革命はなぜフランスからドイツへ飛び火したのか
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共産党宣言をブリュッセルで出したあと、世界の方がいろいろな動きを示してきます。きっかけの一つが、イタリアのシチリアで起こったパレルモ暴動でした。
今回のパレルモ暴動は、ブルボン家 ── フランスやスペイン、イタリア南部を支配した王家。ここではイタリア南部を治めていたブルボン王朝を指しますの支配に反対する民衆運動だったと、深井さんは説明します。民衆は近代化を求めていました。
この時期は、王様がいる古い封建的な社会と、近代化の間でみんなが揺れ動いていた時代でした。深井さんは、その揺れが第一次世界大戦までずっと続いたと話します。
シチリアで起こった暴動が、当時めちゃくちゃ揺れていたフランスに飛び火します。フランスにはルイ・フィリップという王様がいました。
ナポレオンの後に王様いたんよ。
皇帝の後に。
フランスはフランス革命の後、王様が出てきたり別の勢力が出てきたりして安定しませんでした。この時は保守的なところに振れていて、上流の金融ブルジョワジーとは手を組む一方、工場を持つ産業ブルジョワジーの利益を抑圧していたと、深井さんは整理します。
さらに経済恐慌も起こって不満が溜まったところに、民衆が選挙法改正を求めるデモを起こします。当時のフランスは、フランス革命で平等をうたったのに、選挙権を持つ人は人口のわずか1パーセントでした。
(フランスで選挙権を持つのが)1パーセント?全然民主主義じゃない。
このデモが政府に弾圧されたことで、パリで大規模な暴動が起こり、王様が追放されて臨時政府が立てられます。これがフランス二月革命です。
深井さんは、フランス革命の後に何度も革命が出てくるのは、社会が革命と反革命の間を何段階も揺れ動いていたからだと説明します。
王政・資本主義・共産主義、三つの世界がぶつかる時代
フランス二月革命のあと、臨時政府は普通選挙を行いますが、保守的な農民の支持を得てブルジョワジー的な政府ができていきます。深井さんは、この時代には二つの世界がまずあったと整理します。
王様がいる封建的な社会。フランスやドイツにまだ残っていた
ブルジョワジーが勃興し、資本主義的になった世界
マルクスが言う共産主義の世界は、この次に来ると考えられていたものです。ブルジョワジーを、プロレタリアートである労働者階級が倒して打倒し、新しく作る社会でした。
この三つの社会をそれぞれ考えてる人たちが、なんかこうバチバチしてるっていうことなんですね。
この時点で共産主義という考えはありましたが、それを実現できている政府はまだありませんでした。ただ、革命が起こっている時は、共産主義者からするとスーパーボーナスタイムだと深井さんは言います。
ちょうど今揺れ動いてるというか、不安定なところだから取っとけ、まとめていけみたいな感じですよね。
しかしフランスでは、労働者の政府ではなくブルジョワジーの政府になります。さらにブルジョワジーの派閥対立を利用したルイ・ナポレオン、のちのナポレオン3世が大統領になり、なし崩し的に皇帝になって皇帝制に逆戻りしていきました。
フランスがぐちゃぐちゃすると、今度はドイツもその影響を受けます。フランス二月革命の影響を受けたドイツでも革命が起こり、ウィーン体制で保守反動体制を築いていたメッテルニヒ ── オーストリアの政治家。ナポレオン戦争後のウィーン体制を主導し、革命運動を抑え込む保守反動体制の中心にいましたが追放され、イギリスに亡命します。
無職に逮捕。マルクスがブリュッセルを追われる
欧州各地で革命が起こると、マルクスが今いるベルギーのブリュッセルでもやばいという空気になります。ベルギー政府は、政治亡命者や活動家への取り締まりを強化しました。
その人たちが革命を起こしてるわけですからね。それマルクスじゃないですか。
マルクスはパリの状況を見て、これはチャンスだといろいろ動こうとします。フランスの新しい政府から知識人として招かれたりもしました。しかしベルギーには国王がいますから、王様を追放した政府に招かれる人物が国内にいるのは都合が悪いわけです。
名刺出したらここに無職って書いてある。私こういうマルクスっていうものなんです。無職。
でも徳川幕府が攘夷志士を取り締まるような。
結局マルクスは、王様から24時間以内に出て行けと言われます。出ていけなかったのか、マルクスは逮捕され、妻のイェニーも逮捕されました。
