人生は最短ルートじゃなくていい!「回り道」で前進するキャリア戦略論
ぼくらの戦略論第23回は、編集者・ライターの長谷川リョーさんが自身のキャリアを赤裸々に語る回。東大大学院からリクルート、1年で独立、そしてケニアでのポーカー生活——振れ幅の大きすぎる20代をVC・高宮慎一さんが深掘りしながら、「Whyなきキャリア」の功罪とこれからの戦略を考えます。その内容をまとめます。
キャリアの原点──大学時代のライター活動
長谷川さんのキャリアの出発点は、大学時代に始めたライター活動でした。社員3人ほどの小さなPRオフィスで有給インターンをしていたところ、元ライターの社長から「GQ JAPANコンデナスト・ジャパンが発行する男性向けファッション・ライフスタイル誌。ガジェットやテクノロジーのカテゴリーも充実している。のガジェット記事を書きたい人いますか?」と声がかかり、手を挙げたのが始まりだったそうです。
同時期には『週刊プレイボーイ集英社が発行する男性向け週刊誌。芸能・社会ネタから硬派なルポまで幅広いコンテンツで知られる。』の誌面記事にも携わり、「坊コン」(僧侶の合コン現場に潜入する企画)が大きな反響を呼んだものの、僧侶側から集英社へ抗議が殺到するという騒動にもなったとのこと。媒体のジャンルを問わず飛び込んでいくスタイルは、この頃からすでに片鱗が見えていました。
高校のアメリカ留学中も365日日記を書いてましたし、元々書く習慣がある人間ではあったんですよね
高校時代のアメリカ留学中に毎日日記を書き、大学時代には『言葉を手にしていく感覚』というブログで読書メモを発信していたという長谷川さん。「書くこと」は趣味でも仕事でもなく、呼吸のように自然な行為だったようです。
就活よりインドへ──空白の1年と大学院進学
大学卒業時、長谷川さんは博報堂日本の大手広告代理店。電通と並ぶ業界トップ企業で、クリエイティブ志向の社風で知られる。のインターンに参加するなど、いわゆる「広告代理店志望の学生」だったそうです。しかしGoogleの選考で最終段階まで進んだ末に不合格となり、「自分を知ってもらうことはやりきった。その上で落とされて、一言で言うと萎えた」と語っています。
興味深いのは、就活の代替案をすでに10個ほど用意していたこと。在外公館派遣員制度外務省が実施する制度で、語学力を活かして在外日本大使館・総領事館で2〜3年間勤務できる。渡航費・滞在費が支給される。、ワーキングホリデー、オーストラリアでのフルーツピッキングまで並べていたそうです。
新卒一括採用のレールの外に選択肢をいっぱい持ってたんだ。「なんとかなるか」と
結局、大学卒業の翌日からインドへ渡り、ヴィパッサナー瞑想インド発祥の瞑想法。10日間の沈黙修行が基本で、話すこと・スマホ使用が禁止される。自己観察を通じた精神浄化を目的とする。に参加。瞑想中に22年間の人生を振り返り、「ちゃんと勉強したことがない」という気づきに至ります。アメリカ留学から帰国後すぐに受験だったため、英語一点突破で大学に入った経験しかなかったというのです。
そこから約半年間、寝る時間以外はすべて受験勉強に充て、東大大学院の学際情報学府東京大学大学院の研究科のひとつ。メディア論、情報技術、デザインなど学際的な研究を行う。チームラボの猪子寿之氏やメディアアーティストの落合陽一氏も出身者として知られる。に合格。結果的に1年の「空白期間」が生まれましたが、この回り道が次のステージへの助走になっていきます。
「SENSORS」が切り開いた人脈と実績
大学院に入ってからも長谷川さんはライティング活動を続けていましたが、最大の転機となったのが『SENSORS(センサーズ)日本テレビが運営していたテクノロジー×クリエイティブ系のメディアプロジェクト。テレビ番組・ウェブメディア・リアルイベントを横断する形式で展開され、当時のテレビ局発新規事業として注目を集めた。』との出会いです。テレビ番組とウェブメディアとリアルイベントを横断する新しいタイプのプロジェクトで、長谷川さんはライターとして参加。この活動が人脈・実績の両面でキャリアの背骨になったと振り返っています。
