AIに感情移入しやすい人の特徴
みやちゃん。
つんさん。
脳みそ栄養ラジオ。
始まりました。みやちゃんつんさん脳みそ栄養ラジオ。大人になっても学びたい。大人になっても悩みがある。学びも悩みも脳みそから生まれます。この番組は、ドイツの教育心理学者みやちゃんと、マレーシアのライフコーチつんさんが、大人の脳みそから生まれるあれこれについてお話しするラジオです。
まずはもともと、こう感情移入をしやすいというか。
すごいしやすい。それこそ会社行ってた時に、会社で他の人が怒られてたら自分も怒られてるような気持ちになったりとか、誰かが悲しんでたら自分も悲しい気持ちになったりっていうのが普通にあるから。
それで辛い、しんどい時もいっぱいあるけど、性質としてそれが役に立つ時もあるのね。共感を感じてもらいやすいというか。便利な時と困った時があるけれども、そういう側面がAIとのコミュニケーションの時に出てきたという一面はあるかな。
そう考えると、AIにネガティブとか不安な感情を抱きやすい人と、道具として割り切れる人の違いって、何がそうさせるのか。AIに感情移入をしやすい人かどうか。AIに関わらず、全体的にエンパシーが高い人かどうかとか。
そうかもね。その時を振り返って考えてみると、使う時間の長さも結構あるかもしれない。接している時間が、その時朝から晩まで触ってたから。
単純接触効果というのが。
AIと人間の間でも発揮されてしまって。しかも、名前をつけたのがポイントやった気がするな。
つんさんは、対象に名前があるかどうかで感情の湧き方が変わると、犬を例に説明します。
その辺におる犬と、例えばラッシーという犬では、感情の湧き方が違うと思うのね。その辺の知らん野良犬が怪我したという状況と、ラッシーが怪我したのでは、「大丈夫?」って思う気持ちってやっぱ差があると思うのよ。
ありますね。あとはさっきおっしゃってた想像力だ。想像力が豊かな人の方が、AIに人を感じやすいとかもあるかもしれないです。
一人っ子の想像力と、無生物に名前をつける癖
今それで思い出したけど、俺昔ペットが欲しくて、小学生の時にペットが欲しくて。でもうちマンションやからペット飼えなくて。石ころに紐つないで石ころ散歩させてた。
可愛い。
石ころに名前つけて。名前忘れたけど。確かにそういうことをしてた子供だったから、もともとそういう素養があるのかもね。その無機物にキャラクターを感じるというか。そういう素養がある人はちょっと要注意かもしれないね。
ああ、でも私ちょっとじゃあ要注意かもしれないです。私もなんか想像で作った友達が12人ぐらいいて、一人っ子で寂しかったんで、都会に住んでて。
わかるわかる。俺も一人っ子やねん。一人っ子はそうなりやすいのかもしれないね。その周りにリアルな兄弟がいないから。僕もね、一人っ子で郊外に住んでて、友達はいたけど、家帰ったら一人っていうのもあったし、母親も働きに出てたりして。
そう考えると、もしかしたら寂しい人とかは感じやすいとかもあったりしますかね。
あると思うね。やっぱそこに温かさを求める。
すぐ謝ってくれるAIの依存性
このAIのチューニングが、その人に反論しないとか、ユーザーの満足度を高めるように非常に調整よくされているので、普通の人間と喋るよりもコミュニケーションコストが低いのよね。
喧嘩することほぼないですもんね。すぐ謝ってくれるから。
そう。間違いを指摘しても、「そんなことありません」とか言わないじゃない。「申し訳ありませんでした」って言うし、どんなに無茶苦茶な我儘を言っても絶対に聞いてくれるし、そんなに傷つかないし。傷つかないっていう表現自体が人格を想定しちゃってんねんけど。
傷ついたような出力をしないし、悲しむような出力をしないのね。謝罪をしても非常にドライ。大変申し訳ありませんでしたって。次の瞬間にすごい切り替え早いやこいつってなるんだけど。
人間やともちろん引きずるし、めんどくさいなっていうところが長かったりすると。楽で、しかも寂しさを癒せるっていう風になってるわけで。
