上司の「頭の硬さ」は執着
研修でご一緒した方が、上司との関係に悩んでいらっしゃいました。
なかなかやり方を変えてくれない、古い価値観を押し付けられて大変だ、と。それが転職のきっかけにもなりかけている、という少し切羽詰まったお話でした。
聞いていて、これは「執着」だなと感じたんです。過去の成功例や、自分がやってきた実績。そういうものに固執してしまう。
しかも厄介なのは、他人の執着によって、関係性の中で自分自身にも苦しみが生じてしまうこと。
そんな話をしたら、思いのほか興味を持っていただけたので、今日はこの執着というテーマで書いてみようと思った訳です。
執着は、お金や物への欲だけじゃない
執着というのは、辞書を引くと「事物に固執し、囚われること」と書いてあります。仏教では「執着」と書いて「しゅうじゃく」と読むこともあります。
執着と聞くと、お金や物への欲、いわゆる煩悩を思い浮かべる方が多いかもしれません。
でも執着の対象は、物やお金だけじゃないんです。
関係性、過去の体験、成功体験、それから「正しさ」。私たちが感覚機関を使って認識できる、およそそ全てのものが執着の対象になっていきます。
もちろん、それがうまく働く場面もあるでしょう。
でもこの変化の早い時代に、過去の勝ち筋や自分が成果を上げたことばかりに固執してしまうのは、自分自身を縛ってしまう。
ましてや権限を持った立場になると、自分だけでなく周りまで縛ってしまう。そこに苦しみ(思い通りにならないこと)が生まれて、かえって成果を生めなくなってしまうこともあるんじゃないかと思います。
問題は「それしか正解がない」と思い込むこと
昔はめちゃくちゃ厳しく、バシバシやって、怒鳴り倒して人が育った。そう言う方もいるかもしれません。
がむしゃらに長く働くことで成果が出た、という経験を持つ方もいらっしゃいます。
以前の常識ではそれが正解だった。それをそのまま引きずって、10年、20年、30年とやってきてしまう。
そういう経験のすべてが間違っているわけではないし、時には必要な場面もあるとも思います。
問題は、「それしか正解がない」「そのやり方しか方法がない」と思い込んでしまっていることなんです。これがまさに執着ですよね。
「これでなければならない」という凝り固まった考え方。変化するこの時代に、変わらない前提を押し付けるところに、周りの苦しみが生まれてしまう。
刻一刻と状況が変化する中で、前と同じはずだ、変わっていないはずだ、と思うこと自体に無理が生じます。その無理を通そうとするところで、自分にも周りにも不具合が及んでしまうんです。
軽やかに、時には節操なく手放す
特にここ数年、AIによる進化はめちゃくちゃに早いですよね。私自身、AIがないともはやワンオペ住職はやっていけないような感じになっています。
少子高齢化も進み、人口も減っている。原油価格が上がって、車社会の地方では負担が増える。物価も上がり、生活への影響もあり、これまで変化が少なかった反動とも言えるほどの変化が起こり始めていきます。
刻一刻と変化していく中で、この変化を受け止めながら、自分自身も軽やかに、ある種節操なく変わっていく。そういう心のありようを持って執着を手放していく。
固定した正しさを、自分の中に作りすぎないことだと思うんです。
昨日の正解を、今日も守らなくていい。変わり続ける社会も、世界も、他人も、自分自身も、その変化を柔軟に受け止めていく。
この世は自分の思うようにならない、というのも真理です。だとすれば、節操がないぐらいに見える軽やかさや柔軟さのほうが、諸行無常のこの世界には合っているんじゃないでしょうか。
もちろん、義理を欠いたりはしない。善なる自分を保ちながら、という大前提はありますけ。
そういう姿勢で仕事にも、家庭のことにも、生活にも取り組んでいく。変化のスピードが大きい現代には、むしろこちらのほうが合っているのではないかと思います。
まとめ
いろんな方のお話をうかがっていて、変化の早い今の時代には、仏教思想とても伝わりやすい時代になっているのかもしれないなと感じました。無常が実感として感じられやすい、そういうスピードの時代だからでしょうか。 執着に縛られて苦しい思いをしている方に、もう一つの道を示せるように、こういう話をこれからも続けていきたいと思っています。
- 執着とは物やお金だけでなく、成功体験や「正しさ」にも及ぶもの
- 問題は過去の正解に固執し、それしか道がないと思い込んでしまうこと
- 変化の早い時代には、軽やかに、時には節操なく執着を手放す姿勢が合っている
- 昨日の正解を今日も守らなくていい。ただし善なる自分を保つことは前提
