アフリカ・ベナンとの縁のなさ
番組はエンタメとグローバルをテーマにしたポッドキャストで、前半はゲストの生い立ちやキャリアを掘り下げます。今回のゲストは、西アフリカのベナンで会社を経営する大場カルロスさんです。
カルロスさんは家族でベナンに移住して3年ほど。聞き手の坂本さんが日本を離れたのとほぼ同じタイミングだといいます。
西アフリカのベナンという国に住んでいます。家族で住んで3年ぐらい経つので、坂本さんとほぼ同じタイミングで日本から移住している感じですね。
ベナンはナイジェリアの隣にある、縦に細長い国です。人口は1400万人ほどで、公用語はフランス語だと説明されています。
見た目の風貌から、アフリカにゆかりがあるのかと問われますが、カルロスさんの答えは意外なものでした。
私は本当に茨城生まれ茨城育ち、先祖代々水戸藩の武家の出身の大庭家というところの末裔でございまして、親も両親とも日本人で。
仕事でもアフリカにはほとんど関わってこなかったといいます。今のドッツフォーを起業する直前の職で初めてアフリカのスタートアップに就職し、そこで「これは面白いぞ」と気づいて起業に至ったそうです。
「知らない道探し」という原点
幼少期から海外に興味があったわけでもなく、25、6歳まで英語すら話せなかったとカルロスさんは振り返ります。国際畑からは遠い人生だったといいます。
茨城の田舎で1978年に生まれ、インターネットが出てきたのは高校生のころ。泥だらけで遊ぶ子どもでしたが、今につながる行動が一つあったといいます。
改めて今、当時の自分が今の自分につながっている行動は何かなって思うと、ひたすら知らない道探すっていうのをやってましたね。
父親の車で出かけた帰りに別の道を通ってもらったり、自転車での通学路で「今日はこっち左曲がってみよう」と試したり。知らない道を探すことを繰り返していたそうです。
この習性は、25歳ごろから始めたバックパッカー的な行動につながったとカルロスさんは考えています。休みや転職の合間に海外を回るようになりました。
子供の頃、自転車で1時間の通学路を左行ってみようかな、右行ってみようって。多分同じ。スケールが違うだけでやってること同じだなって改めて思うぐらいなんですよ。
これまでに約100か国を訪れ、先進国よりも「誰も行ったことがないような場所」に惹かれてきました。中南米、中央アジア、中東、東欧と回った末に、すっぽり抜けていたのがアフリカだったといいます。
「アフリカ」とひとまとめにする大雑把さ
前職に入ったときも、決め手は「アフリカはめっちゃ面白そう、行ったことないし」という点でした。実際に関わってみると、旅先としてもビジネスチャンスとしても大きな可能性を感じたそうです。
アフリカめっちゃ面白いぞと。旅先としても面白いし、ビジネスチャンスとしてもめちゃくちゃでかそうだなって思ったのに、まだ誰も周りあんまり気づいてないっていうマーケットで。
アフリカが遠く、情報も少ない大陸であることには坂本さんも同意します。カルロスさんはここで、人々の語り方に一つの引っかかりを感じているといいます。
中南米については「ブラジル」「アルゼンチン」と国名で語られるのに、アフリカだけは「アフリカ」とひとまとめにされる、というのです。
アフリカ54か国あるのに、それをアフリカってまとめるのはどれだけ大雑把なのか。場所によっては年中暑いけど、場所によっては冬に雪が積もりまくる。本当にダイバーシティがあるんですよ。
西と東で違い、言語も異なり、村に一歩入れば英語もフランス語も方言も通じなくなる。それほどの多様性があっても、遠さゆえに大きな塊で語られてしまうと話されています。
マクドナルドの店長からバンドマンへ
アフリカに至る前、カルロスさんは大学卒業後に「黄色いマークのハンバーガー屋さん」の店舗で働き、アルバイト約50人のマネジメントをしていました。その後、CG制作やバンド活動もしていたといいます。
バンドはCDがタワーレコードに並ぶところまでいったものの、最終的には鳴かず飛ばずだったと振り返ります。
2001年ごろのマクドナルドは「名ばかり店長」という言葉が出てきた時期で、激務だったといいます。
本当に朝の4時から店舗行って、翌朝の5時に帰るみたいな生活を2年ぐらいやって。月に、2か月に1回休みとか、そんな感じの生活をしてたんですよ。
体調を崩して退職し、体調が悪くなった母親と自宅で過ごしながら、CG制作などで日銭を稼いでいた時期が20代前半でした。
育てれば人は育つという学び
この時代の経験の中でも、ハンバーガー店の経験が今一番影響していると、カルロスさんは強調します。初めて働く高校生が、トレーニングを経て一人前の動きをするようになる過程を見てきたからです。
最初は本当にサンダルで来たとか、遅刻当たり前とか、口の利き方も全くできないみたいな人なんだけど、ちゃんとトレーニングすると一丁前の社会人っぽい動きをするんですよ。
育った人が次に入ってきた高校生を育てる。この連鎖の経験が、アフリカの現地社員の育成にそのまま生きているといいます。