高宮さんとの出会いもSENSORSがきっかけでした。高宮さんは当時を振り返り、「いろんなメディアの取材でライターがつくけど、スタートアップのコンテクストがわからない人が多かった。長谷川さんは口数は少ないけど、出来上がった原稿を見ると圧倒的に直しが少なく、業界の文脈を理解して言葉足らずな部分も補ってくれた」と語っています。
コミュ障気味に口数少ないんだけど、出来上がった文章を見たら圧倒的に直すの少なくて。「あ、めっちゃ楽だな」って
一方で、SENSORSにオールインした結果、大学院の研究はおろそかに。「ギリギリ修士論文を出してなんとか修了できた」状態で、博士課程や研究者の道は完全に選択肢から消えたそうです。ここでも「回り道」が新しい道を開くパターンが繰り返されています。
新卒リクルート1年で独立した理由
大学院修了後の就活で、長谷川さんが重視した条件は「ライター活動を副業として認めてくれる会社」でした。当時、副業を認める企業はまだ少なく、リクルートは「全然いいよ」というスタンスの数少ない選択肢。リクルートホールディングス、リクルートジョブズ、リクルートライフスタイルの3社、さらにアクセンチュアアイルランドに本拠を置く世界最大級の総合コンサルティング企業。戦略コンサルティングからIT実装まで幅広いサービスを提供する。などの戦略コンサル系からも内定を得た中で、リクルートホールディングスを選んだそうです。
しかし入社後、現実は甘くなかったと語ります。新卒1年目は何もかもが新しく、本業の「守破離日本の武道・芸道に由来する成長ステップの考え方。「守」は型を忠実に学ぶ段階、「破」は型を応用する段階、「離」は型を離れて独自の境地を開く段階を指す。」の「守」で精一杯。副業のライティングも本業も両方中途半端になっていると感じていたそうです。
副業OKの会社に入れば、ライターキャリアを継続しながら会社員経験も積めるはず
新卒1年目は「守」の段階で学ぶことだらけ。副業も本業も中途半端に
転機となったのは、グロービス・キャピタル・パートナーズ(GCP)日本最大級のベンチャーキャピタルファンド。メルカリ、カヤック、ランサーズなど数多くのスタートアップに投資してきた。高宮慎一さんが代表パートナーを務める。からオウンドメディアの運用を依頼されたこと。当初は副業として受けようとしたものの、現実的に難しいと判断。報酬額も含めて「これを起点にライター業で復活できるかもしれない」と考え、リクルートを約1年で退職する決断に至りました。
本当にやりたいことがあるなら、やりたくないことに時間を切り売りするのは勿体なくない?って話をしたら、あっという間に辞めてましたよね
退職を宣言した途端、仕事の依頼が殺到したというのも印象的なエピソードです。当時はオウンドメディアブームの真っ只中で、一人では裁ききれずアシスタントを雇い、それでも追いつかず法人化(Momentum Horse長谷川リョーさんが設立した編集・ライティング会社。社名の由来は「競馬が好きだから」。その後、実際にJRA関連の仕事も手がけるようになった。)へ——と、雪だるま式に拡大していったそうです。
「Why」なきキャリアの功罪
ここで高宮さんが鋭い質問を投げかけます。「ライティングが好きだから続けてきた」のだとしたら、そのキャリアの背骨はどうやって見つけたのか?——多くの人がやりたいことを見つけられずに悩む中で、長谷川さんは何が違ったのか。
長谷川さんの答えは意外なものでした。「ライティングがそんなに好きかどうかで言うと、そんな好きじゃない」。ただ、任天堂の岩田聡任天堂の元代表取締役社長(2002〜2015年)。プログラマー出身の経営者として知られ、ニンテンドーDSやWiiなどのヒット商品を生み出した。2015年逝去。「好きなことではなく、得意なことを仕事にすべき」という趣旨の発言でも知られる。社長の言葉——「自分は大した労力をかけていないのに、周りから『すごいですね』と言われること、それがあなたの才能です」——に影響を受け、ライティングはまさにその感覚に近かったと言います。
高宮さんはここで、キャリア選択の有名なフレームワークを持ち出します。「社会的な要請があること」「自分が得意なこと」「自分が好きなこと」のベン図集合の重なりを視覚的に示す図。キャリア論では「好き×得意×社会的ニーズ」の3つの円が重なる領域が最も幸せな仕事とされることが多い。の真ん中が理想——長谷川さんの場合、「社会に求められている」と「得意」の2つは重なっていたけれど、「好き」が欠けていたのではないか、と。
