幸せじゃなかったのは、サラリーマン時代だけ?
コテンラジオの番外編で、楊睿之さんが持ち出したテーマは「幸せ」でした。楊さんは、会社経営でも「幸福経営」が言われるなど、幸せが今いろいろな場面でキーワードになっていると話を切り出します。
深井龍之介さんは前回の番外編で扱った「死」の逆のテーマだと受け止め、今の自分については迷わず「めっちゃ幸せ」と答えます。楊さんが、幸せじゃない時と今とで何が違うのかを尋ねると、深井さんの答えは「やりたいことがやれているから」というものでした。
僕でも幸せじゃない時期の方がもう圧倒的に多分少ないですね。サラリーマンだった時代だけです。
でも今の幸せって、あのサラリーマンの幸せじゃなかった時期がないと、多分今のこの幸せ最大値になってないので。
深井さんは自分のことを「ずっと幸せになり続けている」と表現します。6歳ぐらいの頃は学校に行きたくないのに毎日行かなければならなかったので、今と比べれば相対的に不幸せだった、という見方です。
サラリーマンを辞めていきなり独立した深井さんは、半年ほどお金を稼げない時期を過ごしました。楊さんがその半年間に不幸せを感じたかを聞くと、深井さんは「全くなかった」と答え、理由を「希望があったから」と説明します。
サラリーマンの時が一番僕は希望がなかった。ほんと八方塞がり感がすごくあったんで、このままこれしとってもなー。でもな、何すればいいかわからんしなみたいな。
深井さんによると、サラリーマン時代はやる気が出ず、飲み会の会費集めの計算までミスするほどだったそうです。本当はできるはずなのに「俺は計算もできないのか」と思い込み、自信を失っていた時期だったといいます。
それでも深井さんは、そうしたままならない時期こそめちゃくちゃ大事だったと振り返ります。あの時期がある人生のほうが良かったと思えるので、結局は不幸というより「ただ落ち込んでいただけ」だという捉え方です。
楊さんは、当時の不幸が今振り返って不幸に見えなくなっているだけではないかと指摘します。深井さんはそれを認めつつ、当時は「不幸だ」と俯瞰するよりも「明日仕事に行きたくない、死ぬほど行きたくない」という感覚的な嫌さだったと語ります。
深井さんにとって、起業後に起きた客観的には激しいトラブルよりも、サラリーマン時代のほうが理不尽でしんどかったそうです。深井さんが一番嫌だったのは、納得できないことを人の指示で無理やりやらされることでした。
サラリーマン時代。人の指示で納得できないことをやらされ、希望がなく八方塞がり。自信も失っていた
独立後。半年稼げない時期も希望があり不幸と感じなかった。やりたいことができていて今が幸せの最大値
楊さん自身も、辛いことがたくさんあったからこそ、自分がどんな場所や状況で嫌だと感じる人間なのかがわかるようになったと話します。辛い経験によって、幸せに対する感度が高くなったという実感です。
人生はファミコン、幸せは挿しているカセットで決まる
樋口聖典さんも、今が一番幸せかもしれないと話します。前回の「死」の回で語ったように、樋口さんにはうつ病で死にかけた時期がありました。そのうえで樋口さんが示した幸せのイメージは、人生をファミコンにたとえるものでした。
要はですね、その時その時とか、人それぞれで同じ世界で生きてるんですけど、挿してるソフトが違うなって感じです。
樋口さんのたとえでは、テニスのソフトを挿していればテニスで勝つことが幸せになります。東京で音楽で食べていこうとしていた頃の樋口さんは「音楽制作でフリーランスとして食っていく」ソフトを挿していて、それが叶わなければ不幸せだったかもしれないといいます。
今の樋口さんが挿しているのは「人間とは何かを知る」というソフトです。樋口さんは、深井さんが掲げる「人類が人類を深く知るために貢献する」という理念が自分の人生理念でもあり、コテンラジオを始めたのもそこで意気投合したからだと明かします。
この人生理念のソフトを挿している以上、金銭的トラブルとか人間関係のトラブルって、材料になります。
