なぜ今、「た」の話をやり直すのか
水野さんは、以前にやった全6回の「た」シリーズを最近聞き返したそうです。堀元さんは「みんな4回目ぐらいで振り落とされたシリーズ」と振り返ります。
聞き返した水野さんの感想は、内容そのものではなく、説明の仕方に向いていました。
もっと綺麗に整理できたなあれと。
水野さんによれば、「た」の意味をもっとすっきり理解するための補助線が方言にあるといいます。ただ、その整理は自分の手には負えないとも話します。
とはいえですね、難しいんですよ。僕にはもう手に負えない。
そこで今回は、専門家として高田承司さんを迎えることになりました。ゆる言語学ラジオの監修者として動画に登場するのは4人目です。
「た」が誰よりも好きな研究者
高田さんの専門は現代日本語の文法で、特に関心があるのは方言の文法です。最近は東北方言と韓国語の対照研究に取り組んでいるといいます。
以前の回で水野さんが紹介した論文集『日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す2』に高田さんの論文が収録されていて、それがゆる言語学ラジオとの縁の始まりでした。東北方言の過去 ── 出来事が発話の時点より前に起きたことを表す時間的な意味。時制(テンス)の一つの表現が3つほどあるという内容だったといいます。
高田さんは、水野さんが「た」について調べ尽くしたうえであの回をやったことに感心しつつ、見返して「ここをこうまとめたら面白くなる」ともったいなさも感じていたと話します。
僕ほど「た」が好きな人間も他にいないと思うので。
名字の3分の2が「田」であることまで持ち出され、堀元さんは「たか『た』先生ですからね」と受けます。今回、高田さんが一番好きな「た」の話から始めることになりました。
「た」の意味はジョジョだった、という宣言
今回のテーマは「カタルシス方言文法」。以前のカタルシス英文法のように、いろいろな現象を一つの本質でくくる面白さを、方言の文法でもやろうという企画です。
そもそも堀元さんは「方言に文法とかなくないですか」と反応します。北海道でから揚げを「ザンギ」と呼ぶような語彙の違いはイメージできても、文法の違いは考えたことがなかったといいます。
しかし水野さんは、以前に話した「ボタンが刺さる」のような言い方が、語彙ではなく文法レベルの現象だと指摘します。標準語の文法と方言の文法には、意外と違う部分があるというのが前提です。
方言の文法をよくよく見ていくと面白いという。
話の入り口として、高田さんは番組内のミーム「コネドル」を持ち出します。つながると思っていなかった複数のことが、思わぬ形でつながっていく面白さのことです。コネドル ── 「コネクティング・ザ・ドッツ・ミ」の略で、点と点がつながる感覚を指す番組内のミーム。ここでは動詞のように使われている
そのうえで高田さんは、いきなり大きな宣言をします。
「た」の意味はジョジョの奇妙な冒険です。
堀元さんは「違いますよ」と即答します。荒木飛呂彦さんが第1部のあとがきで「勇気だけを描きたい」と書いていることを根拠に、「た」だとは書いていないと反論します。高田さんは、話が終わったときに堀元さんがどう思うか、と受け流します。
タオルで振り返る「た」の6つの意味
高田さんは、以前の回で水野さんが説明した「た」の意味の整理を、まずおさらいします。小野先生の分類にもとづき、「た」の意味を6つに分けたものです。
その6つがグッズになっています。ひらがなの「た」とカタカナの「オ」で「タオル」という番組グッズで、過去・完了・状態・確言・要求・想起の順に印字されています。
この6つは、さらに大きく3つのグループに分けられます。堀元さんも、うろ覚えながら答えていきます。
時制。過去のように、出来事が発話時点より前かどうかを表す
動作の局面。完了・継続・始動など、動作のどの段階かを表す
話者の主観的な判断。確言・要求・想起などがここに含まれる
小野先生の分類では、過去がテンス、完了と単なる状態がアスペクト、確言・要求・想起の3つがモダリティにあたります。
そして小野先生は、過去と完了を「た」のベースとなる中心的な意味の二本柱と見ていました。ここから副次的な意味が一人歩きして生まれた、というのが見立てです。
過去に付きまとう気分が「回想」で、それが独立したものが想起の「た」です。例文は「そういえば堀元さんの誕生日って明日だったよね」の「た」。過去の出来事ではなくても、思い出す場面で「た」が使えます。
