「違くない?」はなぜ生まれたのか
この回は、堀元さんが「違くない?」「違うくない?」を日本語の乱れだと糾弾し、高田先生が弁護人として擁護する形で始まります。
言語学とか日本語学の観点から見ると大変面白い変化であり、決して乱れてるわけじゃないということを、強力な助っ人とともに説明していきたいと思っております。
堀元さんの言い分は、「くない」は形容詞に付く形なので、動詞の「違う」には付けられないというものです。
美しいみたいな形容詞、なになにいで終わるやつはなになにくない?でいけるんだけど、違うは動詞だからくない?はつけられないじゃない。
番組の解説によると、「違う」には「違い」という名詞の形があり、これが「長い」「高い」のように「い」で終わることが1つ目のポイントです。形の上で形容詞のように捉え直され、「長い→長く」と同じ要領で「違い→違く」が生まれたと考えられます。
ただ、「僕とあなたは違い」とは言わないので、終止形がないのに形容詞化と言えるのかという疑問も出ます。そこで持ち出されたのが「違えよ」という言い方です。
「違え」は「長い→長え」「高い→高え」と同じ変化なので、話し手の頭の中には「違い」という形容詞のような形が前提として置かれていることになります。一方で「笑う」には「笑い」という名詞があっても、「笑くない」「笑え(笑いの変化形)」とは言いません。
違いを分けるのは意味の面です。「違う」は動作ではなく状態を表す動詞で、英語でも「be different from」と形容詞で言うように、もともと形容詞に近い性格を持っています。
形の面
名詞「違い」が「い」で終わり、形容詞のように見える
意味の面
「違う」は動作でなく状態を表し、形容詞に近い
結果
「違く」「違え」という形容詞型の形が生まれる
さらに、対義語の「同じ」は形容動詞で、「違う」は動詞と品詞が揃っていません。「違う」が形容詞に寄れば両者が形容詞的なカテゴリーに収まるという話に、堀元さんは「世界平和かもしれない」と応じています。
「違うくない?」は別の現象だった
「違くない?」は納得した堀元さんですが、動詞の「違う」にそのまま「くない」を付ける「違うくない?」は弁護の余地がないと主張します。
実際、「足りるくない?」「あるくない?」、過去形の「あったくない?」まで、「くない」はさまざまな語に付くようになっています。番組の解説では、形容詞の「くない」が多用されるうちに、「くない」だけが切り離され、相手に確認する表現として一般化したと説明されます。
味の素みたいなもんだね。最初はちょっとだけ入れてたのに、なんでもうめえなってなって、なんでも入れるようになっちゃったってことでしょう、多分。
では名詞にも付くのか。「猫くない?」は猫そのものを見て言うのは難しくても、人の様子を指して「あいつちょっと猫くない?」なら言えそうだ、という感覚が出てきます。
「違う」自体が形容詞のように活用し、「違く」に否定の「ない」が付いた形
動詞「違う」に、切り離された確認の「くない」がそのまま付いた形
「くない」と「けれども」は同じ切り間違え
もともと「くない」は、形容詞の連用形「く」に否定の「ない」が付いた形です。それが「くない」のまとまりで切り出されるのは、元とは違う位置で切る再分析 ── 語の内部構造が、本来の成り立ちとは異なる区切り方で解釈し直される現象。言語変化でよく見られ、新しい文法形式が生まれるきっかけになりますが起きているためだと説明されます。
この切り間違いは日本語の歴史では珍しくなく、代表例が「けれども」です。「けれども」は、形容詞の已然形「けれ」に逆接の接続助詞「ども」が付いたもので、日蓮の言葉とされる「天高けれども」の「高けれども」がその形です。
高けれ+ども
形容詞「高し」の已然形に逆接の「ども」が付く
再分析
「けれども」のまとまりで切り出される
独立
「言うけれども」のように形容詞以外にも付く
「言うけれども」に怒る人は見かけないことから、「違うくない?」も一般的な言語変化の一つとして捉えられるという結論になります。
リスナーが挙げた「無理くない?」「嘘くない?」
今回の収録にあたって日本語の乱れをリスナーから募集したところ、100件以上が集まり、その中で「〜くない」は特に多かったといいます。
無理くない?がめっちゃ使います。私の周りの人もよく使ってるんですけど、これ何すか?
