たった40年しかないファミリービジネス研究
ファミリービジネスが世界の企業の大多数を占めるという前回の話を受け、今回のテーマは「そのスタンダードなはずの家業が、なぜ研究されてこなかったのか」です。
博行さんによれば、ファミリービジネスという学問が立ち上がるのは1980年代後半ごろ。二人が生まれた時期とほぼ重なります。物理学や化学が何百年、何千年もの歴史を持つのに対し、ファミリービジネス研究はたった40年ほどしかありません。
経営学そのものも約100年ほどと新しい領域ですが、それを差し引いてもファミリービジネス研究の始動は遅い、と博行さんは指摘します。世界的に支配的だったはずの領域なのに、学問がなかったのはなぜか。その理由は大きく3つに整理できるといいます。
理由1:経営学は大企業のために生まれた
1つ目の理由は、経営学の出発点にあります。20世紀初頭、大量生産を背景に、工場の作業を分解し、ストップウォッチで測り、いかに効率よく生産するかを考える——それが経営学の始まりだったといいます。
大きな工場で大勢を雇う以上、ちょっとした積み重ねが大きな損失になります。だからこそ、大きな組織をどう動かすかという問題意識に経営学が向かった、というわけです。陽平さんも、MBAや小難しい経営書を読んでも「自分事に置き換えるのが難しい」と感じてきたと共感します。
MBAとか憧れるけど、正直あんまピンとこない。難しい本を読んでも、自分事に置き換えるのが難しいなと思ってた。
入り口から大企業のマネジメントや生産性を対象にしていたため、町の小さな家族経営は最初から眼中になかったのではないか、と博行さん。1970年代には、経営者の「見える手」が資源を動かし経済を動かすという議論も盛んで、合理的にコントロールできること自体が進歩とされていました。その空気の中で、家族経営は「専門経営者になる前の、進化前の形態」とみなされがちだったといいます。
理由2:所有と経営の分離こそが「近代」という思想
2つ目の理由は、「所有と経営の分離こそが近代だ」という価値観です。1932年、バーリとミーンズが、株式が分散して持ち主が支配できなくなる状況を問題として書きました。ところが結果的には逆の効果を生み、「分離していることこそ20世紀の会社の到達点」と受け止められるようになったといいます。
この論理では、会社は家族所有・家族経営から出発し、成長するにつれて所有と経営が分離し、専門経営者が担うようになる。それが大企業になるということだ——という「進化の物語」ができあがりました。
家族所有・家族経営
所有者がそのまま経営する出発点の形態
所有と経営が徐々に分離
成長にともない株式が分散していく
専門経営者が担う大企業
プロの経営者が経営する「到達点」とされた
博行さんはこれをポケモンにたとえます。家族企業がヒトカゲなら、大企業はリザードン。一番強いリザードンの研究はしたくても、進化の一段階目であるヒトカゲそのものを研究したい人は現れにくい——という比喩です。ここで家族企業はこぼれ落ちてしまった、というわけです。
誰が好き好んでヒトカゲを研究する?みんなリザードンになる方法を研究したいわけよ。
理由3:問題が起きないから「退屈」だった
3つ目は逆説的な理由です。所有と経営が分離すると、そこには「問題」が生まれます。人は課題があれば解決したくなるもので、株主が散らばった会社をどう統治するかという課題があったからこそ、学者もそこに研究を集中させました。
ここで登場するのがエージェンシー理論です。お金を出す株主(プリンシパル)と、経営を担う人(エージェント/代理人)が別人だと、経営者は自分の金ではないため、見栄のために豪華なオフィスを構えるなど、無駄な使い方をしかねません。その私的利用をどう抑えるか、ガバナンスをどう整備するかが研究テーマになりました。
一方、家族経営では所有者が自ら経営するため、この問題が起きにくい。株を持つ人が自分の裁量で経営しているなら「好きにやってどうぞ」となり、研究者から見れば「優等生すぎて面白くない」対象だったといいます。
持ち主が自ら経営するため利害のずれが起きにくい。研究者から見れば「問題がなさすぎて退屈」。
株主と経営者の利害がずれ、統治やコスト管理という課題が山積み。学者にとって「腕が鳴る」テーマ。
そうすると家業っていうのは優等生やね。問題が起きないから。
研究者の生活とデータの壁
3つの理由に加え、研究者側の事情も無視できません。陽平さんが指摘した「個別具体性が高くパターン化しづらい」という点は、まさに家業研究の難しさの核心です。複雑すぎて、当時は扱いにくいテーマだったのかもしれません。
さらに、労力を同じだけかけるなら、大企業トヨタを研究する方が効率的です。世界の企業の9割を占めるファミリービジネスは何万社にもおよびますが、残り1割の大企業は何千社を調べれば足りる。しかも大企業は上場して数字を出してくれます。
加えて、大学の研究者には就職・雇用の問題があります。ポストを得るには有名な学会誌に論文を出す必要があり、データが取りやすく勢いのあるテーマを選ばざるを得ません。研究者は必ずしも自由意志だけでなく、世の中の流れ(需要)に合わせて研究している、と博行さんはいいます。
