デザイン、ウェブ、ライティングの仕事はなくなるのか
今回のテーマは、AIに食われる仕事と食われない仕事です。
藤原さんは自身もAIを使いながら、プロデューサーの立場から率直な見立てを語ります。
デザイナーの立場、プロデュース的な立場でいうと、もうめちゃめちゃ仕事なくなるやろなって思ってますね。デザインの仕事はほぼなくなるだろうなっていうのと、ウェブの仕事も結構ないやろな。ライティングもなかなかなくなるやろな。
ただし、藤原さんはそこで話を終わらせません。どんな言葉で何を作らせるか、その指示の仕方にセンスと美意識が関わると考えています。
どういう言葉で何を作らせるかっていうのと、その頭の指示の仕方みたいなのがあるじゃん。そこに俺はすごいセンスと美意識が関わってるなっていうのは思ってる。全員が全員いいもん作れるとは思ってないのよ、AIを使ったとてね。
AIは料理と同じ。編集できる人が残る
梅澤さんは、この状況を料理にたとえます。
料理と同じでさ、ミシュラン三つ星のシェフと同じようにはみんな作れないけど、レンチンである程度、家族で美味しく食べれるようなもののクオリティは上がったねみたいな。早く安く美味しいみたいな。
そのうえで、レシピを開発して人に教えられる「編集できる人」、情報を見て作る人、見ても作らない人に分かれていくと整理します。
三つ星シェフは希少なまま残り続ける、という見立てです。
梅澤さんが重視するのは、目的意識と編集能力です。限られた食材や時間の中で、どう組み合わせれば美味しくできるかを考える力があってこそ、レンジのような道具が生きると話します。
これを受けて藤原さんは、AIで人が考えなくなることの危うさに触れます。AIの答えだけを正しいと思い込むと、ただの親子喧嘩が「親が逮捕された」といった誤った結論になりかねない、という例を挙げました。
考えなく人をさせるっていうものが結構AIのやばいとこかなと思って。だから考えれる人っていうのは絶対残っていくと思うんだよね、これからも。
さらに藤原さんは、素材をどこから取り寄せるかを考える人、あるいは畑ごと耕してゼロの土台を育てている人は、AIが何をしても作り続けられると語ります。
つまり仕事自体はゼロにはならない一方で、「そこそこでいい」と思っていた層の依頼は減り、淘汰は進むだろうという見方です。
枠組みで考える。百貨店とデザインの共通点
藤原さんは、企業内で新卒のデザイナーを取ってくれる会社がまだあるのか、という不安を口にします。
自身もインターンで学生を受け入れていますが、それは20代の感性や意欲を知りたいからで、その子たちにどんな未来を見せればいいのか考えると話します。
これに対し梅澤さんは、小売業の変化にたとえて説明します。
80年代、90年代は百貨店にテナントを出したら、自動的に人が集まって、みんなお金を持って買いに行くから伸びる時代だった。でも百貨店にそのまま出し続けていたらいいのかというと、違いますよね。デザインも全く同じ話だと思う。
梅澤さんは、デザインがなぜ必要だったのか、その枠組みを事業や社会の中で捉え、どう変化していくかを考えることが重要だと言います。
人は何を求め、どう買うのか。そうした潮流や枠組みを見ることが、再編が進む業界では最も大事になるという指摘です。
今までの枠組みのまま、そこそこの成果を出す働き方を続ける人
枠組みそのものを捉え直し、目的から編集できる人
美大教育と「モノの見方」を育てる講義
話題は、梅澤さんが紹介したという村山悟郎さんの本に移ります。藤原さんが東京大学での芸術制作論の講義をまとめた著書を購入した、という流れです。
藤原さんは冒頭からヒントがあったと語ります。日本の大学は道具の使い方から入る教え方で、それが今も変わっていないという指摘に共感したそうです。
藤原さん自身も大学でディレクター論を教えた経験から、大学のゴールがいつまでも就職に集約されている現状に疑問を感じています。
応募書類の提出ばかりをさせると、落ちた学生はショックを受けるだけになる。時代がどうなっているか、SNSで自分一人でも発表できることを教えないと、芸術を目指す学生は大変だ、という見立てです。
一方で村山さんの講義は、芸術を教えるようでいて、モノの見方や、作ることへの入り方、気持ちの変え方まで伝えていると藤原さんは評価します。
村山さんは、1パーセントか0.何パーセントの稀有な、そういうカリキュラムを考えられる人だから。村山さんの授業を美大で受けられた人はラッキーだと思う。
梅澤さんは、なぜ今それをやるのか、作家性を確立する上でどんなプロセスが必要かを最初にガイダンスしてから実技に入る点を、村山さんの講義の特徴として挙げました。
さらに梅澤さんは、自身の「アート行動調律療法」のプログラムの中で、村山さんのメソッドを教えてもらう契約を結んだと明かします。授業に通えない人でもオンデマンド動画で受けられるようにする予定だと話しました。
プロンプト競争の先へ。AIを相棒にする働き方
梅澤さんは、AIへの興味が今はプロンプトの入れ方に集中している状況を、ウェブ黎明期のFLASHブームになぞらえます。
今はプロンプト競争なんだけど、どんどん整備されてきてるじゃん。時間の問題でプロンプトなんか入れなくて済むようになるに決まってるんだから。
だからプロンプトを追いかけるより、人は何を求め、何に価値を感じ、何を喜ぶのかというリアルな実体験を捉えることが大事だと梅澤さんは言います。その中でデザインやプログラムがどんな役割を果たしてきたかを考えれば、答えは自ずと見えてくる、という考えです。
藤原さんは、AIが得意な領域はどんどん使って任せ、空いた時間を興味あることや好きなことに割いていくべきだと語ります。
