漫画に育てられた子供時代
私にとって漫画は、ほとんど親みたいな存在でした。
小説はほとんど読まなくて、漫画ばかり読んでいた子供時代です。
手塚治虫も押さえなきゃと思って読んだし、北斗の拳、聖闘士星矢、男塾みたいな少し上の世代のものも読みました。
少年漫画はジャンプ以外にマガジン、サンデー、チャンピオンも読むし、少女漫画も読む。中学生になると背伸びして青年漫画も読むようになって。
そんなにお金はなかったので、かなりブックオフに頼ってました。古いやつだと一冊100円とかで、まとめ買いしてましたね。
高三のときに何冊持ってるか数えたら、2000冊くらいあって。部屋に漫画をバーッと並べて、それを眺めるのが幸せ、みたいな感じだったんです。
ところが大学に入って、急に読まなくなりました。
一人暮らしの部屋にその2000冊を持っていけないじゃないですか。私は漫画が好きなのと同じくらい、漫画を「集めること」にモチベーションがあったんだと思います。
30巻まで持っているのに31巻から先を一人暮らしの部屋に置く、みたいなのがなんだか嫌で。そうやって漫画から遠ざかった時期がありました。
人格を形成したのは漫画だった
ただ、人の性格やキャラ、美意識みたいなものって、やっぱり若いときに形成されると思うんです。
私にとって、それはまさに漫画だったんだなと最近すごく思うようになりました。
以前、情報インプットをPFCで例える回でも話したんですけど、漫画って私にとってはタンパク質なんですよね。エンタメ性が強いけど、何がかっこよくて何がかっこよくないのか、そういう感覚を形成するのにすごく役立つ。
それで最近、バガボンドを読み返しているんです。井上雄彦さんが描いている宮本武蔵のやつですね。
久しぶりに読んでいたら、魅力的なキャラクターの中に「強キャラ」が何人か出てきて。ああ、私は若い頃に漫画で強キャラを見て、こう生きなきゃいけないと思って、実際そう意識してやっていたなと思い出したんです。
ここで大事なのは、強いかどうかが本質的に重要なわけではない、ということです。
強いかどうかには際限がない。ドラゴンボールでも、強いキャラは後からどんどん出てきますよね。
序盤から出てきていて、今考えたらあの時は弱かったけど、でも強キャラだったよな、という人もいる。だから私が大事にしているのは、強いかどうかではなく「強キャラかどうか」なんです。
冷や汗をかかない
強キャラって、実力がある以外にも共通する特徴があります。今日はそれを3つに絞って挙げてみます。
私がイメージしているのは、ワンピースのミホークやゾロ、HUNTER×HUNTERのヒソカやキルア、バガボンドの柳生石舟斎や宝蔵院胤栄あたりです。
腕力じゃなくても、ライアーゲームの秋山さんみたいに知力戦で強い強キャラもいますよね。
一つ目の特徴は「冷や汗をかかない」ことです。
これは私が中学か高校のときに気づいたんです。強キャラと非強キャラを分けるものはこれだ、と。
漫画って、やばい状況でたらっと冷や汗を流す表現がありますよね。現実では冷や汗は見えないけど、漫画では見える。
その冷や汗を、強キャラは描かないんですよ。これに気づいたとき、私は真理にたどり着いた気がしました。
じゃあ自分も冷や汗を描くのをやめようと思ったわけです。
現実には冷や汗は見えませんが、冷や汗を描いてそうな仕草はある。貧乏ゆすり、キョロキョロする、早口になる、愛想笑いしてヘラヘラする。これが現実の冷や汗に相当するものです。
それをやめようと、結構意識してやっていて。作戦通り、大学では強キャラポジを獲得できていたんじゃないかなと思います。
ただ、それが今は失われていて。いつ失われたのかと思い返したら、新卒で入った会社で営業をやっていた頃じゃないかと。
BtoBのルート営業で、おじさんたちに可愛がってもらって注文をもらう仕事だったんです。ヘラヘラ、ニコニコして喋るような。それで強キャラムーブを忘れてしまったんじゃないかと思っています。
これはもう一度、意識していきたいところですね。
全て想定済みであること
二つ目は「全て想定済みである」ことです。
