なぜ音声配信を始めたのか
番組は記念すべき初回。まず「なんでモヤモヤラジオなのか」「なんでこれをやろうと思ったのか」という話から始まりました。えばちゃんの動機はシンプルで、「ポッドキャストをやりたかった。中身は何でもよかった」というもの。以前からアウトプットしたい気持ちがあったものの、強い主張があるわけではなく、一人で喋るのも得意ではないため、誰かと一緒にやりたかったのだといいます。
アウトプットしたいっていう欲があるわけじゃないんだけど、した方がいいのかなっていう。してほしいとも言われるし。
おぐりん自身も「やりたい」と強く思って始めたわけではなく、えばちゃんが誘ってくれたから乗っかった、という立ち位置。ただ、おぐりん自身も「もやもや側の人間」だと語ります。この日も怒ったり食べたり泣いたり眠ったりと、まるで赤ちゃんのような感情の振れ幅の大きい一日を過ごしていたとのこと。
そんな日々のモヤモヤを、えばちゃんが「羊飼いのようになだめる」ことで、聴いている誰かが「明日いい一日になりそうだな」と思えたら嬉しい。おぐりんはこの番組への願いをそう語りました。
おにぎりを隠してピザを食べに行く心理
この回のテーマは「集団の調和を重んじるべきだという価値観ってなあに?」。おぐりんはこれを「他人に求められている側」ではなく「自分が思い込んでいる側」だと明かします。思い込んでいるからこそ、他者にも求めてしまう部分があるのだと。
具体例として挙げられたのが「おにぎり事件」です。ある日、昼食用にコンビニのおにぎりを持っていたおぐりん。ところが13時からの会議の前に、参加者の一人がピザを取ってくれた。「ピザあるからオグリン食べなよ」と言われたとき、おぐりんは「おにぎりを持っている」と言えず、「いいね、行く行く」と答えてしまったのです。
状況
昼食用のおにぎりを持っている。会議前にピザが登場し「食べなよ」と誘われる。
葛藤
「おにぎりを持っている」と言えない。善意を断って誰かが嫌な思いをする世界を見たくない。
選択
「いいね、行く行く」と答え、おにぎりの存在は隠し通す。
なぜおにぎりを出せないのか。おぐりんの分析はこうです。もし「おにぎりを持っている」と伝えれば、声をかけてくれた人が「おにぎりがあるなら別に来なくてもよかったんだね」と思うかもしれない。その相手の心の動きを避けたいのだといいます。えばちゃんはこれを「おにぎりはメタファーなんだね。嫌々の」と鋭く言い当てました。
後半の対話でおぐりんは、この行動を「行きたくないのに行く」パターンだと整理します。自分から誘って断られると傷つく、という感覚が先にあるため、逆に断ることもできない。「今は行きたくないものは行かないって言うようになった」とも語り、少しずつ変化している自分にも触れました。
お土産は呼ぶのか、義理なのか
もう一つの具体例が「お土産」。おぐりんの今の会社は珍しく、出張や旅行に行った人が全員お土産を買ってくる文化があるといいます。買いたいものがある時だけ買えばいい、という考え方を最近聞いたおぐりんは、「買いたいと思っていない時に買って帰る」ことに違和感を覚えるようになりました。
一方、えばちゃんの感覚はまったく逆。彼女はお土産屋さんで「私を待っているお土産があるぞ、それを探さなきゃ」という気持ちで探すのだといいます。お土産を買う文化のない場所に行っても同じことを思う、と。
お土産に呼ばれていない。呼んでいないのに、環境がそうだとお土産屋で出会わなければいけない。「お前欲しがってねえじゃん」という世界が始まる。
お土産に呼ばれている。環境がどこであっても関係なく「私を待っているお土産を探すぞ」という気持ちで選ぶ。
おぐりんは会社のお土産に触らず、置き場所も知らないといいます。ただし、チーム内での交換はやっている。ここでえばちゃんが放った「交換なんだね」という一言が、おぐりんに深く刺さります。それは価値の交換ではなく「義理の交換」ではないか、と。
おぐりんは、モヤモヤとして心に残るものは「先に受け取ってしまった負い目」から始まっているのかもしれない、と整理します。逆に「お土産が自分を呼んでいた」パターンは負債から始まっていないため、そもそもモヤモヤとして記憶に残らない、というわけです。
仲間として見なされないという世界
おぐりんは、コロナ前によくあった「集団での義理チョコ」のような場面でえばちゃんがどうしていたのかを尋ねます。参加したくない人だっているはずだ、と。えばちゃんの答えは意外なものでした。彼女はしばしば「起案側」で、文化祭では実行委員の副委員長を務めるタイプだったのです。
ただし、えばちゃんの参加基準は「集団の規範に従うかどうか」ではありませんでした。判断の軸は「そこに遊びの要素があるかどうか」。手作りマカロンを渡すような話は面倒でやらないけれど、みんなでちょっとしたチョコを買って引き出しに入れ、リアクションを見て楽しむような遊びはやっていた、といいます。
乗れないなら乗らなくてもいいよ。楽しめる人だけやろうね。
さらに興味深いのは、えばちゃんが集団のイベントで「仲間として見なされていないことがすごく多い」と語る点です。意地悪で声がかからないのではなく、なぜか声がかからず、結果として当日はもらう側になっている。おぐりんはこれを「期待されていないのかも、とも言えるし、そういう世界をえばちゃん自身が生み出している、とも言える」と分析しました。
