介護現場から届いた「AIに頼りすぎると力が落ちる?」という悩み
今回のテーマは、ケアマネージャーとして働くリスナー、ツムツムさんからのお便りです。
介護業界にもAIの波が来ていて、社内のAIプロジェクトに「AI初心者代表」として関わっているといいます。
社内の聞き取りでは、長年ケアマネをやってきたからこそ「AIに仕事を任せることに抵抗がある」「AIより自分の方がうまくできる」という声もあったそうです。
一方でツムツムさん自身は、利用者やご家族の思いを聞き出すのはケアマネがやり、書類にまとめる部分をAIに手伝ってもらう使い方がいいのでは、と感じています。
ただ、AIに頼りすぎると自分で考える力や言葉にまとめる力が落ちるのではないか、という不安も。質問力だけ鍛えればいいのか、文章化する力も大事なのか、ぐるぐる考えていると綴られていました。
つんさんみやちゃん、こんばんは。最近ちょっと気になっていることがあります。介護業界にもITやAIの波が来ていて、ケアマネージャーの仕事でもAIを使う場面が増えてきました。
つんさんは、このお便りには論点がたくさん詰まっていると受け止めます。会社にパソコンが導入された時と似た雰囲気を感じるとも話されています。
はるか昔に会社にパソコンが導入された時と同じような雰囲気を感じるんやけどね。うちの親父が見事に取り残されて、会社の若手に急に立場逆転されて悔しい思いをしてたのを目の当たりにしたけれども。
AIが得意なこと、人間がまだ担うこと
つんさんは、お便りにあった「人にしかできない部分に集中した方がいいのでは」というフレーズについて、みやちゃんに考えを尋ねます。
みやちゃんは研究者の立場から、AIが今得意なのは書類作成や文章生成だと整理します。
研究業界では、自分の考えを文章化したり、思考を整理・言語化したり、最初にアイディアを出すブレインストームにAIを使うといいます。
逆にそれ以外の部分が私たち研究者がまだやっているところで、それはやっぱりこの推論といいますか、考える部分、理論を構築したりして、その理論がどう研究データに反映されているかとか。
つまり、仮説を立てて理論を構築する過程では、AIはあくまで自分の思考を整理するための支援として使う。人間が集中するのは「考えること」だとまとめます。
さらにみやちゃんは、AIには感情表現や表情といった非言語的な部分がまだない、とも指摘します。
笑顔で利用者に接するといった、言語ではない人柄からつくられる信頼や安心感。そうした非認知的な能力は人間ならではだと話します。
表情も瞬きも再現する「AIアバター」の衝撃
ただし、非言語的な部分もAIが再現し始めている、とつんさんは話題を広げます。
画像も動画も生成できるようになり、表情をうまく作るAIアバターも登場。先週まで大したことなかったものが、一週間で精度が上がるようなスピード感だといいます。
本当はいないインフルエンサーが、何か商品を勧めている動画を見て、僕、最初はホンマものかなと思って見てたら、息子が横から見て「これAIや」って言ったのね。
指の数や影の向きといった破綻はなく、息子は「瞬きのタイミング」で見抜いたそうです。つんさん自身や母親では気づけなかっただろうと振り返ります。
表情の再現ができつつあるとすれば、人間に残るのは「考える」という内的な部分ではないか。ここから話は関わり方の分岐点へと進みます。
「AIにさせる」のか「AIを使う」のか
つんさんは、みやちゃんの研究の話を「研究する主体はみやちゃん自身で、そのためにAIを使う」関わり方だと整理します。
一方、お便りには「AIに何かをさせる」というニュアンスもあった、と指摘します。AIに文章化してもらう、AIに頼るといった、AIに作業を代行させる関わり方です。
先ほどのツムツムさんからのお便りだと、AIに何かをさせるというニュアンスが入ってきてたと思うの。この2つのAIとの関わり方が、ひょっとしたら今生まれてるのかなって思っている。
みやちゃんは、もはやAIにできること・できないことで分ける段階ではないと応じます。
今のChatGPTは博士課程レベルの推論力があるとも言われ、非言語的な部分もアバターなどで再現されつつあるからです。
だからこそ、AIを代替として全てを生成させるのか、主体は自分でAIを支援的に使うのか。その「代替か支援か」で影響が変わってくる、とまとめます。
主体はAI。作業をAIに代行させる。文章生成などを丸ごと任せる関わり方。
主体は自分。思考の整理やリサーチにAIを支援的に使い、自分で考えて仕上げる関わり方。
営業メールを丸投げすると、営業力はどうなる?
