『善の研究』を出した西田に、当時の知識人は何を感じたのか
前回まで、西田哲学の中心にある「純粋経験」と「実在」の話が語られてきました。今回は『善の研究』の締めくくりとして、道徳と宗教のパートに入ります。
しながわは、純粋経験と実在の話は前回で一区切りとしつつ、今回は西田がもともと関心を持っていた「いかに生きるか」という主題に触れると説明します。
タッシーは、純粋経験や実在の議論だけでは「その中でどう生きるのか」がまだ分からなかったと振り返り、ついにそこに話が進むことを歓迎します。
ここでタッシーが気になっていたのが、当時の人々の反応です。学生時代のしながわですら難しく感じた本を、当時の知識人はすぐに理解し、評価できたのかと問いかけます。
この論文とか本を、当時の知識人の方々が「すげえ、西田すげえ、こいつはレベルが違え」って、やっぱすぐ分かったもんなんですか?
しながわは、当時の人がどう感じたかは分からないとしつつも、伝わったのだろうと答えます。師である北條先生は実在に関する論文を移動中に読み、すぐに連絡したという逸話を挙げます。
さらに、『善の研究』を出すまで西田は有名ではなかったものの、出版後は多くの人が集まってきたと語られます。
三木清や九鬼周造、和辻哲郎など、後に明治・大正・昭和にかけて名を知られる哲学者・思想家たちが、この本をきっかけに西田のもとへ集まってきたと説明されます。
つまり、頭角の中心はあくまで純粋経験と実在の議論だったと考えられます。ただしながわは、今を生きる読者にとってはむしろ「いかに生きるか」の話にこそ得るものがあるかもしれないと話します。
他律ではなく「自分の中から湧く要求」に従うという倫理
西田はすべてを純粋経験から説明するのが方針です。そのため「いかに生きるべきか」という行為の理想も、純粋経験のように生きろ、という形で語られます。
『善の研究』第三編で、西田は倫理学の諸説をきちんと紹介しています。倫理学を教えていた西田らしく、世の中にどんな「いかに生きるべきか」があるかを整理しているのです。
まず出てくるのが、他律的な倫理学と自律的な倫理学の区別です。他律的とは、外から命令を下してこう生きるべきだと示すものを指します。
その例として、権力で説明するホッブスの説や、神の力で説明するドゥンス・スコトゥスの説が挙げられます。西田が西洋哲学を深く研究した上で語っていることが分かります。
西田は、他律的な倫理学では結局なぜそれに従わなければならないのかを説明できないため、あまり良くないと述べます。そして、人間の内側に基準を求める自律的な倫理学が必要だと考えます。
タッシーは、これはアダム・スミス編で出てきた「胸中の公平な観察者」に近いのではないかと結びつけます。しながわも、近いだろうと応じます。
自律的な倫理学の中でも、西田は「知情意」という区別を使って分析します。人間には知性・感情・意志という3つの作用があるという古典的な見方です。
権力や神など、外から下される命令に従う。なぜ従うべきかを説明できないと西田は批判する
自分の内面から湧き起こる要求に基準を求める。西田はこちらが必要だと考える
この知情意に対応して、知を重視する合理説(主知説)、感情や快を求める快楽説、意志を大事にする主意説(活動説)があると整理されます。
西田が結論として取るのは、意志を重んじる主意説・活動説です。人間の根本的な内面の要求を満たすことが人生の目的であると考えるのです。
「本来の自分になること」を善とする西田の答え
では、その根本的な内面の要求とは何か。しながわが強く賛同するのが、西田の答えです。それは「自己の発展完成」、言い換えれば本来の自己を実現しようとする要求だと西田は言います。
しながわは、これはアリストテレスの善の考え方を下敷きにしているのではないかと説明します。人間が持つ卓越性や徳を最大限に発揮することが良いことだ、という発想です。
さらに西田は、金沢時代にグリーンという人の研究を続けており、その自己実現説からも刺激を受けていたと語られます。本来の自分になることこそが善である、という結論に至ったのです。
しながわは、これは西田の人生そのものではないかと指摘します。自分が正しいと思うものをやり抜いてきた西田の生き方と重なるからです。
タッシーは、しながわ自身もこの考えに影響を受け、本来やりたいことに耳を傾けて今の働き方に至ったのではないかと重ねます。しながわも、だからこそ強く共感できると応じます。
ここでフロー状態をめぐる過去の対話が呼び起こされます。タッシーは、フローに入る条件として明確な目標やルール、スキルと課題のバランスが語られたとき、しながわが引っかかっていたことを覚えていました。
