山田五郎さんが残したサブカルチャーの記憶
はい。皆さんこんにちは。木村匡也です。
はい、アシスタントの榊原です。
今のタイミングでね、ぜひ吐き出しておきたい気持ち、このことを語りたいなということが一つあって。それはね、山田五郎さんが亡くなったことなんですよ。
これはもうそうですよね。
皆さんやっぱりいろいろなんかこう、山田五郎さんに対してのね、思い出とかあると思うし、インターネットもね、すごく反応してるなということがあって。
実際ね、生きてきた世代として、五郎さんは五十七年生まれとかだったから8つ上かな。で、三浦純さんが5つぐらい上なのかな。だからいわゆるサブカルチャーって言われているものを、我々が目の前で展開されているのを見た張本人があの人たちなのね。
そうか。
まさに山田五郎とか三浦純とか伊藤せいこうさんとか、そういう非常に今日的に言うサブカルチャーみたいなものを、講談社とかがこう、いろんな雑誌の中でちょこちょこっとコーナーで取り上げていくわけなんですよ。
本来は若者のファッション誌であった『ポパイ』とか『ホットドッグプレス』とか、そういう中にちょろっとそういうへんてこりんなサブカルチャーみたいな。
入ってますね。はい。
その保守本流みたいなところをたどっていくと、誰がこんなことやってんのかなと思うと、必ずいるのがあの人たちだったんですよ。
決してね、私たちが少年時代に憧れた、筋骨隆々のスポーツマンタイプのたくましいお兄さんで、歌もうまいとか、ロックバンドができるぜとかいう人ではないんですよ。
なんかこう、影に隠れてちょこちょこちょこちょこ変なことやって、「えー、これが面白いよなあ」とか言ってやってる。この「何あんたたち」みたいな。そのサブカルチャーっていうものが、特にその1980年代に花開いたと思うんだよね。本当にその旗振り役であった人たちがあの辺なんですよ。
私たちの中ではそれだけ偉大な存在といいますか。
本来は雑誌編集をやってらっしゃった人なのが、何かの理由で。
テレビに出てきて。
お尻じゃんけんとバブル期の番組
木村さんは、五郎さんがテレビに出るきっかけになった番組の思い出を語り始めます。バブル期のくだらなさが、そのまま懐かしさとして残っているようです。
そう。本当に昔からくだらない話なんだけど、女の子をね、水着着させて、お尻じゃんけんっていうのをやってたの。お尻二つ筋肉あるじゃない。じゃんけんグーってギュッてこうなるでしょ。
締めるんですよ。
パーは両方とも緩ませる。チョキは片方だけ。これで女の子を2人水着で立たせて、お尻じゃんけんってやってたの。こんなバブル期の超くだらなさというか。
でも思い出しました。あの大磯のロングビーチで水着で座らせるやつとか。
まあまあ、あそこ大磯のロングビーチはまたさらにね、おっぱいポロリをやるために騎馬戦をやってたんですよ。芸能人水泳大会という、あれ大磯ロングビーチのホテルでちゃんと撮ってまして。
だけどね、その騎馬になってる男性タレントだってさ、アイドルの女の子を背負うんだよ。それは興奮したと思うわ、結構。
水面に見えてないだけ。
手をタッチされただけでもね、20代の男子がどれほど虚陰虚陰になったか想像に難くはないよね、あんた。でも幸せだったわね、本当に。
そのじゃんけんの審判の人は、下に寝そべって、左右に女の子が立って、せーの、じゃんけんグーとか、こっちの勝ちってやってたのが山田五郎なんだ。くだらねえだろ。なんでくだらねえんだ、上智大学まで出といて。そういう時代だったのよ。
どっちの料理ショーで見せた骨髄へのこだわり
榊原さんが知る五郎さんは「出没!アド街ック天国」の解説者でした。話は、木村さんが担当した番組でのエピソードへと移ります。