つんさんは、この違いを「前に立つのが人間かAIか」と言い換えます。AIの背中を人間が押すのか、人間の背中をAIが押すのか、という違いです。
前に立つのが人間かAIかの違いっていう感じかな。AIの背中を人間が押すのか、人間の背中をAIが押すのかみたいな感じかな。
例として、営業メールをAIが書いて送る場合を挙げます。これはAIが前に出て、AIにさせる使い方です。効率は上がる一方、人間が裏で作業すると効率が激減するため、社員は関与しなくなります。
その状態が続けば、練習も経験も積まないので、営業担当個人の営業力は落ちそうだと話します。
AIに何かをさせると、そのさせたことに関しては退化するんかなっていう、ちょっと想像ができる。
逆に、自分の営業力を上げるためにAIを使う場合はどうか。リサーチや過去の取引先とのやりとりの情報収集をAIに任せ、その上で自分が営業をする。
人間が前に立っていれば、その人の営業力はますます鍛えられる、とつんさんは考えます。
電卓と人間の関係が、AIと人間の関係に重なる
みやちゃんは、この構図は電卓の登場と同じだと応じます。
電卓が普及するまで暗算は得意だったが、暗算の機会が失われて不得意になった。しかし電卓を支援的に使えば、より複雑な数学の問題に集中でき、スキルは上がる、というわけです。
そのツールをツールに全て頼ってしまうのか、そのツールを支援的に使ってさらなる自分の能力を伸ばすのか、というところは根本的には変わってないところなのかな。
つんさんは、マレーシアのケンブリッジ式インターナショナルスクールに通う11歳の息子の例を紹介します。
「チェックポイント」という難しめの実力テストでは、電卓を持ち込んでよいそうです。計算能力ではなく、問題を解く力を問うためです。
人間が前に出て、その解き方をまず知ってますか、考えられますか、計算の部分はどうぞ電卓使ってくださいよっていう試験がある。小学生だよ、小学生。
解き方を知っているかを問い、計算は電卓に任せる。これは人間が前に出て、電卓が後ろにある状態です。逆に計算結果そのものが主題なら、電卓が前に出ていることになります。
計算そのものが主題の問題。電卓が答えを出し、人間はそれを写す。
解き方を問う問題。人間が考え方を担い、計算だけを電卓に任せる。
AIに背中を押させる生き方
話をまとめて、つんさんは電卓と人間の関係がAIと人間の関係に近いと結びます。
AIを使って能力が磨かれるのは、自分が前に出て、AIに背中を押させるような使い方をしたときではないか、と話されています。
まとめ
AIを使うと考える力が衰えるのか磨かれるのか。二人の答えは「AIにさせる」のか「AIを使う」のか、人間が前に出るか後ろに下がるかで変わる、というものでした。電卓と暗算の関係と同じで、道具に全てを任せるか、道具を支援に使って自分を伸ばすかが分かれ目だと語られています。
- 論点は「AIにできるか」ではなく「AIとどう関わるか」に移ってきている。
- AIに作業を代行させると、その部分の練習も経験も積まず、能力は退化しやすい。
- 主体を自分に置き、AIを支援的に使えば、その人のスキルはむしろ鍛えられる。
- マレーシアの小学校では、解き方を問うテストで電卓の持ち込みを認めている。
- 磨かれる使い方の目安は「自分が前に出て、AIに背中を押させる」こと。
