カルチャーはわかりにくくないと成立しないのか
小澤さんは冒頭で、ある仮説を投げかけます。カルチャーはわかりにくくないとカルチャーにならないのではないか、というものです。
ギャル語やネットスラングは、要は仲間同士でしか通じない暗号です。同じ言葉を使うことで「こっち側の人間だ」と確認し合える。そこに参入障壁が生まれるからこそ、カルチャーは強烈になっていくという見立てです。
「あ、君それ知ってるんだ。それ知ってるぐらいの感度持ってるんだ」「じゃあ俺と仲良くなれるね」みたいなノリじゃん。
名和さんも、その感覚に同意します。逆に「これ知らないんだ、ダサ」といった、仲間かどうかを測る空気もあると話します。
小澤さんは、これをメタ的に自分たちの番組にも当てはめます。カルトスタッズでわかりにくい言葉を使うのは、あえて残しているところがあるといいます。
ゲートキーピングをしたいわけではないんですけど、みんなに聞いてほしいんですけど、ここにある濃さをなくさないためには、普段使ってる語彙をそのまま使った方が濃いんじゃないかなって。
言葉を開くと抜け落ちるもの
氏家さんは、開きすぎない姿勢に触れます。開いたらもっと売れるとみんなわかっているけれど、あえて開かないことを決めている感じがある、と話します。
名和さんは、その理由を機能と情緒の違いで整理します。言葉を開くと機能的な意味は伝わるけれど、その周辺にある情緒的なものは抜け落ちていく、というのです。
開かないで使っていった方が、これが理解できる人、これが理解できる人っていう感じになるんだと思ってて。
名和さんは、クリエイティブとデザインという言葉を例に挙げます。和訳すれば同じにもできるけれど、内包する要素が違うから別の言葉として使い分けている。その捉え方自体が、お互いにとっての暗号になっているといいます。
小澤さんは、大阪出身の自身にとってのダウンタウンを引き合いに出します。ダウンタウンの笑いについて、多くの人が「自分にしかわからない」と思うという評があると紹介します。
DRTを喩えるなら「極太フォントしか使わない」
氏家さんは、DRTのルアーを使うことを、デザイナー2人にわかりやすく喩えます。ウェブサイトの案件で、極太のフォントしか使わない、というイメージです。
読み文字でさえエクストラボールドで、カーニングぎちぎちで、文字がめっちゃ見えないけど、もうそれでしか俺やらねえから。
名和さんは、引いて見ると真っ黒になるようなその喩えに、強く納得します。使いどころが限られる制約を、あえて決め込んでやること。その縛りそのものが美学になっている、という理解です。
氏家さんは、こうした制約や縛りを実験的にやったことがデザイナーにもあるはずだと話します。難しいけれど、特定の案件でハマったときの手応えがある。それがDRTの魅力につながると位置づけます。
そこに挑戦したいし、やんなきゃいけないみたいな、よくわからないパッションがあった、っていうことだと思うんですよね。
貯金ゼロから始まった創業と「パスワード」というブログ
小澤さんは、DRT創業者の白川さんの経緯を紹介します。既製ロッドへの不満から自作を始め、小ロットを受けてくれるOEM工場を探しながら、貯金ゼロで創業したといいます。
融資を獲得し、初のオリジナルロッドが売れるまで半年以上。バイトを掛け持ちしながら、チラシ配りとSNSで売上を作っていったと語られます。
これまで紹介してきたエピソードの中で、そんなに極貧絶望状態から創業した人っていなかったんじゃない。何もない状態からパッションだけでやってるから。
名和さんは、DRTがビジネスとして爆発的に売りたいわけではない点に触れます。白川さんの美学に共感する人が買ってくれればいい、という姿勢だといいます。
小澤さんは、そこにDRTのタイトルでもある「All or Nothing」が重なると指摘します。氏家さんは、生き様がタイトルに反映されていると受け止めます。
さらに小澤さんは、あえて仕込みのように、DRTの公式ブログのタイトルが「password」であることを明かします。開かないという感覚が、ここにも表れているのではないかという見立てです。
流通を絞る売り方と、参入障壁のジレンマ
小澤さんは、DRTが直販せず流通を絞る売り方をしている点を挙げます。全国約50店舗の正規プロショップと、国別のディストリビューターに閉じているといいます。
