フランス語ゼロから始まった地盤固め
前半ではフランスでお好み焼き屋をやるに至る経緯やビザ取得の話が語られました。後編は、パリで実際に飲食店を営んできたリアルな話に踏み込みます。
ビザを取り、資金を集めて渡仏した田淵さん。すぐに物件を取得して営業開始、というスムーズな流れではありませんでした。
いや、そんなことはなくて。そもそも私がフランス語を喋れない状態で行ってるので。
現地で学校に行き始めて、いわゆるネットワーキングをして地盤を作っていったのが大体1年目ですかね。
パトロンと一緒に来たのではと聞かれることが多いものの、実際は誰も知らない状態での単身渡仏でした。フランス語学校に通いながら、知り合った人の誕生日会に呼ばれ、そこからまた友達が増えるという形で人脈を広げていったといいます。
やるにしても知り合いがいて情報がわからないと何もできないので、わかってる人に聞きたいなっていうのは。
茨の物件探しと立地選び
立地の重要性はどこでも同じですが、パリならではの選択がありました。リュサンタンを中心とした日本人街でやるのか、そうでない場所でやるのか。それが最初の分かれ道だったといいます。
当初は日本人街での契約を考えていましたが、紹介された物件で問題が発覚します。不動産屋の説明が間違っており、重飲食であるお好み焼きができないことが後でわかったのです。
不動産屋さんが言ってることが間違ってて、いわゆる重飲食、お好み焼きはできないみたいなことが後でわかって。なんでやねんみたいなことはありましたね。
フランスでは飲食店は基本的に地上階にあり、2階だけが飲食店ということはないため、物件数がそもそも限られます。さらに、重飲食に必要な幅30〜40センチの大きな煙突がついた物件はごく一部です。
エージェントに条件を伝えて探してもらう方法も試しましたが、うまくいかず、最終的には自分でインターネットで見つけた物件になりました。
選んだのは日本人街ではなく、古い建物が残るマレ地区。20代の頃に泊まったホテルの近くで、雰囲気を気に入っていた場所でした。東京でいう中目黒や代官山のような、落ち着いておしゃれなエリアだと表現します。
落ち着いてておしゃれみたいな感じだったんですけど、今はもう裏原みたいになってきちゃって、すごい人でちょっと大変なんですけど。売上的にはいいけど住むのはしんどいみたいな。
お好み焼きはいける、という確信
駅から遠いマレ地区でお好み焼き屋を出すことに、勝算はあったのでしょうか。田淵さんには明確な読みがありました。
フレンチのビストロだと、途中に同じようなお店があったら離脱するじゃないですか。でもお好み焼きだったら、お好み焼き食べに行くぞって言って来るから離脱しない。だから駅から遠くてもいいんじゃないっていうのは思ってました。
当時すでに日本人街にはお好み焼きを出す店が2軒あり、どちらも流行っていました。さらに、20万人以上を動員する夏の大型イベント、ジャパンエキスポでもお好み焼きは行列ができていたといいます。
お好み焼きはそういう意味でソースは受け入れられてるんだなと思ったんですよね。
既存店には作り置きの店もあったため、味で勝負できるという手応えも決定打の一つになりました。ちゃんと作れば、より美味しく出せるという確信です。
話題を呼んだ引きの強さ
開店後、お客さんが定着するまでには1年ほどかかりました。ただ、マレ地区ならではの広がり方があったといいます。
パリコレのタイミングになると、地区の画廊がショールームに変わり、ファッションの最先端にいる人たちが集まります。その人たちがお好み焼きを食べに来て、「新しくて美味しい店がある」とじわじわ評判が広がっていきました。
さらに、オープン前から有名紙フィガロの取材依頼が舞い込みます。当初は詐欺だと思って無視していたところ、本物でした。
いや偽物だろうと思って無視してたら本物で。実際来てくださって、載せてくださって、しかもラジオでまで喋っていただいてみたいなことがあって、そういうのは恵まれましたね。
プレスリリースを出していたわけではなく、2年かけて「お好み焼き屋をやる」と各所で言い続けていたことで、情報がどこからか広がっていたのではと振り返ります。
めっちゃすごい、いきなりスピリチュアルの話をすると引き寄せる力が強いです。
この「引きの強さ」は、テレビ番組『笑ってコラえて!』のオープン密着3ヶ月の企画でも証明されます。最初は半信半疑だったディレクターが、最後には信じるようになったといいます。
最後の最後に、ヒロコさんの放送回が決まりました、タッキーアンド翼がゲストですって言われて、爆笑して。引きが強いのは本当にわかりましたって言われました。
田淵さんは中学生の頃から滝沢秀明さんのファンで、放送回のゲストがまさかのタッキーアンド翼だったという偶然でした。
一億円の年商を支える広い客層
現在の売上は絶好調です。18席の小さな店ながら、最高月商は6万5000ユーロ、日本円にして約1200万円に達したといいます。
これだけ成功していても、周囲に似た店が次々に出てくることはありませんでした。原価が安く参入しやすそうに見えて、実際はお好み焼き屋は増えず、パリのお好み焼き屋は数軒にとどまっています。
人気が安定している秘訣は、客層が広がり続けていることにあります。最初は流行に敏感な層、次に日本やアニメが好きな層、そして地元の人へ。極めつけは、読者層が60代前後以上とされる雑誌テレラマに掲載され、年配の客も増えたことです。
