正解はないからこそ、正しそうな道をジグザグ進む戦略が大事
ぼくらの戦略論第3回は、グロービス・キャピタル・パートナーズ日本を代表するベンチャーキャピタルの一つ。国内スタートアップへの投資で豊富な実績を持つ。のベンチャーキャピタリスト・高宮慎一さんのキャリアを、共同パーソナリティの長谷川リョーさんと振り返る回です。帰国子女としての原体験、東大受験での「逆張り」、ハーバードMBA合格のための差別化戦略、そしてVCという天職にたどり着くまでの道のりから、「人生に正解はないが、後付けで修正し続ければ大体正しい方向に向かえる」という人生戦略のエッセンスが語られました。その内容をまとめます。
帰国子女の原体験と「日本に貢献したい」という羅針盤
高宮さんは幼稚園の年長から小学1年生にかけてイギリスに滞在し、その後小学5年生から中学3年生まで再びイギリス、そしてオランダのブリティッシュスクールオランダにあるイギリス式カリキュラムのインターナショナルスクール。英語で授業が行われ、各国の駐在員家庭の子どもが多く通う。で過ごしたそうです。社会人になってからのハーバードMBAハーバード・ビジネス・スクールの経営学修士課程。世界最難関のビジネススクールの一つで、ケースメソッドによる教育で知られる。留学が初めてのアメリカ体験で、英語もブリティッシュ寄りとのこと。
1980年代のイギリスの田舎では日本人が珍しく、「Jap」「Yellow」と呼ばれていじめを受けることもあったといいます。その経験が「日本に戻ったら同質の仲間になれるのではないか」という強い憧れにつながりました。しかし、いざ帰国してみると、海外生活で変わってしまった自分がいて、思ったほどの同質感は得られなかったそうです。
日本に貢献したい、貢献することで仲間に入れてもらえるんじゃないかという思いは強いですね
この原体験が、現在のキャリアの根底にある「日本と海外を橋渡しして、日本の新しい産業を作りたい」という羅針盤になっていると高宮さんは語ります。海外に移住して仕事をすることには興味がなく、あくまで日本のスタートアップを盛り上げることに軸を置いている点が印象的です。
東大受験における逆張り──セオリー無視の科目選択
中学3年生で帰国した高宮さんは、日本の高校に進学し、普通に大学受験に臨みます。長谷川さんの「海外にいて急に東大って行けるものなんですか?」という素朴な疑問に対し、高宮さんは「全然地続きじゃない」と即答しました。
帰国子女なので英語はほぼ満点が取れ、数学も好きでそこそこできる。本好きなので現代文も対応可能。一方で日本の理科・社会にはまったくついていけなかったそうです。そこで高宮さんが取った戦略は、文系でありながらセンター試験1990年から2020年まで実施された日本の大学入試の共通テスト。国公立大学の受験には原則必須で、5教科7科目が一般的だった。の理科で物理を選択するという異例のものでした。
理科は暗記で対応できる生物・地学を選択するのがセオリー
数学の延長線上で解ける物理を選択。社会より理科で点を稼ぐ逆張り
高宮さん自身も「セオリーはガン無視していた」と認めています。自分の好きなもの・得意なものに最適化した結果であり、一般的な受験戦略としては効率が良くなかった可能性があるとのこと。実際に現役では不合格、浪人して前期も不合格、後期の論文試験で逆転合格するという波乱のルートをたどりました。
全然準備してなかった論文で受かっちゃうっていう。結局受験勉強全部いらなかったんじゃんみたいな(笑)
コンサル就職と「Best Available Option」の活かし方
東大経済学部に進んだ高宮さんは、就職活動でマッキンゼーマッキンゼー・アンド・カンパニー。世界最大級の戦略コンサルティングファームで、経営戦略の立案支援を主業務とする。やBCG(ボストン コンサルティング グループ)マッキンゼーと並ぶ世界的な戦略コンサルティングファーム。「経験曲線」「成長シェアマトリクス」などのフレームワークで知られる。を受けますが、不合格に。当時は就職氷河期で、戦略コンサルの新卒採用はマッキンゼーでさえ5人程度という超少数精鋭だったそうです。
結果として入社したのがアーサー・D・リトル(ADL)世界最古の経営コンサルティングファームの一つ。製造業・テクノロジー分野に強みを持ち、技術戦略やイノベーション戦略の立案で知られる。という製造業に強いニッチなコンサルティングファームでした。高宮さんはここで5〜6年勤務し、技術に根ざした戦略立案や技術戦略そのものの策定に携わります。
一見すると「第一志望に落ちた」結果ですが、高宮さんはこの経験について「Best Available Option(手に入る最良の選択肢)」として受かったところに行き、そこで得たものを次にどう活かすかが大事だと振り返ります。ADLで培った「テクノロジーの経営的な意味合いを解釈する力」は、後にテック系スタートアップを支援するVCの仕事と非常に相性が良かったのです。
高宮さんは自分を「最初からうまくできる天才型ではない」と評しています。初手は衝動的で好き嫌いに根ざしていることが多いけれど、そこから後付けで言語化し、PDCAを回して最適化していく──この「後付け力」こそが高宮さんのキャリア戦略の核心のようです。
ハーバードMBA合格を勝ち取った差別化戦略
ADLで5〜6年勤めた後、高宮さんはMBA留学に踏み切ります。高校受験の頃から「グローバルな仕事がしたい」と考えており、MBAはその入場券という位置づけだったそうです。