深井さんは、貴族の娘だったイェニーは金銭感覚が違うと言いつつ、この時は貧乏生活をしていたと話します。逮捕のあと追放され、行き先は臨時政府ができたフランスしかありませんでした。
二段階革命の新聞が、また潰れるまで
フランスに移ったマルクスは、ブリュッセルで作った共産主義者同盟の中央本部をパリに再建し、委員長に選ばれます。そしてドイツ本国への働きかけとして、新ライン新聞という新聞を作ります。
以前のライン新聞はプロイセンのブルジョワジーがスポンサーでした。今回は共産主義者や民主主義者が支援し、マルクスが編集長、エンゲルスが共同作業者となります。副題は「民主主義の機関紙」でした。
マルクスたちが考えたのは、二段階革命という戦略です。まずブルジョワジーが封建社会を打倒し、工場を作って生産する。深井さんは、その先にマルクスの狙いがあったと説明します。
封建社会の打倒
まずブルジョワジーが王政を倒し、資本主義の社会を作る
生産効率の限界
工場での生産効率が限界まで上がる
労働者社会へ
限界を迎え、次のプロレタリアート社会へ移行する
マルクスは別に資本主義を全否定してやるわけじゃないんですね。資本主義はあってもいいけれども、タイミングが来たら、もう資本主義はもう駆逐して次の段階に行くっていうふうな考え方ですね。
ところが、本人が共産主義者なので、記事の内容が共産主義的なものになっていきます。すると、民主主義のスポンサーたちが降りていきました。議会を批判し、他の新聞にも喧嘩を売り始めたためです。
また喧嘩するんやな。なんか民主主義の機関紙とまでつけてたのにって感じ。
深井さんは、マルクスは考えが人より先に進みすぎていて、理解されづらかったのではないかと話します。そのくせ、バウアーのような相手が同じようにストレートに言うと「現実を見ていない」と批判するところもあったといいます。
議会を批判したことで、マルクスはまたプロイセン政府から弾圧されます。当時はパリが帝政に移り保守的になったため、彼はケルンに逃げて新ライン新聞を発行していましたが、そのケルンからも追放令が出ました。
ロンドンへ。三つ目のライン新聞も六号で潰れる
どこに行けばいいのかわからなくなったマルクスは、ロンドンに向かいます。その過程で、ドイツの革命に期待を寄せていました。
1年間軍隊にいたエンゲルスは、ドイツの革命軍に参加して戦争までしました。しかし戦争は終わり、ドイツの革命は結局どうにもならなかったと深井さんは言います。エンゲルスもスイスに亡命したのち、ロンドンに逃げてきました。
ロンドンでマルクスは、エンゲルスとともに新しい雑誌の発行に取り掛かります。深井さんは、この頃のマルクスはめげずに発信を続けたと話します。
だからもうほんと失敗してますからね、ここ。ずっと失敗してね。
ここで出したのが、三つ目のライン新聞にあたる「新ライン新聞政治経済評論」でした。しかし6号まで出したところで、資金難のために潰れてしまいます。
マルクスとエンゲルスは共産主義者同盟の再建も図りますが、革命家たちは各地の失敗に焦ってヒステリックになり、一つにまとまりませんでした。同盟はうまくいかなくなり、マルクスは完全に無職に戻って、ロンドンで激しい貧困に突入していきます。
大英博物館の図書室と、家業に戻ったエンゲルス
資本主義を解明するため、マルクスはこの時点で長く経済学の研究を続けていました。行くところが本当になくなったロンドンで、彼は大英博物館に通い始めます。
マルクスは大英博物館の図書室で経済学の勉強を続けます。一方エンゲルスは、そのマルクスを支援するためロンドンを去り、マンチェスターで商売を始めて資本家に戻りました。
当時のエンゲルスの家はどうだったのか。父と仲が悪くなり、過激な運動をして逮捕令状まで出されたため、甘かった両親からの仕送りもついに止まっていました。
そこでエンゲルスがとった決断は、家族に頭を下げて家業に戻ることでした。妹のマリーが仲介し、そこからエンゲルスは家業のために19年間働き続けます。
働きながらマルクスを支援しながら、いつでも革命に戻れる準備をずっとしてるんですよね、エンゲルスは。
私生活では、エンゲルスは愛人のメアリー・バーンズと、その妹のリジーと一緒に過ごしていました。身分が違いすぎて結婚できず、未婚のまま近くに住まわせ、関係を隠して付き合っていたと深井さんは説明します。