一方、完了に付きまとう気分が「確認」で、それが一人歩きしたのが確言用法だと説明されます。確言に含まれる発見用法の例が「あ、畑に猿がいた」の「た」です。
雑魚だと思っていた「単なる状態」が大ボスだった
ここで高田さんは、以前の説明の弱点を指摘します。中心の意味に付きまとう気分がなぜあるのか、それがなぜ一人歩きするのかが分かりにくい、という点です。
ちょっとなんか結果ありきで、なんか帳尻合わせて考えてない?っていう感じがちょっとしちゃいますね。
高田さんは改めて問います。6つの意味のうち、一番大本の意味と考えられるのはどれか。堀元さんは、現代語の感覚から「過去」だと答えます。
ところが高田さんは、「た」の由来から考え直します。「た」は「てあり」→「たり」→「た」と変化してきた形です。古文の助動詞「たり」は、完了と存続の意味を持つ「つ・ぬ・たり・り」の仲間でした。
「てあり」は「て」+存在を表す「あり」でできています。「あり」は古文では「いる」を意味しました。逐語的に読めば「てあり」は現代語の「ている」のような意味になります。
6つの意味のうち「ている」に言い換えられるのは、過去でも完了でもなく「単なる状態」です。「壁にかかった絵」は「壁にかかっている絵」と言えます。
つまり、由来をたどると「た」の大本の意味は「単なる状態」だったことになります。過去や完了ではない、という結論です。
だって僕あの時、単なる状態ってなんかあんまり面白くない用法だと思って結構すっ飛ばしたんですよ。
水野さんは、以前の回で「単なる状態」を周縁的な情報とみなし、扱わなかったと明かします。名前の統一感もなく、根源的に見えなかったからです。それが実は大本のボスだったわけです。
過去と完了が中心の二本柱で、単なる状態は雑魚として飛ばした
由来をたどると単なる状態こそが大本のボスだった
なぜ「単なる状態」は従属節にしか出てこないのか
水野さんは以前、「単なる状態」の「た」を扱わなかった理由をもう一つ挙げます。この意味は「壁にかかった絵」のように名詞にかかる従属節 ── 文の中で、他の部分に従って修飾などの働きをするまとまり。「壁にかかった絵」の「壁にかかった」の部分がこれにあたるでしか現れないからです。「壁にかかった」で文を終えることはできません。
ここで、以前の回で言語学者のバイビーが指摘した内容が効いてきます。従属節の中の表現は、史的変化 ── 時間の経過にともなう言語の歴史的な変化。「史的」は歴史的という意味を被りにくいという指摘です。
つまり、文末表現はコロコロ変わりやすいのに対し、「壁にかかった絵」のような従属節は昔の意味を残しやすいのです。水野さんは、見る場所を間違えていたと振り返ります。
だから見る場所を間違えてたんですよ、僕。主節の他から考えてたんですけど、従属節の他から見ればよかったんですよ。
堀元さんは、この構造を別の生物にたとえます。生息環境が変わり、限られた場所でだけ生き残るレフュージア ── 環境の変化を生き延びた生物が残っている避難地域のこと。氷河期のあと高山にだけ残ったライチョウなどが例に挙げられるの考え方です。従属節は「た」にとってのレフュージアだ、というわけです。
同じように従属節でだけ古い用法が残る例として、水野さんは英語の時・条件の副詞節を挙げます。未来のことでも現在形にするルールは、willを使わなかった古い英語の名残です。
日本語にも同じ現象があります。「父の書いた絵」の「の」です。主節では「この絵は父の書いた」とは言えませんが、従属節の中でだけ、古文の主格を表す「の」が生き残っています。
| 現象 | 主節(言えない) | 従属節(言える) |
|---|---|---|
| 状態の「た」 | 壁にかかった(で止める) | 壁にかかった絵 |
| 主格の「の」 | この絵は父の書いた | 父の書いた絵 |
高田さんは、「父の書いた絵」と「壁にかかった絵」は現象としてよく似ていると整理します。どちらも、主節では絶滅した古い形が従属節で生き残っている例です。
結果状態から完了、過去へ広がるグラデーション
ここから高田さんは、タオルの左半分、過去・完了・状態の3つに絞って話を進めます。結論は、「た」は単なる状態を起点に、完了、過去の順に意味を発展させた、というものです。