やっぱり生活がかかってるから、扱いやすいネタを選ばないと。
どの大学にも経営学部や経済学部はありますが、「ファミリービジネス学部」はなく、専門のポストもほとんどありません。研究したいと思っても就職先がない、という構造的な問題があるのです。博行さんは、これは需要と供給の「仕組みと流れの問題」だとまとめます。
合理性では測れない「心の部分」への回帰
では本当に需要がなく無視されて構わないのかというと、近年は逆に「ファミリービジネス研究が大事だ」という潮流が生まれています。その背景にあるのが、従来の経営学が前提としてきた「経済合理性」の限界です。
人間は自分の経済的な得だけを考えて動く——そう前提した合理化の流れで研究もビジネスも進んできました。しかし、家業を継ぐ人は本当に合理性だけで動いているのか。陽平さんは「合理的では一切ない」と即答します。
損得勘定もありながらやけど、一番はやっぱり心の部分やね。人情というか、やってみたい、とか。合理性とはちょっと真逆の世界。
継いできたものを繋ぐこと、誇り、歴史、感情——お金では測れない価値のために動くビジネスが数多くあります。こうした部分は、効率性を重視する従来の学問では救いきれませんでした。ここに再び光が当たり始めているのです。
博行さんは、時代の空気そのものも変わってきたと見ています。かつては「大きな会社を作り、経済的価値を出すことが偉い」というトレンドがありましたが、それは数あるトレンドの一つにすぎなかった、と。
コンプライアンスが厳しくなり、「儲かればいいのか」という問いが世界に投げかけられる中、感情・歴史・誇りといった、そもそも人間が生きる上で大事にしてきたものへの回帰が起きている。その先端を、1980年代のファミリービジネス研究が作っていた可能性がある、というのが博行さんの見立てです。
MFBAという野望と、中小企業のブランディング
陽平さんは、家業に入ってすぐの不安な時期にビジネススクールの入門書や経営学の本を読んでも「自分事にできない」と感じた経験を振り返ります。それは根性論ではなく、そもそも入り口が「あなた向けじゃない」ものだったからだと、今回の話で腑に落ちたといいます。
後継ぎが頼れる場として、青年会議所や商工会などの寄り合いはありますが、個別性が高く「人癖」もあるため、体系化された知見が学べる場にはなりにくい。大企業向けのMBAが合わないと感じた後、選択肢がないのが現状です。
そうした中で、欧米の研究者がここ30年で「待った」をかけ、日本でも数は少ないながら家業を研究する動きが出てきました。博行さんが個人的な夢として語るのが、MBAならぬ「MFBA(マスター・オブ・ファミリービジネス・アドミニストレーション)」の創設です。
10年後にMFBAを作るために、こういうのをまとめていきたいなと思ってる。
グロービスなどにファミリービジネス講座はありますが、多くは「ファミリービジネス概論」の一コマで完結してしまいます。本来なら、ファミリービジネス的なブランディング、組織づくり、親との関わり方など、細分化された科目がもっとあってよいはず。それがまだ整っていない、と二人は語ります。
陽平さんは「中小企業」という一括りのラベルにも問題提起します。学歴主義・大企業志向の世代で育った身として、「中小企業=大企業になりきれていない進化前の形態」という見られ方への負い目を感じてきたといいます。だからこそ、ファミリービジネスが一つの誇れるカテゴリーになってほしいと願います。
ここまで研究されてこなかった家業ですが、次回はいよいよ「ファミリービジネス研究が誕生する話」に進みます。
まとめ
家業という、世界の大多数を占めるはずの企業形態が、なぜ40年前まで研究の対象にならなかったのか。その理由は、経営学が大企業のために生まれたこと、所有と経営の分離を「近代」とする思想、そして問題が起きないゆえの「退屈さ」という3点に整理されました。
加えて、研究者の生活やデータの入手しにくさといった構造的な壁もありました。しかし近年、経済合理性だけでは説明できない「心の部分」——誇り・歴史・感情——への回帰とともに、ファミリービジネスは時代の潮流の中心へと近づいています。次回は、その研究がどう誕生したのかが語られます。
- ファミリービジネス研究は1980年代後半に始まった、歴史のわずか40年ほどの新しい学問である。
- 研究されなかった理由は3つ。①経営学が大企業向けに生まれた、②所有と経営の分離を「近代」とする進化の物語、③問題が起きず「退屈」だったこと。
- 研究者の就職事情や、非上場ゆえのデータの出にくさも、家業がブラックボックス化する一因だった。
- 近年は経済合理性だけでは測れない誇り・歴史・感情(SEW=社会情緒的資産)への注目が高まり、ファミリービジネス研究が再評価されている。
- 後継ぎが体系的に学べる場は依然として乏しく、博行さんは「MFBA」の創設を夢に掲げている。
