ポゼッションサッカーで覚えていた「近代哲学の完成者」
冒頭、しながわは前回までの流れを振り返ります。ホッブズ、ロック、ルソー、カントといった近代の哲学者たちが、神と人間ではなく人間そのものにスポットを当てて労働を考えてきた、という整理でした。
その完成者として、今回はヘーゲルが登場します。しながわは名前を明かさず、1年半以上前に収録した1話目・2話目のヒントを出しました。
ポゼッションサッカーみたいな話で出てきたあの男の話を今日したいと思うんですけども、その男の名前をぜひ言っちゃってください
もうそれでわかった。ナイスヒント。ヘーゲルでしょ
タッシーはカウンターサッカーからポゼッションサッカーへ戻した、という比喩でヘーゲルを記憶していました。
記憶の引き出しのラベルが「近代哲学の完成者」じゃなくて、ポゼッションサッカーでラベルが付いてるんだなと思って
ドイツ観念論 ── カントに始まり、フィヒテ、シェリングを経てヘーゲルが大成したとされるドイツ哲学の流れ。理性や精神のはたらきを重視する。の中で、カントが始め、ヘーゲルが完成させたという位置づけもタッシーの記憶通りだと、しながわは確認します。
ヘーゲルは1770年生まれで、カントより50年ほど後、フランス革命の時代を生きた人物です。
理性最高の男・ヘーゲルが語った「労働で人間になる」
しながわは、ヘーゲルの話は非常に難解だと前置きしつつ、1話分の半分ほどで扱うため、ざっくりイメージをつかんでほしいと断ります。
とにかく理性こそ、もう理性最強ってでしょ?思ってた人でしょ?
その「理性最高」という言葉が、今回の労働の話とつながっていくとしながわは応じます。
一言でまとめると、動物と人間を分けるものは理性であり、それこそが労働だというのがヘーゲルの主張です。労働によって人類は人間になる、というイメージです。
しながわは、これから語る話は歴史的事実そのものではなく、社会契約説と同じように半分フィクション、半分真実のトーンで聞いてほしいと補足します。
森で二人が出会ったら何が起きる?
ヘーゲルの出発点は自然状態です。ただし社会契約は登場しません。まず、自意識を持った一人の人間が地球上の森にポツンといるところから始まります。
果実を食べながら森を彷徨っている、そんな人間のところへ、もう一人の似た人間が近づいてくる。世界史上初めて人間と人間が出会う瞬間です。
世界史上初めて一人の人間と人間が出会った時、何が起きると思いますか?
タッシーは、今の感覚なら友好的に挨拶するだろうと考えつつ、初めて自分以外の存在を認知したときにはビビるはずだと答えます。
ビビって逃げるか、もう殺しにかかるかのどっちか
この答えは、ヘーゲルの見立てとほぼ一致していました。しながわは、ヘーゲルは出会った二人が殺し合うと考えたと説明します。
人格と人格、自己意識と自己意識が出会った時って、本能的に相手を屈服させなきゃいけない、自分が存在してるってことを認めさせなきゃいけない
重要なのは、二人とも死んだり、片方だけ生き残ったりする場合ではありません。二人とも生き残り、どちらかが勝ってどちらかが屈服する瞬間だとヘーゲルは言います。
負けを認める側と勝つ側。ここに主と奴の関係が生まれます。これが人類の社会への第一歩だという整理です。
マウンティングにも通じる「主と奴」の関係
タッシーは、この構図をヤンキー漫画にたとえます。出会ったら喧嘩して上下を決める、という流れです。
出会ったら絶対喧嘩してどっちが上かを決めて、俺が勝ったから俺が上ねっていう
この例をきっかけに、しながわは、これは昔のフィクションではなく、現代人が無意識にやっていることかもしれないと考えを広げます。
ビジネスや受験、YouTuber同士や社長同士の対面など、同じ領域の人が会うと、登録者数や売上といった物差しで上下がわかってしまう、というのです。
いまだにマウント、マウンティング。そういうことですよね
つまりヘーゲルは、人と人が出会うときに無意識にやっていることを、純粋でわかりやすいストーリーにして見せた、と言い換えられます。
殺し合いや喧嘩をしなくても、勝手にどっちが主でどっちが奴かを、日常のあらゆることで無意識にやってますね
道具は「理性が物になったもの」だった
主奴の関係ができた後、勝った主は奴に労働させます。ヤンキー漫画でいえば「パンを買ってこい」というパシリのイメージです。
奴は自然に働きかけて加工します。リンゴをもいだり、畑を耕したり。やがて素手では大変なので、木製の鋤や鍬を作り、それが鉄へと進化していきます。
ここでヘーゲルが強調するのが道具です。道具は単に労働を楽にする便利なツールではありません。
石から木、木から金属へと進化してきた道具は、人間の知恵と工夫の結晶です。しながわは、道具とは人間の理性が外に出てきたものだと説明します。
この観点にタッシーも納得します。道具は生産性を上げるために知恵と工夫で生み出したものであり、人間らしさの象徴だ、というわけです。
しながわは脱線として、人間を「作る動物」と定義する言葉にも触れます。
そして重要なのは、この労働をしているのが奴だという点です。奴は道具を使って自然を加工しながら、どんどん本当の人間になっていきます。
主から命令される
勝った主が奴に労働をさせる
自然を加工する
道具を使って自然に働きかけ生産する
道具が進化する