資本家としての仕事は、エンゲルスにとってはとても嫌なものでした。手紙には「呪われた商売」「汚い商売」という言葉が出てきます。
株式市場なんて資本主義の悪の典型だとか言ってるんですよ。投機っていうのは、その他人の不幸によって自分が利潤を上げるやり方なんだとか。
年収1500万のエンゲルスと、極貧のマルクス
エンゲルスは、父の会社に雇われる形で働いていました。跡を継ぐ前提で年収100ポンドに、経費や交際費として200ポンドを使ってよく、途中からは会社の利潤の5パーセントももらえるようになります。
だいぶ後の話として、1860年代、マルクスが42歳ぐらいの頃には、エンゲルスの年収は1000ポンドを超え、今の貨幣価値でおよそ1500万円ほどになっていたと深井さんは説明します。
エンゲルスは、そのうち半分ほどを自分で使い、残りをマルクスに回していました。深井さんは、本人もちゃんと遊びながら支援していたと話します。
一方でエンゲルスたちは、批判している労働者階級の労働力を搾取した結果として、その稼ぎを得ているわけです。深井さんは、この矛盾にはすごい葛藤があったようだと話します。
良心の呵責がね。
マルクスの方は、その時期は無職で、エンゲルスの支援を受け、子供もいっぱいいて、死ぬほど貧乏でした。深井さんは、この貧乏な暮らしのなかで続けた経済学の勉強が、資本論につながっていったと言います。
20年間でエンゲルスがマルクスに送った額は3000から4000ポンド、現在の価値で日本円にしておよそ5000万円でした。単純に割ると1年あたり250万円ほどになります。
最初らへんは二百五十万も全然もらえてなくて、マジのスーパー極貧で、後年は結構ちゃんともらってるみたいな感じ。
マルクスは借金も抱えていました。借金取りが家に来て、返せないから家の物を差し押さえられることもあったといいます。
貧困のなかで子を失い、それでも資本論へ向かう日々
貧困のなかでも、マルクスは娘たちの教育費には惜しみなくお金をかけました。ブルジョワ的とも言える教育を施していたと、楊さんは指摘します。
演劇を習わせたりとか、音楽の先生をつけたりとかしてるんですよね。
働けよ。いやいや、働かなかったからこそ『資本』ができましたから。あれは素晴らしいと思います、やっぱり。
エンゲルスとマルクスは、手紙でやりとりを続けていました。深井さんによると、二人は中学生のような下ネタなど、しょうもない話題で笑い合っていたそうです。
じゃあこれ収録してない時の俺らみたいな話して。
ロンドンに渡った直後ほど、マルクスが貧乏で不幸だった時期はなかったと深井さんは言います。貧しさのために、子供たちが次々に亡くなっていきました。
次男のハインリヒが満1歳そこそこで急死し、三女のフランチェスカが1歳で気管支炎のために亡くなります。葬式の費用さえなく、借金で小さい棺を買うほどでした。四女のエリナが生まれた頃には、長男のエドガーも亡くなります。
4人の娘と2人の息子のうち、次男と三女、長男が亡くなり、男の子は全員亡くなってしまいました。それでもマルクスは子煩悩で、家では子供を背中に乗せてお馬さんごっこをして遊んでいたといいます。
これはきついな。
こうした貧困のなかでも、マルクスは自分の役目として図書室で勉強を続け、現代社会に対する分析を進めていきました。深井さんは、本に残る当時の暮らしぶりを紹介します。
大博物館の図書室に逃げ込んでは、歴史、経済学、自然科学の難解な書物を貪るように読みあさった。子供のおもちゃと壊れた家具の破片が散らばる部屋で、タバコをふかしながら夜を徹して執筆に取り組んだ。
しかもマルクスは体調も崩し、いろいろな病気を抱えていました。それでも子供に、暗唱するほど好きなシェイクスピアを読み聞かせたり、お馬さんごっこをしながら論文を書いたりしていたといいます。
母より金、女中の子はエンゲルスの子。二人の常識外れの絆
マルクスを支援したのはエンゲルスが第一の存在でしたが、ほかにも何人かの支援者がいました。彼らは、マルクスこそが次の社会を切り開く思想を打ち出す人物だと期待していたと深井さんは話します。
そのマルクスの、常識では測れない一面を示すのが、エンゲルスの愛人メアリー・バーンズが急死したときの逸話です。悲しんだエンゲルスは、その知らせを手紙でマルクスに送ります。
マルクスがね、そっかみたいな。俺のお母さんが死んだらよかったのにね、お金ちょうだいって言うんですよね。それでエンゲルスマジでキレて。
(マルクスの返事の)意図がわからん。なんで?
