右耳が聞こえない原因は、まさかの耳垢?
エピソードは、水野さんの「この前、急に右耳が聞こえなくなった」という告白から始まります。耳鼻科に行った結果は、ただ耳垢が大きすぎただけでした。
この前さ、急に右耳聞こえなくなってさ。
もうやだ、お前。きたねーな。
水野さんの説明によると、普段あまり耳掃除をしないため、久しぶりに風呂上がりに耳かきを始めたそうです。不慣れなせいで、耳垢を奥へ押し込んでしまっていたといいます。
水野さんの右耳は湿度が高く、掃除するほど聞こえが悪くなりました。それでも聞こえを良くしたくてさらに掃除し、出てきたものを水野さんは「とろろ昆布みたい」と表現しています。
不慣れなもんだから、ガンガン奥に押し込んでたっぽくてですね。
右耳の聞こえは、AirPodsの音量を半分ほどに上げてようやく少し聞こえる程度になり、水野さんは左耳に頼って生活していたそうです。翌日耳鼻科に行くと、医師がピンセットで耳垢を取り出してくれました。
出てきた耳垢は「水で増やした後のわかめ」のような量だったといいます。ついでに取ってもらった左耳からは、映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の岩のような異星人ロッキーのようなものが出てきたと水野さんは例え、堀元さんが宇宙人ネタで乗っかる掛け合いになりました。
笑い話の一方で、水野さんは片耳が聞こえない2日間を「こんなに生きづらいんだ」と振り返っています。どちらから音が聞こえるかわからず、音楽やPodcastを聴く日常も急に不便になったそうです。
耳垢を取った後、水野さんにはSの音がキンキンして聞こえるようになりました。堀元さんは番組の編集でS音やT音を弱めるディエッサー ── 音声編集で、耳に刺さりやすい「サ行」などの高い歯擦音を自動で抑えるエフェクト。ポッドキャストや歌の録音で広く使われますをかけていると紹介し、水野さんの耳垢は「天然のディエッサー」になっていたと笑います。
水野さんの場合、耳垢が天然のディエッサーになってたわけですね。Sを弱めてくれる物理的なフィルターになってたわけだ。
最後は耳垢の体質の話に移ります。堀元さんはウエットなので3日に1回ほど耳掃除をするのに対し、水野さんは左がドライ、右がウエットという両方を持つタイプだと明かしました。
「聞きやすい声」と褒めるのは、ルッキズムと同じ問題?
耳の話から、水野さんは最近考えていたことを持ち出します。Podcast界隈でよく使われる「いい声」「聞きやすい声」という褒め言葉が、将来はポリティカル・コレクトネスに引っかかるのではないか、という問題提起です。
ポッドキャスト界隈とかで聞きやすい声とか言うと思うんだけど、俺これ将来的にポリティカルコレクトネスに引っかかるんじゃないかって思っていて。
水野さんはルッキズム ── 人を外見の美醜で評価したり、外見と能力を結びつけて扱ったりすること。容姿による差別として批判の対象になっていますを「美醜と能力を紐付けること」と理解していると述べます。そのうえで、声の良し悪しは誰も批判していないのではないかと指摘します。
水野さんの見立てでは、AIのおかげで調べ物や校正が楽になり、Podcastの話す内容は差別化しにくくなっていきます。そうなると差別化できる唯一の箇所が生まれ持った声質になり、その世界は本当に公平なのか、という問いです。
堀元さんも「変えられないもんね」と応じ、ルッキズムの議論に似ていると受け止めます。Podcastのレビューには「声が聞き取りづらいので聞くのをやめた」「男性2人の声が似すぎてどちらが喋っているかわからない」といった書き込みがあるといいます。
お前見た目が気持ち悪いからダメだなってめっちゃ言っちゃいけないことに感じるけど、お前の声聞きづらいからダメだなの方がマシに感じるね。これ不思議だね。
堀元さん自身も、声が枯れて低い音域で話した回に「聞きづらいからやめてください」というコメントが多く届き、直したくても直せず悲しい気持ちになった経験を語っています。
一方で水野さんは、評価の軸が増えること自体は良いことかもしれないという別の論点も出します。自身がホストを務めるPodcast「神保町で会いましょう」で話した、30代で中途失明した石井健介さんのエピソードです。
石井さんは、見えなくなってから顔や体型の好みから解放され、匂いや声、話し方に惹かれるようになったそうです。水野さんは、顔・声・匂い・体型など軸がたくさんあれば、それはそれで公平なのではないかと考えます。
堀元さんはこれを、熊谷晋一郎さんの「自立とは依存先がたくさんあること」という言葉に重ねました。ただし堀元さんの考えは、ミスコン批判のようなルッキズム批判の文脈はそもそも「本人が変えられないもので測るのをやめよう」という話なので、軸を増やすより評価しない社会の方が正解ではないか、というものです。
顔だけでなく声・匂い・話し方など評価の軸が多ければ、一つの軸で決まるよりマシかもしれない
変えられないものを口にしない方向が正解で、顔の美醜と同じく声にも言及しなくなるのではないか
堀元さん自身は、声や見た目を良くも悪くも言われて構わないと話します。賛否両論でコメント欄を沸かせるのが自分の仕事だからですが、世の中的には、褒めたつもりでも傷つける場面が多いので配慮の方向に進むだろうと見ています。
AIがエントリーシートを書く時代、評価されるのは対面の声?