私の知ってる山田五郎さんは、それこそアド街ックで。
ああ、ああいうところでさ、大体いろんなことをみんな知ってるから、何の話題を振られてもね、ちゃんと全部お答えができる方であって、幅広くいろんなことをやってらっしゃった。
まさにその幅広さっていうものの、くだらない部分ってところもわかってるっていうのが、まさにそういった姿に出てきた。
いろんなサブカルのスターもいるんだけど、この山田五郎さんってさ、ちょっとこう、しっとり、こう張り付いてくるような喋り方で、いろんなことを。ただ嫌味がないのね。
ですよね。
五郎さんってね。ああいう方って本当にいないなと思ってね。
もじったり遊んだりはするけれど、そこにネガティブな要素っていうのがなく、面白おかしく。
特にね、私、どっちの料理ショーっていう番組をやってた時に、かなり長いこと山田さんをパネラーとして呼んでたわけですよ。あのね、こだわりがまたいいんですよ。みんな美味しいマグロのトロとか松茸が美味しいとか言うと乗ってくるんだけど、五郎さんはね、僕が好きなのよ、骨髄。
骨髄。
例えばこの牛テールスープを作りますよと言った時に、その肉じゃない、この骨髄の、ここがいいんですよねって、この日本人の琴線に触れるね。ちょうどホームランのポイントをバキンってつくんですよね。あそこが見事だったなと思って。
後年ね、五郎さんは西洋絵画における美のポイントとか教養をYouTubeで長らく発信されておられましたけど、その見るポイントもさ、ちゃんと日本人がヒットするようなさ、なんでこれがこうなったのかという。
解説。
そういうことをね、ちゃんとおっしゃってくれるわけなんです。
うちの母親がすごく五郎さんのYouTube見るの大好きで。その度に美術館によく行って、五郎さんの話を思い出して聞く。
いいですね。私も一度だけちゃんとお仕事で一緒になったことがあったんですけど、それは富士山の麓の大きなホテルでね、山田五郎さんの解説を聞きながら、目の前で生け花の先生がライブで大きな生け花を生けて、それを見ながら美味しいフランス料理を食べるっていう。いいでしょう、これね。
めちゃめちゃいい会。
ところが、その日、台風というか大雨が来ちゃって中止になっちゃって。でも五郎さんとお話ができてとっても良かったですね。ちょうどね、私にとってはいいお兄さんだったの。
忌野清志郎、森永卓郎、そして五郎さん
木村さんは、癌で亡くなった人たちへ思いを広げます。まず名前が挙がったのは、世代のスーパースターだった忌野清志郎さんでした。
そういう方が、いいお兄さんっていうと、桑田佳祐さんとか、島田紳助さんとか、長渕剛さんとか、いいお兄さんだけど、まだお元気じゃない、みんな。
私、あんなに自分がいいなと思ってた人が、こうやって癌で亡くなる最後の最後までをYouTubeでオープンにしてくださったっていうのは、本当にもう人生の大きな学びでしたかね。わずか5年前、癌の告知が2年前ぐらいだったかな。まさかこんなお別れになるとは思わなかったです。
癌ってもう衰弱してから一気に来るっていうのもあるので、五郎さんがまだ鼻に管つけてない頃の動画とか、ほんと数ヶ月前とかで、その時は全然ピンピンしていらっしゃったのに、こうやって変わっていくのかっていうのも。
そう。このドキャストだから言いたいのは、私がやっぱ癌で亡くなったことにショックな人って、まず筆頭に挙げたい人は忌野清志郎さんなのね。これはね、私たちの世代はみんなショックだった。清志郎さんって、今の60ぐらいのとか50代の人たちにとって、もう本当にスーパースターだったの。
伝説。
売れてるとか売れてないじゃなくて、ああいうかっこいい大人になりたいっていう代表者って誰?って言われたら。
清志郎さん。