本当に層が広がっていくのが見えてたので面白かったですね。
昨年夏には、75万フォロワーを持つパリ専門のインスタグラマーが勝手に来店・撮影・投稿し、それが大バズり。本来は日照や店の構造の関係で夏は客足が鈍る店ですが、思いのほか忙しくなったといいます。
なぜ2店舗目が福岡だったのか
フランスでは店舗はお好み焼き屋1軒のみ。コロナ直前に日本酒バーを開けたものの、その後閉店しています。そして意外にも、2店舗目は福岡・博多のキャナルシティでした。
コロナ前から日本出店の話は来ていました。東京の商業施設の話はギリギリで競り負けたものの、結果的にコロナ禍で日本に行けず飲食店も開けなかったことを思えば、負けてよかったといいます。
負けてよかったんですよね。じゃないとコロナのタイミングだと日本に行けないし、飲食店もオープンできなかったので、悪運が強いというか。
その後、興味を持てずにいたところに、キャナルシティで飲食店21軒を同時オープンするという話が舞い込み、面白そうだからと出店を決めました。
多様な食に応える店づくり
お好み焼き屋が多い日本で、なぜ田淵さんの店に声がかかったのか。味への評価に加え、食の多様性への対応が理由でした。
OKOMUSUは鉄板を2枚使い、片方は豚を焼く鉄板、もう片方は絶対に肉を焼かない鉄板と分けています。鉄板は洗っても限度があるため、気になる人に配慮した工夫です。ベジタリアンやヴィーガン、グルテンフリーにも対応しています。
機材は洗えるけど、鉄板って洗えるにしても限度があるので、気になる人は気になるだろうなと思って、それをやってます。
グルテンフリーのお好み焼きは、もち米粉で作り、ソースもグルテンフリーのものを使っています。こうした対応はフランスで営業する中で自然に生まれた発想でした。
通常のお好み焼き用。エビ、イカ、豚などを提供する
ベジタリアン・ヴィーガン対応。宗教上や信条で肉を避ける客のために分離
博多店では、ベジタリアンやヴィーガンの欧米系の客が多く訪れます。福岡は海鮮やラーメン、もつ鍋は美味しいものの、動物性のものを避けようとすると選択肢が一気に狭まるためです。うどんもカツオ出汁のため、それすら避けたい人が困って来店するといいます。
ヨーロッパで何度も来店した客が、遠く離れた博多の店まで足を運ぶこともあります。「じゃあ今度パリで会おうね、その方が近いからね」と笑いながら帰っていく光景は、店のスケールの大きさを物語ります。
記憶に残らないほどのピンチと逆境耐性
パリで飲食店を営む中で、一番やばかった危機は何だったのか。聞き手が尋ねると、田淵さんは即答できませんでした。
なんだろうな。ピンチって難しいですね。なんかもうあんまりにありすぎて、もう記憶にないというか。
営業中に上から水が降ってくる、水が噴き出す、食洗機が動かない。こうしたトラブルは「あるある」で済むレベル。空き巣にも2〜3回入られていますが、物を置いていないため被害は少なかったといいます。
最初は焦っていたトラブルも、「また起きたね」と受け止められるようになり、メンタルが強くなったと語ります。AIに強みを分析させたところ、「逆境耐性が強い」と出たそうです。
昔からある程度強かった上に、さらに強くなったとは思いますよね。
ヨーロッパ展開という次の野望
これからの展望について、田淵さんはヨーロッパでの展開を挙げます。日本での出店も楽しいものの、為替の問題もあり、ヨーロッパでフランチャイズを入れる方が面白いと考えています。
すでにヨーロッパには一定数のお好み焼きやたこ焼きの店があります。オタフクソースの周年イベントで各国の店主が田淵さんの店に集まり、横のネットワークもできたといいます。
田淵さんの願いは、元日本人ではなくヨーロッパの現地の人がお好み焼き屋を開けてくれること。寿司ほど難しくなく、ステップが少ないぶんミスが目立つものの、味の決め手はソース会社が持ってくるためぶれないと説明します。
切る、混ぜる、焼くなんで、どれか一つをミスるともう点以下になるから、それだけで味は落ちるんですけど。とはいえ、味の決め手はソース会社さんが持ってくるわけだから、味はぶれないじゃないですか。
焼き方さえちゃんと覚えてしまえば、日本人じゃなくてもできると思います。愛情があれば。
ヨーロッパで店をやりたい人がいれば、XのアカウントまでDMを、と呼びかけています。また、博多店にもぜひ遊びに来てほしいと話します。
お好み焼き屋さんでスナックじゃない。スナックに行きたい人は私と飲みに行きましょう。
まとめ
フランス語ゼロから単身渡仏し、茨の物件探しを経てパリでお好み焼き屋を成功させた田淵寛子さん。多様な食への対応や地道な営業、そして数々のピンチを乗り越える逆境耐性が、その歩みを支えていました。
- 渡仏1年目はフランス語学校とネットワーキングで地盤を固め、単身で人脈を広げた
- 重飲食に適した地上階の物件は限られ、最終的に自力でマレ地区の物件を見つけた
- パリコレ客やフィガロ紙の取材から評判が広がり、客層は流行層から年配層まで拡大した
- 豚を焼かない鉄板やグルテンフリー対応など、食の多様性への配慮が差別化になっている
- 今後はヨーロッパでの展開を見据え、現地の人がお好み焼き屋を開くことを願っている