「無理くない?」は形容動詞「無理だ」の語幹に「くない」が付いた形で、動詞とはまた別の広がりだと解説されます。「無理」を名詞+「だ」と見れば、名詞に「くない」が付く日も遠くなさそうです。
ただし付きやすいのは、「絶対無理だ」「ちょっと無理だ」のように程度を表せる語です。具体的な対象を指す「猫」ではなく、「猫っぽさ」のような性質を表すなら「くない」が付く可能性がある、という見立てです。
嘘くない?ってめっちゃ言ってます。
「嘘」は名詞ですが「やや嘘だ」と言えるように程度性があるため、「嘘くない?」は成立しそうだと二人は納得します。
「ヤバみ」「尊み」に潜む2つの面白さ
次の題材は「ヤバみ」「尊み」「バブみ」です。高田先生の立場は、これも乱れではないというものです。
1つ目の面白さは、「ヤバい」がポジティブな評価にも広がったことです。もともとネガティブな語が良い意味に転じるのは日本語でよくある変化で、「すごい」はもとはぞっとするほどひどいという意味、「すさまじ」も嫌な意味でした。
古文のいみじ ── 古語の形容詞で、程度が甚だしいことを表し、良い意味にも悪い意味にも使われる。古文の重要単語として学校で習いますも、「忌む」を形容詞化した語とされ、もとはネガティブでした。英語の「awesome」も同じように褒め言葉になっています。
2つ目は、名詞化の「み」です。形容詞を名詞化するには「うまみ」の「み」と「眠さ」の「さ」があり、「臭さ」と「臭み」のように両方使える語で違いを比べていきます。
「さ」は客観的、「み」は主観的
「4メートルの深さ」「20キロの重さ」のように測れるものには「さ」、「深み」「重み」のように自分で感じるものには「み」が使われます。単純化すると、「さ」は客観的、「み」は主観的という違いがあるわけです。
測れる・客観的(4メートルの深さ、20キロの重さ)
自分で感じる・主観的(深み、重み、魚の臭み)
眠さだとさ、ちょっと客観的すぎるというか、眠みがあるの方がよりめっちゃ今俺眠いんだよね感ある気がする。
「嬉しみ」「しんどみ」は、本来「さ」が付く形容詞に主観性の「み」を付け、実感を強める表現だと説明されます。
SNSにいる若者の傾向としてよく言われるのが、断定調を避けて、私はこう思うとか、個人的にはこうだって言い回しがすごい増えてる(という話で)、もしかしたらその傾向の延長なのかもしれないです。
この指摘は鋭いと評価され、「嬉しい」と言い切るより「嬉しみ」と名詞化するほうが婉曲で和らいだ表現になると補足されます。かつての「〜みたいな」「〜って感じ」というぼかし表現と通じるところがある、という見方です。
堀元さんは、ビジネスメールで「していただけますと嬉しみがあります」と書く日が来るかもしれないと冗談めかし、最後は「嬉しみが深みがありみが……」と言葉遊びで盛り上がりました。
高田先生の新刊『文法、どこにありますか?』
リスナーから最も多く寄せられたのは「すごい美味しい」のように「すごく」とすべきところで「すごい」を使う表現で、トムさんほか10人ほどから届いたといいます。この「すごい」で何が起きているかを書いた本が、高田先生の新刊です。
新刊はTwitterでの高田先生とニホゴン ── 日本語検定の公式キャラクターである怪獣。Twitter上で文法の話題をやりとりしていたことが、今回の書籍化につながりましたのやりとりがもとになっています。書籍では、ニホゴン、高田先生、そして書籍で初登場する「闇落ちしたニホゴン」の3者が会話する形で、1トピック10ページ足らずの短い章が並びます。
闇落ちしたニホゴンは、ニホゴンが納得しかけたところで反例を出して粘る役回りで、堀元さんは「悪魔の代弁者」のようだと評しています。「布団で寝る」と「布団に寝る」の違いなど、正しいとされる表現の使い分けも扱われます。
本はバリューブックスで購入すると、「可愛いが過ぎる」を高田先生と全力で擁護する特典映像が付きます。Amazonでは付かない点に注意が必要です。
まとめ
「違くない?」「違うくない?」「ヤバみ」は乱れに見えても、形と意味の両面や、歴史上よく起きる再分析、「さ」と「み」の意味の違いといった仕組みで説明できる変化だと示された回でした。
- 「違くない?」は、名詞「違い」の形と、状態を表す「違う」の意味の両面から形容詞化したもの
- 「違うくない?」は、「くない」が切り出されて確認表現になったもので、「けれども」と同じ再分析
- 「くない」は程度性のある語に広がりやすく、「無理くない?」「嘘くない?」も生まれている
- 「さ」は客観的、「み」は主観的で、「ヤバみ」「嬉しみ」は実感や婉曲さを表す



