すべてを家族が担っていた時代と、1988年の教育現場
前回のエピソードでは、医療的ケア児が医療・福祉・保育・教育という制度の狭間に落ちてしまう構造が語られました。この回では、その支援の仕組みや法律がどう作られてきたのかをたどります。
クロケンさんは、まず自分たちの立場をはっきりさせています。フローレンスが医療的ケア児を支援するようになったのは2014年からで、それ以前の歴史は直接の経験がないためです。
その前にも支援の歴史というのは当然あるわけですよね。その部分は私たち直接の経験がないので、地域ケアサポート研究所の下川先生がまとめてくれた資料を参考にさせていただきます。ただ、ここから先の発言の責任は私たちにあります。
話は約40年前の1980年代から始まります。当時はまだ「医療的ケア児」という呼び名すらなく、ケアは基本的にすべて家族、主に母親が担っていました。
社会的支援がほとんどない中で、この問題が最初に社会課題として顕在化した現場が、学校教育でした。
特別支援学校には、通学して学ぶ「通学籍」と、先生が家に来て授業をする「訪問籍」の二つがあります。訪問学級は今では週3回、1回2時間ほど先生が来てくれる制度です。
転機は1988年でした。東京都の教育委員会が、痰の吸引などが必要な児童生徒は原則訪問学級で対応すべきとしたのです。
これをきっかけに議論が始まります。義務教育として教育を受ける権利があるのに、原則訪問学級とされて通学できないのはどうなのか、という問いです。
子供たちが教育を受ける権利を守る動きはすごいなと思ったんですけど、訪問学級で対応すべきって言われたから、なんで通学はダメなんじゃいっていう議論になったっていうことなんですね。
クロケンさんは、訪問学級そのものは素晴らしい制度だと繰り返し強調します。問題は、痰の吸引が必要な生徒が「原則訪問学級」とされ、選択肢を奪われてしまった点でした。
痰の吸引は医療行為か、40年の大議論
時代は進み、2000年に介護保険が導入されます。在宅医療や訪問看護が整備されていく中で、次の大きな論点が浮かびました。
学校に通う医療的ケア児に対して、誰が痰の吸引をするのか、という問題です。
ここには二つの意見がありました。痰の吸引は医療行為だから医師や看護師しかできないという立場と、すでに家庭で家族がやっているのだから教員や介護職にも認めてほしいという当事者側の切実な声です。
痰の吸引は医療行為であり、人の安全に関わるため、医師や看護師など医療職しか行えないという考え方。
すでに家庭で家族が日常的に行っているのだから、教員や介護職も一定条件下でできるようにしてほしいという当事者側の声。
結果として2003年から2004年ごろ、一定の条件下であれば違法性を問わず、教員やヘルパーが吸引などをしてもよいという例外的運用が始まりました。経管栄養や導尿といった医療的ケアも、少しずつ担えるようになっていきます。
一定条件下みたいなことがついてるから、全面的にOKですっていう感じではなく、実態に合わせて違法ではないですみたいなお墨付きになったっていうニュアンス。
2012年、研修を受ければ合法になった転換点
この「条件下」という留保が取れ、法制度としてきちんと整備されたのが2012年でした。今からおよそ十数年前のことです。
研修を受けた介護職員、この中には学校の先生も含まれますが、彼らが喀痰吸引を実施できるようになりました。福祉施設や学校で、医療職ではない人がケアを担える土台ができたのです。
前波さんは、この流れが教育だけの話ではなかったと補足します。ALSの患者など、在宅で医療的ケアを受ける人へのヘルパーによるケアも、同じ時期に一緒に議論されていました。
学校での子供もそうだし、ヘルパーがお家で医療的ケアが必要な人にケアをするみたいなことも一緒に議論されて、全体として、研修を受けたら医療的ケアやっていいよみたいな風になっていった流れがある感じですね。
いかっちさんは、注射や縫合のような医療行為が医療職に限られるのは理解できるが、生活の延長にあるようなケアがなぜ制限されるのか腑に落ちなかったと率直に語ります。
これに対しクロケンさんは、かつては血圧測定も医療行為だった例を挙げます。今は機械を使えば医療行為に該当しないと判断されていますが、そうした線引きには理由もあったと説明します。
障害児保育園ヘレンと永田町こども未来会議
教育や介護の分野で医療的ケアを担える人が広がる一方、保育や未就学児の分野ではまだ状況が整っていませんでした。
そこでフローレンスは、2014年9月に障害児保育園ヘレンを開園します。医療的ケアや障害のあるお子さんを長時間集団保育し、保護者が就労できる仕組みは、当時とても珍しいものでした。
ヘレンには視察が相次ぎ、議員も訪れました。これは国でどうにかしなければいけない、という空気が広がっていきます。
保育っていう分野ではなかったところに事例を作っていったっていうのがフローレンスのやったことでした。議員の方も視察に来てくれて、これは国でどうにかしていかないといけないねっていう風になっていったんです。
視察に来た元衆議院議員の荒井悟さんをきっかけに、2015年、永田町こども未来会議という超党派の勉強会が発足します。