ただし「単なる状態」という名前はミスリーディングだといいます。「壁にかかった絵」は、壁にかかっていない状態から誰かがかけた結果の状態です。高田さんはこれを「結果状態」と呼び直します。
古文の例も挙げられます。今昔物語の「その国に下りてありける」は、「下ってそこにいた」とも「下っていた」とも読めます。移動した結果そこに存在する、という結果状態が「てあり」の元の用法だという見立てです。
水野さんは、この結果状態が状態と完了の両方の源になったと整理します。単なる状態も、結果状態が拡張して生まれたものだと考えるわけです。
とにかく結果状態ってのが肝だったんだっていうのがまず第一の主張ということですよね。
では結果状態と完了はどうつながるのか。共通点は、どちらも現在の状態を捉えている点です。違いは、先立つ運動・変化にどれだけ比重を置くかにあります。
例文で見ると、「道に葉っぱが落ちている」は結果状態、「今まさに葉っぱが落ちた」は完了です。「今まさに」がつくと、動作そのものに重きが移ります。
さらに過去になると、現在の状態は完全に切り捨てられます。「1995年にあの木の葉っぱが落ちた」は、今の状態とは関係のない過去の記述です。
要はさ、この三つ、大元は一緒なんだけど、時間の流れで見た時にどこにウェイトを置いてるかって話に過ぎないってことなんですよ。
3つは連続したグラデーションでした。現在の状態にウェイトを置くのが結果状態、間に完了が入り、先立つ運動だけを捉えるのが過去です。間に完了を挟むことで、状態から過去への流れがすっきり見えてくるというのが今回の肝です。
結果状態
現在の状態をもっぱら捉え、先立つ運動は前提にすぎない
完了
現在の状態を捉えつつ、先立つ運動の方に比重がずれる
過去
現在の状態を切り捨て、先立つ運動だけを捉える
堀元さんは、いい用語を使うことの大切さに話をつなげます。「単なる状態」を「結果状態」と呼び直しスコープを絞るだけで、これほど見通しがよくなるという実感です。
「た」はジョジョ第1部から第3部だった
話の締めくくりとして、高田さんは謎かけを出します。テンス・アスペクトの「た」の意味とかけて、ジョジョの奇妙な冒険と解く、というものです。
高田さんの答えは、3つの意味をジョジョの第1部から第3部の主人公に対応させるものでした。結果状態がジョナサン、完了がジョセフ、過去が承太郎です。
鍵は3人の能力の違いにあります。ジョナサンは波紋だけを使い、承太郎はスタンドだけを使います。そして中間のジョセフは、第3部で波紋もスタンドも使います。
| 主人公 | 能力 | 対応する意味 | 比重 |
|---|---|---|---|
| ジョナサン | 波紋のみ | 結果状態 | 現在の状態 |
| ジョセフ | 波紋とスタンド | 完了 | 状態と運動の中間 |
| 承太郎 | スタンドのみ | 過去 | 先立つ運動 |
高田さんは、現在の状態を波紋、先立つ運動・変化をスタンドにたとえます。スタンドの方がビジュアルとして具体的なので、明確な動作に対応させています。
波紋だけのジョナサンが結果状態、スタンドだけの承太郎が過去、両方を使うジョセフが中間の完了。3人の能力の移り変わりが、そのまま「た」の意味のグラデーションと重なります。
波紋が伝わってくんですよってカスみたいな回答して恥ずかしくなってきました。こっちの方がいいわ。
次回は東北方言を見ていくことで、「た」の意味がさらにすっきり理解できると予告されます。今回は方言の話が一つも出てこないまま、カタルシスだけを先取りした形でした。
まとめ
今回は、「た」の根源的な意味を「単なる状態」、より正確には「結果状態」と捉え直すことで、過去・完了・状態の関係を一本のグラデーションとして整理し直す回でした。従属節に古い用法が残るという視点と、ジョジョの三部構成へのたとえが、その見通しを鮮やかにしています。
- 「た」は「てあり」→「たり」→「た」と変化し、由来をたどると大本の意味は過去や完了ではなく「単なる状態」だと考えられる
- 「単なる状態」の「た」は従属節にしか現れず、従属節は古い用法が生き残りやすいレフュージアのような場所になっている
- 「単なる状態」を「結果状態」と呼び直すと、結果状態→完了→過去が現在と運動のどちらに比重を置くかのグラデーションとして理解できる
- その3段階は、波紋だけのジョナサン、波紋とスタンドのジョセフ、スタンドだけの承太郎という、ジョジョ第1部から第3部の能力の移り変わりに対応させて説明できる



