サントリーでの歩みと「自販機研究家」の正体
後編は、森新さんがサントリー食品インターナショナルに入社してからのキャリアを追う内容です。聞き手の森下明さんが、仕事の変遷から自販機への情熱までを掘り下げていきます。
森さんはまず、小売店の店づくりを支援する仕事を1年経験しました。
その後、北関東エリアで自動販売機の補充や管理を行う卸業者、いわゆるオペレーターの窓口担当を2年半務めます。
続いて人事労務や労働組合との交渉を3年担当し、その後、公募で自販機関連の新規事業に異動しました。この新規事業に携わってから6年ほどになるといいます。
番組冒頭から「自販機研究家」と紹介される森さん。森下さんが、なぜ自称しているのか尋ねます。
自販機が大好きなのと、とうとうですね、自販機が喋ってる中の言語まで読めるようになってしまいまして。自販機語。
そのレベルの高さに森下さんは驚きます。森さんは、自販機の気持ちすらわかるようになってしまったと語ります。
自販機の中で交わされる「言語」
森下さんが、自販機の中で使われる言語について踏み込んで質問します。
ベースはCなんですけど、マスタースレーブ通信っていう通信構造に成り立っていて、主制御とかマスターなんですけれども、これに金額表示機とかコインメイクとかビルバリとかキャッシュレスとかボタンとか、こういったものがマスターとスレーブ通信をしながら、まさかの一本の線で通信をし合っている。
さらに「スレーブ通信」を噛み砕いてほしいという森下さんに、森さんは身近な例えで説明します。各端末には固有のアドレスが振られていて、主制御が呼びかけると、その端末だけが反応する仕組みだといいます。
一個のライン上に2人森下さんがぶら下がってしまうと、主制御からすれば森下一号と二号から同時に返事されるから、俺今どっちと会話してんだろうってわけわかんなくなる。
この構造ゆえに、自販機には同じアドレスの端末や複数のキャッシュレス端末をつけられないのだと森さんは説明します。
この通信方式のベースは自動車業界の技術から来ていると森さんは言います。自動車ではCANバス通信と呼ばれるものが、自販機ではIEバスとして使われているとのことです。
なぜ「過小評価されたもの」を推すのか
森下さんが、自販機を好きな理由を尋ねます。森さんの答えは、自販機そのものより一段引いた視点から始まりました。
地味なもので、なのに社会でたくさん活躍しているもの。過小評価されているものが好きで、それを本当はもっとすごいんだぞっていうのを知らしめるということに自分が寄与できることがとてもワクワクする。
これは一種の推し活かもしれない、と森さんは表現します。好きなものをより多くの人に見てもらい、表舞台に引っ張り出すことが好きなのだといいます。
その考え方は、著書のテーマとも共通しています。森さんはキーボードショートカットやメールソフトの使い方の本を出していますが、これらもまた「地味だが多くの人を支え、実はよく作り込まれている」ものだと語ります。
この気持ちが強くなったのは入社後だといいます。森さんは、その根拠として「初めての買い物」の話を持ち出しました。
森下さんが近所のスーパーで駄菓子を買ったのが最初ではと答えると、森さんは、自販機を含めれば実は初めての買い物は自販機なのではないかと返します。
(自販機に)お金入れてごらんって、ボタンを押してごらんって。あれ立派なお買い物なんで。
買い物としてノーカウントされてしまうほど、自販機は普及しすぎて日常になっている。特別な体験ではなくなっていることを、森さんは指摘します。
シンガポールに住む森下さんは、日本がグローバルで最も自販機が当たり前になっている国だと応じます。
なぜ好きかは言語化しない。森流のインプット観
森下さんは、過小評価されたものを底上げしたいというモチベーションがなぜ湧くのかを、さらにメタに問います。森さんの答えは、あえて「わからない」でした。
この人なんか好きっていうものがあったとして、それを全て言語ができた暁には、もはや終了を迎える合図なんじゃないかっていうのが僕の持論で。
感情とは、言語化できない状態が上り坂であり、言語化でき始めた状態は下り坂だ、と森さんは表現します。なぜ好きかを分かろうとしない方が長続きするというのが、森さんなりの持論です。
日頃のインプット方法を聞かれると、森さんは意外な答えを返しました。本は「絶対に読まない」といいます。
代わりに大切にしているのは、自分自身との対話と、人に会いに行くことです。東京に住んでいるため、最前線の人にすぐ会いに行ける環境を活かしていると語ります。
朝の弱さから始まったパラレルキャリア
話題は、森さんのパラレルキャリアへ移ります。きっかけは意外にも「朝が弱かったこと」でした。
朝に強くなれば時間を有効に使えると考えていたある時、父親が「朝の時間の使い方」という本を送ってきたといいます。そこに書かれていたのは、朝に予定を入れなさい、という一点でした。
そこで森さんは、朝限定で就活生のOB訪問を受け付けるシステムを開設します。マッチングサイトを使い、毎朝、サントリーを志望する学生の訪問を受けていました。
