戦後80年という節目に平和を考える
この回のテーマは「平和について考える」こと。背景には、,tooがかつて運営していたメディア「セブンティーズ」の存在があります。
このメディアは戦後70年のタイミングで生まれ、名前にも「70」が入っていました。それから10年が経ち、戦後80年を迎えた今、あらためて継承への眼差しを問い直そうという回です。
もう一つの軸が、長崎出身である岡山さんの修士論文です。被爆者の証言に関する研究を、,tooが探究する「変化」の構造と絡めて読み解いていきます。
岡山さんにとって、被爆者の証言や体験に触れることは、今の生き方につながる原体験でした。
彼らの話を聞いたからこそ、今自分がこういう生き方をしているというのがあって。
被爆者の体験や証言が、あの時の被害者だったということや、その時の体験だけを指し示すものではなく、もっといろんな人に広く影響を与えうるものではないか。
その影響とは何なのか、体験をみんなで共有していくにはどうすればいいのか。それを考えたのが修士論文だと話します。
体験からメッセージへの変容
田中さんが論文で気づきが多かったと挙げるのが、被爆者の体験そのものが、いくつもの段階を経て変容していく点です。
体験した直後は、どんな体験だったかをそのまま証言する状態でした。それが核廃絶運動を経て、体験は伝達のメッセージへと変わっていきます。
体験そのものではなく、「NO MORE」といった伝達の内容が前面に出るようになった。これが「体験から伝達への変容」です。
岡山さんは、この変容には相手の存在が欠かせないと指摘します。
自分の体験が誰かにとって意味のあるものになる。意味のあるものになった瞬間に、それはメッセージに変わる可能性が生まれてくる。
自分の体験だった個人のものが、誰かと共有できるものになる。そこが構造変化の中で起きている一つかなと思っています。
個人の体験
被爆者自身が抱える、その人固有の体験
誰かにとって意味を持つ
相手が現れ、その体験に意味が生まれる
メッセージ化
核廃絶などの伝達内容として共有される
意味づけの功罪
一方で、メッセージ化には善し悪しがあると語られます。体験が外に出てメッセージになることで、平和という言葉ありきに形骸化する危うさもあります。
今の情勢の変化のなかでは、体験に意味を持たせなければ、という強迫観念すら生まれていると岡山さんは見ています。
体験を語らないことが悪であるみたいな価値観も、一方では生まれてきているところがあって。
語らない理由はたくさんあります。つらい記憶を思い出したくない、自分の体験なんて他の人に比べたら大したことない、といった思いです。
そこに政治的なポジションや意味が与えられると、体験は誰かと比較しなければならないものになってしまう。それが「功罪」の罪の部分だと話します。
岡山さんは具体例として、東日本大震災後に長崎・広島と福島が並べて語られた時期を挙げます。
長崎、広島の戦争における原爆投下の被害者であることと、原発が爆発して放射能汚染の可能性があるという話とは、簡単に結びつけていいものではない。
結びつけることで風評被害が広がり、どちらにとっても不幸な話になったのではないか、というのが岡山さんの見方です。
今起きていることへの意味づけや価値観の提示は、個人の体験を共有する手段であり、そこに価値がある。ただし、その結びつけが何らかの意図を持って行われる以上、必ずしも良いとは限らない危険性は認識しておくべきだと語ります。
体験と伝達の狭間にある証言
田中さんは、論文で参照されていた被爆した女性の証言を紹介します。被爆者同士の会話の一部です。
黙っておいてもよかもんね。いつも私が言うように体験記として書き留めておきなさいよ。今度こそきっとそればしておこうよ。ね、きっとよ。
この言葉は、自分の体験を胸に留めておいてもいいけれど、体験記として書き残す意思はある状態と捉えられます。
そこにはまだ誰かへのメッセージは残されていません。つまり、体験から伝達へと移る狭間にある証言だと田中さんは読み解きます。
自分の役割は認識しているが、意味づけされた言葉としては発していない。それを外から見て意味づけをする側は、その人が持つ役割を想像で補うことになります。
だからこそ、証言者自身が自認している役割と、それを読む側が想像する役割との間には、どうしても乖離が生まれてしまう、と田中さんは指摘します。
役割の認識が生きる活力になる
論文の鍵になるのが「役割の固定化」です。自分は被爆者で、それを証言し伝達する必要がある。そう役割を認識することが、被爆者にとって生きる活力になっている面があると岡山さんは話します。
特に講演活動や体験講話をされる方は非常にパワフルな方が多い。この年で、体も悪いのに、こんなエネルギーはどこから出てくるんだろうと。
