生き延びるために怠惰というOSをインストールせよ──『働かない「怠けもの」と呼ばれた人たち』が教えてくれること
本つまみぐいラジオの第16回1話目では、イケダハヤトさんがトム・ルッツアメリカの文化史家・作家。カリフォルニア大学リバーサイド校教授。怠惰や労働倫理を文化史の視点から研究している。著『働かない「怠けもの」と呼ばれた人たち』を紹介。古今東西の怠け者たちの系譜をたどりながら、「勤勉=善」という価値観の成り立ちと、AI時代に起こりうる労働観の大逆転について語っています。その内容をまとめます。
怠け者は嫌われる、でもなぜか魅力的
イケダハヤトさんが今回持ってきたのは、トム・ルッツ著『働かない「怠けもの」と呼ばれた人たち』(原題:Doing Nothing)。2006年に初版が出た分厚い一冊で、2025年に新装版が刊行されています。AIやベーシックインカムの議論がまだ存在しない時代に書かれた本ですが、だからこそ「怠け者」という存在を純粋に歴史的・文化的に掘り下げている点が面白いのだと語ります。
本書を通じてまず浮かび上がるのは、どの時代にも「働かない人」は存在し、たいてい嫌われてきたという事実です。しかし同時に、そうした怠け者たちにはどこか抗いがたい魅力があるとイケダハヤトさんは指摘します。
象徴的な例として挙げられたのが、古代ギリシャの哲学者ディオゲネス紀元前4世紀のギリシャの哲学者。犬儒派(キュニコス派)の代表的人物。樽の中で暮らし、一切の社会的地位や富を拒否したエピソードで知られる。です。樽に住み、富にも権力にも興味を示さず、訪ねてきたアレクサンドロス大王紀元前356〜323年。マケドニア王。史上最大級の帝国を築いた軍事的天才として知られる。に「日陰になるからどいてくれ」と言い放ったとされる人物。当時の人々からすれば迷惑な存在でしかないのに、2000年以上経った今でもその逸話が語り継がれ、私たちはどこか痛快さを感じてしまいます。
僕らの文化の中だと、寅さんもスナフキンものび太も──魅力的なキャラクターって、だいたい働いてないんですよ
フーテンの寅さんは定職に就かず実家に帰るたびに「働けよ」と言われる人物ですが、映画シリーズは50作を超える国民的人気作品です。スナフキンもまた、フラフラと旅を続ける自由人でありながら、その言葉に多くの人が心を動かされます。私たちは「勤勉であるべき」と思いながらも、労働から自由な存在に憧れを抱いている。そんなアンビバレント相反する感情を同時に抱くこと。この場合、「怠け者は許せない」と「怠け者に憧れる」という矛盾した気持ちが共存している状態を指す。な感情が、古今東西の怠け者たちの物語を通じて浮かび上がってくるのだといいます。
「勤勉=善」はどうやって作られたのか
2つ目のポイントとして、「働くこと=善」という価値観は自然発生的なものではなく、歴史的に"教育"されてきたものであるという点が語られました。本書はこの過程を丁寧にたどっています。
まず中世ヨーロッパでは、キリスト教──とりわけプロテスタンティズム16世紀の宗教改革から生まれたキリスト教の一派。マックス・ウェーバーは著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、プロテスタントの勤労倫理が近代資本主義の発展を支えたと論じた。の影響で、怠惰は七つの大罪キリスト教で人間を罪に導くとされる7つの悪徳。傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰(sloth)・強欲・暴食・色欲。怠惰は英語で「sloth」と呼ばれ、中世以来の道徳教育で戒められてきた。の一つに数えられるようになります。怠けることは罪──という刷り込みがまず起こりました。
近代に入ると、ベンジャミン・フランクリン1706〜1790年。アメリカ建国の父の一人。政治家・科学者・著述家として多方面で活躍。『貧しいリチャードの暦』などを通じて勤勉・節約を説き、アメリカ的な自己啓発文化の源流を作った人物。のような人物が登場します。「Time is money(時は金なり)フランクリンが1748年の著作『若き商人への助言』で書いた有名な格言。時間を無駄にすることは金銭を失うことと同義だという考え方。」を広め、早寝早起きの美徳を言語化しました。
そして産業革命以降、資本家が労働者を効率的に働かせるために9時〜5時の労働を制度化していきます。宗教・自己啓発・資本主義という3つの方向から「勤勉であれ」という圧力が重なり、いつしか私たちは「働くことは当然よいことだ」という価値観を内面化してしまった──というのが本書の見立てです。
嫌なことしなくていい率がどんどん上がってきてる。社会全体が、勤勉さから離れる方向に寄ってきてないですか?
しゅうへいさんが指摘するように、SNSやクリエイターエコノミーの台頭により、昭和的な「汗水たらして働く」イメージは徐々に崩れてきています。ソファの上でスマホを触ることが仕事になる時代。昔の人から見れば「そんなものは仕事じゃない」と言われそうなことが、現に生計を立てる手段になっているわけです。
AI時代、働かないことが"当たり前"になる?
