10年でわずか53本という研究の空白
前回のテーマは「ファミリービジネス研究が長く無視されてきた理由」でした。後継者として会社を代表している陽平さんは、そのことを実感として受け止めます。誰も正解を知らず、理論もそれを伝えてくれる人もいない。そんな状況が続いてきたと語ります。
博行さんは、この「空白」を数字で示します。1977年から1987年までの10年間で、アメリカで家業をテーマにした論文はわずか53本。年間にすればおよそ5本です。同じ時期、起業やアントレプレナーシップの研究は10年間で813本ありました。経営学のなかでもエッジの効いた分野ですら、家業研究の15〜20倍もの蓄積があったことになります。
問題は本数の少なさだけではありませんでした。当時、家業に関心を持つ研究者は世界中にぽつぽつと存在していたものの、その専門分野はバラバラだったのです。経営学から研究する人、心理学から親子関係を掘り下げる人、経済学からアプローチする人。53本という少ない蓄積が、さらに分野ごとに分断されていました。
博行さんは、研究とは「巨人の肩に乗る」ことだと説明します。ゼロから発明することはほとんどなく、先人の論文の上に、まだやられていないことを積み上げていく営みです。だからこそ、つながりや蓄積のない状態は、学問領域として片手落ちだと言います。心理学者が家業の親子関係を研究しても、経営学から家業を扱いたい人はそれを知らない。互いに疎外感を抱えながら、それぞれの分野で「異端」として研究していたのが当時の状況でした。
アパートの一室から始まった学問
そんな状況に光を当てようとする人たちが、アメリカにいました。1984年10月、大学の研究室ではなく、ニューヨークのアパートの一室に何人かが集まります。大学教授、実際に家業を営む人、家業のコンサルタント。バラバラだった彼らが「ちゃんと研究分野にできないか」と集ったのです。
スティーブ・ジョブズがガレージからAppleを作ったのと似てて、本当に純粋な探究心から始まったんやろうなっていう感じだよね。
この集いの中心にいたのが、リチャード・ベックハードさんでした。組織開発の分野で非常に有名な研究者で、会社をどう変革していくかを研究していた人です。
組織変革を研究していたベックハードさんは、家業の世代交代に強い興味を持ちました。親から子へ引き継ぐとき、組織は変革を迫られます。しかもその難易度は非常に高い。仲の良い経営者同士で引き継ぐのとは違い、親子という関係のなかで所有も経営も感情も同時に動くからです。組織変革のなかでも家業の変革が一番難しいのではないか──そう着眼したことが、研究の出発点になりました。
ここには重要な視点の転換があります。家業を「大したことない存在」「劣った存在」と前提してしまうと、うまく経営できないときに自己嫌悪に陥りがちです。しかし実際には、家業の引き継ぎはスタートアップや大企業よりもよほど難しい局面を含んでいる。だからこそ学問が必要なのだ、という捉え直しでした。
集まる場所とメディアの誕生
アパートに集まった人たちが出した方向性は、明確でした。一つは「バラバラなら一つに集まろう」という組織づくり。もう一つは、そこで生まれた研究を記録し広めるための出版です。場所とメディアを準備しようという発想でした。
Family Firm Institute。研究者やアドバイザーが集まる場所。世界最大のファミリービジネスのアドバイザーを生み出す組織へ。統計調査なども担う。
Family Business Review。論文を掲載するジャーナル(学術誌)。ここに載れば一流のファミリービジネス研究者とされる。発表の媒体。
もしファミリービジネス研究に「生まれた日」があるとすれば、それはFBRが創刊された1988年だと博行さんは言います。ちょうど博行さんと陽平さん(1988年生まれ・早生まれ)と同じ世代。物理学や経済学のように何百年も前から続く学問と比べれば、まだまだ若い分野です。
研究者たち自身もその若さを自認していました。創刊号のタイトルには「Family Business as an emerging field(立ち上がっていく分野としての家族企業)」という言葉が置かれています。ある編集者は当時を「白紙だった」と振り返っています。何もないところから、覚悟を持って宣言するように始まった学問でした。
