仲間との月一のフリートークで出た問題意識
この回は、横山さんが仲間と集まって話した内容が出発点になっています。
先輩や友人と月に一回ほど集まり、仏教やお寺、社会のニュースなどについて、ああじゃないこうじゃないとディスカッションする会があるそうです。
そこで話題になったのが、「自分たちの教えは誰にでも伝わり、世界中に広げられる」という前提そのものが、もう通用しないのではないか、間違っているのではないか、という問いでした。
「一天四海皆帰妙法」というスローガンへの疑問
日蓮宗には「一天四海皆帰妙法」というスローガンがあります。
横山さんは、これを解説しながらも「無理があるのではないか」と率直に投げかけます。
ただし、こうした発言は日蓮宗の中では歓迎されにくいとも話します。日蓮聖人の教えに背く、僧侶としてどうかしている、と言われかねないからです。
いや、ちょっと待ってよと。これだけイスラム教があったり、キリスト教もカトリック、プロテスタント、他にもいろんな枝分かれがあって、ユダヤ教があって。世界を見回すと小さな宗教が多様にある。そういう中で、あまりにそれに固執したことをやると、完全に時代にフィットしてないよなっていう感じがするんですね。
「可能性はゼロじゃない」という反論への違和感
布教を続けるべきだとする側からは、「可能性はゼロじゃない」という言い方が出てくると横山さんは指摘します。
可能性がゼロだと証明するのは、いわゆる悪魔の証明のようなもので難しい。だから「可能性はゼロじゃないだろう」と言われる、という構図です。
しかし横山さんは、それはものすごく乱暴な話だと感じています。「無理ですよ」という人たちの意見を、可能性論で潰してしまうことになるからです。
ゼロだと証明できないだけで、実際には限りなくゼロに近いかもしれない。ならば「どれぐらいあるのか」を問うべきだ、という立場です。
そもそも仏教はオルタナティブな道として始まった
横山さんは、仏教の始まりそのものに立ち返ります。
自身の理解では、二千五百年前にゴータマ・シッダールタが出家し、道を志して始めたのが仏教であり、それはもともとオルタナティブな道だったといいます。
そこから多様な思想の影響を受け、土地を越えて伝わり、その土地の思想や信条に触れながら変化していったと説明します。
そうした流れの中で大乗仏教が生まれ、「すべての人に救いは開かれている」と語られるようになった、というのが横山さんのざっくりした整理です。
これすげえ雑に言ってますからね。あんまり重箱の隅をつつくようなことは言わないでください。それを承知でざっくり言ってますからね。
「開かれている」と「広めなければ」のすり替え
ここで横山さんは、大事な区別を持ち出します。
「すべての人に成仏の道が開かれている」ということと、「すべての人に広めなければいけない」ということは、必ずしも同時に成り立つものではない、という点です。
成仏の道は誰にでも開かれているという大乗仏教の考え方
その救いを全世界に広める義務があるという布教の前提
ところが、この二つがあたかも同時にセットであるかのようになってしまっていると横山さんは言います。
とくに日蓮宗はその傾向が他の宗派より強いかもしれない、と話します。
でもそれが同時であるかのような形になってしまって、それが逆に、現代における在り方を息苦しくしてるんじゃないかというふうにすごく思うんですね。
オルタナティブと思えたら心が軽くなった
二十年ほど僧侶を続けてきて、横山さんがたどり着いたのは「もう別にオルタナティブでいいじゃないか」という感覚でした。
一つの道でいい、カウンターカルチャーでいい。そう考えた方が、気持ちよく心を軽く僧侶を続けられるといいます。
逆に「全世界に広めるんだ」という前提を抱えたままだと、非常につらいとも語ります。先輩に「どうやればいいのか」と尋ねても、答えが見つからなかったそうです。
自分から見える世界を見渡した時に、僕の目に映る範囲の人たちみんなに、日蓮宗の信仰をさせるなんてことは全くイメージできないですよね。
無理に広げたいという気持ちはあまりなく、縁のある人に一人ひとり伝えていければいい。そう思えた時に、むしろ心が軽くなったと話します。
汲々とした社会の中でのカウンターとしての仏道
横山さんは、いまの社会や世界は汲々としていると見ています。
自分のことや自分の身近なことしか考えられない、そういう傾向が大きな流れになってきていると感じているようです。
だからこそ、その流れに対するカウンターとしての仏教・仏道に意味があり、そういう存在でいいのではないか、と語ります。
これは諦めなのかもしれない、と横山さんは自ら断りを入れます。ただ、そう明らかに見ることで、現場レベルでの配信などもやりやすくなっていると話します。
まとめ
横山さんは、「全世界に広めなければならない」という前提を問い直し、仏教をオルタナティブな道として捉え直すことで、むしろ心軽く僧侶を続けられると語りました。救いが開かれていることと、広めなければならないことは別だという視点が、この回の核心です。
- 「一天四海皆帰妙法」という布教の前提そのものに、横山さんは疑問を投げかけている
- 「救いが開かれている」ことと「全員に広める」ことは、必ずしも同時に成り立つものではない
- 仏教はもともとオルタナティブな道として始まった、と横山さんは整理する
- 無理に広げず縁のある人に伝えればよいと思えた時、心が軽くなったと語る
- 汲々とした社会の中で、カウンターとしての仏道に意味があるという立場を示している