石から木、金属へと理性の結晶が高度化する
本当の人間になる
理性が開発され、動物ではない人間になっていく
100粒を我慢すれば1万粒に?欲望の延期という人間らしさ
ヘーゲルが労働の意味としてもう一つ挙げるのが、欲望の延期や抑制です。これも動物と大きく違う点だと言います。
動物は欲求をその場で満たせばいい存在です。しかし人間は、将来の欲求のために一度我慢することができます。
しながわは参考文献の例を紹介します。手元の100粒の穀物を今食べればお腹が少し満たされるだけですが、我慢して畑にまけば、翌年の秋には1万粒にもなりうる、というのです。
まさにこれが農業であり、人類がやってきたことです。欲望を先延ばしすることで、より大きな欲望を満たす。これも労働の意味だとされます。
道具を使って自然に働きかける点と、欲望を延期できる点。この二つが、労働によって人間が動物と違う存在になるということの中身です。
目の前の欲求をその場で満たすだけの存在
道具で自然を加工し、欲望を延期してより大きな成果を得る存在
なぜ現代の労働者は逆転できないのか
ここから歴史的な含意に入ります。労働をしてきたのは奴なので、収穫を増やす知見や道具の使い方といった技術・知識は、すべて奴の側に蓄積されていきます。
その結果、奴はどんどん本当の人間になり、パシリをさせるだけの主は進歩せず、動物のような状態にとどまります。
ここでタッシーが鋭い疑問を投げかけます。現代社会では、新しい道具の開発や収穫の延期にあたる経営戦略は、むしろ主である経営者側が主体的にやっているのではないか、というものです。
今の現代社会だと主が主体となるじゃないですか。経営戦略とか、社内の新しいプロダクト開発だったり、ノウハウ蓄積も主の方が主体的にやってる
しながわは、この問いを非常に哲学的だと高く評価します。抽象的な思想を現代の社会に当てはめて考えることそのものが、哲学的な営みだからです。
そしてこの指摘こそ、次の思想家へつながる橋になります。奴が頑張っても逆転しない資本主義の構造。これはタッシーもよく知る思想を思い起こさせます。
マルクスの社会主義。つながっていくってことですね
マルクスやエンゲルスはヘーゲルから大きな影響を受けていた、としながわは明かします。
カントとの違いと、マルクスへの橋渡し
しながわは、カントとヘーゲルの違いを自身の解釈として整理します。
カントは、その時代の人間を見て、欲望のまま動くのではなく我慢して理性を使い働くことで本当の人間らしくなれる、と説きました。
一方ヘーゲルは、同じ理性や労働の話を、人類の歴史という形で位置づけました。労働を苦しく耐えるものではなく、動物を人間たらしめるものと見た点が大きな違いです。
労働はつらいが、耐えることで人格を高め本当の人間になる
労働は動物を人間たらしめる営みであり、人類の歴史の中に位置づけられる
そしてヘーゲルの、奴が主を逆転させるのは歴史の必然だ、という主張が、次回のマルクスとエンゲルスにつながります。
資本主義社会で労働者は頑張っても苦しいままだが、資本主義が発展していけば最後に労働者が資本家を逆転させる。これは必然だと彼らは主張していく、というのです。
タッシーが投げかけた「従業員が頑張っても主が持っていく」という疑問は、しながわには資本主義の構造への批判として響きました。
従業員がどんなに頑張ってても、結局その主が持っていく。逆転起きないじゃないですかっていうのは、資本主義の構造への批判として受け取りました
しながわは、タッシーの気づきをサッカーのキラーパスにたとえ、次回のマルクス・エンゲルス回への流れができたと締めくくります。
6話・7話で出てきた労働観の振り返り
最後に、しながわは6話目と7話目で登場した労働の意味を振り返ります。5話目までで21個ほど、今回までで合計28個の意味が出てきたと言います。
前回の6話目では、近代の哲学者たちの労働観が並びました。
- ホッブズ:労働は社会と文明の土台を構築するもの
- ロック:労働することによって私的所有・所有権が発生する
- ルソー:労働によって社会の不平等が生まれた
- カント:労働はつらいが、それによって本当の意味で自由な人間になれる
そして今回のヘーゲルは、理性を外に出した道具を使って自然を加工し収穫を得ることが労働であり、それによって人間になると説きました。
欲望の延期や抑制も労働の意味ですが、最も重要なのは主奴論です。労働によって、虐げられてきた奴が主の上に立つ。この逆転こそ労働の意味だとヘーゲルは言いました。
この指摘を受けて、マルクスとエンゲルスがどんな思想を発展させるのかが次回のテーマになります。
まとめ
ヘーゲルは、二人の人間が出会う瞬間から出発し、労働を人類が人間になっていく歴史の営みとしてとらえました。奴が労働を通じて主を逆転させるという洞察は、次回のマルクス・エンゲルスへとつながっていきます。
- ヘーゲルは、動物と人間を分けるものは理性であり、それこそが労働だと考えた
- 人と人が出会うと主と奴の関係が生まれ、これは現代のマウンティングにも通じる
- 道具は人間の理性が外に出たものであり、欲望の延期とともに人間を人間たらしめる
- 労働してきた奴に技術と知識が蓄積し、主と奴が逆転するのが人類の歴史だとされた
- この逆転の思想はマルクス・エンゲルスの資本主義批判へと引き継がれていく