3つ目のポイントは、本書の射程を超えた「この先」の話です。イケダハヤトさんは、AI・ロボットの進化によって「働かないこと」が標準になる社会が見えてきているのではないかと語ります。
収録の直前には、サム・アルトマンOpenAIのCEO。ChatGPTの開発で知られる。AI技術の急速な進化を踏まえ、ベーシックインカムやロボット税などの社会制度の再設計について積極的に発言している。が「ロボット税AIやロボットが人間の仕事を代替した場合、その生産性に対して課税し、失業した人間の生活保障に充てるという構想。ビル・ゲイツなども以前から提唱していた。」の導入を提案したというニュースがありました。AIやロボットの方が生産性が高いなら、経営者は合理的に人間を雇わなくなる。そのとき、AIが稼いだ分をベーシックインカム政府が全国民に対して無条件で一定額の現金を定期的に支給する制度。フィンランドやケニアなどで実験が行われている。労働の有無にかかわらず支給される点が特徴。として人間に分配する──そんな社会契約が現実味を帯びてきているのだといいます。
働くこと=善、怠けること=罪。怠け者は社会の端っこで嫌われる存在
AIとロボットが生産を担い、人間は働かなくてよくなる。「なんで働いてるの?」と言われる時代へ
イケダハヤトさん自身、会社を経営する立場から「正直、AIを使えない人とは一緒に仕事しにくい」という肌感があるとのこと。この流れが加速すれば、ロボットが畑を耕す時代に牛や馬を使わなくなったように、多くの仕事から人間が退場していく。そうなったとき、働かないことは怠惰ではなく、ただの「ふつう」になるかもしれません。
しゅうへいさんも「先駆者じゃん」と笑いながら、かつては「ゲームなんてするな」と言われていたのに、今やゲームにハマれること自体がすごいと感じるようになった──という価値転換の実例を挙げます。漫画すら「文字が多くて読めない」世代が出てきている今、何が怠惰で何が勤勉かの基準は、すでにどんどん書き換わっているのかもしれません。
「働く」の意味そのものが変わる
トークの終盤では、「働く」という言葉の概念そのものが変容しつつあるのではないかという話題になりました。
幸あれこさんは、子どもが草遊びに夢中になっているのを「ただ遊んでいるだけ」と見なすか、将来の植物学者の芽と見なすかで意味がまったく変わるように、遊びと仕事の境界は昔からもっと曖昧だったのではないかと指摘します。ROBLOXで遊ぶことが仕事になったり、YouTubeを見ることがリサーチになったりする現在は、そうした曖昧さが単に可視化されただけなのかもしれません。
スーツを着て出社し、9時〜5時でデスクに向かう。汗をかいて疲れて帰ってくるのが「ちゃんと働いている」証拠
ソファでスマホを触る。ゲームをする。昼まで寝る。それが「仕事」になったり、そもそも仕事をしなくてよくなったりする
なお本書のエピローグには、冒頭でソファに寝転がってアニメばかり見ていた息子が、その後ハリウッドに就職して多忙な日々を送っているという後日談が添えられています。怠け者の本を書いた著者自身も「怠け者について書くために全然怠けられなかった」と自虐的に振り返っており、本書はそうしたユーモアの余韻で幕を閉じます。
「働く」っていう言葉自体の概念が変わりそう。パソコンでカタカタするとかとは全く違う意味になるのかもしれない
まとめ
トム・ルッツの『働かない「怠けもの」と呼ばれた人たち』は、ギリシャの樽に住む哲学者から新宿ゴールデン街のフリーターまで、150人以上の怠け者を調べ上げた"怠惰の文化史"です。そこから浮かび上がるのは、怠け者は嫌われるのに魅力的であるという矛盾、そして「勤勉=善」という価値観が宗教・自己啓発・資本主義によって作り上げられたものであるという事実でした。
2006年の本なのでAI時代の議論は含まれていませんが、イケダハヤトさんはその先を展望します。ベーシックインカムが現実味を帯び、人間が働かなくてよくなる社会が来たとき、かつての「怠け者」はむしろ時代の先駆者になるのかもしれない。寅さんやスナフキンのような"自由な存在"がカッコよく見えるのと同じように、「怠けられること」が美徳になる日は、意外と近いのかもしれません。
- 怠け者はどの時代にもいて、嫌われてきたが、同時にどこか魅力的な存在として描かれてきた
- 「勤勉=善」という価値観は、キリスト教の倫理・フランクリン的な自己啓発・資本家の論理という3つの圧力で歴史的に作られたもの
- AI・ロボットの進化とベーシックインカムの議論により、「働かないこと」が当たり前になる社会が現実味を帯びている
- ゲームやSNSが仕事になるように、「遊び」と「仕事」の境界はすでに曖昧になりつつある
- 寅さんやスナフキンのような「自由な怠け者」が、未来の先駆者になるかもしれない