いい言葉やね。白紙。
理論と実践をどう混ぜるか
白紙からの立ち上げには大きな課題がありました。本来なら交わらないはずの二つを、混ぜようとしたのです。一つは大学の研究者。もう一つは、最初のアパートに集まったコンサルタントや家業の当事者、つまり実際に家業を支援・実践してきた人たちです。
理論を作りたい、理論が欲しい。ある枠組みに当てはめて物事を語ろうとする。
理論そのものより、儲けるための知恵が欲しい。現場で役に立つことを求める。
通常の学術研究は学者だけで進めることが多いのですが、家業の世界では実務のアドバイザーや当事者を最初から巻き込みたいという思いがありました。ところが、学者が話す言葉とビジネスの現場の言葉はまるで違います。両方に役立つ雑誌を作りたい──その理想は、実現がとても難しいものでした。
陽平さんは、実践側からの視点も率直に語ります。「学者やコンサルに何がわかるんだ、紙一枚売ったことないくせに」という感覚を持つ実践者が大半だ、と。博行さんもその指摘に正しい側面があると認めます。
それでも、と博行さんは続けます。理論とは実践の積み重ねを抽象化し、他にも当てはめられるようにしたものです。学問の出発点は、実世界で働く商売人たちの知恵にある。「何がわかるんだ」という問いに対して、「その"何がわかるか"をわかろうとするのが学問だから、ぜひ教えてほしい」というのが研究者のスタンスなのだろう、と語りました。
共通言語「スリーサークル」の発明
場所(FFI)とメディア(FBR)ができても、もう一つ足りないものがありました。心理学、経営学、経済学、そして実践者。立場の異なる人たちが家業を語り合うための「共通言語」です。そこで登場したのが、この番組の第1回でも扱った「スリーサークル」でした。
このモデルが生まれたのは1978年の秋。ハーバード大学で組織行動論を教えていたレナード・タジューリさんと、当時博士課程の学生だったジョン・デイビスさんが、家業の事例を一緒に検討していたときのことでした。
タジューリ教授はペンを取り、紙に円を二つ描きます。ファミリーとビジネス、この二つは重なっているよね、という話でした。しかし研究を進めていたデイビスさんは、それだけでは足りないと考えます。自分がインタビューしている人たちは会社の株を取り合うこともあり、ファミリーは一枚岩ではない。株(所有)の話は別立てで必要ではないか、と。
教授が「それも足そか」と3つ目の「所有」の円を描いた瞬間、デイビスさんも「それやん」となりました。この3つの円が入ったことで、家業に携わる人がすべて位置づけられるのではないか、と気づいたのです。
3つの円が重なり合うと、それぞれの領域に立場が分かれます。家族だけの人、所有だけの人(投資家など)、事業だけの人(従業員など)。さらに重なる部分には、家族かつ株主だが働いていない人、家族で働くが株を持たない人(継ぐ前の陽平さんもここに近い)、家族ではないが株主で経営する外部役員などがいます。そして家族・所有・経営すべてに重なる人も存在します。
| 立場 | 関心・言い分の一例 |
|---|---|
| 株主 | 配当が欲しい |
| 経営者 | 儲けをもらうより再投資したい |
| 働いていない家族 | 会社の拡大より、家族の繁栄を願う |
このモデルの功績は、ぐちゃぐちゃで説明しづらかった状況を「見える化」した点にあります。経営者は会社をもっと大きくしたいけれど、それで家族への配分が減るなら、働いていない家族は「そんなに大きくしなくていい」と考えるかもしれません。立場が違えば理解も違う。それを同じ議論の土俵に載せようとするから混乱していた。円を描くことで、誰がどの立場から話しているのかがわかるようになったのです。
興味深いのは、この発明が「メモ書き」から生まれたことです。本人たちも、まさかここまで世界の基本になるとは思っていなかったと振り返っています。研究者もコンサルも、世界の家業の当事者も、まずこの円を描いてから考えるようになった。往々にして発明とはそうやって生まれるのだ、と博行さんは語ります。
家業とは何か──定義をめぐる問い