一方で、樋口さんは「口座のお金を増やすゲーム」のソフトを挿していたら、同じトラブルでも不幸になるかもしれないと続けます。お金を手段にしているか目的にしているかで、お金を稼ぐことから幸せを得られるかどうかが変わる、という整理です。
金銭や人間関係のトラブルも、人間を知るための材料になる
お金が目的なので、金銭的トラブルはそのまま不幸につながりうる
深井さんはこの話を受けて、ブッダ ── 仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の尊称。紀元前5世紀頃のインドで、苦しみから解放される道を説いたとされますが言ったのは「他人のカセットを挿すな」ということだと重ねます。他人が基準になるカセットを挿すと、幸せかどうかを自分でコントロールできなくなるからです。
樋口さんは、日本では「お金を稼いで安定して生きていくことが幸せ」というソフトが大量に売られていると指摘します。深井さんも、そのソフトを挿すと景気や勤め先に幸せが左右されてしまうと応じます。
さらに樋口さんは、ソフトは1つだけでなくいくつも持ってよく、場面ごとに差し替えられると話します。樋口さん自身、仕事中と家族といる時とでは別人格と言えるほど違い、それも違うゲームをプレイしている感覚だそうです。
楊さんが、いろいろなカセットを持てるようにするにはどうすればいいかと問うと、樋口さんは「全員もともと持っていて、気づいていないだけ」だと考えています。
みんなやってるし、これ今とりあえず入ってるから、そのハードの中に。だからずっとプレイしてるんですよ。でも別にやめていいんですよね。
うつで死にかけた時に見たコンティニュー画面
深井さんもゲーム感覚で人生を捉えていて、人生で嫌なことが起きた時は「コンティニューボタンを無心で押している」イメージだと話します。すると樋口さんは、うつ病で死にかけた時にその幻覚を見たことがあると打ち明けます。
俺意識失いかける時に親に電話して「今までありがとう」つって、意識失いかける時にコンティニューの画面出たっす。
(コンティニューは)イエスノーで迷ってイエスにした。
深井さんは、前回の番外編で話した「操縦者である自分と、自分という人間自体を分ける」という考え方とつなげます。人生がゲームなら、プレイヤーとキャラクターを分けて見ていることになるという理屈です。
深井さんが例に挙げるのは、穴だらけのステージを進むマリオのようなゲームです。初見では穴に落ちて死にますが、そのたびに落ち込んでいたらクリアできません。イライラはしても、コンティニューを押せばいいだけだと気づいたといいます。
コントローラー壊れとるかもしれないし、このファミコンは。いろんな条件が他の人より劣ってるかもしれない。そこがイライラはするけどさ、落ち込まんやん。
深井さんは、そこで落ち込むかどうかは自我の持ち方次第だと考えています。それ以来、深井さんは嫌な気持ちになることはあっても、基本的には落ち込まなくなったそうです。
困難は、ゲームを面白くする中ボスかもしれない
樋口さんは、うつで一度死にかけて「死なない道」を選んだ経験から、嫌ならやめてもいいのが人生だと考えています。マリオで何度も落ちて面白くないと思えばやめていい、それでも続けているなら自分で選んでいる、というのが樋口さんの1つ目の感覚です。
もう1つの感覚として、樋口さんはドラクエ ── ドラゴンクエストシリーズの略称。仲間と旅をしながらモンスターを倒し、最後にラスボスを倒して物語をクリアする日本の代表的なRPGですのようなロールプレイングゲームを例に挙げます。ボスが全部弱かったらゲームは何も面白くない、という見方です。
困難が訪れた時って、あ、いい小ボス、いい中ボスを用意してくれてるなって思うと、なんかゲームになるんですよね。
深井さんも、困難に対して「ここでクリアしないと同じ面がもう一回来る」という感覚があると話します。自分の人格から来る課題は、向き合いたくなくても向き合わないと後でもっとしんどくなるので、面倒でも向き合うのだそうです。