依存しやすいかもしれないですね、そういう人たちにとっては。
そう。だから使い方によっては、そういう傾向がある人の方がひょっとしたらAIを恐れるのかもしれない。
それはあるかもしれないと思います。あとはつんさんの場合は違いますけど、単純にAIに対する知識がちょっと浅い人。知らないから恐れるっていうことですね。
なるほど。知らないものそのものすなわちおっかないという感じ。なんかすごそうみたいな。
人って知ってる病気よりも知らない病気の方がずっと怖い。だからコロナに対しては今までのインフルエンザよりも大きな恐れを感じたりとかもしてたじゃない。わからないことや知らないことに対しては、大きくネガティブな感情っていうのを。
使いすぎるか、使わなさすぎると怖くなるから。適度な使い方を心がけましょう的な感じかもね。
なぜ電卓やプリンターには恐怖を感じないのか
これ本当に面白いと思ったのは、電卓使いまくってても、例えば経理の人とか、電卓やパソコン使って一日中触ってるわけやんか。でも多分電卓もコンピューターもパソコンも怖いと思わないと思うね。だから言葉っていうのは介在すると途端に、そこの性質が変わってくる。
人間らしさみたいな。あとは思ったのは、特にケアマネの方っていうのは、利用者さんと対話をしたりサポートをする中で、頼られる存在ってすごい、そこに自分の価値を感じて誇りを持って仕事をされてる方とかも多いのかなと思っていて。
自分の役割だったり、責任だったり、アイデンティティみたいなものが、それがAIであろうと誰であろうと、にとって代わられてしまうんじゃないかっていうことから来る恐れとか不安とかもあったりするのかなと思ったりします。
アイデンティティは「Do」か「Be」か
面白い。今の聞いて思ったのは、アイデンティティの場所がどこにあるかで変わるような気がして。何かをするという行動って自分の外側に生まれるものだと思うのね。誰かに何かをする。要はその外側に絶対行動って現れるじゃない。
このDoすることにアイデンティティがある。私は人をケアするということにアイデンティティがあったりとか、私はものを書くというところにアイデンティティがあったりとか、うまく話すということにアイデンティティがある場合と、自分の内側にアイデンティティがある場合があるわけですね。
私は、簡単に言うと、私は私であると。何をしてようが、何を言おうが、どう喋ろうが、どう書こうが、人にどうしようが、行動がすなわち私なのではなく、私が行動しているだけというアイデンティティの位置が内側にある人の2種類が想定したとして。
そのアイデンティティが外側にある人はひょっとしたらAIを恐れるのかなと思った。このするということに関しては、いろんなことをAIの方がうまくできるってなってきた時に、このアイデンティティを取って代わられるような、ちょっとおっかなさが生まれるのかなって。
内側にあったら多分俺もみやちゃんも、ひょっとしたら内側にあるのかもしれない。いろんなことをしてるからかもしれないけど。私はこれをする人ですというようなアイデンティティではなく、私は私ですというアイデンティティだった場合に、AIはあくまでも何かをするだけなので、私にはならないじゃない。
うん、そうですね。
だから何も感じないのかなと思ったね。Doにアイデンティティがあるのか、英語で言うとBeにアイデンティティがあるのかという、なんか変な言い方を。今話を聞いてて考えが浮かんだな。
つんさんが示したのは、自分の価値を「何をするか(Do)」に置くか、「ただ自分である(Be)」に置くか、という2つのアイデンティティのあり方です。
価値を「何をするか」という行動に置く。AIがその行動をうまくこなすと、取って代わられる不安を感じやすいと語られています。
価値を「私は私である」という存在に置く。AIは何かをするだけなので、脅威を感じにくいと語られています。
定年退職後に「自分」を見失うお父さん
