35歳で未経験業界へ──AI時代の「修行」はどう変わるのか
ぼくらの戦略論ep.26では、大阪に移住し未経験の福祉業界に飛び込んだ長谷川リョーさんと、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナーの高宮慎一さんが、「修行」をテーマに語り合いました。生成AIで知識習得が爆速化する時代に、それでも人間が現場で積むべき経験とは何か。コンサル6年間の「レベル上げ」を振り返る高宮さんの実体験や、キャリアにおける「保険」と「やりたいこと」のバランスまで、幅広く展開されたその内容をまとめます。
35歳・未経験で福祉業界へ飛び込んだ背景
東京の下町生まれ・下町育ちの長谷川さんが、35歳にして初めて東京以外の土地──大阪──で暮らし始めたのは、収録のわずか2週間前のことでした。きっかけは趣味のポーカー。ポーカーを通じて知り合った福祉業界の経営者に誘われ、何の文脈もなく福祉の世界に飛び込んだといいます。
長谷川さんが携わっているのは、障害者の就労継続支援B型障害者総合支援法に基づく福祉サービスの一つ。雇用契約を結ばず、比較的軽い作業を通じて工賃を得ながら就労訓練を行う。A型は雇用契約あり(月収約8万円)、B型は雇用契約なし(月収約2〜3万円)。事業所の運営です。利用者にはADHD注意欠如・多動症。不注意、多動性、衝動性を主な特徴とする発達障害の一つ。大人になってから診断されるケースも多い。やアスペルガーなど、大人になってから診断を受けた方が多く、見た目では健常者と区別がつかない人も少なくないとのこと。社会との接点をつくり、より本格的な就労への橋渡しをする──そうした公益性のある仕事です。
福祉と一口に言っても、パッと見では健常者と見分けがつかないような人が事業所にはめっちゃ多いんですよ
長谷川さん自身、ライター・編集者として活動する中でバーンアウトを経験し、メンタルヘルスを病んだ時期がありました。その原体験が、福祉という領域への共感につながっている面もあるようです。
生成AIが変えた「修行」のスピード
長谷川さんがこのエピソードで掲げたテーマは「修行」──知識ゼロの状態から何かを身につけるプロセスのことです。福祉の知識も縁もゆかりもないところからのスタートですが、「できる」という手応えがあるといいます。その理由は生成AIChatGPTやGeminiなど、大規模言語モデル(LLM)を活用した対話型AIサービスの総称。質問に対して自然言語で回答を生成する。の存在です。
24時間いつでも、どんな初歩的な質問にも嫌な顔ひとつせず答えてくれるChatGPTやGeminiがあれば、新しい業界の基礎知識は驚くほど速く吸収できると長谷川さんは語ります。「誇張しないレベルで、ChatGPTなしだと半年かかるような知識を2週間で身につけた感覚がある」とのこと。
生成AIさえあれば、0→1の新業界の知識は一瞬で身につくなと思っています
ここで高宮さんが鋭い問いを投げかけます。「GPTがあるなら、そもそも修行期間っていらないのでは?」──AIでカバーできない、修行期間に本当に習得すべきものとは何なのか。この問いが、エピソード全体を貫くテーマとなっていきます。
メンターに基礎的な質問をするのも気が引ける → 1日何も聞けない日も
ChatGPT / Geminiに24時間何でも質問 → ノンストレスで最短最速の知識獲得
長谷川さんは新卒でリクルート日本最大級の人材・情報サービス企業。『ホットペッパービューティー』『SUUMO』『じゃらん』など多数のサービスを運営。に入社した当時、SQLStructured Query Languageの略。データベースに対してデータの取得・操作・管理を行うためのプログラミング言語。マーケティング分析などでも頻繁に使われる。すら触ったことがなく、メンターに基礎的なことを質問するだけで萎縮していた経験を振り返りました。あの頃にAIがあれば──という実感が、いまの「気持ちよく修行できている」感覚につながっています。
AIでは代替できない「泥臭さ」の価値
では、AIがあれば修行は不要なのか。長谷川さんはこの問いに対して、2つの観点から答えています。