樋口さんは、クエストをクリアすればアイテムや魔法や鍵がもらえるとたとえを広げます。ただし、今向き合うべきでないクエストもあるので、後回しにして仲間やアイテムを集めれば、3年前にクリアできなかったクエストに立ち向かえることもあるといいます。
困難が来る
いい小ボス・中ボスが用意されたと捉える
向き合うか判断する
逃げても同じ面がまた来る。ただし今会うべきでないクエストは後回しにしてよい
準備して挑む
アイテムを取り、仲間を見つけて力をつける
クリアする
アイテムや魔法、鍵が手に入り、より自分を知る
深井さんは、魔法を覚えてもMPの消費量が多すぎて1日1回しか使えないこともたくさんあると笑います。樋口さんは、それを「より自分を知った」ということだと受け止めます。
一生クリアを続けることに苦しさはないかと聞かれた深井さんは「ない」と答えます。ドラクエも一度クリアしたら、4人パーティーではなく勇者1人で挑む、全員レベル99まで上げるなど、ラスボスを倒すこと以外の遊び方が生まれるからです。
そのクリアしないことでストレス感じる自分がいればクリアしたらいいし、全く何も感じないんだったらそれはクリアしなくていいみたいな感覚ですね。
樋口さんは、深井さんのこの考え方を「マジで大乗仏教 ── 紀元前後頃から広まった仏教の大きな流れの一つ。出家者だけでなく、在家の人々も含めた多くの人の救済を重視するとされます」だと評します。樋口さんの説明では、もともと釈迦は苦しみを繰り返す輪廻転生 ── 生き物が死後も別の存在に生まれ変わり、生死を繰り返すという古代インドの考え方。仏教ではこの繰り返しを苦しみと捉えますから解脱して涅槃に至る道を説きました。
それに対して大乗仏教は、悟らなくてもいいから現世で頑張ればいい、という教えだと樋口さんは語ります。苦行でしか幸せになれないのはハードルが高かったので、そのカウンターとして生まれたのではないか、という見立てです。樋口さんは、宗教とは結局、幸せを追求するものだったとまとめます。
ゲームは人間の世界の見方を映している?
終盤、深井さんは人生をゲームにたとえた理由を説明します。人間がゲームを作ったのなら、この世界もゲームのように捉えられるはずだ、というフラクタルのような感覚があるからです。
ゲームの中の世界って人間が多分現実世界を見て切り取り方をしてるんですよ。
深井さんによれば、人間は想像力だけでゼロからゲームを作っているわけではありません。現実世界を「横スクロールでジャンプして障害物を越えていく」という切り取り方で見るとスーパーマリオになり、「成長していく世界」と見るとRPGになる、という考え方です。
だからこそ深井さんは、逆にゲームを見ることで現実世界の見え方のモデルが手に入ると話します。リバースエンジニアリングのように、自分が持っていない世界の見方を、ゲームを作った人から借りられるということです。
確かに絵とかでだったらさ、この人アーティスト、この世界こう見えてるんだなって考えますけど、ゲームでそれを考えるとは僕は思わなかったですね。
最後に深井さんは「幸せの結論は出ませんでした」と認めます。樋口さんもそれに同意しつつ、カメラ目線で「僕らはみんな今幸せです」と締めくくりました。
まとめ
幸せの明確な結論は出なかったものの、3人の話からは、辛い時期を経たからこそ今の幸せを深く感じられること、そして人生をゲームのように捉えると困難との向き合い方が変わることが見えてきます。
- 深井さんは、希望のなかったサラリーマン時代があったからこそ、今の幸せが最大値になっていると考えている
- 樋口さんは、人生をファミコン、価値観をカセットにたとえ、他人基準ではない自分のソフトを選び、場面ごとに差し替えてよいと語った
- 穴に落ちてもコンティニューを押せばいいだけで、落ち込まなければ基本的に幸せだと深井さんは話した
- 困難をゲームを面白くする中ボスやクエストと捉えれば、向き合うことも後回しにすることも選べる
- ゲームは人間の世界の見方を映していて、逆にゲームから現実の見方を学べるという視点も示された