その源にあるのが、被爆者としての使命感や、今の社会への危機感、自分に与えられた役割だといいます。役割として捉えるには、周りが自分をどう見ているかという外からの解釈が重要になります。
岡山さんは、地域で変化を起こそうとする現代の人々も、構造的に同じだと語ります。
口火スパイラルとシーンの拡大
では、役割は自分の中の意味づけから生まれるのか、それとも他者から意味づけされて認識されるのか。田中さんはこの2つのパターンがあるのではと問いかけます。
岡山さんは、一番最初の着眼点はあくまで個人の中から出てくるものだと答えます。この辛い思いを繰り返させたくない、誰かに吐き出したい、体験を何かに役立てたいといった思いです。
そうして口火を切る人がいるから、社会からのリアクションが生まれる。その人が役割を見いだし、それを見た同じ体験を持つ人がフォロワーになっていく、という連鎖です。
自分の中で位置づける人、それが社会において認められて位置づけられていく人、その位置づけがあってまた自分の中で口火を切る人。口火スパイラルみたいなのが生まれていく。
個人が口火を切る
辛い思いや体験を、まず個人の感情から発信する
社会がリアクション
外部の反応が生まれ、発信者が役割を見いだす
フォロワーが生まれる
同じ体験を持つ人が続き、シーンになっていく
新たな口火
役割が社会的に確立し、また新しい発信者が生まれる
被爆者の例でいえば、当時大人として体系的に語れた人たちが高齢になると、当時子供で強烈な記憶を語る人たちへと担い手が移っていきました。
シーンが広がると、語れなかった人が語れるようになり、役割がなかった人にも役割が与えられていく。そして社会が変わる実感が、さらにモチベーションを高めていくといいます。
個人の感情という起点、そして戦後80年の岐路
最初の起点になるのは、あくまで個人の感情であり、心に根ざしたものである。田中さんは、これが変化の理論とも共通すると話します。
変化の探究で参照している「喪失体験」でも同じことが言えるといいます。
喪失体験をした人が自己救済のために意味を再構成し、新たに生きていくための自己の再統合が起きる。最初は個人の感情が起点になる点が共通していると田中さんは指摘します。
そのうえで田中さんは、被爆証言ができる人が減り、実体験をしていない人がシーンを共有していく時代が戦後80年以降に増えていくのではと問いかけます。
岡山さんは、それが単なる歴史の一ページになるのか、人々の価値観のベースになる出来事として記憶されるのか、世の中の転び方次第だと答えます。
例えとして挙げるのが昔話です。桃太郎が「困っている人を助ける」「力を合わせる」という教訓とともに受け継がれてきたように、価値観が織り込まれれば伝承されていきます。
この後の世の中は、被爆者ができることはもちろんやっていくけれど、直接経験した人たちが語れない社会で、受け取った自分たちがどう社会の価値観を育てていくか。そういう時代の変化の節目にいる。
意志と、無思考の平和
田中さんは、論文で参照されているアレントの議論を思い出します。
体験する人がいなくなると、事象そのものが受け取りづらくなる。だからこそ、情報を受け取ったときに自分が何を感じ、どう反応し返すかが問われる、と田中さんは考えます。
ただ、情報量が多い今の世の中では、その反応がしづらくなっているのではという仮説も語られました。
岡山さんは、映画『いただきます』を例に、無思考であることの両面性を挙げます。
意志を介在せず無思考でホロコーストに加担することもあるし、逆に無思考で平和な世の中を作る一つのピースになっていることもある。
だからこそ、社会全体の価値観をどう育てていくかが大切になる。岡山さんは、希望や絶望よりも、可能性と責任を持つことが一番いいと話します。
田中さんは、明日の8月9日も、毎年同じ日として重なっていくと語ります。何気なくその日を過ごすこと自体がある種の平和につながる一方で、それを認識すること自体もまた平和だといいます。
何も意識せずに過ごすことも、意識して過ごすこともできるのが今の自由。だからこそ、意識するかどうかという認識の有無が重要な気がする、とまとめました。
まとめ
被爆体験の証言は、体験そのものの伝達からメッセージへと変容し、役割の認識やシーンの拡大を経て継承されてきました。戦後80年は、直接体験した人がいなくなり、意味づけのみで継承される時代への岐路にあります。
- 証言は、体験の伝達から核廃絶などのメッセージへと変容してきた
- 意味づけには、共有を可能にする功と、比較や形骸化を生む罪の両面がある
- 役割の起点は個人の感情にあり、口火スパイラルとしてシーンへ広がる
- 戦後80年は、体験者がいなくなり意味づけで継承される時代への節目
- 意識するか無思考かの分かれ目のなかで、可能性と責任を持つことが問われる