いろんな権力にも立ち向かうし、自分のやりたいことを曲げないし。本当にね、清志郎さんみたいなオリジナルのロックを歌ってる人っていないんじゃないかな。
なんか肩を並べる存在っていう風に言われると、パッとは出てこないですね。
清志郎さんが癌になって、それまで清志郎さんって、ロックってさ、酒をかっくらって、タバコを吸ってとか、不健康なイメージだったんだけど、後に自転車に乗るようになってさ。ライブが東京から次、例えば仙台とかあったら仙台までチャリで行っちゃうんだよ。すごい健康になったな、清志郎さんと思って。あ、これは清志郎長生きするわって思ってたらガンになったんだよ。
それも結構早い。
不思議だね。まあ一回完全復活してライブやるんだよね。特にあのNEWS23の筑紫哲也さんなんかが清志郎さんのことをすごい好きで、TBSの夜のニュースなんだけど、清志郎さんをわざわざ長いことインタビューでこうね、インタビューする画像を流してくれてたんだけど、顔がね、ちょっと膨らんでるんですよ。
むくんでる。
むくんでる。これ抗がん剤の人ってそうなるらしいね。顔がやっぱりちゃんとガンは治りましたとか言うんだけど、これって頭部に集まった水分を排出できないからなんですってね。完全復活だって言ってたけど、ちょっと顔むくんでるなって心配だなと思ってたら亡くなっちゃってね。
で、これがまあ大ショックの一人目ね。いろいろショックな方いるんだけど、私の立場で言うと、ものすごく近くにいた森永卓郎さんとかっていうのがあったんですよ。私、ガッチリマンデーにずっと彼は出続けてたんで。
これもまた最近の話。
ただ、私はナレーターで向こうは出演者だから、会いに行くってことはないのよ。ただ、森永卓郎っていう人が、名前が卓郎っていうだけあって、吉田拓郎の大ファンなのよ。都内にそういう卓郎さんとか陽水さんとか、そういうフォークソングの歌を歌うフォーク酒場っていうのがあって。私、森永卓郎さんの同級生とものすごい飲み仲間になってたわけ。
今さ、森永がんになってるけど、君と一緒に歌歌いに行こうよって言って準備してたんだよ。
そうだった。
まあ森永卓郎さんは顔が腫れるよりもどっちかっていうと痩せこけてて。ただね、声の弱まり方、声の勢いのなさというか、これがね、出るんですね。
辛かったですね。あの方もそれこそ最後までラジオ出演して喋っていたのもありますし。
やっぱり命の灯の最後の最後の方に人の声っていうのはね、あのようになるっていうのを、まさに典型例でございましたね。そして五郎さんです。
命の最後に残されたカルペ・ディエムとメメント・モリ
3人の死を通して、木村さんは一つの学びにたどり着きます。声を聞き比べることで浮かび上がる、命のメッセージです。
今もYouTubeでね、その最後の最後の授業とか、あの声の弱々しさと元気だった頃の五郎さんの声を聞き比べていくと、このお三人の尊い命の最後のシーンによって私たちが学ぶ一つのことがあるんですよ。
それはね、いかに今あなたが栄誉栄華を極めていようが、健康の盛りにあろうが、お金を何十億持っていようが、必ずそこにはね、「死を想え」と。
どんなお金持ちであっても、どんなに栄えている人であっても、どんなに美しさを誇っている人であっても、必ずそこには死というものが平等にやってくるんだって。それをカルペ・ディエム、今日の花を摘みなさいと。
五郎さんだ。
このカルペ・ディエムというのは今日の花を。だから生きている間が花なんだよと。その対面にある対句として、対の言葉としてあるのがメメント・モリという、「死を想え」と。
もちろん五郎さんにも突きつけられましたが、私個人的には森永卓郎さんと忌野清志郎さんのその人生を通してね、やっぱり今聞いてくれてる、いろんな番組がある中で、私たちは五郎さんのこと好きだったから、絵画のことを教えてもらいましたとか、町のうんちくを教えてもらいましたとか、骨髄がおいしいとか、そこの恩もあるんだけど。