入手情報は、店のInstagramのゲリラ告知を追う時期もあったといい、これはアパレルのドロップ文化に近いと話します。
氏家さんは、昔のセレクトショップがそうだったと重ねます。ショップがバイイングした「ここにしかないもの」があり、店に行くこと自体が楽しかった。ショップがキュレーターの役割を担っていたという指摘です。
一方で小澤さんは、よくあるカルチャー論として、参入障壁が高すぎると誰も入ってこず衰退する、という考え方も提示します。DRTのように閉じることと、衰退することの違いはどこにあるのか。ここが問いとして残ります。
YouTubeとニコニコ動画、そして新陳代謝
小澤さんは、この問いを考えるときに思い出す事例として、YouTubeとニコニコ動画を挙げます。
ニコニコ動画は参入障壁がなく、玉石混交の有象無象が参加することで盛り上がった。けれど文化が成熟すると上手い人ばかりになり、スターが生まれ、下手でもいいという空気が失われて障壁が高くなっていったと分析します。
その結果、その方面のカルチャーは衰退した一方で、YouTubeは今も生き続けている。何がそれを分けたのか、と小澤さんは問い直します。
氏家さんは、有名人の起用という角度を持ち出します。釣り好きの芸能人や有名人がDRTを使えば、一気に強固なものになっていくのではないか、という見立てです。
木村拓哉が好きな層の中でも、彼が好きなファッションとかカルチャーが好きな人に、ズバッて入っていく感じ。
小澤さんが、それで元からのファンが冷めないかと尋ねると、氏家さんは二分すると答えます。離れる人もいるが、新たに入る人もいる。つまり新陳代謝が大きいというのです。
名和さんは、VANSの逸話を紹介します。セレブのインフルエンサーが靴を履きたいと言ったところ、創業者が「それはうちのカルチャーじゃない」と断ったという話です。
NIGOの上場と、中心を守るということ
小澤さんは、スケールメリットやネットワーク効果というビジネス構造の差が、YouTubeとニコニコ動画を分けたのではないかと考えます。ファッションブランドでも同じ差が生まれているのか、と話を広げます。
名和さんは、少し話をずらしながら、NIGOがヒューマンメイドを上場させた理由を、この問いと同じだと捉えます。
名和さんは、ストリートブランドは流行が出ては消えを繰り返すといいます。NIGOはそうならない形を作ろうとしており、株式会社化し、浮き沈みのあるアンダーカバーを買収したのも、ブランドを衰退させないためではないかと解釈します。
なぜそういう風になるんだろうって、今話してる話を、多分NIGOは同じことを考えて。アパレル業界の人たちが幸せになる世界を彼は作りたいんだと思ってて。
氏家さんは、DRTはマジで開いていないと話を戻します。新陳代謝を起こそうとも考えていなさそうで、売れなくなってもオールオアナッシングだという筋の通り方を感じるといいます。
ジェントリフィケーションと、街の中心を守る人たち
小澤さんは、この構造をジェントリフィケーションになぞらえます。街がおしゃれになり地価が上がると、価値は向上する一方で、古くから住んでいた人は追い出されていく現象です。
氏家さんは、実際にポートランドに1年ほど住んでいた経験を語ります。家賃が高騰して住めなくなった人が郊外へ移り、あるストリートを越えると危険だから行くなと言われる状況だったといいます。
氏家さんは、結果的に中央に白人高所得者層が固まり、他の人種が周縁へ追いやられる構造がポートランドでも当時から話題だったと振り返ります。
小澤さんは、先に氏家さんが語った「部族の中心」と重ねます。中心はコアな人たちがゲートキーピングし続け、周縁を新しく入ってきた人が出入りする。街がどうあるべきかをゲートキーピングする層が、どこかに必要なのではないかと考えます。
ど真ん中に、その新しく入ってきた人が入れない。入らないから。
氏家さんは、DRTでも真ん中を資本主義に売らない、哲学は絶対に転換しないと決めている感覚があるといいます。小澤さんは、NIGOはようやくそのゲートキーパーの役割を持てるチケットを手に入れたのだ、と受け止めます。
創業者が抜けたブランドに起きること
氏家さんは、少し話を逸らしながら、エシカル系ブランド「エバーレーン」がSHEINに買われたというニュースに触れます。
氏家さんは、まだファクトチェックしていないと前置きしつつ、エバーレーンが当初約束していたことを経済合理性の中で守りきれず、その感覚がファンに伝わってしまったのではないかと話します。