ところが2、3か月続けると、就活生の質問が全く同じであることに気づきます。変化点を作らないと習慣化できないと考えた森さんは、次の一手に切り替えました。
次に私パソコン得意だから、パソコンを朝激安で教えますみたいなのに次切り替えたんですよ。朝7時から1時間あたり1000円とか1200円みたいなので。
この朝のパソコンコーチングは意外にも予約が入りました。続けるうちに、さまざまな企業に勤める人たちのパソコンの困りごとや共通点が見えてきます。
森さんはこれを「仮想的に100社に勤めている状態」と表現します。ビジネスパーソンのノウハウの最大公約数をまとめ上げることは、やれそうでやれないことだと気づき、出版へと至りました。
結局親父が送ってきた朝の時間の使い方っていう本にまた私は左右されてしまったという。
本の出版はほぼ飛び込みだったといいます。森下さんも同じプロセスで出版した経験があり、共感を示しました。森下さん自身も、同じ質問を受け続けることに飽き、答えを1冊にまとめたくて本を書いたと語ります。
23万部売れても見えた「一人の限界」
森さんの2冊の著書は、合わせて23万部ほど売れたといいます。1万部で大ヒットと言われる世界での快挙でした。しかし、そこで森さんが気づいたことは意外なものでした。
この二十何万部も1万部売れたら大ヒットって言われる世の中で、その20数倍売れたが、やっぱりこの書籍で食っていくのは難しい。村上春樹さんぐらいしか生きられないんじゃないのかな。
一人で生きていくことの難しさに加え、森さんは「一人で何かをドリブルするのは楽しくない」とも語ります。
誰かと賑やかに仕事をしたいわけではないものの、社会にインパクトを出したいという思いがある。それを一人の会社で実現するのは難しいと感じたのだといいます。
稲妻のように降ってきた「ジハンピ」の構想
話は、自販機のキャッシュレスアプリ「ジハンピ」の開発へと移ります。森下さんが、どのような着想で作ったのかを尋ねます。
こういうふうなアーキテクトにしたら、自販機の決済ってイニシャルコストもランニングコストも安くなるよなと。安くなったら多くのお客様にキャッシュレス端末届けられるよな。じゃあパテントブロックしようっていう、そんな感じです。
ある日、稲妻が降ってきたように構想が生まれたと森さんは表現します。森下さんは、その稲妻が走るまでの思考の蓄積を問いました。
365日24時間、大げさに言うと本当に自販機のこと私ずっと考えてます。あとは自販機の前で買うのを諦める人っていうのもよく見てます。
森さんは、買うのを諦める人を2パターンに分けて観察していました。1つは現金しか使えず、手持ちがない人。もう1つは、キャッシュレス端末があっても操作が間に合わない人です。
自販機のボタンが点灯するのは20秒ほど。その間にPayPayアプリを起動し、QRコードを読み取り、決済まで完結できた人だけがキャッシュレスで買えるのだと森さんは説明します。
初めての買い物ができるほど自販機はユニバーサルであるはず。それが時代と噛み合わなくなり始めていることへの危機感が、開発の原動力でした。
誰も持たないノウハウを、自販機を解析して手に入れる
革新的なアイデアには、自販機の言語や通信の理解が不可欠でした。森さんは、自販機側の解析にまで踏み込んだといいます。
そのノウハウは社内の誰も持っておらず、自販機メーカー側でも片手で数えられるほどの人しか持っていませんでした。聞く先がないため、森さんは既存の自販機そのものを構造分解していきました。
もうゲノム解析じゃないけど。もう今ある自販機自体を、実態をもう構造分解していく。
森下さんが「誰もしないテーマの研究職のようだ」と表現すると、森さんも自らを研究職だと認めます。「自販機研究家」という肩書きの実態が、ここで裏づけられました。
大規模障害ゼロを支えた「頭出し」の分業
森下さんは、ソーシャルゲーム開発の経験から、クラウド上でのデータ突合や通信速度の問題について尋ねます。しかし森さんの答えは、あっさりしたものでした。
一度もリリースしてから大規模障害も起きてないし。全部織り込めた。自販機側の通信速度とお客さんのスマートフォンの通信速度が逆転するパターンとかも全部考慮してるし、その逆も全部考慮してる。
その理由を、森さんはメンバーに恵まれたことだと語ります。リスクの可能性を「頭出し」するだけで、優秀な仲間がヘッジ策まで組み込んでくれるのだといいます。
特許開発においても同じ構造がありました。会社には知財部のスペシャリストがおり、後方支援に弁理士がいる。森さんが「こういう特許は作れますか」と頭出しすれば、あとはプロが動いてくれるといいます。
着想から特許、ハード開発、リスク対応まで、すべての役割を一人で担う必要があり、限界がある。
着想やリスクの「頭出し」に集中でき、知財部や弁理士、優秀なメンバーが後方支援としてヘッジ策まで組み込む。
開発期間は着想からリリースまで2年半から3年ほど。ソフトウェアだけなら1年ちょっとで済んだものの、今回は自販機用の専用通信端末というハードウェアまで作ったため時間がかかったといいます。新紙幣の流通に間に合わせたい思いから、本当はもっと早くやりたかったと語ります。