最後の命の灯火を燃やしながら、山田五郎さんっていう方が私たちに残してくれたものはメメント・モリであり、その日の花を摘めというカルペ・ディエムということなんですね。
学生歌ガウデアムスに込められた「若いうちは楽しもう」
話は、木村さんが10代から歌ってきた学生歌へと展開します。カルペ・ディエムとメメント・モリが、この歌の中に息づいていました。
実はね、私ね、特にキリスト教の学校行ってたんで、グリークラブが必ず歌ってた曲にGaudeamus igiturっていうラテン語の曲があるんですよ。これね、確か12世紀か13世紀ぐらい、ずっと学生の間で歌われてる曲なんですよ。
大学っていうところには必ず男性合唱部、グリークラブがありますよね。明治から今日に至るまで、そういうトップエリートというか、あの学習を独り立ちのところに男性合唱団が必ずできて。
ありますね。
そこで必ず歌われてきたのが、この学生歌Gaudeamus igiturなんですよ。私は15歳ぐらいから歌ってて。うちの学校、高校と大学がすぐ隣同士にあったんで、大学のグリークラブが歌ってるのが毎日聞こえてくるのね。
これは学生歌でどういうことを歌ってるのかと。「諸君、大いに楽しもう」ね。「若いうちは大いに楽しもう」。Gaudeamus igitur iuvenes dum sumusっていうのは、これはラテン語で「若いうちは楽しもう」。なぜならばMemento moriなんですよ。いつか我々は死ぬんだから。これがこの歌の裏の意味なんですよ。
だからPost jucundam iuventutem。「素晴らしい青春が過ぎた後」。その後のPost molestam senectutem。「苦難に満ちた老後が過ぎた後」。Nos habebit humus。「私たちはこの土に還っていくのだから」と。
Memento moriが。
Memento moriが待ってるんだから。
このGaudeamusをね、10代の頃に覚えてたのが良くてね。これね、アメリカだろうがヨーロッパだろうが、どこの学生も知ってるのよ。知らないの日本人だけだよ。だから学生街のビアホール、例えばドイツのミュンヘンのビアホールに行ってこれ歌ったらみんなが一緒に歌ってくれるわけ。
世界標準。
世界標準。てかグリークラブの人は全員知ってます。この曲知らないグリークラブはないと思うな。
私、次のこの歌詞が好きなんだね。Viva academia! Viva professores. あ、読めねえや。ここで読めねえやも入れときましょうかね。これはね、大学よ。Viva academia! 「学問をするところよ、栄えあれ」と。Viva professores. 「教授たちよ、いつまでもお元気で」と。「さあ、学生たちよ、いつまでも全てのどんな人たちも、いつまでも栄えあれ」と。
これはね、野太い男子の声で歌ってもらいたい。あの男の太い声に抱かれたいね。
抱かれたいですね。
これあの女性も歌う時もあるのよ。このGaudeamus igiturはね。あのロシアの方々が歌ってるの、私YouTubeで好きなんだけど。今さ、テノールの歌手っていうと、皆さんは誰を思い出すか。
あのテノールの歌手。
パバロッティとか。まあ亡くなっちゃったけどね。3大テノール、ルチアーノ・パバロッティとかホセ・カレーラスとかプラシド・ドミンゴとか、この3人ぐらいが、20世紀の後半から今日ぐらいまでの、みんなが知ってるオペラ歌手のテノールで有名な人だったと思うんだけど。おそらくこの3人の前で一番有名だった人って知ってる?