しながわが引っかかったのは、外から設計されたルールだけでフローに入れるのか、という点でした。
一時的なフロー状態にはなれるけど、人生の目的にはならないかなと思う。
外発的な設計だけでは限界があり、自分の内側から湧くやりたいことがなければ続かない。この直感が、西田の「内面的な要求に従う」という主張とぴったり重なると語られます。
個人を貫くことが世界とつながる、という矛盾したアドバイス
では、その「本来の自己」とは何か。ここで話は一段深く、哲学的になります。誰もが知りたいこの問いに、西田はキャリア論のような現実的な答えではなく、独自の答えを返します。
自分探しのように得意なことや好きなことを探す方向ではなく、西田はここで前回の「元気玉の元気」、つまり根源的統一力を持ち出します。
西田によれば、自分を完成させることは、この万物に共通するエネルギーが「品川」という存在として現れ出ることだとされます。個人が100パーセント個人になることが、最も普遍的なエネルギーの顕現になるという発想です。
つまり自分のキャリアや自己中心的なものではなく、自分は世界とつながっているという感覚で語られる点に、西田哲学らしさがあります。
ただしタッシーは、頭では理解できても、それを一人ひとりにどう当てはめればいいのかと疑問を投げかけます。フォースや元気を放出した結果、その人にとってのベストな形とは何なのかと。
しながわは、そこは西田の世界観や人間観をもとに自分自身で考える領域だと答えます。西田は「あなたの人生はこうしなさい」とアドバイスするわけではないからです。
むしろ西田は、自分の息子や親族が哲学をやりたいと言うと「哲学はきついよ、やるもんじゃないよ」と止めていたそうです。ただしこれは現実の先生としての話で、哲学の話ではないと区別されます。
大切なのは、本来の自己は自然や世界と切り離されたものではない、という点です。しながわは、自然と切り離された「我」を出発点にしたデカルトと対比します。
西田は違います。最も自分らしくありながら、それは自然や万物とつながった自分なのだと考えます。だから、この世界と自分のつながりの中で何をすべきかを考えなさい、というのが善の欲求までのアドバイスです。
ここでしながわは、哲学の道にあるという西田の歌を紹介します。「人は人、我は我なれ、とにかくに我行く道を我は行くなり」という言葉です。
とにかく自分の道を行けという歌ですが、その「我」は世界と一体の我だといいます。個人を貫けと言いながら、それは世界とつながっている。この矛盾したあり方こそが西田の特徴です。
「俺か俺以外か」とデカルト、そして西田の自由
タッシーは、この話から実業家ローランドの名言「俺か俺以外か」を連想します。俺と俺以外を完全に切り離して考えるこの発想は、デカルトに近いのではないかと指摘します。
しながわは「冴えている」と応じます。デカルトは俺と俺以外を切り離して世界を認識していた、というわけです。
一方で西田は、その切り離しを超えて統一的に考えます。タッシーはこれを「デカルトはローランドだった」とユーモラスにまとめます。
ただしながわは、西田も「俺か俺以外か」という感覚を持っていると補足します。とにかく自己を貫け、しかしその自己は俺以外のものとつながっている、という二重の構えです。
これって矛盾してますよね。矛盾っていうか、普通に考えたらどっちなの?ってなるんだけど、このどっちなの?っていうのがそういうもんなんだっていうのが西田の論の特徴なんですよ。
天も地もすべて同じ根であり、万物は一体である。自分もその万物の一つで、万物のエネルギーが田島や品川、緑豊かな山として現れる。だからこそ、その中で個人を貫けというのです。
この矛盾を土台に、しながわは西田の自由論へ進みます。西田の言う自由とは、我を貫くという意味だけでなく、より高い次元の自由を指します。
それは、何かをするときの動機や原因が、自分の最も深い内面的性質から出ている状態です。しかもそれは、純粋経験の一番奥にある根源的統一力に従って行動することだとされます。
不思議なのは、ふつうルールに従うことは自由とは呼ばれない点です。赤信号で止まれ、ハンカチを持ってきなさい、といった規則に従うことを人は自由とは言いません。
しかし西田の場合、根源的統一力に従って行動しているときこそ自由なのだといいます。自然に従うことは自由なのだという感覚です。
しながわは、青空を飛ぶ鳥や海を泳ぐ魚を例に挙げます。鳥は海に潜れず、魚は空を飛べませんが、それぞれの本性を最大限に生かしている点で、彼らはとても自由だといえます。
国家に規制されないこと、ルールや制約から逃れることを自由とみなす
根源的統一力という自らの本性に従って行動すること。制約やルールがあっても自由でありうる