AIと対立せずに、うまく使いこなして、より自分のやりたかったことに時間を割いていくみたいなことの方がすごくいいんじゃないかな。
梅澤さんは、知り合いの映像制作プロデューサーの事例を挙げます。VTuberやミュージシャンのCG演出動画を手がける人が、作りたいCGにどんな指示を入れればいいかをClaudeに聞き、爆速で作れるようになったといいます。
ただし梅澤さんは、その人はすでにキャリアやクライアントを持つ人だから、若い人からは「持っているリソースの中で出すものを変えただけ」に見えるかもしれない、とも補足します。
自分という一次情報と、AIには渡せないもの
では、これから開拓していく若い人には何が言えるのか。梅澤さんはその問いを藤原さんに投げかけます。
藤原さんは、若い世代にとってAIはすでにデフォルトで、Google検索さえしなくなり、小中学生もAIに聞いている時代だと確認します。
そのうえで、ツールとして使うからこそ、あなた自身の考えが大事だと強調します。
梅澤さんは、就職のときに自分を客観的にリソースとして見ることと、自分が発火するもの、やりたいことを知ることの両方が重要だと語ります。
自分、自分って本当に究極の一次情報みたいなのを、どれだけわかってるかっていうのが、すごい今になって重要になってきてる感じするね。
藤原さんは、昔は師弟関係や会社を通さないと始められなかったことが、今はいきなりやれてしまうと言います。修行期間を踏まずにやりたいことに手を出せる時短を、いいことだと捉えています。
そのうえで、やってみても行き詰まる場面は必ず出てくる。そこで本物に出会って学ぶ「稽古」が生きる、と続けます。
藤原さんは梅澤さんの著書のあとがきにあった刀の話を引きます。刀の波紋のような模様は、見る人の気持ちで見えるものが変わる。それを受け入れられるかは、それまでの積み重ねがあるからだ、という話です。
まずAIでいろいろやり方をやっちゃえる、デザインでもこんなん思ってんけど作ってしまえるっていうのがまずあって、やってみた結果、そういう人に出会ってさらに学ぶ。それでまたなおいいのができるみたいなことにつながっていくのがいいなと思っていて。
作品の発表も、プラットフォームが揃った今なら自分でできる。翻訳して一文添えるだけで海外の人にも届く可能性がある、と藤原さんはプラスの側面を語ります。
もうAIにやられちゃうよって悲観的なあれじゃなくて、もっとプラスの視点もあるんじゃないかな。俺はこの時代やからすげえおもろいなと思って生きてる。
刀、武術、お茶。割り切れないものは継承されるか
梅澤さんは、刀を例にAIには渡せないものを掘り下げます。フィジカルなロボットが名刀をコピーして作れるようになっても、刀は違うと言います。
誰が持つか、どう火を起こすか。刀は一期一会で作られるもので、いろんな情報を広げて一つに集約するところに価値があるという見立てです。
単なるコピペみたいな感じで移しても、その一期一会の関わりの中で生まれてきたものをどう表現したかみたいな、ものが持っている伝わる力っていうのは継承されない。
AIの裏側にも、AIが作ったものを届ける先にも人がいる。だから人との関わりには、割り切れないものや変化するものが含まれると梅澤さんは言います。
それが分かりやすいのが武術だと梅澤さんは続けます。相手が怖がっているか、虚を突かれたか。見えない力の関わりが動きとして見えるのが武術だ、という説明です。
結局、自分の力の使われ方って自分一人じゃ発揮できなくて、相手がいて初めて押すのか引くのか。相手がこっちに来るから、引いた時に向こうが引き込まれて技をかけられる。
梅澤さんは、お花やお茶も同じだと言います。お茶は相手を迎え入れるもので、自分の好きなものと相手が喜ぶものをどう成立させるかを本気で考える。相手の反応を受け入れる余白を、自分の中に育てるものでもあると話します。
藤原さんは、音楽編集を担当する「ソゼン」さんが自分の分身AIをつくっている話を紹介します。関わりの度合いに応じた返信のトーンまで仕込み、事務的なことを自動化しているそうです。
次回の収録では、そのAIをゲストとして会話に入れる実験を予定していると言います。AIがどこまで人の代わりに対話できるのかを、肌感で探りたいという意図です。
やっぱりこう、原画とプリントしたものとの違いぐらいの感じになっていくと思うんだよね、AIが。量産できるものはいいけど、やっぱりそれでしかあかんっていうのは、逆にすごいクリアに見えてくるのかな。
藤原さんは、スマホの登場でカメラマンはいなくなると言われたのに、今も残っている例を挙げます。誰もが撮れるからこそ、カメラマンの視点や経験のすごさが分かるようになったと言います。
自分で撮れるからこそ、下手さに絶望することもある。それが分かることが大事で、AIも同じだと藤原さんは締めくくります。必要とされる人間は残る一方で、悲しいかな置き換わるものも必ずある、というイメージです。
まとめ
AIでデザインやライティングの仕事は大きく変わるものの、目的を設定し編集できる人、枠組みそのものを捉え直せる人は残る、という回でした。刀や武術、お茶を手がかりに、割り切れない人と人の関わりこそAIに渡せない価値だと語られています。
- AIで仕事は減るが、目的設定と編集能力を持つ人は残る
- 重要なのはプロンプトより、人が何を求めるかという枠組みを捉える力
- 自分という究極の一次情報をどれだけ理解しているかが問われる
- AIでまずやってしまい、行き詰まったら本物に出会って学ぶ稽古が生きる
- 一期一会の関わりから生まれる伝わる力は、コピーでは継承されない