水野さんは、この潮流に乗る別の話として、本業で作った今どきの就職活動の記事を紹介します。就活生はエントリーシートをAIに書かせ、ウェブテストも不正ながらAIにやらせる人が多いそうです。
その結果、企業には大量のエントリーシートが届きます。どれもAIが作っているため出来が良すぎて落としようがなく、一旦通したうえでAI面接でさばく流れになっているといいます。
ESをAIが書く
就活生がエントリーシートをAIに書かせ、そつのない文面が大量に届く
書類で差がつかない
AI製の文章は良すぎて良し悪しがわからず、落としようがない
AI面接でさばく
24時間受付のAI面接官の質問に答え、通過が決まる
対面の評価が重くなる
水野さんは、この先は対面でのコミュニケーションが評価の大きな軸になると見る
水野さんは、AIネイティブの下の世代はテキストでのやりとりがそつない分、対面との差が大きく出ると予想します。「会ったらポンコツ」というケースが増えるのではないか、という見立てです。
対面での会話の中で重視される一つが声と話し方になりますよね。当然内容もそうなんですけれども、話すのがうまいとそれだけでハッタリ聞かせられるじゃないですか。
堀元さんは、胸ポケットのiPhoneがAIの出力を耳元でささやけば対面でもそつなく話せると返し、バレない小型イヤホンはビジネスチャンスだと冗談を飛ばします。水野さんは、それを検知するツールが生まれていたちごっこになると応じました。
堀元さんは、友人のVALUE BOOKSの飯田さんの話も出します。文章がエモいのに本人の話し方と乖離していて、メールではうまくいったのにデートで振られたそうで、堀元さんはこれを「一億総飯田社会」と表現しました。
AI同士がやりとりしたら、マッチングアプリはどうなる?
話はAI同士のコミュニケーションへ広がります。堀元さんはすでに自分のClaude Codeに個人情報を2000行ほど与えていて、マッチングアプリの返信を任せれば、相手のAIと高速で情報交換できるはずだと話します。
でもそれよく考えたらあれだな、向こうのファイルそのままくれた方が早いな。なんだったの?そのやりとりのラリーは。
水野さんは、詐欺師が悪行だけAIに伏せたら見分けがつかないと疑問を投げます。堀元さんは、普段のマッチングアプリでも悪行はわからないので、やりとりが爆速化しただけだと答えました。
水野さんはここで、目の見えない方が書いた本に「声だけで人を判断して騙されないか」という問いがあったことを思い出します。その問いの前提はずれていて、見えている人の方がよほど騙されているのではないかと感じたそうです。
さらに水野さんは、AIによる紹介は仲人に近いと指摘します。ただし仲人は紹介相手が不義理をすれば責任を問われるので信頼できる人しか紹介しないのに対し、Claude Codeは責任を取らない、という違いがあります。
やっぱだからそこですよね。人間の最後の仕事、責任取ることだけですよね。
堀元さんは、自分のAIと相手のAIが情報交換して結論だけ渡してくれる世界を「効率よくて気持ちいい」と評価します。一方の水野さんは相手自身が書いたテキストでLINEしたいと話し、2人の意見は噛み合わないまま終わりました。
声の格差はすでにある?Podcastで成り上がった人の存在
堀元さんは、声の格差社会はすでにあると考えます。男性の恋愛市場でのモテは見た目以上に声で決まる面があり、イケボにはそれだけの価値があるので、Podcastのレビューはそれを可視化しただけではないかという見方です。
水野さんは、女性の場合は声のウエイトが小さいのではと問い、堀元さんも同意します。それでも女性のPodcastにも「キンキンして聞きづらい」「かすれ気味」といったレビューはあるだろうと2人は話します。
いい声でうまく話したからうまくいった人間が世の中にいるわけだから、それはやっぱり可視化とはまた違う次元の話だよね。