クロケンさんたちは、全国医療的ケア児者支援協議会の事務局長・事務局という立場で、この会議に参加してきました。同協議会には、日本で最も医療的ケア児を診ているはるたか会の前田先生も加わっています。
現場で出会うことを政策提言につなげる。その積み重ねの成果の一つが、2016年の児童福祉法の改正でした。
2016年、医療的ケア児が法律に名を刻んだ日
2016年の児童福祉法改正で、初めて「医療的ケア児」という言葉が法律に明記されます。制度の狭間で名前のなかった存在が、支援すべき対象になった瞬間でした。
これはあれですね、関係者からすると、なんかもうほんと感慨深いっていうか、すごいことですよね。
ただし、この段階ではまだ「努力義務」でした。自治体によって受けられる支援に大きな差が出てしまう状態です。
クロケンさんは、努力義務を自転車のヘルメットにたとえます。かぶる人もいれば、かぶらない人もいる。やれなければ仕方ないという考え方だといいます。
制度の狭間で名前のない存在。支援の対象として明記されていなかった。
2016年の児童福祉法改正で「医療的ケア児」と明記され、支援すべき対象になった。ただし努力義務。
学校でも続く「親の付き添い」という現実
この頃見えてきたのが、子どもが保育園に入れない、あるいは条件付きで親が付き添えば学校に行ける、という現実でした。
学校なのに親が付き添う。感覚が麻痺しがちですが、よく考えると普通では考えられないことだとクロケンさんは指摘します。
この「付き添い」は送迎だけではありません。授業中に医療的ケアが必要になったとき、先生ができなかったり、看護師がいなかったり、まだ引き継ぎが済んでいなかったりする場合に備え、親が学校で待機することを含みます。
家にいるのと場所を変えただけで、親がずっと見守り続けなきゃいけないっていう現状は変わってないわけですね。
共働き家庭が3分の2を占める中で、親が付き添えば働くこともできません。子どもの自立の観点からも問題があります。
前波さんは、すべての医療的ケア児が付き添いを続けているわけではないと補足します。早く引き継ぎが終わる学校もあり、現場で頑張る先生や看護師もいます。ただ、地域差や学校の考え方によるギャップが大きいのが実情です。
2021年、医療的ケア児支援法がついに成立
2016年に名前が法律に載っても、努力義務のままでは実態がなかなか変わりませんでした。困りごとが続く中、各所から動きが起きます。
日弁連は2018年に医療的ケア児の保育や教育に関する意見書を出し、2019年には文部科学省が、保護者の付き添いは本当に必要な場合に限るべきという通知を出しました。
クロケンさんたちはこの通知を「中間まとめ」と呼んでいます。画期的で期待されましたが、現実は追いつかず、付き添いはなかなかなくなりませんでした。
そして2021年6月、医療的ケア児支援法が成立します。ここが大きなターニングポイントでした。
この法律は、2016年時点では努力義務だった支援を、国や自治体、学校の「責務」へと一歩進めました。あわせて、すべての都道府県に医療的ケア児支援センターを設置することも明記されました。
その結果は数字にも表れています。保育園での受け入れ人数は、2018年の444人から2023年には1253人へと約3倍に増えました。
通学籍で通う子や、特別支援学校ではなく地域の学校に通う子も増え、地域での生活の基盤が整いつつあります。
クロケンさんは、荒井先生の言葉として、行政の人も支援をしたいが法律の後押しがないと動けない、という点を挙げます。責務と定めることで、行政が支援を広げやすくなると期待された法律です。
行政の人が支援をしたいと思っていて、それを、法律にこう書いてあるから支援をするんですっていう風に、どんどん支援を広げることができるというふうに期待されて作られた法律だし、実際そうなっている自治体もどんどん増えてきています。
いかっちさんは、2021年に法律ができた瞬間、フローレンスにいた自分もよく覚えていると振り返ります。関係者みんなで泣いて喜んだといいます。
一方で、法律はできてからが大事だという点も強調されました。次のエピソードでは、成立した支援法が実際にどう機能しているのかを見ていくと予告されています。
まとめ
1980年代にすべてを家族が担っていた時代から、痰の吸引をめぐる長い議論、2012年の合法化、2016年の名前の明記、そして2021年の支援法成立まで。医療的ケア児をめぐる約40年の歩みは、課題が見え、制度が作られていく積み重ねの歴史でした。
- 1980年代は医療的ケアをすべて家族、主に母親が担い、社会的支援はほとんどなかった。
- 1988年に東京都が原則訪問学級とした通知をきっかけに、通学できないのはどうなのかという議論が始まった。
- 2012年に、研修を受けた介護職員や教員が喀痰吸引を実施できると法制度で定められた。
- 2016年の児童福祉法改正で「医療的ケア児」が初めて法律に明記されたが、支援はまだ努力義務だった。
- 2021年の医療的ケア児支援法で支援が国や自治体の責務となり、保育園の受け入れは3年で約3倍に増えた。