1つ目は「学び方のフレームワーク」です。ChatGPTを使いこなせているのは、受験勉強やこれまでのキャリアを通じて「何かを学ぶ」ための型を身につけているからこそ。「何を聞けば欲しい答えが返ってくるか」を設計できる力は、AIそのものには教えてもらえません。
2つ目は「現場の泥臭さ」です。AIで知識を高速インプットする傍ら、長谷川さんは利用者と一緒に検品や染み抜きといった地味な作業もこなしています。制度の知識はAIで学べても、利用者との信頼関係や現場感覚は、手を動かさなければ得られないものです。
コンサル時代の「レベル上げ」と目的なき修行の罠
高宮さんは長谷川さんの「修行」という表現を受けて、自身の経験を「レベル上げ」と表現しました。RPGでダンジョンに突入する前にスライムを倒して経験値を稼ぐように、新卒で入ったアーサー・D・リトル1886年創業の世界最古の経営コンサルティングファーム。技術経営(MOT)やイノベーション戦略に強みを持つ。では「レベルを上げること自体」が目的だった時期があったといいます。
問題解決の基本──問題を定義し、根本原因を深掘りし、打ち手のオプションを出す──という行動原理は、この時期に徹底的に叩き込まれたそうです。最初の3年はレベルが急上昇し、成長実感もやりがいもありました。
しかし、高宮さんは重要な反省を語ります。「筋トレのための筋トレ」は長く続かないと。コンサルで培ったスキルを「何に使うのか」が見えないと、モチベーションを失って伸び悩んでしまう。ゴールに紐付いた形で意味のあるレベル上げをしないと、修行そのものが目的化して空回りするという指摘です。
好きなことをやりたい、やりたいことが決まっているなら、それに必要な筋肉を鍛えたほうが効率いいじゃん
筋トレのための筋トレ。スキルは積み上がるが「何のため?」が見えず、モチベーションが枯渇する
「このダンジョンをクリアするにはこの魔法が必要」──目的から逆算した意味あるレベル上げ
知の切り売りにならないための拡大再生産
ここで長谷川さんが投げかけたのは、昨今増えている「顧問業」への疑問です。自分の知見を切り売りするフリーランス的な働き方は、実業で担保されていた価値がどんどん薄れて「空っぽ」になるリスクがあるのではないか──という問いかけでした。
高宮さんはこれに明確に同意します。最前線にいないと、過去に蓄積した知識の使い回しになり、「出涸らし」のように価値がすり減っていく。「10年前に現役バリバリだった時の知識って今でも使えるんですか?」という問いは、顧問業に限らず多くのプロフェッショナルに突き刺さるものでしょう。
自分の中での知の拡大再生産にならなくて、ただの既存の知の切り売りみたいになっちゃう
ポイントは「拡大再生産の仕組みを持てるかどうか」です。顧問業でも、本業と有機的につながる形で深く関与し、新しい知見が自分に還流する設計にすれば価値は保てます。一方、時間を最小化して一般論のアドバイスだけ提供するような関わり方では、知のストックはただ減っていくだけ──高宮さんはそう分析します。
最前線での実務
新しい知見・経験が日々蓄積される
壁打ち・顧問・発信
蓄積した知見を外部に提供しつつ、フィードバックを得る
知の拡大再生産
外部との接点が新たな気づきを生み、本業に還流する
「役に立つこと」が居場所をつくる──報酬のリバランス
話題は、キャリアの各フェーズで「何を報酬として求めるか」のバランスへと移ります。高宮さんは前日に、時価総額数千億の事業を作り上場させた60代の経営者と食事をした際に、まさにこの話をしたそうです。
報酬には大きく3種類がある、と高宮さんは整理します。金銭的報酬、自己成長の報酬、そして「人の役に立つ」という自己効用感の報酬。20代〜30代は自己成長が最優先、フェーズが進むと金銭と社会的インパクト、さらに進むと自己成長への渇望と「人の役に立つ」ことへと軸足が移っていく──そんなリバランスの構図です。
高宮さんの「役に立ちたい」という動機は、実はコンプレックスに根ざしていると本人は語ります。80年代にイギリスで暮らしていた幼少期、「ジャップ」「イエロー」と呼ばれていじめを受けた経験。仲間に入れてもらうために「貢献すれば受け入れてもらえるのでは」と感じたことが、原体験になっているとのことです。