水野さんが特に問題視するのは、「あなたの番組がもっと良くなると思って」と善意で声の聞きづらさを伝えてくる人です。「聞きやすいですよ」が問題になるのはその先の話で、まずは「聞きづらい」とわざわざ書く人を減らしたいと述べます。
堀元さんもこれを「新しいテーゼ」と歓迎します。ブスと言えなくなっている中で、声が聞きにくいと言うのが許容されている理由はよくわからない、というのが2人の一致点です。
水野さんは理由の一つとして、テレビには吃音がなく自由に発声できる人ばかりが出ていて、規範意識が補強されているのではないかと推測します。堀元さんは、メディアに出る人は声がいい人が多いと認めつつ、話の技術と混ざるので散らかりそうだとも話しています。
堀元さんは別の角度から、プロの声優に「プロの発声を身につけたい」と相談したら、独自の発声の方が個性的で面白いから勧めないと言われた経験を語ります。発声を鍛えることは、個性を潰すことでもあるのかもしれません。
水野さんは映画『BLUE GIANT』をプロのドラマーと観た際、高校生役の演奏を演じたプロの音について「鳴りがおかしい、いい音が出すぎている」と言われた話を紹介します。うまくなると下手にはできなくなるという例です。
堀元さんが似顔絵を描いた際に、絵を仕事にする人から「美大に行かない方がいい、習うと描けなくなるタイプの絵だ」と言われた話も出ます。2人は、顔に比べれば声は変えやすい資源だが、型にはめない方が自由な面もあると整理しました。
噛む・滑舌を指摘するのはアリ?
水野さんは、滑舌についても同じことが言えるのかと問います。例として挙げたのは、「き」の音が口の横から空気が漏れる音になる側音化構音 ── 舌の側面から息が漏れることで、サ行やキなどの音がゆがんで聞こえる発音の状態。歯並びや口の形も関係するとされますです。
水野さんによれば、側音化構音は口や歯の形によるもので、変えろと言われても厳しいものです。それでもPodcastでは、善意で「滑舌ができていませんよ」と伝えるコメントが寄せられることがあるといいます。
堀元さんは好きなPodcast『野田かずきの野良歩き』を紹介します。進行役の原田さんは毎回タイトルを噛み、笑うメインパーソナリティに「俺は噛むから笑うな」と開き直っていて、そのスタンスがいいと話しました。
相手に伝えなくてよくない?っていうのをめっちゃ思うんですよね。その規範意識は全然共有されてない。
水野さんは、滑舌は努力で直せると思っている人が多いから指摘がなくならないのだと考えます。2人自身も「慶應義塾大学」や「ゆる言語学ラジオ」をよく噛むと笑い合いました。
ただ堀元さんは、この議論を進めると言えないことがどんどん増えて苦しくなるとも指摘します。噛んだときに「噛んでますよ」とツッコむのは面白いコミュニケーションでもあり、それが言えなくなるのは嫌だと感じる人も多いはずだという懸念です。
ローティの「バザールとクラブ」とは
堀元さんの懸念に対して、水野さんは『100分de名著』で読んだ概念を持ち出します。哲学者の朱喜哲さんがリチャード・ローティ ── アメリカの哲学者(1931〜2007)。主著『偶然性・アイロニー・連帯』で、私的な自己創造と公的な連帯を分けて考える立場を示しましたの著作を解説した回に出てきた、「バザールとクラブ」です。
公的な領域。さまざまな背景の人が市場取引をする場で、「声が聞きづらい」「滑舌が悪い」とは言ってはいけない
私的な領域。バーのような身内の場で、そうしたことを言っても問題ないとされる
水野さんが驚いたのは、哲学者なら「差別的なことはどこでも言ってはいけない」と言いそうなのに、クラブでなら多少まずいことも許されるという議論だった点です。水野さんはこれを現実的な落とし所だと評価します。
堀本さんの今の問題提起ってのは、クラブだと思ったらバザールだったってのがまずいって話だと思うんですよね。
堀元さんは、YouTubeのコメント欄にも当てはまると応じます。水野さんが堀元さんに口汚い言葉を使うのは許されても、他人のコメント投稿者が言うのは違う、という感覚です。