その背景には、創業者が途中で抜けたことがあるようだといいます。長が変わると、カルチャーを守り続けるモチベーション自体が失われていくという見立てです。
創業者が哲学を体現し続ける。パタゴニアのように、資本に売られる未来が想像しにくい
創業者が抜け、約束を経済合理性の中で守りきれず、ファンの信頼が離れていく
名和さんは、パタゴニアを例に、今でも創業者が哲学を体現し続けていると話します。小澤さんも、パタゴニアがSHEINに買われる未来は全く想像できないと応じます。中心を守っていれば、ある種大丈夫だという結論に近づきます。
品薄になる理由と、使い倒せというメッセージ
小澤さんは、DRT自身がこの問いをどう戦っているかにも示唆があると話します。DRTの品薄は、ハイプを狙った戦略ではないという点です。
琵琶湖のモンスター相手に納得いくまで作り込む、その副作用として品薄になる。経済合理性やブランド戦略ではないところにストーリーがあることが、顧客の納得感につながっているのではないかといいます。
さらにDRTは、ルアーを実際に使い倒してくれ、コレクターアイテムにするなと明確に言っているといいます。琵琶湖という具体的な場所と、そこで息づく実態が、DRTの最も強い基盤になっているという見立てです。
片道4時間、坊主で帰る勇気があるか
氏家さんは、名和さんに問いかけます。それなりの値段で買ったルアーを、名和さんなら実際に使えるか、というものです。名和さんは、ロストしたらどうしようという不安がよぎってしまうと正直に答えます。
氏家さんは、ロスト以前の問題があるといいます。より小さいルアーを投げた方が釣れるのに、あえて釣れると信じきれないルアーを投げるのか、という葛藤です。
現場に持っていける竿は1本だけで、大きなルアーには強い竿が要る。つまりタイニークラッシュを使うと決めた時点で、装備そのものを決め込むことになるといいます。
片道4時間かけて、ガス代とか往復で5000とかする中で、お前坊主で帰る勇気あるのかみたいなのが問われている。
それでもやる人がいる。名和さんは、そこにこの釣りの面白さがあると受け止めます。小澤さんは、釣れることへの最適化ではなく、プロセス自体を楽しめるかどうかが問われていると整理します。
氏家さんは、最初にその一歩を踏み出した人はすごいと語ります。周りが小さなルアーを投げる中で、大きなルアーでも食うはずだという仮説を立て、投げてダメを繰り返した末に釣果を上げ、ハマるパターンを見つけた人たちです。
All or Nothingというロマン
最後に氏家さんは、自分は買えるからルアーを投げられると打ち明けます。なくしてもお金を積めばまた手に入る算段があるからです。ただし、抽選で手に入れた超レアなものだったら、なくしたら絶望すると付け加えます。
名和さんは、それを踏まえてもこれで釣りをする人という、ちょっと違うジャンルができると話します。氏家さんは、それ専用にタックルを組まなければならず、引くに引けないといいます。
氏家さんは、この釣りを芸人のチャンス大城の芸風になぞらえます。途中で変えたらストーリーとして残ってしまうから、変えずに貫くしかない。その姿にオールオアナッシングを重ねます。
小澤さんは、これがビジネスとカルチャーの幸福な融合に行き着いているかは微妙だとしつつ、こういうブランドのあり方もあると受け止めます。ロマンがそのままブランドになり、その価値がファンに伝わっている状態を、幸福かもしれないと締めくくります。
まとめ
DRTを入り口に、あえて開かないことがカルチャーの濃さを守るという視点から、中心を守る人の役割まで話が広がった後編でした。釣りという具体的な体験を通じて、ブランドとカルチャーの構造が浮かび上がっていきます。
- 仲間内でしか通じない暗号を共有すること自体が、こっち側だという合図になり、カルチャーを強くする。
- 言葉を開くと機能的な意味は伝わるが、周辺の情緒的な意味は抜け落ちてしまう。
- 参入障壁が高すぎると衰退するが、コアな中心をゲートキーピングし続けることでカルチャーは守られる。
- 創業者が哲学を体現し続けるかどうかが、ブランドが資本に飲まれるかを分ける。
- 釣れることへの最適化ではなく、坊主で帰る勇気を含めたプロセスを楽しめるかが、DRTのAll or Nothingというロマンを支えている。