日本に帰国しても「帰国子女で変」と見られ、やはりコミュニティに溶け込むのに苦労した。その経験が「貢献で居場所をつくる」という行動原理を強化し、コンサルでクライアントに感謝される、投資先に「上場できたのは高宮さんのおかげ」と言われる──そうした仕事の選択につながってきたのだと高宮さんは振り返ります。
高宮さんが表現した「人生の一体性」「不可分性」という感覚も印象的です。仕事とプライベート、趣味とマネタイズを別々のものとして結びつけるのではなく、そもそも一つのトータルな営みの中の要素として捉えている。壁打ちも、投資に直接つながらない人との対話も、すべてが同じ根っこから生えている──そうした感覚が、結果として知の拡大再生産を自然に実現しているのかもしれません。
キャリアの「保険」とやりたいことのバランス
エピソードの終盤で高宮さんが自己矛盾を認めるシーンがありました。「好きなことをやりながら必要な筋肉だけ鍛えればいい」と言いつつ、自身は「いい学校→コンサル→MBAMaster of Business Administrationの略。経営学修士。高宮さんはハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得し、2年次優秀賞を受賞している。」と保険をかけまくってきた──そのブーメランを正直に語っています。
高宮さんいわく、保険をかける行為そのものが「修行」であり「レベル上げ」だった。ミニマムで食うに困らない、そこそこの生活を担保するための保険です。ただし、保険が目的化すると本来やりたかったことから離れてしまう。だから「コンフォータブルなレベルまで保険をかけたら、冒険に出よう」というのが高宮さんの感覚でした。
保険をかけすぎたが故に保険が目的化しちゃって、それじゃまずいんじゃないかっていう問題意識で逆側に振り戻した
修行期間が「終わった」とは思わないものの、「やりたいことをやりながら必要な筋肉だけ鍛えればいい」という割り切りができたタイミングは、コンサルを卒業しMBAを終えた時だったと高宮さんは振り返ります。保険をたっぷりかけた上でようやく冒険に踏み出せた──「チキンなところ」と自嘲しつつも、それが自分のスタイルだったと認めていました。
一方の長谷川さんは「未だにお金が必要」というリアルな感覚を隠しません。生まれ育った環境も違えば、福祉の利用者が月3万円の工賃で暮らす世界線も見ている。そうした「デフォルト設定の違い」を率直に口にしつつも、だからこそ異なるバックグラウンドの二人が壁打ちする面白さが浮き彫りになるシーンでした。
まとめ
今回のエピソードは、35歳で未経験の福祉業界に飛び込んだ長谷川さんの「修行」をきっかけに、AI時代の学び方、キャリアにおける保険の功罪、そして「何を報酬として生きるか」まで話が広がりました。
生成AIの登場で、知識のインプットは劇的に速くなりました。しかし、現場の泥臭さや人との信頼関係はAIでは代替できません。また、スキルを積み上げること自体が目的化すると、モチベーションは枯渇します。「何のために鍛えるのか」というゴールとの接続が、修行を意味あるものにする鍵です。
高宮さんは今回を「守編」、次回以降に「破編」「離編」を続ける三部作構想を予告しました。ベンチャーキャピタリスト・高宮慎一がどう「型を破り」「独立した存在」になっていったのか──続きが楽しみです。
- 生成AIがあれば業界知識の0→1は爆速化する。ただし「学び方のフレームワーク」を持っていてこそ使いこなせる
- AIで代替できないのは「現場の泥臭さ」──利用者との信頼関係や身体感覚は手を動かさなければ得られない
- 目的のない修行(筋トレのための筋トレ)は長続きしない。ゴールから逆算した「意味あるレベル上げ」が重要
- 顧問業など知の切り売りは「出涸らし」になるリスクがある。最前線にいて知の拡大再生産ができる仕組みが必要
- キャリアの各フェーズで「金銭・自己成長・他者貢献」の報酬バランスは変わる。自分の原動力を知ることが、修行の方向性を決める
- 保険(学歴・資格・スキル)は必要だが、目的化すると本来やりたいことから離れる。「コンフォータブルなレベルまでかけたら冒険に出る」のが一つの指針
