再現性と大数の法則で、運ゲーを戦略に変える
ぼくらの戦略論第4回は、ベンチャーキャピタリストの高宮慎一さんとライターの長谷川リョーさんが「戦略と運の関係」をテーマに議論しました。「運」を確率として捉え直し、大数の法則で再現性のあるゲームに変換する考え方から、やりきった先の「神頼み」の正体、さらには人生のWhyとBeingの話まで展開されたその内容をまとめます。
運を「確率」に読み替える──大数の法則と戦略の本質
長谷川さんが掲げた今回のテーマは「戦略と運の関係」。冒頭で長谷川さんは自身の哲学として「非合理の先に合理がある」という考え方を紹介しました。ケニアでポーカー修行をした経験を例に、「普通の人がやらないことに飛び込むと、予期しなかった出会いや機会が生まれる」という感覚です。
これに対し高宮さんは、「完璧な戦略を採っても運が悪ければ負けることはある」と前置きしたうえで、運の本質は確率であると整理しました。サイコロの出目が無限に振れば6分の1に収束するように、経営や人生においても「ベストな推測で確率を見積もり、その確率が収束するだけの試行回数を担保する」ことこそが戦略だというのです。
つまり、戦略の仕事は「運をなくすこと」ではなく、「運の影響を小さくできるだけの打席数を確保すること」。6分の1の確率なら、6回分ではなくバッファを持たせて7〜8回分の資源を準備しておく──そうした兵站の設計こそが戦略だと高宮さんは語ります。
ポーカーの分散と人生の有限性
長谷川さんはポーカーのトーナメント参加者全員が同額のチップでスタートし、最後の1人になるまで戦う形式。キャッシュゲームと異なり、1回の結果に対する分散(ばらつき)が非常に大きい。を例に挙げました。ポーカーは実力が反映されるものの、分散が大きすぎて「人の一生分では収束しない」とも言われているそうです。つまり、大数の法則が効くほど試行回数を積めないゲームだということです。
高宮さんはこの指摘を受けて、戦略には2つのレイヤーがあると整理しました。
そもそもポーカーで戦うのか、別のゲームを選ぶのか。大数の法則が効く構造かどうかを見極める
選んだゲームの中で確率を自分に有利に歪め、期待値をプラスにする具体的な打ち手
ポーカーで言えば、「実力」という要素があるから確率を歪められる。実力がある人は同様に確からしくないサイコロを振っているようなものなので、期待値をプラスにできる──その「確率を自分に有利な構造に持ち込むこと自体が戦略」だと高宮さんは語ります。
一方で、「好きだからやる」のであれば、収束しなくても本人の納得があるからいい。しかしプロとして生計を立てたいなら、そのゲームの分散構造を理解したうえで参入すべきだ──ここがWhyの部分、つまりビジョンの話になるわけです。
企業は「無限にサイコロを振れるゲーム」
ここで高宮さんは、企業と個人の決定的な違いに言及しました。人の人生には時間的な制約がありますが、企業はゴーイングコンサーン企業が将来にわたって事業を継続するという前提のこと。会計や経営の基本概念で、『ビジョナリー・カンパニー』などでも「100年続く偉大な会社」として語られる。──つまり「終わりなく続くもの」として設計できます。
企業体として考えると、エンドがなく無限に振り続けられるゲーム。期待値が1.00001でもプラスであれば、振り続ければ複利でどんどん増殖していく
期待値がわずかでもプラスなら、再現性を確立して振り続けるだけで複利効果が働く。高宮さんはこれを三木谷曲線楽天グループ創業者・三木谷浩史氏が提唱する考え方。「毎日1%改善すれば、1年後には37倍になる」という複利の力を示したもの。の発想に近いと指摘しました。
時間が有限 → 試行回数に上限がある → 1億分の1の確率に賭けるのは「おいしくない戦略」になりがち
終わりなく続けられる → 試行回数が無限 → 期待値がわずかでもプラスなら複利で増殖する
だからこそ個人の場合は、1億分の1を1億回振るより、6分の1を7回振って複利で回すほうが合理的。人生の有限性を踏まえた「ゲームの選び方」そのものが、個人にとっての重要な戦略的意思決定だということです。
神頼みの正体──やりきった先のメンタルマネジメント
ここで話題は「スピリチュアル的な運」に移りました。長谷川さんが「引き寄せの法則」や「運を上げる」といった俗っぽい話題を振ると、高宮さんはきっぱり「スピリチュアル的な意味での運は全く信じていない」と断言します。
では何を「運」と呼ぶのか。高宮さんの定義はこうです。ベストを尽くして確率を見積もり、リソースを確保して十分な回数を振った。それでも確率通りに収束しなかった──その部分が「運・不運」だと。逆に言えば、振る回数を怠けて減らしたり、確率の見積もりを手抜きしたりした結果の失敗は、不運ではなく「やりきり不足」です。
ベストを尽くして18回振ったが、本来3回出るはずの出目が1回も出なかった → 不運(アンラッキー)
「まあ6回で1回は出るでしょ」と怠けて6回しか振らず、出なかった → やりきり不足