深井さんは、マルクスは人の気持ちがわからず、母のこともあまり好きではなかったのだろうと話します。実際、母が亡くなるとその遺産でマルクスの暮らしはだいぶまともになったため、そういう意味も混じっていたのではないかと推測します。
この一件でエンゲルスは一度絶交し、マルクスが謝ったといいます。さらにマルクスには隠し子もいました。貴族の妻イェニーに付いてきて、無給で仕えていた女中が妊娠したのです。
家の中は当然ブチ切れの状態になり、共産主義の指導者になろうとするマルクスにとってはスキャンダルになりかねません。ここでエンゲルスがとった行動が、二人の関係を象徴しています。
エンゲルスはね、「僕の子です」って言うんですよ。
このエンゲルスに対して、エンゲルスの最愛の人が亡くなった時にマルクスが言ったのがお金ちょうだいですよ。
楊さんは、マルクスの子供たちのうち、この隠し子だけがまともな生活を送れたと付け加えます。他の子供は自殺したり病気になったりして、あまり長生きできませんでした。
家督を追われるエンゲルスと、資本論へ続く道
こうした暮らしのなかで、家業を継いだエンゲルス自身も苦しんでいました。忌み嫌う自分の家督を継ぎ、その稼ぎで正反対の思想を支えるという複雑な状況で、体調を崩すこともあったといいます。
父が亡くなると、経営権を誰が継ぐかが問題になります。長男はエンゲルスでしたが、思想が共産主義だったこともあり、弟たちから追い出されてしまいます。
親族間の争いですよね。
ただ、弟からの追い出され方はそれほど冷たくはなく、エンゲルスはまとまった大きなお金をもらえました。そのお金を持って、彼は再びロンドンのマルクスのもとへ向かいます。
深井さんは、二人は決して超ストイックだったわけではなく、遊びたい人たちだったと話します。マルクスはお金がなく、エンゲルスも最初は苦しかったものの、余裕ができるとちゃんと遊んでいました。
樋口さんは、否定する資本主義に支えられて生きることで、また否定する対象に人生をかけていく構図に、自己矛盾を抱えた物語のような面白さを感じたと振り返ります。
毎日通い詰めた大英博物館での経済学の勉強は、やがて資本論へと結実していきます。深井さんは、この生活のなかで資本論が完成していく過程を、次回に話すと予告します。
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まとめ
共産党宣言のあと、マルクスは革命の波のなかで追放と逮捕を重ね、ロンドンで極貧の亡命生活に入ります。子を失うほどの貧しさと病を抱えながらも、彼はエンゲルスの支援を受けて大英博物館で勉強を続け、その日々が資本論へとつながっていきました。
- パレルモ暴動をきっかけに、フランス二月革命がドイツなど欧州各地へ飛び火し、王政・資本主義・共産主義の三つの世界がぶつかっていた
- マルクスはブリュッセルからフランス、ケルン、そしてロンドンへと追放・逮捕を重ね、新聞も次々に潰れて完全な無職に戻った
- マルクスの狙いは、まずブルジョワジーが封建社会を倒してから労働者社会へ移る二段階革命だった
- エンゲルスは忌み嫌う家業に19年戻り、稼いだお金の一部でマルクスを支え続けた
- 母の訃報に金を求め、女中の隠し子をエンゲルスが引き受けるなど、常識外れの逸話を残しながら、極貧の勉強が資本論へと結実していく