「データは価値」に懐疑的な理由
森下さんは、次のフェーズとして購買データの利活用が議題になるのではと問いかけます。しかし森さんは、これをきっぱり否定しました。
だって自販機って別にお客様の情報も何もいただいてなくて、SMS認証だけっていう風にわざとしてるんで。お客様にとって関係のない情報入力はもう全て削ぎ落としてる。
マーケティングのためのデータはほぼなく、補充に必要な販売数のデータがあるだけだといいます。「データが価値ある」という言説について、森さんは率直な違和感を口にします。
よくなんかいろんな人たちがデータが価値あるっていう風におっしゃるんですけど、ちょっと私は何言ってるかわからないな。
ソフトドリンクという商材は、そもそも顧客の属性でセグメントを切るようなものではない、というのがその理由でした。
おごり自販機と、会社から見た森新という人
森さんは自販機を使った他のビジネスも手がけています。「社長のおごり自販機」では、特許開発からサービス設計、コンセプト、マーケティングまで一貫して担当したといいます。ラズベリーパイという電子工作キットで自販機を制御していました。
森下さんが、会社から森さんはどう見られているのかと尋ねると、森さんは「会社って誰だよ」と切り返しつつ、率直に答えます。
元気な若手。よくお金を浪費する元気な若手。自販機が大好きな子。
失敗もたくさんするので百発百中ではない、と森さんは付け加えます。
サントリーが野心的なチャレンジを許す会社なのか、という問いに対して、森さんの答えは印象的でした。
結構ね、人の足は引っ張んないですね。みんな。対して応援もしないんです。とにかく人の足を引っ張らない。
熱量とキャパシティを持って走りきる人には、走らせてくれる。良かれと思ったアドバイスが本人に意味を成さない「エセ協力」より、一番現場を見ている人間を一旦信じることが大事だと森さんは語ります。その背景には「やってみなはれ」という会社のメッセージがありました。
40万台という「社会」を背負う使命感
森下さんは、森さんの人生の目標や幸せの形を尋ねます。森さんの答えは、パチッとした目標のないものでした。
自分が楽しい方に、そしてそこが社会がニーズがたまたま重なる、自分が楽しい方向があれば、そこに流れるように自由に生きていくことができれば、私にとっては幸せで。
欲を言えば、楽しそうに生きる自分の背中を見た後輩が、自分の個性を出して自由に働いてもいいと思えるようになったら素敵だ、と森さんは語ります。
森下さんは、その視点が「社会」という大きなスコープに向いていることに注目します。自分は社員やステークホルダーまでしかモチベーションを持てないと語り、なぜ社会にまで貢献の範囲を広げられるのかと問いました。
森さんの答えの根っこには、やはり自販機がありました。もっと自販機を認めてもらいたいという思いに加え、今は使命感が生まれてきているといいます。
サントリーの自販機って日本で40数万台あるんですけど、この四十万のネットワークを維持し、それで社会のお役に立たないといけないっていう思いがある。だから社会の接点が常にあるんですよ。
その規模は、セブンイレブンジャパンの店舗数の20倍にあたるといいます。もはや社会そのものと形容しても大げさではない、と森さんは語ります。
自販機を通じて解決しうる社会課題があるなら、飲み物に関わらずバットを振らねばならない。二人の距離を担保しコミュニケーションの場になるようなことも、自販機で解決できるならやるべきだと森さんは語ります。
「怖いんですよ」に宿る責任感
40万台を背負う使命感を、森さんは「だから怖いんですよ」と表現しました。この一言に、森下さんは強く反応します。
森下さんは、自身も社員や業務委託を含め30人ほどを抱える経営者として、キャッシュが尽きれば全員を路頭に迷わせるという恐怖と日々向き合っていると語ります。
一方で森さんは、立場としては極論、逃げようと思えば逃げられる社員です。それでも「怖い」という言葉が出てくることに、森下さんは深く感心しました。
森さんが「暗い話ですみません」と気遣うと、森下さんは「暗くない、面白かった」と応じ、前後編にわたるインタビューを締めくくりました。
まとめ
後編は、自販機を「過小評価されたもの」として推し続ける森新さんの、独特な視点と使命感が浮き彫りになる回でした。パラレルキャリアから「ジハンピ」開発、そして40万台のネットワークを背負う覚悟まで、一貫していたのは自販機への深い情熱でした。
- 森さんは自販機の通信構造や言語まで解析し、自らを「自販機研究家」と位置づける
- なぜ好きかを言語化しないことが、情熱を長続きさせる持論になっている
- 朝の弱さから始まったパラレルキャリアが、23万部の著書と出版へつながった
- 「ジハンピ」は、決済のコストを下げて多くの人にキャッシュレスを届ける着想から生まれた
- 40万台という社会規模のネットワークへの使命感が、「怖い」という言葉に表れている