社会的要請:優秀なライターの需要は高い
得意:本人は労力をかけていないのに評価される
好き(Why):ライティング自体への情熱は薄かった。お金が稼げること、モメンタム(勢い)に乗る快感が主な駆動力だった
長谷川さん自身も率直に認めています。ライティングの動機の30%は「稼げたから」。優秀なライターに必要なケイパビリティを持つ人は本来多いはずなのに、そういった層はわざわざライターにならない。だから席が空いていて、参入した自分が大きく稼げた——という構造だったと分析しています。
残りの70%は「モメンタム(勢い)」。落合陽一メディアアーティスト、筑波大学准教授。「デジタルネイチャー」の概念で知られ、テクノロジーとアートの融合分野で活躍。著書多数。さんや堀江貴文実業家、著作家。ライブドア元CEO。現在も多方面で事業を展開し、多数の著書がベストセラーとなっている。さんと二人三脚で本を作り、それが20万部・30万部と売れていく——その躁状態の気持ちよさが原動力だったと語ります。
戦略とはジグザグに進むこと
「Whyがないままハマっちゃったのは、振り返ってよかったですか?」と高宮さんが問うと、長谷川さんは「よくなかった」と答えました。しかし、その経験があるからこそ、現在挑戦している福祉領域では「Whyを見つけて結晶化させたい」という明確な狙いを持って動けているとも。
「Whyを見つけて結晶化したい」っていう狙いがある状態で福祉をやるっていうのは、全然その時と違ってるなと思ってます
高宮さんはこの流れを、番組の初期回で語った戦略論の本質に結びつけます。「正解の戦略を一発でズドンと決めることではなく、正しいと思われる方向にざっくり進みながら、修正しながら進み続けることこそが戦略なんだ」——長谷川さんのキャリアは、まさにこの「ジグザグ前進」を地で行っているというわけです。
正解を最初に見極め、一直線に進む。効率的だが、前提が崩れると全体が崩壊するリスクがある
方向をざっくり定め、試行錯誤しながら修正し続ける。非効率に見えるが、学びが蓄積されWhyが結晶化していく
インドでの瞑想、就職しない選択、1年でのリクルート退職——一見すると遠回りに見える長谷川さんのキャリアですが、それぞれの「回り道」が次のフェーズへの気づきや出会いを生んでいます。最初からWhyがある人は稀で、大半の人は動きながらWhyを探っていく。長谷川さんのキャリアは、その「探り方」の一つのリアルな事例と言えるかもしれません。
まとめ
今回のエピソードでは、長谷川リョーさんの20代のキャリアを時系列で振り返りながら、「Whyなきキャリア」がもたらした成功と限界、そしてジグザグに進むことの価値が語られました。
「好き」がなくても「得意で評価されること」を軸に走り続けた結果、堀江貴文さんや落合陽一さんとの共著がベストセラーになるなど目に見える成果を出した一方で、Whyの不在がキャリアの軸を揺らがせたという正直な振り返りも印象的でした。
高宮さんが言うように、戦略とは「一発で正解を当てること」ではなく、「正しいと思われる方向に修正しながら進み続けること」。就活に悩む20代にとって、最短ルートを追い求めるよりも、まずは動いてみて、その都度方向を修正していく姿勢が大切なのかもしれません。長谷川さんの「ケニア編」「ポーカー編」「福祉編」の続きも、今後の番組で語られていく予定とのことです。
- 長谷川さんのキャリアの原点は大学時代のライターインターン。GQ JAPANや週刊プレイボーイで幅広く経験を積んだ
- 就活を途中で離脱し、インドでの瞑想→大学院進学という「空白の1年」が勉強への意欲と新しい道を切り開いた
- SENSORSでの活動がキャリアの背骨に。高宮さんとの出会いもここから生まれた
- リクルートには副業OKを条件に入社したが、新卒1年目は「守破離」の「守」で副業との両立は現実的に困難だった
- ライティングは「好き」というよりも「得意で評価されること」。岩田聡社長の言葉が指針になっている
- Whyがないまま走った結果の功罪を自覚し、現在の福祉領域ではWhyの結晶化を意識している
- 戦略の本質は「ジグザグに修正しながら進み続けること」。回り道こそがWhyを見つけるプロセスになり得る