共通言語ができると、次に立ち上がってきたのが「そもそも家業とは何なのか」という問いです。スリーサークルを作ったタジューリとデイビスは、家族経営を「所有が単一の家族に支配され、2人以上の家族メンバーが、経営・所有・家族の役割を通じて事業の方向性や方針に重大な影響を与える企業」と定義しました。3つの円すべてに家族が影響力を持てばファミリービジネスだ、という考え方です。
家族が「どう関与しているか」で家業かどうかを決める考え方。所有・経営・家族の役割にどれだけ家族が関わっているかに注目する。しばらく標準として使われた。
ところが1999年、チュア・クリスマン・シャーマといった研究者たちが「それでは不十分かもしれない」と言い始めます。家族が所有・経営しているという「形」だけで定義すると表面的すぎる、というのです。
たとえば、同じ家族が100%株を持つ会社でも、家の歴史を守ろうとする会社もあれば、たまたま株を相続しただけで家業という意識がない会社もあります。関与アプローチを否定するのではなく、それだけでは足りない。家業であるがゆえに会社が示す「独特の振る舞い」にもっと注目すべきだ、という主張でした。世代を超えて受け継ぎたい、家の価値観を経営に持ち込みたい──そうした振る舞いこそが家業の本質ではないか、というわけです。
家族が「どう振る舞うか」で家業を捉える考え方。世代を超えて受け継ぐ意志や、家の価値観を経営に持ち込む姿勢など、独特の振る舞いに注目する。1999年に提唱された。
陽平さんは、この本質アプローチが現代の流れに合っていると感じます。「意味の経済」といった言葉に象徴される時代の空気とも重なるからです。前回のゲスト・石川さんが語った「育ててくれたことに感謝して次世代を考える」という姿勢も、まさに振る舞いのアプローチだと博行さんは指摘します。
家族が関与し、資産だけを承継していく会社。「形」で家業と見なされていた。
思いや価値観を大事にしている企業群。ただ資産管理会社を引き継いだだけなら、そもそも家業とは言わないのでは、という議論へ。
定義が重要なのは、それが決まらなければ「何を研究しているのか」がぶれるからです。Aさんの言うファミリービジネスとBさんの言うそれがずれていては、比較もできません。そして「家業とは何か」を問うこと自体が、議論を成熟させていきました。この本質アプローチの発想は、後に登場するSEW(社会情緒的資産=お金ではない価値)へとつながっていきます。それが提唱されたのは2007年。ごく最近のことです。
まとめ
1980年代中頃から90年代にかけて、ファミリービジネス研究は一気に飛び立ちました。研究者が集まる場所「FFI」、論文を発表するメディア「FBR」、そして立場の違う人々をつなぐ共通言語「スリーサークル」。この3つが噛み合ったことが起点でした。
研究はアメリカからヨーロッパへ、そして大西洋を越えて国際的な広がりを持ち始めました。世界一の長寿企業を抱える日本にもいずれつながっていくはずですが、現状はまだこれから、というのが博行さんの見立てです。次回は、生まれたての学問が理論的にどう深まったのか、そして「家族企業は本当に良いのか、悪いのか」という賛否の議論を紹介する予定です。
物差しや定義がないと類型もできへんし、個別具体性の高い話題から一生抜けられへん。ここがかなり大きなターニングポイントやったということよね。
- 1977〜1987年の10年間で、アメリカの家業研究の論文はわずか53本。分野もバラバラで蓄積がなかった。
- 1984年、ニューヨークのアパートに研究者・実践者が集まり、組織変革の専門家ベックハードを中心に研究の立ち上げが始まった。
- 集まる場所「FFI」(1986年)と発表媒体「FBR」(1988年)が生まれ、研究が飛び立つ土台になった。
- 研究者と実践者という交わりにくい二者を混ぜる難しさが、大きな課題として立ちはだかった。
- 1978年にハーバードでメモ書きから生まれた「スリーサークル」(家族・所有・事業)が共通言語となり、立場の違いを見える化した。
- 家業の定義は「関与アプローチ」から、振る舞いに注目する「本質アプローチ」(1999年)へ、そしてSEW(2007年)へと発展した。
