諸行無常と聞いて、何を思い浮かべますか
諸行無常と聞いて、皆さんはどんなことを思い浮かべるでしょうか。
私と同じくらいの世代だと、古典の授業で平家物語の冒頭を暗記させられませんでしたか。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」というあれです。
平家の栄華と滅亡、栄枯盛衰を諸行無常というキーワードで描いたのが平家物語です。
もう一つ挙げるなら、鴨長明の方丈記です。
大火や地震、飢饉のような災害で栄えていた都がめちゃくちゃになる中、都の喧騒を離れて小さな庵に住み、世の中の変化の激しさや人生の儚さを語ったものです。
「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」。これもまた、美しい諸行無常を表す言葉だと思います。
日本の文学の中では、諸行無常は物事の儚さや人生の切なさとともに語られることが多いので、私たちは「諸行無常=儚さ」のように考えてしまいがちです。
もちろんそれも諸行無常なのですが、本当はもっと広い意味の言葉です。
全てのものは、生々流転している
私も、皆さんも、ここにある壺やこの建物、掛け軸やご本尊も含めて、全てのものは変わり続けていく。
これが真理であると、お釈迦様が気づかれたことです。
今目の前で、あきらかに目に見えて変化するものは、これは変わるものだなとすぐにわかります。
たとえば卵を割れば中身が出てきて、焼けば透明だった白身が白くなり、黄身も固まってくる。ごく短い時間で変化がわかります。
どうしてそうなるかというと、殻に力が加わって割れ、中身がフライパンに落ち、そこに熱が働きたんぱく質が固まるからです(あってますよね?w)。
この、力が加わるとか熱がかかるといった働きが、いわゆる因縁とか因果、縁起と言われる部分なんですね。
そして、これは短時間で変化がわかるものだけの話ではありません。
今こうして私が見ている変わり映えのない景色を、同じアングルで100年後に見たら全く違うものになっているでしょうし、当然私もすでにこの世にはいません。
今私がいるこの建物すらあるかどうかわからない。
短い時間では感じられなくても、刻一刻と、一瞬たりとも物事は同じ状態ではありません。認識できないけれど、どんなものも確実に少しずつ、少しずつ変化している。
頭ではわかっても、心ではわからない
では、なぜこの諸行無常が仏教でそんなに大きく取り上げられるのか。
それは、人間は諸行無常を頭では理解できても、自分のこととして心ではなかなかわからないからなんですね。
いつまでも若く健康でいたい。自分も、大事な人も、年を取りたくないし病気になんかなりたくない。
しかし、誰しもいつか必ず病に見舞われるし、死は訪れる。しかも、いつ死ぬかは誰にも選べない。
老病死という代表的な苦しみだけでなく、いろんなものをずっと自分の手の中に握りしめていたいと私たちは思います。
高価なものを買い、権力や名声を手に入れて、それをずっと自分のものとして持っていたい。
でも諸行は無常なので、いつまでも永遠に同じように持ち続けることはできないのです。
諸行無常をきちんと理解することができていれば、そういう所有の執着からも離れていくことができるのではないかと思います。
頭でわかるだけでなく、自分の心でしっかりわかっていれば、たまたま今自分の手の中にあるものも、いつかは手放すものだと受け止められるはずです。
物事に執着しても、それがずっと自分の手の中にあり続けるとは限らない。
そのことをよく知りながら、物事と自分との関係を見つめていくことが大事なんじゃないかと思います。
いろんなものを「預かっている」と考える
執着していると、なぜ苦しいのか。
いつかなくなってしまうものに執着しているのだから、執着が強い分だけ、なくなった時に苦しみが生まれます。
だから私がよくお勧めしているのは、いろんなものを「預かっている」のだと考えることです。
お寺の住職をすることを、よくお寺を預かっていると言います。私の場合だと「法源寺を預かっている横山瑞法です」と言った具合です。
うちのお寺は27代目なんですが、私はたまたま今、住職をさせてもらっているだけで、私の後も住職は続いていかないと困ります。
たまたま27代目を預かって、次の28代目にいい形で渡すために住職をしている。私はそう思って住職としての役目を果たそうとしています。永遠に住職ではいられないことは分かりきっている事なので、次の世代に人にどう渡すかそういう視点で考えています。
だからどんなものも、自分のものだと思わず、今たまたま自分の手の中にあるものだ、預かっているものだと考える。
そうすれば、これを次の人にどう良い形で渡せるかを思いながら向き合えます。
この意識を持つことが、諸行無常を知って執着を離れるための、一つの視点として分かりやすくていいんじゃないかなと思っています。
まとめ
すべては変わり続けて、一瞬たりとも同じ状態ではない。だからこそ、何もかもを自分のものだと握りしめるのではなく、長い歴史の中で、今は一時預かっているものだと考えてみてはどうでしょうか?人類のこれまでの歴史、これからの歴史の長さを考えた時に、私たちの一生なんてホンの数ミリくらいのものなんですから。
- 諸行無常とは、全てのものが因縁の中で変わり続け、一瞬も同じ状態にとどまらないという真理
- 人間は諸行無常を頭では理解できても、心では受け止めきれず、執着してしまう
- いつかなくなるものへの執着が強いほど、失った時の苦しみは大きくなる
- 自分のものではなく「預かっているもの」と考えることが、執着を離れる一つの視点になる