MBA受験は「かなり戦略を考えた」と高宮さんは言います。ハーバードの1クラス約90人のうち、アメリカ人が約8割。残りの「インターナショナル」枠は20〜30人ですが、南米出身でニューヨークのゴールドマン・サックス勤務のような人も含まれるため、「純インターナショナル」の枠は非常に限られます。さらに日本人にはなんとなくの上限目安もある。つまりMBA受験は、市場を作る戦略ではなく、極めて競争戦略既存の市場・枠組みの中で、競合他者との差別化やポジショニングによって優位性を確保するための戦略。マイケル・ポーターの「競争の戦略」が代表的な理論。の世界なのです。
高宮さんはこのプロセスを「極めてスタートアップ的」と表現しています。学校がどんなインターナショナル人材を求めているかというニーズを分析し、その中でどう差別化するかを考え、本気度の証拠を積み重ねていく。ビジネスの事業開発と本質的に同じアプローチです。結果、一発で合格を勝ち取りました。
「クリエイティブをビジネスにする」というWhatの発見
コンサル時代の後半、高宮さんは「これって自分のやりたいWhat(目的)だったんだろうか?」という壁にぶつかります。仕事自体は楽しかったけれど、コンサルティングそのものが人生の目的ではなかった。Whatが見えないままHowのパフォーマンスも落ちていく──いわば「第二思春期」だったと振り返ります。
MBA留学中、高宮さんは自分の「やりたいこと」を探るために動き続けました。デザインファームデザイン思考を軸に、プロダクトデザインやサービス設計、ブランド戦略などを手がけるコンサルティング企業。IDEOやfrogなどが代表的。でのインターン、教授のスポンサーを得てそのデザインファームの日本進出プロジェクトを立ち上げ、さらに日本ではグロービス日本最大級のビジネススクール運営とベンチャーキャピタル事業を展開する企業グループ。グロービス・キャピタル・パートナーズはその投資部門。のVCでインターンも行いました。
デザインファームとの起業プロジェクトは結果的にうまくいきませんでしたが、その経験を通じて「デザインファームそのものをやりたいのではなく、クリエイティビティをビジネスに変える、世の中の価値に変えることをやりたいのだ」という気づきが生まれました。
究極、スタートアップって起業家というクリエイターが作る最もクリエイティブなプロダクトだと思っていて。スタートアップそのものを世に出していくのが、自分がやりたかったことそのものなんだなと
VCは当初「セカンドベスト」のつもりで始めたそうですが、やってみるとコンシューマー向けプロダクトの0→1を1→10、10→100に育てていく仕事は、まさに「クリエイティブを世に出す」ことそのものだと実感。17年以上続くキャリアの中で、Whatとして深い納得感を持てるようになったといいます。
人生戦略の本質──ジグザグでも正しい方向に向かい続ける
キャリア全体を振り返って、高宮さんは「最短コースでベストな戦略ではなかった」と率直に認めます。コンサルもMBAも、VCという目的地に直線で向かうルートではなかった。しかし、それは当時「VCがやりたい」と見えていなかったからであり、Whatが定まらない中では仕方のないことだったと言います。
高宮さんはこの状況を「筋トレの比喩」で説明しました。やりたいスポーツが決まっていれば、そのスポーツに必要な筋肉だけを効率的に鍛えればいい。しかしスポーツが決まらないまま、ウェイトリフティングや走り込みで基礎体力を上げていた──それがコンサル時代やMBAだったのだと。結果的にVCを始めた時、基礎身体能力が高かったおかげでスタートはスムーズだったそうです。
WhyとWhatが最初から明確で、最短距離でゴールに向かう。効率は最高だが、事前に正解がわかっている必要がある
正解が見えない中で仮説を立て、走りながら修正を繰り返す。遠回りだが、都度軌道修正すれば大体正しい方向に向かう
不確実性が大きく、圧倒的な正解としてのレールがない時代だからこそ、「一本道の最短ルート」を見つけることにこだわるのではなく、「ざっくり大体正しい方向に向かい続けること」が大事だと高宮さんは強調します。その方向を示す羅針盤は、自分の中のWhy(なぜそれをやりたいのか)でしかない。Whyが言語化できていないとWhatも見えず、Whatが定まらないと戦略も立てられない──これが高宮さんが自身のキャリアから導き出した人生戦略の核心です。
まとめ
高宮さんのキャリアは、一見すると「帰国子女 → 東大 → 外資コンサル → ハーバードMBA → VC」という華麗なエリートコースに見えますが、実態は「第一志望に落ちた」「一浪した」「起業に失敗した」「セカンドベストのつもりで始めた」という試行錯誤の連続でした。
しかし高宮さんには、その都度「後付けで意味を見出し、次に活かす力」がありました。ADLで身につけた技術戦略の目はVCで活き、MBAで挑戦したデザインファーム起業の失敗は「クリエイティブをビジネスにする」というWhatの発見につながりました。「正解がない時代に、正しそうな方向にジグザグ進み続ける」──この姿勢は、スタートアップの世界だけでなく、キャリアに迷うすべての人にとってのヒントになるのではないでしょうか。
- 帰国子女としての「異邦人体験」が「日本に貢献したい」という人生の羅針盤(Why)になった
- 受験もMBAも就職も、初手はセオリー通りではなかったが、「後付け力」で次に活かしてきた
- MBA受験では、細かいエッジの掛け算による差別化と本気度の証拠作りで合格を勝ち取った
- コンサルやMBAは「目的が定まらないまま基礎体力を鍛えた期間」だったが、VCを始めた時にその蓄積が活きた
- 正解のない時代の人生戦略は、最短ルートを探すことではなく、Whyを羅針盤にしてジグザグに軌道修正し続けること