しかし面白いのは、そんな合理主義者の高宮さんが、投資先のハードシングススタートアップが直面する深刻な経営危機のこと。ベン・ホロウィッツの著書『HARD THINGS』で広まった表現。資金枯渇、共同創業者の離脱、大口顧客の喪失などが典型例。対応でやりきった後には、地元の大鳥神社東京都目黒区にある神社。806年創建と伝わり、目黒区最古の神社とされる。山手通りと目黒通りの交差点に位置する。に通って神頼みをするというのです。
打てる手は全部打った。あとは賽は振られた、出目を待つだけ。そうなった時に「なんとかよろしくお願いします」って神社に行くんですよ
通い続けるうちに、不思議と「お願いします」が「ありがとうございます」に変わっていくそうです。高宮さんはこの体験を、塩沼亮潤大阿闍梨大峯千日回峰行を満行した修験者。約1300年の歴史の中で2人目の達成者。「歩行禅」など独自の実践法でも知られる。から教わった「歩行禅」──行きは懺悔、帰りは感謝を唱えながら歩く修行──と重ね合わせました。
高宮さんの解釈はこうです。宗教やスピリチュアルの本質は「神秘の力でミラクルを起こす」ことではなく、自分と向き合い、メンタルを立て直すための装置なのではないか。科学で解明されていないことが多かった時代、人々は確率認識の誤りによる失敗を「神様との対話」で受け止め、心のバランスを保っていたのではないか、と。
Whyなき突入は迷走になる──Beingと後付け力
議論の終盤、長谷川さんは自分自身の生き方に引きつけて問いかけました。ケニアでポーカー、大阪移住と脈絡のない動きを続ける自分の「本能的な生き方」は、戦略的に正しいのか? そもそも人生の振り返りは、究極的には死ぬ瞬間にしか答え合わせができないのではないか、と。
高宮さんの答えは明快でした。初回のエピソードでも話した通り、戦略とは「今時点で正しいと思う方向に進み、新しい情報が入ったら軌道修正し、ギザギザでもおおよそ正しい方向に向かうこと」。ただし振り返りがなければ羅針盤なき突入になってしまいます。
長谷川さんは「すべてのアドバイスは生存者バイアス成功した人の事例だけを見て法則を導き出してしまう認知の歪み。失敗して消えた多数の事例が見えなくなるため、成功確率を過大評価しやすい。だ」と指摘しつつ、自分のような脈絡のない生き方をした人にアドバイスできるのは「脈絡のない生き方で成功した人」だけ──そんな人にはまだ出会えていないから、自分で正解を作るしかない、と苦笑します。
それに対して高宮さんが提示したのが「後付け力」と「Why」の重要性です。同じキャリアの軌跡でも、本人がそれを良かったと思えるかはWhyが言語化できているかどうかにかかっている。Whyがなければ評価基準そのものが存在せず、本当の意味での迷走になってしまうと。
Beingとして「時間を規定されたくない」「自由に海外に行きたい」という"こうありたい"はあるんです。でもそれがWhyになってるのか……
究極のWhyって好き嫌いにしかならない。屁理屈つけたところで「だってこうしたいんだもん」にしかならない。それを本気で思い込めるなら、それがウェルビーイングなんじゃないですかね
高宮さんは「Being(こうありたい)にWell(良い)をつけたらウェルビーイングですね」とユーモアを交えつつ、こう結びました。自分のBeingを言語化し、それに基づいて意思決定を評価できる状態こそが、確率論では測れない「人生の戦略」の根幹なのかもしれません。
まとめ
今回のエピソードは、「運」という曖昧な概念を確率と試行回数の問題に読み替えるところから始まりました。高宮さんの整理によれば、戦略の本質は「運をゼロにすること」ではなく、「確率が収束するまで振り続けられる体制を作ること」。企業は無限に振り続けられるから複利が効くが、人生は有限だからゲームの選び方そのものが重要になります。
興味深かったのは、合理主義者である高宮さんが「やりきった後の神頼み」を肯定した点です。戦略はドライに設計するもの。しかし実行するのは感情を持つ人間であり、メンタルマネジメントなしには回し続けられない。宗教やスピリチュアルは、その「心を整える装置」として機能しているのかもしれない──という洞察は、戦略論としても新鮮でした。
そして最後に浮かび上がったのは、確率論だけでは答えが出ない「Why」の問い。どれだけ期待値を計算しても、「なぜそのゲームを選ぶのか」「どうありたいのか」が言語化されていなければ、振り返りも評価もできない。戦略と運の話は、最終的に「自分のBeingを知る」という極めて個人的な問いに着地しました。
- 「運」は確率であり、戦略の役割は確率が収束するだけの試行回数(兵站)を確保すること
- 企業は無限に振り続けられるので複利が効くが、人生は有限──だからゲームの選び方(Why)そのものが戦略になる
- ベストを尽くした末に確率通りにいかないのが「不運」。振る回数を怠けた結果は「やりきり不足」
- 戦略はドライに設計するが、実行するのは人間。メンタルマネジメント(感謝・対話・振り返り)もセットで必要
- Whyが言語化できていないと評価基準がなく、どんな戦略も「迷走」に見えてしまう