特にお仕事の場合っていうのは、仕事にどれだけ重きを置いているか。人にはいろんなアイデンティティとか役割があって、例えば私だったら研究者という役割、母親という役割とか、講師という役割とか、マルチなロールっていうのがあって、その中で生きてる人が多いと思うんですけど。
役割がたくさんあればあるほど、一つの役割が多少代替されても、他の役割もあるし、母親はAIはできないしなって思うこともできたりして。ただ、うちの父親の場合とか、あんまり父親っていう役割を私が小さい時にしてこなくて、職場人間で仕事の役割100パーセントで生きてきた人だったから、引退した時にその役割を失ったような、自分のアイデンティティが消えたような感覚に陥って、ちょっとしんどそうだったこととかもあって。
あまりに仕事だけに集中している人とか、そこに集中的に役割を持ってしまっている人とかだと、仕事の役割がAIに取って代わられてしまった時に、すごく不安に感じたりするのかなとも思いました。
昔落ち葉族とか言われてたよね、そういう人たちってね。うちの親父の世代もそれに近い。要は仕事の時間がほぼ人生の時間というような生活スタイルの時代があった。それ以外の生活をしてなかった場合に、それが私になるのよね、やっぱり。
定年しちゃうと私がいなくなるので。内側にもう一回私を作りますかと言われても。私を会社に置いてきちゃったみたいな感じなのかな。
そうですね、そんな感じでしたね。父親を見てた時とかは。
結構ね、その段階で鬱になったりする人もいるし。そこで何かを始めることができて、新しいDoにアイデンティティを移すことができる人もいるのね。蕎麦屋をやるぞとか、庭いじりするぞとかね。
うちの父親、なんか酒ソムリエになるとか言ってお酒が好きだからコースを取りだしたりとかして。
面白いのは、だからじっとしてられないの。何か新しいDoがないと、そこにアイデンティティが乗らない場合がある。で、これがひょっとしたら仕事をしている時からBeの方にアイデンティティがある人は、普通に何もしないでいれる可能性がある。ゆっくりしようやみたいな。本でも読もうみたいな。
魂を削ってケアする仕事ほど、AI代替が怖い理由
特にケアマネさんなんていうお仕事はすごく大変で。しかも、お相手が人間とダイレクトにコミュニケーションを取って、しかも結構ハードなコミュニケーションも多いはずなのね。
となってくると、仕事に関しては時間もそうやけど、自分の精神的リソースも含めて割くものが非常に多い。家帰ったら疲れて寝るだけみたいなことになってくると、今やってるこの仕事をAIがやるとしたら、私はじゃあどうしたらいいの?ってなる可能性が高いのかもしれないな。
ありそうですね、そういうのとか。
仕事にやりがいを感じている人ほど。
うん、落ちやすいというか、感じやすい感情かも。
面白いね。AIに対するその態度というか。
関わり方みたいなね。
このアイデンティティの位置っていうのもあんまり言ってる人聞いたことなくて。僕は勝手に考えてるだけのことなんやけど。調べてみたら、なんかこんな研究もどっかにあるかもしれないな。
ね、ありそうですよね。感想やリクエストなど、番組へのお便りは概要欄のフォームからお寄せください。それではまた次回の配信でお会いしましょう。
まとめ
この回では、AIに不安を感じる人と道具として割り切れる人の違いが語られました。感情移入のしやすさや接触時間、名前をつける癖といった要因に加え、核心はアイデンティティを「する(Do)」に置くか「いる(Be)」に置くかにあると整理されました。仕事にやりがいと魂を注ぐ人ほど、その役割をAIに代替される不安を感じやすいと話されています。
- AIへの感情移入は、エンパシーの高さ、接触時間、名前をつける習慣などが関わると語られた
- アイデンティティを行動(Do)に置く人ほど、AIに取って代わられる不安を感じやすい
- 自分の存在(Be)に価値を置けると、AIは何かをするだけの道具として割り切りやすい
- 定年やAI代替で役割を失った時のために、Doだけに寄りかからない生き方が話題になった