バトルものでも知能戦でも、裏をかくという展開はありますよね。でも強キャラは、裏をかかれたとしても、それすら想定しているんです。
だから冷や汗をかかないのかもしれません。想定していれば、冷や汗なんてかく必要がない。
幽☆遊☆白書の妖狐蔵馬の有名なセリフで「奥の手は見せるな。見せるならさらに奥の手を持て」というのがありますけど、まさにそういうことですよね。
全て想定しているということは、焦らないし、布石を打っておくということです。しかもそれを長々と説明しない良さもある。
布石はなるべく前々から打っている方がかっこいい。さっき打った布石が今効くより、あんな前に打っていた布石が今効いてくるのか、という方が強キャラ感があります。
とはいえ現実では、全てを想定しておくなんてできないですよね。
なので「想定してた感」を出すしかないんじゃないかと思います。
まず焦っていることを見せない。想定外のことは起きるんですけど、焦っていないように見せる。ふっと軽く微笑んだり、「面白くなってきたぜ」「そうこなくちゃな」と言ってみる。それで、そのくらいは想定してましたよ、という感じを出せます。
あとは布石っぽいことをいろいろやっておく。ほとんどの布石は役に立たなくてもいいんです。
「あいつ布石打ったけど役に立ってないじゃん」なんて思われることはないし、もっと先で効く布石かもしれない。とりあえず布石っぽい行動をやっておくと、「あの時からあいつこれを狙ってたのか」という強キャラ感が出るんじゃないかと思います。
命をかけていること
三つ目は「命をかけている」ことです。
強キャラも負けるときはあるし、死にかけたり、実際に死ぬこともある。でも強いかどうかではなく、強キャラかどうかが重要なんですよね。
強キャラは、命を懸けるまでのスピードが早い。覚悟するまでが早いんです。それはつまり、常に命を差し出してもいいと思っているから。
強キャラが絶対にやらないムーブは、間違いなく命乞いです。かっこ悪く生き残るよりも、かっこよく死ぬ方を選ぶ。
そうすると「腕一本くらいは安いもんだ」というのが共通点として出てきます。
シャンクスも腕一本くらい安いもんだと言っていますし、幽☆遊☆白書の飛影、HUNTER×HUNTERのヒソカやゴン、進撃の巨人のエルヴィンも、腕一本を差し出していますよね。
腕一本を失う代わりに、勝利みたいなより大きなものを得る。自分を大切にしすぎないというか。傷だらけになっても「痛えよ」とか言わない。血がめちゃくちゃ出ていても眼光鋭く相手を睨む。そういう強キャラでありたいなと思います。
「そんな場面、現代社会にないじゃん」と思われるかもしれません。腕一本差し出す場面なんてない、と。
でも実際には、これは全ての場面で生きてくる覚悟なんだと思うんです。ビジネスの商談でも、採用面接でもいい。
相手が命をかけているかどうかって、わかると思うんですよね。こっちはもう命を懸けている、腕一本くらいくれてやると思っていたら、どんな商談でも負けない気がします。
仮に相手が上場企業の大社長で、こっちが何の実績もないペーペーだとしても。「この事業に社運をかけるんだ」と言われても、いや社運どころじゃない、こっちは命を懸けてるんだ、と思えれば全然怖くない。
「じゃあその事業がうまくいかなかったら腕一本差し出せますか」と聞かれて、「私は差し出せますよ」と思えたら、もうその時点で勝っているわけですよね。
まとめ
冷や汗をかかない、全て想定している、命をかけている。この3つが、私が思い出した強キャラの特徴です。現実では腕一本を差し出す場面なんてないけれど、その覚悟はあらゆる場面で効いてくると、いまは考えています。まずは自分から、こういう強キャラを目指していきたいですね。
- 強いかどうかではなく「強キャラかどうか」が大事で、それは若い頃に漫画で形成された美意識だった
- 現実での冷や汗は、貧乏ゆすりや愛想笑いのような仕草。まずそれをやめて、焦りを見せない
- 全てを想定するのは無理でも、焦らず布石を打っておくことで「想定してた感」は出せる
- 腕一本くらい安いという覚悟は、商談や面接など現実のあらゆる場面で効いてくる
