11回で終わったはずが、なぜ「おかわり回」なのか
この回は、全11回で完結したはずの「労働の思想史」シリーズに追加された12回目です。しながわ自身が、レコーディングから数か月経っても喋り足りないと感じたことがきっかけでした。
台本はきちんとエンディングまで用意され、一度は「お疲れ様でした」と締めていました。それでも思うところがあり、もう一度収録することになったといいます。
台本はちゃんと準備してるわけではないんですけど、タッシーさんと議論したい、ディスカッションしたいことを持ってきたんで、半分続きだし、半分この雑談っぽく。
しながわはこの回を、映画のエンドロールならぬカーテンコールのようなイメージだと話します。本編の続きであり、肩の力を抜いた雑談でもある、という位置づけです。
今回タッシーには、事前に話す内容が伝えられていませんでした。台本を見ないまま、その場で議論に応じる形で進みます。
労働を考えたら、なぜ資本主義に行き着いたのか
しながわがおかわり回で扱いたかったのは、資本主義との向き合い方でした。労働の思想史を進めるうちに、労働の理解と資本主義の理解は切り離せないと実感したからです。
この労働というものを考えている時に、やっぱりこの資本主義というものの理解と、人類の労働というものの理解って、すごく切り離せないなってことを実感したんですね。
この問題意識は、事前に打ち合わせをしていないタッシー側にも共通していました。シリーズを収録していた当時から、同じことを感じていたといいます。
今我々って資本主義の中で生きてて、この資本主義という思想というか、OSがかなりその働くの定義を塗り替えてきたなというのが、僕もやっぱ思ってて。
過去の思想家たちは、宗教や哲学など様々な観点から「働く」を定義してきました。しかし現代を生きる人間にとって、労働は資本主義と密接に結びついている、という点で2人の関心は自然に重なりました。
資本主義は「可愛らしいところもある怪獣」
しながわは資本主義を、モンスターや怪獣のようなイメージで捉えていると語ります。ただし、ただ恐ろしいだけではありません。
資本主義って、ある意味では僕はこれ、やっぱモンスターというか、怪獣みたいなイメージなんですよ。なんだけど、ちょっと可愛らしいところもある怪獣というか。
この怪獣とこれからの10年、20年、30年をよりよく生きていくために、しながわが暫定的な仮説として挙げたのが「距離感」でした。
この仮説には背景があります。しながわは株式会社COTENの歴史調査チームで、ポスト資本主義について語る調査に長く携わり、関連する書籍をあらかた読んできたといいます。
脱成長か、新自由主義か、その問いに出した答え
膨大な文献を読む中で、しながわは資本主義をめぐる議論が大きく2つの方向に分かれていることに気づきます。
一つは脱成長的な言説です。経済的な発展だけを目指すのではなく、ブレーキを踏むことで人間性を取り戻したり、環境破壊を避けたりしようとする方向です。
もう一つは逆の方向です。日本の資本主義はまだ規制や既得権益に縛られて本領を発揮できていないため、より自由な舞台を整えれば経済が強くなり人類は豊かになる、という考え方です。
両方を読み尽くしたうえで、しながわが出した結論は意外なものでした。どちらの方向がいいのかは、端的に言ってわからない、というものです。
どっちの方向性にこれから行くかとか、どっちの方向性がいいかって、まあ端的に言うとわからないなって思ったわけですよ。
そこでしながわが重視したのは、自分でコントロールできる範囲に集中するという発想でした。社会がどちらへ進むかを論じるより、今ある資本主義の中で自分らしく生きる方法を考えるほうが、多くの人の人生を豊かにする、と考えたのです。
労働者・消費者・資本家、3つの立場でずらす距離感
ではモンスターとどう付き合うのか。しながわは「距離感」には複数の意味があるとし、まず立場としての距離感を挙げます。労働者、消費者、資本家、それぞれの立場から資本主義との距離を調整できるという整理です。
労働者としての距離感は、どこで、どんな会社で働くかに表れます。外資系の証券会社は資本主義のど真ん中に近く、田舎で個人商店や農業をするほど距離は離れていく、というイメージです。
消費者としての距離感は、どこで何を買うかに表れます。大手の通販や有名メーカーで買うのか、地元の商店街や個人メーカーから直接買うのかで、資本主義との近さは変わります。
資本家としての距離感は、株式を持つかどうかに関わります。しながわは、これまで資本家の立場がゼロだった人が少額の投資を始めるだけでも、資本主義に少し近づくと説明します。
外資系の証券会社や大企業など、資本主義のど真ん中で働く
田舎に移住して個人商店を営む、農業をするなど
これらのレバーを調整しながら、自分にとって居心地のよい距離を認識できること。そして、すぐには移動できなくても少しずつ調整できること。それがこれからを豊かに生きるうえで大事だと、しながわは考えています。
