かつてなりたかったものから離れた場所にいる
私は昔、凡庸なサラリーマンにはなりたくないという気持ちが結構強くありました。
サラリーマン自体が嫌というより、どうせやるなら出世したいとか、社長になるくらいまでいきたいとか、そういう思いがあったんです。
漫画を読んでいた影響もあるかもしれません。凡庸なサラリーマンが主人公の漫画って、あんまりないじゃないですか。
他にも、おもんないやつになりたくないとか、リスクを取らない無難な人になりたくないとか、なんとなくそういう思いを持っていました。
今、私は凡庸なサラリーマンにはなっていません。そもそもサラリーマンじゃないですし。
でも、そんなに面白い人生かというと、高校生や大学生の頃になんとなく想像していたような、すごく面白い人生ではないんです。
リスクも取っていないし、そこそこ無難な人生ですよね。
客観的に見れば、家族がいて仲もいいし、仕事も楽しいし、自由もあって、大きな病気もしていない。かなりいい人生だと思います。
それでも、こういう感じになりたくなかったな、という気持ちはあったんですよね。
これは中年の危機の症状のひとつだと思う
年を取ると、守るものもできるし、自分の得意不得意もわかってきます。
こういうことをやると成功しやすい、失敗しやすい、いい失敗と悪い失敗がある、といったことも見えてきます。
そうやってどんどん無難な感じになっていくんですよね。
私は特に、無難であることが嫌というか、かっこ悪いと思っていたのかもしれません。
かつて自分がなりたくなかったものになっちゃってるかもな、という悩み。これは中年の危機の症状のひとつだと思っています。
中年の危機って、人生の折り返し地点で残り時間を意識し始めて、「このままでいいんだっけ」「方向転換のチャンスはまだあるけど、しなくて後悔しないんだっけ」と考える悩みですよね。
その「このままでいいんだっけ」の中に、あの頃思い描いていた大人になっていないな、というのがあるんじゃないかと思います。
諦めではなく、進化だと思えた
じゃあどうしたのかというと、そのなりたくなかったものに、なってもいいじゃんと思えた。それでスッキリしたという感じです。
ただ、これは言うは易し行うは難しで、結構難しいことなんじゃないかと思っています。
というのも、「なりたくなかったものになってもいい」って、諦めや老化と言えなくもないからです。自分でそう思ってしまうと、少なくとも諦めになっちゃいますよね。
でも私は、そういう形の結論は良くないなと思っていて。これは自分の進化なんだ、という風に思えたんです。
若者だった自分には見えていなかった世界が、今は見えている。だからあの時になりたくなかったものは、あの時思っていたほどダメなものではなかった。
平たく言うと、自分の価値観がちゃんとアップデートされているので、アップデートされる前の価値観で今の自分を評価しなくてもいいんじゃないか、ということです。
家族を持つということも、頭で考えるのと実際に持つのとでは違いますよね。
あとは、他人からの評価をすごく気にしていました。若い頃の「こうなりたい」って、「こう思われたい」が結構混ざっているんじゃないかと思うんです。
かっこ悪いと思っていた、あの頑固なおじさん
新卒で入った会社に、すごく頑固なおじさんがいました。
私は提案するのが好きで、1年目や2年目からいろんな提案をしていたんです。このビジネスはこうした方がいい、こういう商品を開発した方がいい、と言っていくタイプで。
そのおじさんは、何でもかんでも否定してくる人で、うわ、本当にかっこ悪いおじさんだな、こうはなりたくないなと思っていました。
でも、自分も年を重ねてくると、あのおじさんはあの人なりに役割を果たしていたんだな、と思えてきたんです。
組織には否定する人も必要ですよね。何でもかんでもOKと言うのも考えものです。
否定する人は憎まれ役になりますが、その憎まれ役をやってくれているわけです。
本当にやった方がいいものは、その否定を乗り越えられる。否定を乗り越えたものだけが生き残っていくというのは、特に大きな組織では結構健全なんですよね。
ちょっと否定されただけで引っ込めるような提案なら、最初から進めない方がいいこともある。今ならそういうこともわかります。
なりたくなかったものの事情や背景、組織や社会の中での位置づけを考えると、そういう生き方もあるなと思える。これが自分の価値観のアップデートなんだと思っています。
「なりたくなかったものになってないか」という問いは、なぜか強い
過去の自分の考え方を否定するのって、結構難しいし、気持ちのいいものではないですよね。
価値観がアップデートされれば、あの頃の考え方は間違っていたな、というのは絶対あるはずなんですけど、喜んでそれをする人はそんなにいないと思います。
私は自分で自分に「かつてなりたくなかったものになってしまってないか」と問いかけていました。
これって、結構強いんですよ。「なりたくなかったものになってるよ、何が悪いの?」とはなかなか言えない。
謎に説得力があるというか、正論を言われている気がするんですよね。
でもよく考えると、別にいいんじゃないの、と。これを乗り越えるのは、私の場合ちょっと時間がかかりました。
ポイントは、諦めや老いだと思わずに、価値観をアップデートしたんだから、そりゃそうでしょ、と思えるかどうかです。その納得感を自分で持つのに、時間がかかるという感じですかね。
結局、過去に自分がどう思っていたかは関係なくて。今どうなりたいか、どういう60歳や80歳になりたいかに、今から近づいていこうとするだけでいいんです。
焼きナスが美味しいとわかった中年になってもいい
じゃあどんな60歳になりたいか、なんてパッとは見つからないですけどね。私もそんなにないです。
最近思うのは、やっぱりインプットをたくさんする必要があるのかなということです。
こういう生き方はいいな、というおじさんを見たり、いろんな考え方を知ったり。
あとは、認められたいとか、すごいと思われたいとか、しょうもない欲求から解放されることですよね。そうしていくうちに価値観がアップデートされていくと思っています。
この前、よく見ている「オモコロチャンネル」で、原宿さんが「おっさんになると焼きナスがうまく感じる、それは年を取って良かったことだ」みたいなことを言っていたんです。
若い時に、焼きナスをうまく感じるおじさんになりたいとは思わないですよね。私も思っていませんでした。
でもこの年になると、そういう年の取り方もいいなと思うんです。
ポッドキャストの「オーバー・ザ・サン」も、50歳くらいの女性2人が「アサイーボウル、市民権得たよね」なんて楽しそうに話していて。
私はさっき言ったように、リスクを取る、カミソリのようなおじさんになりたいとなんとなく思っていました。
でもこの年になると、緩い生活の中のたわいもないことに気づく中年って、結構いいなと思うんですよね。
焼きナスが美味しいということすらわかっていなかった、あの頃の価値観に縛られている場合じゃない、ということです。
まとめ
なりたくなかったものになってしまった気がする。その気持ちは、いまの私にとっては諦めではなく、価値観がアップデートされた証だと思えるようになりました。まだ完全に抜けたのかはわかりませんし、また訪れる気もしますが、今の時点ではそう考えています。
- かつてなりたかったものから離れていることへの違和感は、中年の危機の症状のひとつだと思う
- 「なりたくなかったものになってもいい」は諦めではなく、価値観のアップデート、つまり進化だと捉え直せた
- 頑固なおじさんの役割がわかるようになったように、昔かっこ悪いと思ったものの背景が見えてくる
- 過去にどう思っていたかは関係なく、今どうなりたいかに近づいていけばいい
