なぜ「推しと信仰」を語るのか
この回の冒頭で横山さんは、来週に父の三回忌を控えている近況を話しています。
その後、本題として選んだのが「推しと信仰」というテーマです。トークテーマに「推しコンテンツを語りたい」とあったものの、横山さん自身には特に推しがないため、この切り口が浮かんだそうです。
きっかけになったのは、推し活で使われる言葉でした。神、布教、祭壇、聖地巡礼、お布施、徳を積む。これらはパッと見ると宗教的な行為に関する言葉ですが、すべて推し活の共通言語として使われていると横山さんは指摘します。
推しのことを「神」と呼び、他人に勧めることを「布教」と言い、グッズを飾る場所を「祭壇」と呼ぶ。縁のある場所へ行くことは「聖地巡礼」です。
こうした重なりから、推しと信仰を対比して考えると面白いのではないか、と横山さんは話しています。
四人に一人が推し活をする時代
まず前提として、推し活が今どれくらい広がっているかが語られます。
最近の大規模な調査によると、日本で推し活をしている人は四人に一人という規模になっているそうです。市場規模はおよそ四兆円とも言われています。
横山さんは、これはもう一つの産業であり、一部の熱狂的なファンによるちょっとした社会現象という規模ではない、と話しています。
さらに、推し活は若い女性だけの文化ではなくなっています。横山さんの高校生の娘さんにも推しがいて、フルーツジッパーの青い服のメンバーを応援しているそうです。
男性や、四十代以上、五十代、六十代で推しがいる人も珍しくなくなっています。例として、元ラインヤフー会長の川邊さんがモーニング娘。を推していることが挙げられました。
一方で、宗教業界や仏教業界では、宗教離れや寺離れが十数年以上も言われ続けています。
人々は宗教的なものから離れたはずなのに、宗教の言葉を使い、宗教的な振る舞いに自分を当てはめて、推し活を生き生きとしている。この対比が横山さんの関心の中心にあります。
推し活と信仰の四つの共通点
横山さんは、推し活と信仰の共通点を四つ挙げています。
一つ目は、直接会えない存在と心の中で関係を結ぶという点です。推しの多くは画面の向こうやステージの上にいて、直接話せる相手ではありません。それでもファンはその人を思って一喜一憂します。
これは、目の前にいない仏様や神様との間に人が結ぶ信仰関係と、構造が似ていると横山さんは言います。
テレビに登場するキャラクターなどと親密な関係を築く現象はパラソーシャル関係メディア上の人物や有名人に対して、一方的に親密さや親近感を抱く心理的な関係。相手はこちらを認識していないが、視聴者側は継続的な関係を感じる。と呼ばれ、SNSが登場してから特に後押しされていると説明されました。
二つ目は、見返りを求めずに捧げる利他的な行為である点です。推し活でお金を使うとき、何かが返ってくることを必ずしも期待しているわけではありません。推しが活動を続けてくれること自体が嬉しいのです。
横山さんは、これはお布施の心に近いと話します。喜んで捨てると書く喜捨、支える喜び、利他の喜びと重なるという見方です。
見返りを求めずに手放す。実は推し活をしている人たちというのは、お布施的なものの入り口を体験しているのかもしれないですね。
三つ目は、同じ推しを応援する仲間のコミュニティです。これは仏教でいうサンガや講と、機能がよく似ていると横山さんは指摘します。
四つ目は、日常生活に意味が与えられる点です。推しがいるから仕事も頑張れる、つらいことも耐えられる。次のライブや推しの誕生日を目標に区切りをつけて生きる。
仏教では人生は苦であると言いますが、その苦しさを支えてくれるものになっている。これは宗教的な信仰が人に与えてきたものと同じだ、と横山さんは話しています。
会えない存在との関係
画面の向こうの推しと心の中で関係を結ぶ
利他的に捧げる
見返りを求めずお金や時間を使う
仲間のコミュニティ
同じ推しを応援する人たちのつながり
日常への意味付け
推しを支えに苦しさを乗り越える
推し活と信仰の四つの相違点
続いて、似ているけれど違う点も四つ挙げられます。
一つ目は、推しが基本的に生身の人間だという点です。キャラクターの場合もありますが、生身の人間である場合は卒業や結婚、あるいはスキャンダルもあり得ます。