バス停を1センチずつ近づけるように調整する
タッシーは、しながわの整理に強く同意しつつ、それを実行するには前提として資本主義への一定の理解が必要だと指摘します。3つの立場を適切に分けて動くのは、簡単ではないというわけです。
一方でしながわは、アクション自体は単純だと返します。距離感には物理的な距離も含まれ、東京から大分県への移住も一つの距離の取り方だといいます。
今僕大分県に住んでますと。昔はもともと東京に住んでました。これも一つの距離の取り方ですね。東京の中に住むということと、大分県に住むって、これやっぱり距離が僕は変わってると思っているんですよ。
住む場所や職業は一世一代の決断なので、そう簡単には変えられません。しかし、どこで何を買うか、少しだけ投資を始めるかといった調整なら、すぐにできます。
しながわはこの調整を、漫画のような例えで説明します。バス停を1日1センチずつ自分の家に近づけていくと、しばらくすると目の前がバス停になる、というイメージです。
いきなりバス停を10メートル動かして自分の家の前だと、それはみんなに怒られたりできないけども、ちょっとずつちょっとずつ、いろんな調整弁があるから、それを少しずつ動かしていって。
結果として1年、2年経ったときに、資本主義のど真ん中から少し遠のいて心地よさを感じられればいい。それは資本主義を否定することでも絶賛することでもない、としながわは言います。
ヒュームが暴いた「人間だけが労働する理由」
ここでタッシーが、本編ではカットされた台本の一節を持ち出します。復習のために台本を読み返したなかで、最も刺さったのがヒュームの指摘だったといいます。
タッシーが引いたのは、様々な生物のうち労働する必要があるのは人間だけだ、というヒュームの指摘でした。他の動物は狩りも含め、生きることのなかに必要な手段が組み込まれています。
人間だけはこの欲望の大きさ、種類の多さに対して、体に備わっている能力が不釣り合いで不自然。だから人間は労働が要求される。もう「だからか」っていう感じなんですよ。
タッシーは、この欲望と能力のギャップこそが労働を生むという指摘に、強い衝撃を受けたと語ります。そしてそれが資本主義によって一層あらわになったと考えます。
物質的には満たされてるのに、さらにもっといいもので消費もどんどんし続けて、そのために必死につらい仕事を働いて、一生懸命お金稼がなきゃいけない。この悪循環になってるのも、その持ってる欲望の大きさが全部起因してる。
産業革命以降、生きることと働くことは分離していきました。だからこそタッシーは、いったんリセットして、生物として、そして個人としてどんな人生が幸福なのかを考え直すべきだと話します。
極端に振らず、自分の幸せから距離を決める
しながわは、タッシーのヒューム論と自分の距離感の話が統合的につながると受け止めます。ヒュームの鋭い指摘は、後にカントがドイツ観念論を打ち立てる衝撃のきっかけにもなった、と補足します。
ヒュームの指摘が目を覚ますきっかけだとすれば、その先の「では具体的にどうするか」に答えるのが距離感の考え方だ、としながわは位置づけます。
そのうえでしながわは、極端は人を幸せにしないと語ります。欲望に振り切るのも、共産主義や脱成長に振り切るのも、どちらも極端に見えるといいます。
離れようっていう話じゃなくて、田舎暮らししようって話じゃなくて、心地いい距離を取っていく。心地いい距離っていうのは、その人の特徴によっても、その時の年齢によっても違うと思うんですよ。
心地よい距離はライフステージによって変わっていく。極に振らず、現実的に自分の幸せをつかむための考え方として、2人の意見はここで重なりました。
まさに資本主義、僕も全然好きですし、恩恵を受けて資本主義のおかげで今になってきたと思うんで。なんで全然まさに自分がどうありたいかって観点で、どうやって適切に付き合っていくか。
タッシーは、自分が今の社会でどんな幸せな人生を歩みたいのかをまず真剣に考え抜き、そのうえで労働者・消費者・資本家としてのバランスを取るべきだと締めくくります。
まとめ
労働の思想史を学び尽くした2人がたどり着いたのは、資本主義を全否定も全肯定もせず、自分を主語にして「適切な距離感」を調整していくという姿勢でした。ヒュームが指摘した欲望と能力のギャップを出発点に、極端に振らず心地よい距離を少しずつ探る、という考え方が語られました。
- 労働の理解を深めると、資本主義の理解と切り離せなくなる
- どちらの方向へ社会が進むかより、今ある資本主義の中で自分らしく生きる方法を考えるほうが人生を豊かにしやすい
- 距離感は労働者・消費者・資本家という立場や、住む場所などで調整できる
- 住む場所や職業は簡単に変えられないが、買い方や少額投資なら少しずつ変えられる
- ヒュームは、人間だけが欲望と能力のギャップゆえに労働を要求されると指摘した