わからない。
マリオ・ランツァっていう。いわゆる昔オペラって誰だ?って言われるとマリオ・ランツァっていう。このマリオ・ランツァが歌うね、Gaudeamus igiturがね、もうすごいんですよ。皆さんはYouTubeで自分でマリオ・ランツァGaudeamusで引いてくださいね。
絶対プレイボーイでしょ、この人。
これで私はどれだけヨーロッパの学生と友達になったことか。言葉なんてわからないんですよ。ポーランドの人、ユーゴスラビアの人。でもね、みんな知ってるの。アメリカ人も知ってます。アメリカのグリークラブでもこれみんな歌うから。
五郎さんの最後の講義と髑髏のビアマグ
話はふたたび五郎さんへ戻ります。絵画に込められたメメント・モリの表現、そして最後の講義に映った一つの品が、木村さんの胸を打ちました。
それこそ五郎さんの話に戻るんだけど、メメント・モリっていろんなその芸術の中に入れてあるんですよっていうのを、絵を見せながら紹介していくんですね。例えば、本当に骸骨を描いてる絵っていっぱいあるんです。綺麗な花とか美しい景色の中に、なぜここに?っていうところに骸骨が描いてあったり。
あるいは特殊な見方をしないと、絵を斜めにひっくり返して覗かないと骸骨に見えないように描いたりとか、あるいは骸骨のような直接死を思わせるものではなく、何かが消えていくもの、そういったものをわざと描いて、メメント・モリっていうのを思い起こさせる。
その中にね、説明してる時に、しゃれこうべのビールのマグカップが置いてあるわけですよ。たまに五郎さんのYouTubeで出てきた。なんだこの気持ち悪い髑髏はと。あれ実はビアマグなんです。蓋をこう開けまして、ドイツのマグっていうのは蓋で泡がね。
出ない。
もちろん真ん中は円筒形のグラスが入ってるんですよ。ところが、その外側に骸骨が施されてて。しゃれこうべが施されてる、その髑髏の右と左側の下に「GAUDEAMUS IGITUR」反対に「IUVENES DUM SUMUS」って書いてあるんです。
これ見てごらん。みんな。もうね、息も絶え絶えの五郎さんが「GAUDEAMUS IGITUR」しか言ってないけど、あれはね、グリーであの曲を知ってる人間たちはね、涙なしには見られなかったですよ。
そうですね。
全世界の学生よ、乾杯を
最後に木村さんは、五郎さんへの畏敬を込めて、リスナーへの呼びかけで番組を締めくくります。
上智大学にもね、素晴らしいグリークラブあると思いますけど、本当にね、全世界の学生よ、自由なる学生よ。必ずどんな栄華の後にも死は訪れるということで、今日はですね、我々の本当に偉大なる先輩、山田五郎さんに畏敬の念を持ってですね、GAUDEAMUS IGITURを歌いながらビールを飲もうじゃありませんか。
はい。ということで、皆さん、ビールを片手に。
ドイツビールイベントみたいな来るじゃん。日比谷公園。
ビアイベントで乾杯。
そうそうそう、あの乾杯の声。プロースト。じゃあ皆さん、恐縮でございますが、ビアマグを持っていただいて、山田五郎さんにプロースト。
まとめ
木村匡也さんが、亡くなった山田五郎さんを偲びながら、1980年代のサブカルチャーの記憶や、どっちの料理ショーでの骨髄へのこだわりを語りました。忌野清志郎さん、森永卓郎さんの死とも重ね、命の最後に声が変わっていくことに触れています。そして10代から歌ってきた学生歌ガウデアムスを通じて、「今日の花を摘め」というカルペ・ディエムと、「死を想え」というメメント・モリが、五郎さんの残したメッセージだと結びました。
- 山田五郎さんは、木村さんにとってサブカルチャーの旗振り役でいい兄貴分だった
- 命の最後に声が弱まっていく姿から、木村さんは「メメント・モリ」を受け取った
- 学生歌ガウデアムスには「若いうちは楽しもう、なぜならいつか死ぬから」という意味が込められている
- 五郎さんの最後の講義に映った髑髏のビアマグには、ガウデアムスの歌詞が刻まれていた