水野さんは、Podcasterは視聴者に親友のような距離感を誤認させる商売とも言えるので難しいと話します。堀元さんはそれを「バザールクラブ営業」と名付けて笑いました。
水野さんはこの概念を使うと、リベラルな人が「これは言ってはいけない」と主張するとき、どの場所で言ってはいけないのかという議論が抜けがちなことが見えてくると話します。
堀元さんは、表では言いづらいことを書く有料のnoteマガジンを例に挙げます。クラブのつもりで書いていたのに購読者が8000人になってバザール化し、中身がリークされて炎上する失敗を繰り返しているそうです。
水野さんは、番組初期に内容の誤りを指摘された際、堀元さんが「公共性をそこまで意識しなくていい」と言って意見が対立したことを振り返ります。堀元さんは番組をクラブ、水野さんはバザールと捉えていた、という整理です。
「正しすぎる人」はクラブでもバザールにいる
水野さんは、ある思想を持ちながらそれと矛盾する言動をする友人の話をします。例として資本主義反対の人が資本主義を肯定する言動をするケースを挙げ、言行不一致に見えたが、場所によって最適解が違うだけかもしれないと考え始めたといいます。
堀元さんは、それは表と裏で違う嫌な奴という話ではなく、思想としては改めたいけれど今この瞬間は金が欲しい、という弱音や本音のようなものではないかと補います。水野さんも、距離を縮めるための自己開示をバザールの価値観で断罪するのは「正しすぎる」と感じるようになったと話しました。
僕、ここ3年ぐらいの個人的テーマが正しすぎる奴と戦おうっていうので、めっちゃ正しいこと言われた時に、ああ、お前の方が正しいさ、うるせえって怒るっていう。
堀元さんは、飲み会で水野さんに「正しすぎる」と言うのは、水野さんがクラブでもバザールすぎるからだと明かします。例に挙げたのは、飯田さんとの積読チャンネルが伸びたときに、友人の成功を100%喜べない自分が嫌だと水野さんが話していたことです。
すると水野さんが「飯田くたばれ」と言い放ち、堀元さんは「今度はクラブすぎる、ここはバザールだ」とツッコみます。堀元さん自身も、水野さんの著書『会話の0.2秒を言語学する』が売れたのは嬉しいが、2%ぐらいは「俺より売れんなよ」と思っていると打ち明けました。
水野さんは、自分はバザールとクラブ方式で生きていなかったので驚いたが、他の人にとっては当たり前のことなのかと問います。堀元さんは、多くの人が「自分がやっていたのはそういうことだったのか」と名前がついて納得したはずだと答えました。
2人は最後に、『100分de名著』だけで語るのではなく、ちゃんとローティの原典に当たろうと呼びかけます。また収録の締めで堀元さんは、冒頭で耳垢を「汚い」と言ったのも体質は変えられないのだから、バザールでは言うべきではなかったかもしれないと振り返りました。
水野さんは、自身はリベラル寄りで選択的夫婦別姓に賛成だとしつつ、理想を持つことと、それに反することを言ってはいけないと主張することは別だと話します。私的な空間で話している分にはそれほど問題ないのではないか、というのが水野さんの感想です。
まとめ
耳垢で右耳が聞こえなくなった体験から始まったこの回は、声の評価は許されるのかという問いを経て、「どこで言うか」を分けるローティの「バザールとクラブ」にたどり着きました。言ってはいけないことを一律に増やすのではなく、公的な場と私的な場を見分けるという整理が、2人の議論の着地点です。
- 容姿への言及が控えられる一方で、変えにくい声への「聞きづらい」という評価はまだ許容されていると2人は問題提起した
- AIで文章に差がつかなくなるほど、対面での声や話し方の価値が上がり、新たな格差を生むかもしれないと水野さんは見ている
- 水野さんは、善意で声や滑舌の聞きづらさを書き込むレビューを減らしたいと話している
- 公的な「バザール」と私的な「クラブ」を分けると、言っていいことの線引きや言行不一致に見える言動を整理しやすくなる
- 堀元さんは、クラブでも正しさを貫く「正しすぎる」姿勢より、本音を少し混ぜる人間らしさを肯定している