逆におぐりんは、「ピザ食べたくないけど、ピザあるよと言われたら行く人」として振る舞い、声がかかる世界線を自分で作り出している。ふたりは、周囲の反応もまた自分の在り方が生み出しているのだ、という点で一致します。
境界線を守る人と、長机をつなげる人
話はカップルや夫婦のような二者関係へと進みます。八枚切りのピザをどちらかが買ってきたとき、食べたくなくて断ると相手が一人で全部食べることになってしまう——おぐりんはこうした「断れない善意」の重さを語ります。ここで、ふたりの世界の捉え方の違いが最もはっきりと現れました。
えばちゃんは、それは「無理して食べる」か「断る」かの二択しかない世界だと思っているからではないか、と指摘します。彼女には、買ってきた側として「今すぐ食べて報いてほしい」という気持ちもなく、買ってきてもらった側として「食べなきゃいけない」という重たいものもない、というのです。
がっかりするといけないからと食べられたら、私のピザをそんな風に食べないでほしいから触らないでって思う。
えばちゃんは、こだわりがない方なので相手に合わせて「好きにしていいよ」とできるといいます。10あったら3ほど譲歩することもある。しかし、行動を制限されたり、「グルテンフリーなんて意味ないよ」と自分の領域に踏み込まれたりした途端、「それを判断するのは私だから。あなたじゃないから」と一線を引きます。
この違いをおぐりんは机の比喩で語ります。えばちゃんが一人ひとり独立した机を持っているのに対し、おぐりんは「机の境目がない長机」なのだ、と。本来は一つひとつの机だったはずなのに、頑張って境目を接着剤でつなげて、表面上一枚のものにしてしまった、というのです。
机の境目がない。境目を接着剤でつなげて一枚にしている。相手からすると「なぜ長机につなげてくるのか」となる。
それぞれの自立したラインがある中での関係性。領域に踏み込まれない限りは柔軟に合わせられる。
物差しは内側にあるか、外側にあるか
なぜ長机になったのか。おぐりんは「自分の中に物差しがないという生き方をしてきたのではないか」と振り返ります。これに対しえばちゃんは、「照合するものがあまりなかった」「答え合わせ先がそんなにない」と語ります。共働きの家庭で、何かをして褒めてもらう習慣がそれほどなかったのだといいます。
おぐりんは対照的に、中学受験の偏差値、クラスの通知表、姉との比較など、物差しが外側にできるように育ってきました。彼はこの育ち方の功罪を整理します。
おぐりんの葛藤の核心はここにあります。おにぎりを持っているとき、「私はおにぎりを食べたいのだ」という軸があれば、ピザが登場してもブレない。しかし軸がないままおにぎりを持っているから、ピザが現れた瞬間ブレブレになってしまう。そのくせ「集団に参加したくない」という気持ちもある。
一方えばちゃんは、集団で遊ぶのは楽しいと言いつつ、「自分主催のパーティーですらボッチになることが多い」と明かします。バーのカウンターの中にいるのが楽なのは、役割があり、話題に参加していなくても俯瞰して見ていられる位置だから。おぐりんも役割があること自体はわかると同意しますが、「行きたい場所ではそのママの役割をやりたくない」といいます。振る舞わなければいけないからです。
これに対しえばちゃんは「振る舞わなくていいんだよ」「わからんから、言ってくれって思ってる」と返します。二人の対話は最後まで、集団の中での立ち位置と自分の軸をめぐって行き来しました。テーマである「同調圧力を感じたことがありますか」という問いにはまだ入っておらず、話は翌日に持ち越されることになりました。
まとめ
第1回は「集団の調和を重んじるべきか」というテーマを、おにぎりとピザ、お土産、机といった身近な比喩を通して掘り下げる回となりました。結論は出ていませんが、二人の対話からは「善意を負債として受け取ってしまう人」と「境界線を保ったまま柔軟に応じる人」という、対照的な世界の捉え方が浮かび上がりました。
おぐりんの葛藤の根っこにあるのは、外側の物差しによって価値観ができてしまったこと。そのため「集団に参加したくない」という本音と、「集団の規範に従ってしまう」行動との間でブレが生じます。一方えばちゃんは、内側の軸で判断するからこそ、譲歩もできれば境界線もはっきり引ける。ふたりの違いは、優劣ではなく育ちや習慣に根ざしたものとして語られました。
- モヤモヤラジオは「アウトプットしたい」という動機から始まった、日常のモヤモヤをゆるく語る番組。
- おぐりんは、おにぎりを隠してピザを食べに行くように、集団の調和を無意識に優先してしまう。その根っこには「先に受け取ってしまった負債」がある。
- えばちゃんは判断の軸が「遊びの要素があるか」にあり、他者には柔軟に合わせつつ、自分の領域に踏み込まれる「境界線の侵害」だけは明確に拒否する。
- おぐりんは物差しが外側にできる環境で育ち、えばちゃんは照合先が少ない環境で育った。この育ちの違いが、集団との向き合い方の違いに表れている。
- 本編のテーマ「同調圧力を感じたことがありますか」は翌日に持ち越しとなった。