推しを追うということは、いつか失うことが組み込まれた営みでもある、と横山さんは述べます。神や仏はもともと生身の人間ではないため、この点で関わり方が違うといいます。
二つ目は、推し活が消費市場を主な舞台にしている点です。運営側や裏方がいて、もっとお金を使ってもらうための仕掛けが設計される、完全なビジネスだと横山さんは言います。
ここでしか買えない限定グッズや、課金のランキングなどがその例です。
一方で信仰の世界では、本来お布施は求められるものではなく、求めず施されたものを受けるのが原則です。
ただし横山さんは、宗教の側もこの原則を守れているのかという耳の痛い話はあると認めています。教団を支える糧が必要だったため、宗教も喜捨してもらう仕組みを作ってきた歴史があり、それが今の推し活ビジネスの参考にされている面もあると考えられます。
聖地巡礼もその一例です。聖地に人が来れば、周りに宿やお土産屋、食事処ができる。こうした仕組みは推し活にも取り入れられています。
三つ目は、推し活のコミュニティに序列があり得る点です。どれだけお金を使ったか、どれだけ顔を出しているかといった貢献度で競い合う空気が生まれることがあります。
認められたいという思いから無理をしてつぎ込んでしまうこともある、と横山さんは指摘します。信仰には本来こうした競争はなく、たくさん布施をした人が偉いのではなく、それぞれがそれぞれなりにできたかが大事だといいます。
四つ目は「推し疲れ」です。楽しいはずの推し活が、競争などによって義務的になり、負担になって疲れてしまう現象です。ある調査では半数以上が推し疲れの経験があるというデータも出ているそうです。
仏教では執着を苦しみの根源と見ます。推し活も楽しんでいるうちはよいけれど、執着を燃料にして日常生活を崩すところまでいくと良くないと横山さんは話します。
そして重要なのは、この違いとして挙げた点も、行き過ぎれば信仰にも当てはまるということです。「宗教だから大丈夫」ということは全くなく、宗教側も気をつけるべきだと横山さんは念を押しています。
消費市場を舞台にし、序列や推し疲れが生じやすい
本来は求めない喜捨と平等が原則だが、行き過ぎれば同じ危うさに陥る
お寺は求める心の受け皿になれるか
最後に横山さんはまとめとして、四人に一人が推し活をしているという事実に立ち返ります。
日本人の二十五パーセントが推し活をしているということは、推したい、頑張ったことを捧げたい、繋がりたい、日常を支える支えが欲しいといった、宗教的なものに向かう心を持った人がそれだけいるということだと横山さんは考えます。
宗教自体からは離れていても、宗教的な営みを求める心は社会の中にまだまだあるということです。
ただし横山さんは、それをお寺が受け止められていないと語りたくなるものの、それをすべてお寺に持ってこようとするのはお寺の傲慢だとも話します。
その上で、お寺的なもの、仏教的なものが向いている人に対しては、思いの向け先としてきちんと開かれていることが必要だと述べます。
求める人に対して開かれている、入りやすい場所であって、分かりやすい場所であるということは大事かなと。
番組の終わりに横山さんは、リスナーに推しがあればコメントで教えてほしいと呼びかけます。
自身は中学高校の頃は広末涼子などのアイドルが好きで、その後はバンド音楽へ。結婚し、仕事や子育てを経て推しがなくなったといいます。子どもが少しずつ離れていく今、推しの一つや二つ持ってもいいかな、とおすすめを募っていました。
まとめ
推し活で使われる神や布教、祭壇といった言葉は、宗教的な営みと重なります。会えない存在と関係を結び、利他的に捧げ、仲間とつながり、日常に意味を得る点で信仰と共通します。一方で、生身の相手、消費市場、序列、推し疲れという違いもありますが、これらは行き過ぎれば信仰にも当てはまる戒めです。
- 推し活人口は四人に一人、市場規模は約四兆円で、若い女性だけの文化ではなくなっている。
- 推しと信仰には、会えない存在との関係、利他的な献身、コミュニティ、日常への意味付けという四つの共通点がある。
- 相違点として生身の相手、消費市場、序列、推し疲れがあるが、行き過ぎれば信仰も同じ危うさに陥る。
- 宗教的なものを求める心は社会に残っており、お寺はその思いに開かれた場所であることが大切だと横山さんは考えている。
