとめ
後編では、起業の挫折を経て自分の向き不向きを見極めた萬野さんが、AppLovin本社で米メガテックの厳しさと英語・文化の壁を経験し、それでも再びスタートアップで戦う道を選ぶまでが語られました。フェアな環境で結果を出し、ひりつく勝負を続けたいという姿勢が一貫しています。
- 方針のずれを我慢できず、思い通りにやるには自分でやるしかないと起業したが、経営者としての向き不向きを自覚した
- いいプロダクトを作れば売れるという発想から、マーケット・プロダクト・セールスの噛み合わせが重要だという学びに変わった
- 米メガテックでは仕事はできても、雑談や文化的背景が問われる経営陣レベルの会話には英語だけでは届かない壁があった
- 年収は日本の10倍以上に達したが、アウトプットで評価される環境と「ひりつく勝負」を求めて野球テックのスタートアップへ移った
- 好きなことをやるには力が必要という考えのもと、子どもには公文だけを課し、あとは本人の自由に任せている