現地社員の多くは家の農業しかやったことがなく、給料をもらう仕事が初めての人がほとんどです。それでも手をかければリーダーになり、次の新人を育てていくのだと話されています。
農業しか家の農業しかやったことなくて、給料もらう仕事が初めての人がほとんどなんですけど、ちゃんと手をかけるとちゃんとリーダーになっていくんですよ。
全くできない状態に面食らうこともありそうですが、カルロスさんは「諦めない先がある」と分かっていることが大きな学びだったと語ります。
英語ゼロから国際部へ、そして「何とかする」旅
その後、人のつながりで国際系の仕事に誘われます。仕事を辞めて家で過ごしていた時期に「時間があるならやってみないか」と声をかけられ、飛び込んだそうです。
経験も英語力もない中で不安はなかったのかと問われても、カルロスさんはあまり気にならなかったといいます。新しいことへの恐怖より「面白そう」が勝つ性分は、知らない道探しに近いと分析します。
仕事先は、大学などの研究費に助成金を出す国の独立行政法人の国際部でした。世界中の研究者と日本の研究者をマッチングし、審査や助成、完了検査までを担う業務です。
前職とは対照的に、毎日スーツにネクタイをする堅苦しい仕事でしたが、6年ほど働きました。面白さの理由は「世界の広さ」だといいます。
こんなに世界が広いし、自分はなんてちっぽけなんだ、もっともっといろんなこと知りたいって思ったのがすごく面白かったです。
英語ゼロから駅前留学に週3で通い、初の海外出張は2月のモンゴルでした。研究者たちと英語でやり取りしながら、わかったふりをして条件交渉をするなど、つらくも面白い経験だったと振り返ります。
その後もアメリカ、メキシコ、タイ、南アフリカと世界中に出向き、「次はどこ行けるんですか」と自ら手を挙げていたそうです。
この姿勢の背景には、旅のスタイルに表れる性分があります。妻は事前にすべて予約する派ですが、カルロスさんは行きと帰りの飛行機だけ取り、その場で決めていくスタイルです。
どっちかというと私はその何とかすることをしに行ってる感じなんですよね。トラブルが起きた時、これをどうやって解決できるかにするために何か行動をしている感じがある。
妻の「全ベット」と、家族ケアという事業戦略
MBA留学を経て日本のAmazonに入社した時期もありました。Amazonのリーダーシップ・プリンシプルは今も好きだといいますが、働くこと自体は面白く感じなかったそうです。
理由の一つは、アメリカ資本の日本ブランチには裁量権が乏しく、決まったことを日本に下ろす立場だった点です。その後は日本の大企業で欧米事業の責任者になりますが、今度は「大企業で物事が全然進まない」と感じたといいます。
もともと起業したい思いがあったため、駐在前提のスタートアップへ転職。タイのバンコクで法人立ち上げと東南アジアの事業責任者を担い、結婚した妻とタイに住みました。
欧米のいい都市への出張が続く生活も、意思決定の遅さには我慢できなかったといいます。アメリカは合っていたものの、動きの速い場所を求めた結果でした。
妻はもともと海外志向が強かったわけではありません。それでもタイ、そしてアフリカへとついてきた背景には、ある言葉があったといいます。
私はあなたに自分の人生をベットしてるんだから、自分のこの賭けが正しかったってことを証明してほしいって言われて。それは本当に証明しなきゃなっていうところはすごい思って過ごしてます。
ただし妻はシビアな一面も持っています。「愛だけで来てるわけじゃないんだから、ちゃんとリターン出せよ」と言われるそうです。カルロスさんは妻を「一番の株主」だと表現します。
家族を大事にすることは、事業のためにも欠かせないと考えています。3歳と6歳の子どもがおり、朝と夕方は基本的に仕事ができない縛りがあるといいます。
一見すると事業への制約ですが、カルロスさんはそれを別の見方でとらえています。
家族のケアをすることが結局事業リスクを最小化することなんだろうなと思ってやってます。つまり家がゴタゴタしてると事業に集中できないよねって話なんで。
家族をきちんとケアすることで、月1回の地方出張を許してもらえる関係を築けている。それが事業に集中できる環境につながっていると話されています。
まとめ
アフリカと縁もゆかりもなかったカルロスさんが、ベナンでの起業に至るまでの歩みを振り返る前半回でした。幼少期の「知らない道探し」から、人を育てる経験、そして家族の支えまで、点と点がつながっていく様子が語られました。
- 茨城生まれで英語も25歳まで話せなかったカルロスさんは、幼少期の「知らない道探し」がバックパッカー気質、そしてアフリカ起業へとつながった
- 「アフリカ」とひとまとめに語る大雑把さへの違和感が、54か国の多様性への視点を物語る
- マクドナルドで得た「育てれば人は育つ」という学びが、アフリカ現地社員の育成にそのまま生きている
- 新しいことへの恐怖より「面白そう」が勝ち、「何とかする」ことを求めて動く性分がキャリアを形づくった
- 妻の「あなたに人生をベットしている」という言葉と家族ケアを、事業リスクの最小化として位置づけている