タッシーは、その本性を生かすという点がアリストテレス的だと指摘し、しながわも同意します。
同時にタッシーは、人間は社会的な制約が多く、本性に従うことを自由と感じにくいのではないかと問います。だからこそ、ルールから逸脱することを自由と見なしやすいと。
しながわは、それはかつて法律の話で触れた「国家からの自由」という西洋近代の感覚だと説明します。西田の自由観はそれとは全く異なり、制約やルールがあってもさきの意味で自由でありうる、というものです。
道徳と地続きの宗教、そして西田が信じなかった神
道徳の話が一区切りつくと、しながわは第四編の宗教へ進みます。ただし『善の研究』の宗教は、特定の宗派の話というより「いかに生きるか」を幅広く考えたものだと説明されます。
西田によれば、宗教とは自己の生命についての要求であり、その最も深く最大の根源的な要求だとされます。つまり道徳の話とよく似ており、地続きだといいます。
西田のイメージは禅宗の禅が強いものの、浄土真宗や親鸞の教え、そして西洋哲学を学ぶ上でのキリスト教も大切にしていたと語られます。
ただしここまでの流れから理解しやすいのは、西田がキリスト教のような自分の外にある超越的・人格的な神は信じていない、という点です。
西田の思考は内へ内へと進みます。自分の奥へ奥へと入っていくため、外側に巨大なスーパーパワーがあるとは考えないのです。
我々は意識の根底において、自己の意識を破って働く堂々たる宇宙的精神を実験することがある。
しながわは、この宇宙的精神は根源的統一力やエネルギーとほぼ同じものだと解釈します。西田は「神」という言葉も使っており、道徳と宗教は混然一体としていると理解してよいとまとめます。
東西の思想をぶつけた本が、文人たちを感動の渦に
しながわは、ここまでの話から西田がアリストテレスなど西洋哲学を押さえつつ、明らかに東洋思想の影響を強く受けていることを指摘します。
そしてこの両者を正面からぶつけて哲学的に議論を展開したことは、ある意味で人類史上誰もしていなかったことだと語ります。
カントやヘーゲルは東洋思想的に発想していませんでした。ニーチェやショーペンハウアー、フッサールのように仏教的なものへ関心を寄せた人はいても、正面からぶつけ合って自分の思想を築いた人はいなかったといいます。
だからこそ理解されにくい面もありつつ、西田は必死に言葉にしていきました。それを初めて体系的にまとめたのが『善の研究』であり、金沢の10年を経て、京大教授になった頃に出版されました。
その反響は実際に大きなものでした。志賀直哉や武者小路実篤らの『白樺』で取り上げられ、しながわが好きな柳宗悦も絶賛したと語られます。
当時から感動的で熱狂的な感想が寄せられ、しながわは倉田百三の『愛と認識との出発』の一節を紹介します。
私は何気なくその序文を読み始めた。しばらくして、私の瞳は活字の上に釘付けにされた。「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」。
これを見て、私は心臓の鼓動が止まるかと思った。私は書物を閉じて机の前にじっと座っていた。涙はひとりでに頬を伝った。
この書物は私の内部生活にとって天変地異であった。
タッシーは、そこまで感動して泣くほどだったのかと驚きます。読むだけで天変地異と表現されるほどの衝撃だったのです。
後に著名な哲学者となる三木清も、学生時代にこの本を読んで影響を受け、西田に師事したいと感じたと語られます。
しながわは、『善の研究』や京都学派が後年、戦中戦後に特攻隊などへの加担を批判的に見られる面もあると触れます。ただしこの時点では、賞賛とともに西田が一気に頭角を現したと整理します。
この本が出たのは西田が40歳から42歳ほどの頃でした。哲学史的にも西田の人生にとってもエポックメイキングな出来事だったといえます。
次回は、頭角を現した西田が京大に入ってからどんな生活を送ったかを取り上げ、第二部の最終話となる予定です。
まとめ
『善の研究』の道徳と宗教のパートは、純粋経験から「いかに生きるか」を導く試みでした。本来の自分になることを善とし、それが世界とのつながりの中で成り立つという西田の思想は、多くの文人を感動させ、彼を一気に時の人にしました。
- 西田は「いかに生きるか」も純粋経験から説明し、本来の自己を実現することを善とした
- 他律ではなく、自分の内面から湧く根本的な要求に従うことを倫理の核に置いた
- 個人を貫くことが世界とつながる、という矛盾を土台に自由を捉え直した
- 宗教は道徳と地続きで、外にある超越的な神ではなく内なる宇宙的精神を重んじた
- 東西の思想を正面からぶつけた『善の研究』は文人たちを熱狂させ、西田を頭角に押し上げた


